第5話 我は病気なり

ところ変わってここは竜医学部、馬場教授の研究室の入った棟だ。


室内は細長い8畳ほどのスペースで全面の壁が高い本棚に覆われており採光の為の窓も潰れている(防災上よろしくない気がする)


限界まできれいに整理されているのだろうが机は山積みの書類が4段あるがどれも今崩れてもおかしくない程の高さになっている。


その後ろで三つ編み姿の珍妙な老人が注射器を持ち構えている。


「はい、ちょっとチクッとするよ」


「あ!岩永くん血見るのこわかと?」


岩永が針を見ないようにしていると山下が嬉しそうに話しかけてきた。


「昔からそうなんですよ、可哀いとこあるでしょう?」


「うん可愛いかね」


「いや可愛いじゃなくて可哀いです?」


「かあいい?どっちでもよかっちゃなかと?」


などと二人が話している間にチクッとした。いやチクッではないグリッとした。


下手な看護婦さんが血管を外して、肉の中で修正する時特有のあの痛みだ。


「うう……」


岩永は思わず声が漏れた。


「ごめんね、人にするの久しぶりだから失敗しそうになっちゃった」


十分に血が取れたのだろう、先生は針を彼から抜きガーゼを持たせた。


抜き取った血を透明な保存容器に入れた。当然岩永は怖いので見ていない。


「というか、これ医療行為ですよね?医師免許いるんじゃないですか?」


「そいは大丈夫よ、先生30ぐらいん時に大学入りなおして人医の免許もとっとるらしかけん」


「さいですか」


大学の教授になる人はぶっとんで頭がいいとは聞くけど本当なんだね。


「うん、研修はずっこい手を使ったから働きながらとれたよ、内緒にしてね」


先生はテキパキと道具を片付け机を消毒すると椅子に座り、ふうと一息ついた。


「それで僕の病名なんですが、あれって本当ですか?」


「うん、かっこいいでしょ?」


「かっこよくないです……」


「えー俺は好きだけどな、英雄遺伝疾患ってすごい選ばれし者感あるぞ」


「そうよぉ、かっこよかとおもうよ?」


「疑問符を付けないで下さい、それにまだ決まった訳じゃないです」


コンコンガチャリ、ノックから間髪入れずにドアノブを回す音がした。


「岩永、それは苦しいと思いますよ」


サングラスを掛けたチェホンバンこと北原が鴨居に頭をぶつけないようにくぐって部屋に入ってきた。


「もお、ノックからドアを開けるまでが早いよ北原君、そういうお母さんみたいな無神経さ治してっていったでしょ?」


さほど嫌そうでもない感じで馬場が北原をかなりフランクに注意した。


今気づいたけど、どうしてでかい人が部屋に入ると狭く感じるんだろうね。


小さい人も大きい人も占有する床面積はそんなに変わらないのに。


「あ、ごめんなさい、また忘れてました」


「急にドア開けて、もし私がエッチな本読んでたらどう思う?」


「そうですね、元気だなぁと思いますかね?」


「それはありがとう」


「北原さん、なんで苦しいと思ったんですか?」


岩永が聞きたいことを森山はいいタイミングで聞いてくれた。


出会った中学生の時からこういう事が多々あったな、と岩永はしみじみ思い出した。


「まずは旧水産棟の一件、あれは本来あの中を散策して、我々の作ったそれっぽい手がかりを見つけて、地下に降りてコカトリスを見て驚いてもらうって予定でした」


「あ!忘れてた!そうだそうだ!でっかいドラゴンの正体が異常なコカトリスなんて詐欺です!厳重に抗議します」


「却下しまーす!」


森山の猛抗議を山下が遮った。北原が続ける。


「普通は1時間、運がよくても30分はかかるようになっているのに君たち、主に岩永は入ってから5分でゴールに辿りつきました。」


「運というか勘がめちゃくちゃよかっただけです、なんだかわからないけどそっちに行かなきゃって間隔が」


「おお……ごめんもう一回言って」


先生がリモコンみたいな機械のボタンを押しながら言った、多分ボイスメモだ。


別にいいけど、自分の録音した声聞くと嫌な気持ちになるよね。


「いや恥ずかしいですよ、偶然勘が当たっただけの話を記録しないでください」


「偶然じゃなくて必然なんだよ、君の病気はとにかく竜に引き寄せられるんだ」


「竜に引き寄せられる?」


「そーよ、あたしとあった日もそうやったろ?覚えとらん?」


彼女と初めてあった日と同じ、座った目で岩永は見つめられた。笑ってない時は本当怖いな。


「覚えてますが……どっちかというと竜からこっちに来た感じがしました」


「まあ同じようなもんだよ。やたらと竜に好かれる呪いみたいなもんだしね」


研究者が呪いなんて言っていいのか?と岩永は思った。


「研究者が呪いなんて言っていいんですか?」


言っちゃうんだよね、岩永がブレーキ掛けた言葉を森山はすぐ言っちゃう。


「えー研究者は言っちゃだめなの?竜生化学の権威ヤン・イーロン女史の言葉知らない?」


「『竜は生き物でありできごとでもある』ですか?」


「そうそう、その言葉がさすとおり、エキセントリックな生き物なんだからさ、それが起因する出来事を呪いと言っても……」


話が長くなりそうだと踏んだ北原が割って入った。


「森山は本当に勉強熱心ですね、あと先生、話がずれてませんか?」


「そうだね、なんの話だっけ?」


「岩永の病気の説明です。第二はそれ、山下先輩の竜に突拍子もなく懐かれる、あの竜に懐かれるのはたいがいですよ」


「そうだね、豊穣ちゃんは私も何度か会いにいったけど行事以外の時は知らない人間に近づこうともしない個体だったね」


豊穣というのは矢幡神社の竜で山下先輩が乗ってたあの子だね。北原の方が山下より年下なんだ、ふけてるなあ。


「そして第三に二年間以上眠り続けているムーちゃんを目覚めさせたこと。これは偶然では説明できません」


ムーちゃん?という顔を岩永と森山がしていると、山下があのコカトリスの名前と教えてくれた。


時々鳴る寝息のような音がムームー聞こえるかららしい。


「竜に関する奇跡をこれだけ起こしているんですよ君は、これらの出来事は全て人生で一度あるかどうかということばかりですよ」


言いたいことを言い切ると北原はまたあの特徴的なエッヘッヘという笑い方をした。後に部屋を出て行った。


「そ、そこまで言われると……そんな気がしてきた……その病気の症状は竜に絡まれる以外に何があるんですか?」


「ううん……わかんないんだよね、正直」


「わかんない?」


「そうなんだ、分かっているのは竜とやたら縁のある人間の遺伝子に特徴をを抱えているってことだけなんだ」


「じゃあ、健康面は大丈夫なんですか?」


「じゃれられたりして怪我したってのは聞くけど、生理状態に変化は確認できてないね」


「俺からも質問なんですが、それって竜に好かれるだけで嫌われはしないんですか」


森山が割り込む、自分の心配をしてくれるいい友人を持ったと岩永は少し救われた気がした。


「まさかぁ、そんな都合のいいものじゃないよ」


救われた気持ちは一瞬で消えて岩永は、え?襲われるの?と声に出てしまった。


「今のところ確認されているのは数字の獣にだけ明確な敵意を持って襲われてるみたいね、大事に至った事例は無いけど」


「数字の獣ってたまにニュースに出てくるあれですよね。災害起こすやつね、血止まった?」


そうだ、数字の獣というのは西洋で一番有名な竜、黙示録の獣の血をひく生き物全般を指す。


物語に出てくる悪い竜は大抵こいつらだし現実でも水害や森害を起こす。


しかしカニみたいな見た目の物や巨大なワンちゃんみたいなものもたくさんいるし


どんなに繁栄しても666匹は越えないので、この二つの要素から、竜には分類されるが数字の獣と呼ばれている。


西洋で竜が大衆に嫌われているのはだいたいこいつらのせい。


あ、北原が人数分の麦茶を紙コップにいれて帰ってきた。気が利くな。


「まあこの国でそれらに出会うのはほぼ不可能だよ、縄張りじゃないしね」


「あ、安心していいんですよね?」


「海外旅行以外はね、お隣の国は数字の獣をちょくちょく輸入してるらしいしね、あ!」


先生が本棚の一点、ちょうど青くて分厚いファイルのぎゅうぎゅうに詰められたところを見つめたまま固まった。


「どうされました?先生」


北原がテキパキとお茶を全員に配り終えて、岩永が机に置いた血のついたガーゼをポンとゴミ箱に捨てながら聞いた。


「思ったよりもずっと早くオリエンテーションが終わったでしょ?」


「そうですね。去年ならまだ地下で歓迎パーティ開いて無理矢理ボクを非公認ゼミに加入させてくださってましたもんね」


岩永は不穏な単語が3つも聞こえたのを逃さなかった。無理矢理?非公認?ゼミ?竜医学部に講座制だからゼミなんてないはずだからだ。


「あ、まだ根に持ってる?断れない雰囲気にするのが大事なんだよね」


先生と北原が少し沈黙した後、二人してエッヘッヘと笑った。


「地下に居ればサボれるんだけどさ、今日会議あるんだよね、2分前に始まってるしそろそろ呼びに来るだろうな」


「あらぁ、隠れんばね」


山下はキョロキョロと隠れ場所を探し始めた。


「じゃなくて会議に行ってください」


これ以上罪を重くしないで、と北原が続けた。


「まだ何も説明しきれてないのにな、二人とも明日も来てね、お菓子をあげるから」


岩永と森山の二人は何故か同時に母の顔と言葉を思い出した。


お菓子をやたらくれる大人について行ってはいけません。


外国に売られて舌を抜かれてロバにされますよ(色んな童話が混じっている)。


森山は先生のお菓子くれる発言に一瞬身構えたが、教授と一緒ならでかい珍しい竜見れるかもと乗り気だったが


岩永の方はあいまいな返事をしてやんわり断ろうか、いやでも相手は教授だしなと逃げの一手を探した。


「明日も来てね、結構おいしかとよ」


いつの間にか後ろに回っていた山下が岩永の両肩をポンポンと叩いた。


岩永は男って馬鹿だな、と思いながら明日もここに来る決意をした。


顔を真っ赤にして。


先生が一瞬サムズアップしたのをあえて見逃しながら。

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