第6話 我ら車中の人なり
永崎大学の学生は1、2年の間全員、教養教育を受ける。
選択授業などもあるが永大の生徒は最初にだいたい同じことを学ぶ。
ただ竜医学部の生徒は他の学部と違い中国語が必修となっている。
理由はカルテを中国語で書くことが多い為だ。
竜医学に関しては東洋医学の方が進んでいるとされているからだ。
そもそも竜という生き物は西洋の文化と非常に相性が悪い。
欧米の人々と竜とは出会い方が悪かった。第一印象悪いと評価を逆転させるのって難しいでしょ?
神様を裏切ったサタンとかいうボンクラの化けた姿、赤くて性格の悪い竜。
それが西洋におけるスタンダードなドラゴンだ。
童話とかでもたいがい勇者にボコボコにされている。
相性の悪さは医学の面でも発揮されている。
まず第一回ノーヘル賞を受賞した白人様が誇るレントゲン技術が通用しない竜が多いのだ。
鱗の性質が骨に近いし、光を全く通さないという恐ろしいモノも少なくない。
内臓器官が鋼鉄に近いものも確認されているし、同種と確認されている竜でも内臓の位置がまちまちだったり
大きさが全然違ったりする上に、スペアとしか思えないような訳の分からない臓器があったりして診断が下せないのだ(長く生きているやつに多い)。
悪い部分を特定してそれを取り去る。という西洋医学の根本の部分が通用しないのだ。
稀に起こる骨折時の外科手術などは行われるが、基本は東洋医学の概念に基づいて
悪い要素を遠ざけて、竜の身体をよい方向に整えるという治療がなされている。
元々持っている体のスペックが高く、病気になったとしてものんびりした治療でも間に合う竜だからこそ通用している方法ではあるが。
ああ長くてつまんない説明文。本編に戻るよ。
その中国語の授業を終えて岩永と森山は馬場教授の研究室へと向かって歩いていた。
「中国語に今日初めて触れたけどさ」
森山は教科書を眺めながら言う。そういや歩きながら本読んでる小学生見なくなったね。スマホ見てる大人はよくいるけど。
「予習はしなかったのか?」
「おう、なんか……英語よりいけそうじゃね?」
「確かに、日本語に文法が近い感じがするな」
岩永も昨日初めて対面した中国語にそこまでの嫌悪感を覚えなかった。
英語のように訳す時に単語があっちゃこっちゃに散らからないから楽だと感じたようだ。
「小林先生は覚えなきゃいけない単語がめちゃくちゃ多いから覚悟しておけって言ったけど、なんかいけそうな気がする」
ほら、この単語なんか読めないけど分かるだろ?と指さした文字は『船梨精』だった。
「……単語から梨汁があふれてるな……」
「正解なっしー」
なんだか読めちゃった自分もお気楽な森山も嫌になった岩永が気落ちしている間に、二人は研究室までたどり着いた。
岩永がノックをしようとすした瞬間に内開きのドアが開いた。
目の前には室内でもサングラスを外さない大男、北原が立っており、うーん……と唸りをあげた。
「つくづく君らはタイミングがいいですね。先生二人とも間に合いました」
「まあ、そんな気はしてたよ。念の為書いてたこれもいらないね」
三つ編みじじいこと馬場先生はそういって『永崎バイオランドに行ってきます。今日は戻ってこれないかも、ごめんね』と書かれた紙を見せた。
説明もほぼしてくれないまま二人は北原の運転する車に乗せられ、森山、岩永、教授というメンバーで出発した。
車種は誘拐とかに使えそうなタイプの車の代表ハイエーズだ。
島を出る為の橋を初めて車で走った岩永は、信号の無い直線を飛ばすのは気持ちがいいなと呑気に考えた。
「あれ?山下さんは今日はいないんですか?」
「そう、男四人旅残念だったね」
一番後ろに座る馬場が答えた。
「残念だったな」
森山が岩永の肩をポンと叩く、むきになると面白がるだけと無視したけどさ。
「バイオランドまで2時間近くかかるからさ、昨日の続き話していい?」
「覚えててくれた、お願いします」
「どこまで話したかな……海外旅行は危ないかもって件まで話した感触が残ってるんだけど」
「あ、俺もそこまで聞いたと思います」
「ありがと森山君、じゃあそこから話したかった事を続けるね」
先生は、嘘を言いたくないから飾らずに言うよ。と前置きをした。
「僕の主催する馬場ゼミに入ってよ、研究員兼エサとして」
エサ!!!昨日説明された病状?と眠り姫になっていたコカトリスを起こしたことに対する食いつきから大体予想できていたが
エサ!!!言葉の強さに岩永は面食らってしまった。
「先生……ちょっとでいいんで飾ってください」
北原が運転しながら注意する、喋り出す前にまたか……とつぶやいていたことから、これまでも馬場は彼の前でこういうデリカシーの無さを披露してきたことがうかがえる。
「飾ってどうなるの?もし岩永君が入ってくれた時に担ってもらうタスクは竜を呼ぶためのエサ、そのものだよ」
「だとしてもです、ほら岩永が言葉も出なくなってるじゃないですか」
「そうだね傷つけちゃったらごめんね岩永君、でも私はこれから仲間になるかもしれない人間を騙して入れるのは違うと思うの」
そういう思い出は深く長く残って人生にマイナスになるからね、と続けた。
「いえ傷ついてはいませんが、質問してもよろしいですか?」
「どぞ」
「その、馬場ゼミに入ってエサになると僕は何を得られるのでしょうか」
「真理の先っぽに立てるよ」
「さ、さっきとは打って変わって難解ですね」
「そう?飾り立てたつもりは無かったんだけど、はしょりすぎたね」
先生はカバンを漁り、中から封筒を取り出したかと思うと岩永に渡した。
開けてみると中にはたくさんの棒グラフと数値と、受験ではまず見ないような英単語だらけ
この中で岩永に読み取れたのはローマ字で書かれた自分の名前だけだ。
「ここ、92って書いてるとこ、これが昨日言ってた英雄遺伝疾患。見方は30超えるとほぼ確定なの」
検査結果から、まず偶然という逃げ道はふさがれた。
「ベオウルフのご子孫の方によく見られる疾患だから英名はベオウルフシンドロームなの」
馬場は乗り出しながら説明している項を指さした。
「本来とっても珍しい症例なんだけど、この一族は定期的にこの病気の患者が現れてるみたいなんだけど、代々医者嫌いの貴族なんだ」
馬場は、セカンダリースクールでサッカーをしていたベオウルフ家の坊ちゃんの所に、200年ぶりにレインボーオラクルが現れて大騒ぎになったり
何年かに一度屋敷にワイバーンが激突したりという、聞いてもいないベオウルフうんちくを披露してくれた。
二人とも、はあ……と相槌を打つが話が見えてこない。
「先生……また話がそれています」
「あそう?いつもありがとうね」
北原から指摘された馬場は嫌な顔一つせず礼を言った。こういうことが本当によくあるんだろうな。
「要するにこの病気がどういうものか私と一緒に研究できるってことかな」
要せてない、とツッコんで言いのだろうか?岩永がそう考えてるうちに
「要せてない」
と森山がこぼした。思ったことすぐいっちゃうタイプなんだろうな。
「今度は省きすぎちゃったか、ごめんね」
「いえ別に、それがなんで僕のメリットになるんですか?」
「まずは普通じゃ得られないような実学による知識が得られるよ。私と一緒に飛び回ってもらうし」
「飛び回るってことは色んな竜を見にいけるんですか?」
森山が食いつく、コカトリスで騙されたのに懲りないのかこいつは。
「うん、予算があるときはそのつもりだよ」
「非公認ゼミに予算なんてつかないでしょう?」
「素晴らしい考察だ、だけどハズレ、いくつかの企業にスポンサードしてもらってるから、少しはお金持ってるよ」
馬場は続けて、どこに行きたい?京都?北海道?中国?イタリア?アフリカ?と畳みかけてきた。
「……うまく入る流れに誘導しないでください」
岩永は一呼吸おいてそう答えた。
「それって俺もついて行っていいんですか?」
森山は目を輝かせながら聞く、彼は両親がサラマンドラの養殖所を経営しているので
小中高の修学旅行以外で県外に出たことが無いのだ。だからこそ、わりかし自由にどこにでも飛んでいける飛竜が好きなのだ。と思う。
お金のあるうちはそうね、と馬場が答えた。
「あ、でも昨日と矛盾してません?海外には数字の獣がいて危ないとか」
しつこいようだが数字の獣というのは神様に喧嘩を売った化け物の血を引く生き物だ。
科学が発達する前は、日本にやってくる台風ぐらいの頻度で国や村々を潰して回っていたが
18世紀には勢いを失い、今となっては数年に一度現れてビルにヒビを入れたり、車を燃やしたりするくらいで
見れたらちょっとラッキーくらいの存在まで落ちぶれている。
「うん、危ないけどそれが狙いだもん、よっぽどじゃなきゃ死にはしないし」
ツッコまれる前に本筋に帰るね、と馬場は言いゼミに入った場合のメリットに話を戻した。
「もう一つは露骨にえこひいきしてあげる。単位とかもサクッとあげちゃうし、君らの年に委員会入れるかわかんないけど、竜医師試験もできるだけ手助けしてあげるよ」
ここまであけすけな人間がいるのか、岩永は深く感心した。だが悪い話ではないのは一年生の彼にも分かる。
竜医師試験は合格率こそ70%程度と低くはないが、範囲がとてつもなく広く難解で意地の悪い問題が多い事で悪名高い。
それを教授のえこひいきありで受けられ、単位まで楽にもらえるならばおいしい。
ちなみに教授の言った委員会というのは、竜医学部のある大学の教授が何年かに一度の
持ち回りで試験問題の作成や試験の日程を調整する仕事だ。うまいこと行けば問題がもらえるかも?
しかし岩永少年には18年の短い生涯で得た教訓がある。悪い事は割に合わない。
この人と関わるとロクな事がなさそうだ。岩永はやはり断ろうと口を開きかけた時
「山下君との仲もやんわりと、とりもつよ?」
忘れていた訳ではないが、考えの外に居た彼女の笑顔が岩永の頭を瞬時に制圧した。
そうだ弱みをしっかりと握られていたんだということを思い出す。
「すこし考えさせてください」
多分この人たちから自分は逃れられないだろう、彼は確信に似たものを感じた。
「そろそろバイパス乗るから全員シートベルト閉めて下さーい」
北原が一瞬チラと後ろを見ながら呼びかけた。
起きてることとその人の気持ちをリンクさせる手法って気持ち悪いって思うけど、自ら閉めたシートベルトにほぼ囚われになった自分を岩永は重ねたんだろうね。
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