溜めに溜めた重苦しさの後、最後に拓けていく景色の美しさ

 終わりのない作業に没頭する『僕』と、それを「逃げちゃおっか」と逃避行に誘う何者かのお話。
 たぶんネタバレが致命的なダメージになるタイプのお話ではない、とは思うのですけれど、でも個人的には予備知識のないまま読んでほしい、と感じたお話。というのも、もう本当に雰囲気がいいんです。普段はあんまり〝雰囲気〟なんて曖昧な(というか人によってたぶん想定するものの差が大きい)箇所を推したりはしないんですけど、でもこの作品に関してはそこを押してでも「雰囲気すき!」と言いたいというか、雰囲気という言葉でもなければ表せない何かを直接静脈に注射されてるような読み口がすごいです。
 具体的には序盤における全体像のぼやけぶりの匙加減というか、個々の細かい要素要素にピンポイントでカメラを寄せて、そこから後追いで推測するような形で世界の像を組み上げていく、その感覚がとても面白いです。文章自体は非常に読みやすく、するする頭に入ってくるのですけど、でも(というか、なのに)読書感覚そのものはむしろ意図的にこちらに負荷をかけてくるというか、濃い霧の中をかき分けながら進むかのような感覚。この読み味、物語の中を進むのに自分で意識的に足を踏み出すような感じが、序盤から中盤の内容にぴったり合致している(あるいは合致しているからこそ重たさを感じる)ところが最高でした。
 というのもお話の筋、というか中盤までに書かれているのは決して明るい物語でなく、むしろ読めば読むほどに押しつぶされそうになるほどの重苦しい現実。それを主人公の自覚すら一足飛びに超えて、読み手の感覚のレベルに直接伝えてくるみたいなこの書かれ方。主人公の置かれた境遇、彼自身の苦しみや周囲から浴びせられる悪意のようなものが、ただ伝わるばかりでなくもうどんどこお腹に溜まって、だからこそというかそれが故にというか、ようやく辿り着いた終盤の心地よさと言ったら!
 特に好きなのは晴れやかな結末の、でも客観的には惨事が起こっていたりまた「逃げ」でもあったりするところ。きっと他人事として見たなら本来幸せではないはずのそれが、でも確かにしっかりハッピーエンドしているとわかる、その感覚が楽しい(というよりも嬉しい!)素敵な物語でした。

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