緑の坂
塚本かとつ
part.A『@尾城雲ヶ丘のぼり口駅』
#五月四日〈緑の日〉。
ゴールデンウィークまっただなかの午後。
絶好の行楽日和というには暑すぎて、じっとりと汗ばむような初夏の陽気だった。
(ちょっと前までは、肌寒いくらいだったのになあ……)
わたしは、羽織っていたカーディガンを脱いで、白いブラウスすがたになる。
それでも蒸し蒸し暑いくらいで、俯くわたしは、足もとでゆらめく陽炎をひきずりながら、てくてく這うようにして、蒲鉾屋根のかわいらしい――メルヘンチックで、どこか遊園地のアトラクションを彷彿させる――駅舎へと入っていく。
#駅舎のなかに足を踏みいれた途端、きゅうに明るさがどっと落ちたもんだから、視界に暗幕が垂れこめて、ちらちら眩暈をもよおした。「んんんぅ~……っ」 思わず、わたしは目がしらをきゅっと摘む。
埃と黴の匂いが混じって、冷たくて湿った、駅舎内の空気を感じつつ、目をならしていると、ふと誰かに視られているような居心地のわるさを感じて、背筋をぞぞぞっとむず痒い怖気が伝っていった。
(なんだろ……? だれかいるの?) かな。
気になって周囲を見回しても、ひと気のない閑散とした無人駅である。しんと静まりかえっている。
けれども感じる、ねばねば絡みつく視線。
本当に誰もいないの?
と、そこで――
カランッ……
わたしは音のした方向を見る。
おそるおそる歩みよると、自動販売機の陰になったところに、それらしき人物を発見した。
ふるぼけてくすんだステンドグラスの高窓から光が射して、うっすら照らされたベンチに、その〈少女〉は座っていた。
少女は地元のプロ野球チーム〈尾城雲ライナーズ〉のユニフォーム(チームカラーであるすみれ色のストライプ模様)を着ていて、球団の
おまけに身に着けているアクセサリー類ときたら、トゲトゲのチョーカーに、スタッズ付きブレスレットやら指輪がじゃらじゃら。組まれた脚にはケバケバしい縞模様のニーソックスである。
そして少女は、わたしを値踏みするような不躾な視線を向けて舌舐めずりをしては、わきに置かれている強炭酸のグレープジュースの缶を鋭くとがったネイルでコツンコツン……と弾いている。
ずいぶんとまたアナーキーな雰囲気を醸し出した
わたしとは正反対の人種……。
あーいう
さながら、はらぺこ
なるべく目を合わせないようにして、わたしはそろりそろり……と(ナニゴトモアリマセンデシタヨー)とばかりに、
けれども気のせいか、なんとなく視線が追ってきているような感じがする。ねばねば絡みつく視線。
(どーして、わたしは見られてるのかしら?)
なにかした?
身におぼえがなさすぎる。初対面のはずの少女。何なのかしら、いったい……?
#わたしは階段を上っていく。
その先にあるプラットホームには、ロープウェイの
数年前に地元を代表する大企業〈尾城雲インダストリーズ〉の社長個人によって〈市〉へ寄贈されて、下の市である『尾城雲ヶ丘のぼり口駅』から、764メートル上の高台までを往き来している。市の公共施設だから、改札もなくて無料で乗れる。ありがたいことに。
と、それはともかく。
わたしは、さきほどの
――もしかして、以前に怨まれるようなことをしでかしたのかしら、待ち伏せされるような、わたしってば、いっつも……――
そんなことばかり、ぐるぐる思案して頭がいっぱいになって、足もとがおろそかになっていたようだ。
プラットホームへいたる途中で、
「ぐはぁっ――!」
わたしは階段を踏みはずして、よろけた拍子に、
肩にかけていたトートバッグの紐がずり落ちて……中身がこぼれていくではないですかっ。
(割れたらイヤだっ!)
と思って伸ばした手も虚しく掴みそこねて、わたしは転がり落ちていく眼鏡ケースを唯々見送るしかできなかった。コロコロと階段を跳ねながら、あれよあれよと遠ざかっていく眼鏡ケースを。
(あうあう、せっかく高校進学のお祝いに、新調してもらったばっかりなのにぃ~……ッ) お母さんに怒られる!
――思った矢先。
じゃらじゃらアクセサリーの着いた蒼白い手が伸びて、転がり落ちてゆく眼鏡ケースを、ぱしっとキャッチしてくれた。ショートゴロの捕球みたくぱしっと。(草野球の応援で観にいったとき、お父さんがそんな感じだった)
キャッチしてくれたのは、さきほどの
彼女はゆっくり階段をのぼってきて、ひざまずいて呆然としているわたしの目の前で立ち止まる。わたしは彼女を見上げる。
「はいよ」
威圧感のある重低音ボイスである。
華奢な身体に似つかわしくない、けどある意味イメージ通りで、それ以上にすごみがあった。
「ありがとうございます……す、すんませーん」
わたしは、差し出された眼鏡ケースを受け取るも、手がふるえて取り落としそうになる。あたふた。
心配しつつ、中身を確認する。
ケースから眼鏡をとりだして、レンズにひびが入ってやしないか、ためつすがめつかざしてみる。
(……よかったあ。無事だ)
ほっとひと息。安堵した。
わたしは、ふたたび見上げる。彼女は相変わらずわたしの目の前に立ち止まったままで、ずっと
(本当に食べられちゃうんじゃないだろうか……)
視線に耐えきれなくて、立ち上がるわたし。
「あ、あのっ、ありがとうございましたっ!」
それだけを言って、ぺこりと頭をさげてから、逃げるようにそそくさとゴンドラに乗りこんだのだった。
#ゴンドラのなかは、まだ乗客がだれひとりいない状態で、がらんとしていた。
わたしがなかほどまで入ったところで、
ちょっとぎくりとしたけど、そうよね、そりゃ乗るわよね。
追いやられるかたちで、わたしは奥の端っこの座席に腰かけた。
そしたら、後ろをついてきた彼女もこちらへ向かって歩いてくるではないですか。……まさか、となりに座ったりなんかしないわよね?
思いきや。わたしの座った席の、通路を挟んだ反対側――わたしが座っている位置からやや斜めの席に、彼女は座った。
「あうあう……」
なんか知らないけど、
どうして、わざわざ広い車内で座席がいっぱい空いてるってゆーのに、こんなビミョーに近くに座るのかしら。一瞬、となりに座るんじゃないかって、ヒヤヒヤしたじゃないの。
いったん、この居心地のわるさを解消するために、もしかしたら、自分から話しかけてみたほうがいいのではないか、と逡巡してみたけれど、
(ぐぬぬ……) どうしたものか?
頭のなかであーだこーだ躊躇っている間に、ほかに乗客が乗ってくることもなく、無情にも発車のベルが鳴る。
そして、
プシュゥゥ……
と自動ドアが閉まれば、ゴンドラのなかは、2人だけの密室空間と化した。
ガタン……とゴンドラが持ち上がるや、ゆっくり坂をのぼりはじめた。居心地の悪いままに。
(はあ~……)
こっそりため息をつく。
まあ、到着まで数分間の辛抱よね。わたしも車窓から流れる景色に目を移すことにした。
きれいに整備された坂道にそって、青々としげった街路樹が等間隔に立ち並んでいる。その奥向こうには、品の良さそうな家々が覗きみえる。
高台の終点にいたるまでは、途中に支柱のない、長い一本の
しだいにわたしは、〈上〉へ行くことに、緊張してドキドキしていた。
初めていくわけじゃないけど、でも高台の頂上にいくのってすごいひさしぶりだから。このロープウェイに乗るにしたって。幼少期のことだったか、たしか小学生のとき以来で、その1回っきりだった。
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