第7話 我らちょっとブルーなり

永崎が誇る動物園、永崎バイオランドにはカバがいる。カピバラがいる。そして大きな竜がいる。


ミルキームーン種のクララちゃんはスイス生まれのドラゴンで、推定400歳になるバイオランドの看板娘だ。


クララちゃんと同種のドラゴンは基本的に山に住んでいる。親離れの時にまだ竜のいない山に旅立ち、見つけた山を縄張りにして生涯を過ごす。


ただ彼女は少し特殊だ、定期的にお引越しをする飽きっぽい性格なのだ。


確認されているだけでもティトリス山・ベターホルン・タルガルマウンテンで目撃されたという伝承が残っている。


近代の詳しい記録によるとモンゴルや韓国では山にすら飽きたようで人里の近くでダラダラと暮らしていたようだ。


永崎にやって来たのは75年前くらい。くらいが重要だ。戦後で世界中がドタバタしている時にいつの間にか住み着いていたらしい。


彼女の性格が分かっていなかった段階では周辺の開発が中々進められず行政には嫌われていたが、周辺住民にはとても大切に扱われていた。


理由は彼女がミルクをくれる益竜だからだ、といっても直接乳が出せるわけではない。


クララちゃんの主食は岩石なのだ。


捕食の仕方はペロペロと舐めるという方法であるが、その消化の際に副産物として甘く栄養価の異様に高い液体が残るのだ。


人間の子供が舐めやすいようにか低地の岩石しか舐めず、まるで人間を世話するかのようだったと当時の人は語る。


元々ミルキームーン種はおせっかいというか世話焼きが好きな竜だと言われている。


彼女の故郷と思われるピラトス山をはじめとするスイスの山々には遭難した時、白銀色の竜に助けられたという伝承が多数残っているし


フィールドワークに出ておいて遭難した間抜けな研究者にミルクを与え、その巨体で吹雪から間抜けを守り暖めたという記録もある。


その彼女の種としての本能か性格のおかげかで、戦後の食べ物の無い時代でも周辺に住む人々は飢えることはなかった。


そして当時の起業家がクララちゃんの住処周辺の土地を買い取り社を立てた。


最初はクララちゃんの為であったが参拝客が多く、社には連日行列ができるようになった。


そこに目をつけた敏腕プランナーが起業家をそそのかし日本で唯一触れるドラゴンのいる動物園を作らせる。


それが大当たりした結果、今日のバイオランドがある。ただ最近は……


彼らを乗せたハイエーズが黄色信号で止まる。行けそうだったのにもったいない。


「岩永、そろそろつきます。先生と森山を起こしてください」


でかいというより長い身長と、でかいというより長い顔を兼ね備えていることでおなじみの男、北原が後ろを向きいう。


はいと返事をし、岩永はスマホをポケットになおした。


運転席から後ろを向いたまま北原が岩永の顔を見つめた後、ふうと小さくため息をついた。


「気を使わなくていいのに、礼儀正しいのもいいですが二人を見習えばどうです?」


出発前に寝てていいよとは言われたが、彼は眠れなかった。


いや眠れる方がおかしいとさえ思っていた。馬場教授はこの車に乗りなれている様子だからまだいい。


ただ森山おめーだ。おめー。どうして知り合って二日目のグラサンが運転する車の中で爆睡できるんだ。


「どうも、青になりましたよ」


ただ、んなことを北原に言ってもしょうがないことは彼も分かっている。


岩永はてきとうに返しながら森山の肩をあえて乱暴に揺らした。


森山は目を開けたが、その目はなんにも見ちゃいない。ただただ開いているだけだ。


「先生!そろそろつくそうですよ!」


「うんおはよう、北原君おつかれさま」


三つ編みに白衣という奇怪な格好の老人


馬場は森山と正反対といっていいだろう。


意識はしっかりとしているが目を閉じたまま、ハキハキと答えた。


園の駐車場に入った。平日ど真ん中だから流石に車は少ないが、入り口に近いところは埋まっている。


ちょっと距離のある所に止めるんだろうな、と思っていたがそれも違うらしい。車は奥へ奥へと進んでいった。


おそらく従業員用の駐車場だろう。北原は、白い砂利で雑草が生えないように整備されているだけのスペースに車を止めた。


北原は降りるテキパキと荷物を下し2時間の運転の疲れを一切見せない。


ぐっすり眠っていた馬場と森山はフラフラと車から出てきてボーっとしている。


2時間近く眠っていた奴らの方が疲れているんじゃねえ、と北原は思わないのだろうか。


彼はパンパンのボストンバッグ二つにクーラーボックスを抱えて、岩永とフラフラと歩く眠気ゾンビ二人を引きつれて歩き出した。


「一つ持ちますよ。北原さん」


「ありがとう岩永、でもいいですよ。ちょっと重いから」


北原は岩永の気づかいをニコリと笑ってかわして、さっさと薄いアルミドアのカギを開き、バイオランドに入っていった。


岩永が手慣れているなあと思っていると、ドアがまた開いた。


「あ、手伝ってくれるならそこのゾンビ二匹を急がせてください」


振り返ると馬場は明後日の方向に、森山は明々後日の方向に歩いていた。


やっとのことで従業員用ドアの向こうへ二人を押し込むと、北原と筋肉隆々の大きなおじいさんとが何やら話している。


「よく来てくださいました皆さん。坊ちゃんおかえりなさい」


タンクトップおじいちゃんは深々と礼をした。


坊ちゃん?ってのは……まず僕ではないよな、と岩永は頭の整理を始めた。


北原は皆さんに入ってないし、森山なんか坊ちゃんと言われるような風体ではない。


無い可能性を排除していくと、馬場先生か?馬場先生だよな?おじいさんがおじいさんを坊ちゃん呼ばわり?


「ただいま大久保さん、クララちゃんの様子はどう?朝から何か変わった事は?」


馬場は目を瞑りフラフラとしたまま聞いた。言葉の方はちゃんと起きているのにどうしてこんなに眠そうなんだろう」


「坊ちゃんはいくつになられても寝汚いですね。北原さんご迷惑をおかけして申し訳ないです」


大久保と呼ばれた老人は再び深く頭を下げ、北原がそんなやめて下さい、とあたふたしている。


お眠むの二人を座らせる為、一行は事務所へと通された。


その奥の応接室らしい場所の紺色っぽいソファに座らされた。


「大久保です。ここの園長をさせていただいとります。坊ちゃんの新しい生徒さんですよね?」


「馬場先生の一番弟子、森山と申します」


「おはよう森山、君けっこう調子のいい性格だったんですね」


「岩永です、まだ先生の生徒って訳ではないと思います」


「話を合わせてくれたらうれしかったですね」


「残念だったね北原君、でも森山君は懐柔できてるしもう一押しだよね」


「坊ちゃん本当に変わらないんですね、えっとすいません、そちら……」


大久保は本当に申し訳なさそうに岩永を両手でさしながら言葉を濁らせている。


なんだかこちらまで申し訳なくなってくると感じた岩永は


「こちらこそすみません、岩永と申します」


「どうも、岩永さんは特に坊ちゃんがご迷惑おかけしてるようで……ワガママだけどいい人なんです」


「この年になって自分の性格を謝られるのはくるものがあるな、大久保さん許して」


「そういや大久保さんと坊ちゃ……馬場先生の関係ってなんなんですか?」


森山が気にせず話に入ってきた。


「うーん、難しい質問だな……血のつながらない兄弟……は嫌?」


と馬場は大久保の方を見る。


「嫌ではないですが、そうじゃないでしょう、使用人と主人が適切では?」


「それは大久保さんのお父さんと私の父の関係だよ、親戚のお兄さん的な?」


「え?使用人って?執事さんとかですよね?先生の実家って金持ちなんですか?」


「うん、金持ちだと思うよ、この園の運営会社も私の父のものだし」


「教授で実家が金持ちって絵に描いたようなエリートですね」


森山は、変な髪型なのにな、と隣の岩永にだけ聞こえるように続けた。


「教授になるようなやつなんて、新しい事を一刻も早く知るのに命を懸けてる天才秀才か、暇な金持ちの末っ子だけだよ、当然私は後者の凡人だ」


世界は広いよ、恐ろしく頭のいい奴や信じられないような生き物で溢れている。と言い終えたところで馬場は「あっ」といい


宙を見つめた。そういや昨日の研究室でも見たなこの状態。彼が何かを思い出したりした時の癖らしい。


「クララちゃんの容態でしょう?」


北原がきれいなパスを出すと


「そうそう、悪化したかもって聞いたからね、飛んできちゃったんだ」


「ええ……今朝話した通りです。もう公開は無理かもしれません」


困ったように笑いながらというのだろうか、苦々しい表情を打ち消すために無理矢理顔の筋肉を動かして取りなしているという様子だ。


よほどひどい病状なのだろう。彼の痛々しい笑顔はまだ18年ぽっちしか生きていない岩永にも心にくるものがあった。


「そんなにひどいんですか?竜……じゃなくてクララちゃん?」


「いえ、まだそんな、ひどいとかではないんですが……実際に見ていただければ……」


小説のいい所はこういうつまんない移動とかを端折れるとこだね。


事務所兼職員詰め所兼応接室から歩く事6分ほどで、クララちゃんとの飼育地にたどり着いた。


バイオランドはクララちゃんとその他の動物の展示スペースや売店、レストランに駐車場も含めて総面積30万平方mほどだ。


名前がくそダサくなったことでおなじみヤホーパイパイドームの二倍弱はある。


クララちゃんの為に使われているスペースはその半分近く14万平方mだ。


名前がくそダサくなったことでおなじみヤホーパイパイドームよりちょっとだけ狭いくらいだ。


その広大な土地の中、クララちゃんは元気に走り回っていた。



馬場は言う。


「うーん、やばいね」


北原も言う。


「非常によろしくない」


大久保だって言うさ。


「だろう?なんとかならんかな?」


岩永と森山も負けない。


「いや元気じゃないですか!」


森山が続けてまくしたてる。


「前見た時より元気じゃないですか?子犬のように駆けずり回ってるじゃないですか?よくあんな深刻そうな顔できたな!」


まだなにか森山が攻め立てている。大久保さんがさっきの困ったような笑顔で助けを求めている。岩永も同じことを思ったから強くは止めない。


馬場が止めるようにパンパンと柏手を打った。


「森山くんさ、子供が溺れるとこって見たことある?」


「え?急に何ですか?」


「子供が溺れるとこ、そうだな海でも川でもおしっこ臭い市民プールでもいいや」


「な、ないと思います。多分」


森山は質問をされた理由がわかっていないようだ。疑うような探るような表情を浮かべている。


「じゃあさ、溺れる時のイメージってどう?聞かせてよ。想像でいいから」


「アップアップなって、助けて!って泣きわめいてる?感じじゃないですか?」


「残念不正解。岩永くんは?」


「音もなく、水中の中でもがいて誰にも気づいてもらえず……ゆっくり沈んでいきます」


岩永は知っている。知識としてではなく体験としてだ。家族と川涼みに出かけた際、変な流れにひっかかり溺れ死に掛けたのだ。


今でも夏が近づき誰かが水場に行くとなると妹が嬉しそうにその話をする。


「正解。本物の死神は大げさに鎌をふりあげてくれないんだよね。僕らが朝のコーヒーをいれるようにスッと殺していくんだ」


「えっと、クララちゃんも溺れてるってことですか?あんなに元気そうなのに」


「そゆこと、まず想像してみてよ自分の家のおばあちゃんや老犬が異常な元気で走り出したと」


「え?おばあちゃんってあの竜ってまだ400歳くらいって話ですよね、いってもおばちゃんくらいじゃないんですか?」


森山が反論する。400歳でおばちゃんという部分に疑問が残るけど。


「そうだね、ミルキームーン種の平均寿命はおよそ600年ほどと言われているよ」


竜の年齢はだいたいしかわからない、生まれてくる瞬間を見られるのなんて養殖できるコカトリスとサラマンドラくらいだからだ。


ただ、だいたいは分かるのだ。竜の鱗はよく生え変わるのだが、首の周りだけは例外、生まれた瞬間から死ぬときまで、自然に生え変わることはない。


だから、貝類のように首麟の輪紋からだいたいの年齢が推測できる。


長ったらしい解説を無視して馬場が喋りつづける。


「ただね、その600年という数字は寒地や高地で観測された竜の死骸から図られたものなの、彼らに適した環境で暮らした場合なんだ」


「クララは150年ほど前から平地で暮らしていた可能性が高い。永崎は彼女には暑すぎるんだ」


大久保が続く、なんで急に敬語やめたんだろ?


「あ!忘れてた、森山も岩永もクララちゃんの前で敬語使うのやめてね」


「なんですk……なにそれ?どういうこと?」


森山は順応が早い。


「彼女の知能というか認知能力がどこまで落ちているかわからないからね、人語が完璧に理解できてないならいいけど中途半端におバカになってたら……」


「人間の中で一番立場の弱そうな奴を攻撃してくるかもしれないんだ」


なるほど、岩永は大久保園長が急に敬語をやめたのも、誰にでも変な敬語の北原がお口にチャックしているのにも納得がいった。


あの口につけてるチャックみたいなシールどこで売ってるんだろう。というかなんで用意してんだろう?


岩永少年がじっと北原を見つめていると、それに気づいた彼が何か勘違いをしたのだろう。お口チャックシール(仮名)を分けてくれた。


「なんかの本で象がそういうことするって聞いてかしこいって思ったけど、竜がやるってなるとどうしてこんな悲しくなるんだろう」


だから園長はあんな悲しそうにしてたんだ、森山は誰に言うでもなく呟くという訳でもなく、ただ気持ちが零れ落ちたという風に話した。


「そうだね、多少なりとも君らは彼女を知っていたから、生きたまま壊れていく彼女を見たからそういう風に思ったんじゃないかな」


馬場が同調する、けどちょっとずれてる気がする。


「ここ一年くらいクララちゃんが変なこと続けてたけど、ここまでになったのは今朝だ」


大久保のいう変なことというのは、自分の糞を自分で食べたり(食糞する種もいるにはいるが大抵しない)


エサの岩石を2週間ほど抱卵したり(卵を温める体制)だ。


「それってつまりボケが進行してるってこと?」


敬語をやめろと言われたとはいえ森山はガンガンと乱暴な言葉で老人二人に迫る。


「そう、認知症だね」


「何度も言うが普通ありえないほど暑い地域で長く暮らしすぎたせいだ。我々は気が付かなかったけどね。こうなるまで」


認知症……そう言われるとただアホみたいにグルグルと広い大地を走り回っている彼女がとてもあわれに見えた。


岩永も少し悲しくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嗚呼、我ら竜医学部生なり 亜々阿 悪太郎 @aaaakutaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ