幻夢

荘園 友希

幻夢 -儚く散る物語-

私は幼いころから特殊な夢ばかりを見続けている。

小学生のころは死ぬ夢ばかり見た。絞殺だったり刺殺だったりはたまた殺しているシーンを見たことさえあった。中学になると今度はスケールが広がって核戦争が起きているのである。私の生まれた時期はちょうどノストラダムスの大予言があった時期だし、2000年問題が露呈した時期でもあるから終末観に浸っていた。死は誰しも訪れることだけど、殺し殺されるという状態は芳しくない。私はベッドにくるまりながらノストラダムスの大予言の日はみんなでじゃぁね。また来世でね。ってなるんだろうと思っていたから怖くて怖くて仕方がなかった。人が死ぬ瞬間を間近に見たのは多分二親等くらい離れた方の病院での出来事だったと思う。部屋はいろんな電子音で満たされている。心拍数、呼吸数、血圧等だ。肺を患っていたのだが最近になって知ったのは呼吸器系をやられると結構つらいらしい。私の周りには煙草を吸う人はいないし、アスベストに従事するような人もいないから呼吸器系でなくなる親族は今後でないと信じたい。死というのは時間と同じく等しく存在して、どんなにすがっても起こるべき事象である。それ以下もそれ以上もない。命は泣くなてしまうのである。その昔命の重さは約三グラムだという学者がいた。霊魂に疑似霊魂を入れることで再度再生するとした研究である。一体命とはどこからきて、どこに行くのだろうか。年老いた親の親のベッドを横目にそんなことを感じていた。

 とある秋、私は友人を失った。特別親しくしていたわけでもないけれど、特別誰かと一線を引くほどでもなかった。命というのは一義的ではなくて複数の要素をもってこの世に存在している。私は命が何たるかをまだ判断することはできないのだけれど、少なくとも生かされているという実感はある。友人はクラスの中ではどちらかというと正義感の強いタイプの子で刹那主義的な私とは相反する存在だった。たまたま一緒に帰るときもあったけれど、私には彼女の言うことが華やかに聞こえていた。正義感が強いのはイコールでいい人という認識にはならない。陰口をたたかれるのもその子のことなので私は基本的には中立を保ってきた。我関せずの姿勢を貫いてきた。そんな子なのに亡くなった時には皆が泣くものだから私はその涙に懐疑的だった。小学生の中では死を認識するのはまだ早いから、死とは何なのか。もう会えないということはどういうことなのか、考えることもしなかった。もちろん今ならばその時今の年齢なら涙の一つも零れただろうが、当時は涙の一滴も出すことができなかった。自殺ではなく事故死だったので余計にそれを実感させる要素がなかったのである。思えば小学生の頃はよく亡くなっていたと思う。ほとんどが交通事故なので現在の事情とはだいぶ違う。事故でICUに入れられて十年間。最終的に意識を取り戻すことなく亡くなった人もいる。水泳の授業で一緒に切磋琢磨した方だったので今思うとつらくなる。小学生の頃は他人の死というのはその程度の話である。自分の死を前にすると夜も眠れなくなるのを思い出す。明日核戦争が起きて世界は焼き付くされ、人類というものの大半は蒸発してしまうことを感がると寝ることができなくて嗚咽しか残らなかった。

 大学生になると数人の死を受け入れ、死に対する耐性というものがついてきた気がする。死に対して“耐性”がつく事は正し事なのかどうかわからないけれど人の生き死に対して自分の人生を取り巻く何かに変化が生じることがなくなっていくのである。幸いにも学士の頃は私は誰も亡くさなかったし、どちらかと言えば私が一番死に近かったのだろうと思う。仙台でトラックに跳ねられたことがある。大型二輪をとってキャンプツーを続けて最終日の出来事である。幸いにも荷物という荷物はすべて宅急便で送っていたので、ダメージと言えばPCとリュックくらいだった。リュックも結果として六万円くらいのリュックに買い替えられたので被害は最小限に抑えることができた。万事解決というわけではなかったけれど、まぁ生きていたのだから良しと思うしかない。人間本当に死が近くなると眠くなるようにできているのか、私は帰りの新幹線の中で寝ないように必死だった。膝からポタポタと滴る血液、止血してもしきれないほどに開いた膝の穴、血液がどんどん減っていくので当然のことながら意識が遠くなっていく。ここで寝たら私は死ぬと思い、寝ることを必死で拒んだ。結果として生きているわけだけれども何度も事故を起こしているのでいつ死ぬかわからない。もちろんほとんどが相手の過失なのでこっちには金銭的な問題はないのだけれど金銭的なものではなくて命の取引をするので別の話だろうと思う。もしかしたら私はもうすでに死んでいて、こうして手記を残しているのは天国の中の話なのかもしれない。だとしたら天国はもう少し優しくてもいいんじゃないかと感じてしまう。様々なモノやコトが私を取り巻き、私の世界を崩してしまうのでどれが真実なのかはわからない。もしかしたら私たちはプログラミングされたうえで生かされていて、私たちは私たちの上位の生命体のプログラムかもしれないのである。難し事を述べるつもりはない。ただそう感じたことを今でも覚えている。私という存在は誰が認識して私なのだろうか。デカルトによると自分自身が自己を認識することで存在を正当化しようとした。他人はゲームで言うところのNPCに過ぎずいわばモブキャラなのである。自分の作る世界の住人であって自分が定義した人間であるといえるのではないだろうか。私はデカルトの言葉を一言変えるのであれば君思う、故に我あり。といいたい。生涯で接する人間の多くは私の意図したところで動いているのではなくて自身とは全く無関係のところで生きていると考えたい。自己が自己を認識することで自己たらしめるのだとしたら私の人生の火が燃え尽きるのと同時にブラウン管の電源を切った時のようにプツンと世界が消えてしまうことになってしまう。だから他人の介入する範囲で私は生きていきたいと思う。人生とは一つの夢ではないのかと思うこともある。幻夢である。どこかのカプセルに自身の肉体は置かれていて自身を健全なシステム上で生かし続けるのである。死、それはゲームオーバーであり、ゲームオーバーになると自身の肉体に精神が戻りまたほかのゲームを始めるのである。ランダムな世界を行き来することができて、そのポッドには多数のプログラムが収容されている。もしかしたら魔法のある世界もあるかもしれないし、もしかしたら化学なんてものは非科学的な代物なのかもしれない。少なくともいま生きている人生は事細かい設定のなされた空間であるといえるだろう。物理現象を計算するエンジンは緻密でありコンピューターで動かすよりも現実はリアルタイムで動く、真空という技術があるがこれはある意味物理法則からはずれているようにも感じるが多くの学者が計算式を明確にしてきた。本当のところ宇宙空間は果てしなく広がっていて銀河系以外もあってなんて話があるけれど私たちのエミュレートしている世界は銀河系というソフトウェア化も知れない。星が瞬いて見えるのも物理現象の一つだがこれも実はフルデジタル化された何かなのかもしれない。そう考えると死というのは必ずしも悪いこととはいいがたくなってくる。死ぬことで次のゲームを始めることができるのである。私はあくまでエミュレートされた世界を生きているだけであり神格化された信仰なんていうものがあるけれど実際には死ぬときにはポッドに意識を返されるだけなのでほかの世界を選べばいいのではないかという疑問に到達する。死、Dead、ランダム関数で自身のゲームは何に生まれるかを初期化されて設定される。幸い私は日本の人間だったというだけで貝類だったり、もしかしたら植物の類かもしれないのである。では例えば自死を選んでしまったときはゲームオーバーなのだろうか。その後ほかのエミュレーションをすることができるのだろうか。多分数PBどころじゃない情報を入れる端末が自分たちの世界の上には存在するのだろう。もしかしたらCOVID-19 なんていうのはデバッグに過ぎなくて、増えすぎてしまった乱数の整理の処理を行っているだけなのかもしれない。世界産業が崩壊していく中、もしかしたらワクチンという形で私たちに渡される薬はあくまで一つのデバッグの終了の正当化に過ぎないのかもしれないのである。

 話を少し戻そう。死とは誰にとっても不変の最後の出来事である。どういう信仰でどういう風にどうなろうがそれは仏に口なしであうる。だが今私は死が怖い。今というエミュレーションを楽しんでいるのだから。首をつって死んだ学生が修士の時に居たが、それはそれはひどく苦痛に感じた。何もしてあげられなかったという漠然とした苦痛。彼はエミュレーターに戻れたのだろうか。新しい生命にチャレンジしているのだろうか。知る由もないけれど、きっと新し社会に属しているだろうとしんじている。

 幻想を見せてくれる機械が存在しているとしてさらに幻想を見せてくれる機械は人間という動物は作り出すことができるのだろうか、CPUのように利用される脳は尋常じゃない速度で演算を行うことが必要とされる。十年で百年をエミュレートできればいいかなと私は思っている。銀河系というプログラムは百歳程度を区切りとしているから同じように百年かけて千年をエミュレートできればましなのではないだろうか。点滴を使って栄養分は補給されて、身体に養分を送られる。もしかしたら上位の存在では食事なんていう制約も存在しない世界なのかもしれない。私たちは幻夢をただ生きているのだ。エミュレーションに過ぎない。

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