第2話 「でも、呼吸はできる」どん底で出会った呼吸法
前回までのあらすじ
※「すべてを失った」と思っていたライターの女主人公は、クルーズがきっかけで「ラテンダンス」の存在を知る。それが何かも分からないまま、何もかもを諦めるのはもうやめよう、と教室の体験レッスンを受ける。
その、ラテンダンスを中心に社交ダンスを教えている教室の名前は、
「HIKARUダンス教室」
といいました。
扉を開けると、そこはとても明るい空間でした。白を基調とした内装の壁は鏡張りで、窓も大きいです。
その教室について調べると、一組の男女の写真が出てきた、そこの代表の講師だった、と前述しましたが、その日はちょうど、本人達が生徒を相手に指導をしていました。彫りの深い、舞台役者のような長髪の男性と、お人形のように整った顔をした女性。
男の先生は、
また、あとで知りましたが、社交ダンスではこういうペアの男女の先生のことを、生徒は、男性を「光流先生」と名字で、女性を「友美先生」と下の名前で呼ぶ場合が多いのだそうです。
光流先生はベテランらしい生徒の指導をしながら、驚くような機敏な動きを見せたあと、ニコッと微笑みました。
「こんにちは。体験レッスンの方ね?」
友美先生が私を迎えてくれました。写真と違い、その日は眼鏡をかけて、落ち着いたかっこうをしていましたけれど、やはり、非常にきれいな顔立ちをした女性でした。
体験レッスンのお金を払い、受付の紙に名前や住所を書いて、友美先生、レッスンの順番を待つ生徒さんと雑談をしていると、優しそうな、ベテランらしい女性のその生徒さんが、週刊誌を開いて見せてくれました。
すると、とある有名なミュージシャンのライブの記事が。
「このライブのバックダンサーで、先生方が教えた人がいるの。私、観たんだけれど、テレビにソロで映ってたわよ」
へえー、と私が言うと、友美先生が、
「東京での出張の仕事だったんだけどね」
「へえ、そういう、指導のお仕事もしてらっしゃるんですね」
「現役のプロのダンサーでもいらっしゃるし。この前は、京都のBホテルでのショーに出演されて」
「すごーい。高級ホテルじゃないですか」
華やかな話。感心すると同時に、ここに私の居場所はあるんだろうか、とふっと不安になりました。
ラテンダンス用のシューズなども当然、まだ何も持っていません。こちらでバレエシューズを借りました。Tシャツとやわらかいデニムをはいてきたので、それで体験レッスンを受けます。
時間になると、友美先生が生徒達の前に立ち、元気な声でこう言いました。
「はい皆さん、今日はまず、呼吸法の復習をしましょう!」
その時に私が習った呼吸法は、ざっくり言うと、できるだけ姿勢よく立ち、胸式呼吸で深く呼吸をする、というもの。
深く呼吸をしてもお腹はふくらませず、背中に息をため、ふくらませるイメージで。このさい、背中に手をあてられたら、その手を押しかえすようにするのがポイントです。
「この呼吸法をマスターすると、背中がやわらかくなって、体がぽかぽかして、風邪もひきにくくなるわよ」
私はここ十年くらいちゃんとしたスポーツをしたことがありません。今まで、本格的にスポーツをやりこんだことも、やはりありません。
あと、デスクワークで、小さい頃から書くことが好きだったので、猫背気味、少女時代にすでに姿勢が悪いといわれましたがそのままきました。ずっとずっと、それこそ数十年来、慢性的にひどい背中のコリにだるさに悩まされていました。
ストレッチはやっていて、そちらで習ったのは腹式呼吸です。それもとても役立ち、今でもやっています。
ただ、胸式呼吸でこんなに深く呼吸をするのは、考えてみれば、この年で人生で初めて。
そうしたら、生まれて初めて、一生懸命『背中で深く息をする』イメージで呼吸に集中したら、本当に突然、背中がぽかぽかしてきました。
ストレスで頭がぼーっとして、体が思うようにならず、苦しんでいたのが、この呼吸法一つで、目が覚めるように、あっけなく軽減したので、私はもの凄く感動したのです。最初に感じた効き目は、特に劇的でした。
あと、他の生徒さんは全員すばらしいプロポーションで、若々しいのです。いい意味で年齢不詳の人ばかりです。
私は随分遅くまで若く見られていたのですが、アラフォーと呼ばれる年代になってから、肌の調子などに、急にむらがあるようになってきました。特に最近はそうで、肉眼ではいいように見える時もあるのに、写真を撮ったら、今までになかったようなひどい顔をしていたことも。
――凄い!とりあえず来週もレッスンに来てみようか。
そう考えました。それがこの教室での最初の思い出なのです。
ちなみに、私はこの日から、
「どんなに落ち込んでいて、先が見えなくても、呼吸はできる。この呼吸法はできる」
と思うようになりました。
今までは、コーヒー一杯飲めば、気分が変わって元気に働けていました。それに、カフェインの入った飲みものは一日に一杯か二杯だけ、と決め、それでじゅうぶん効いていたのが、コーヒーを一杯飲んだだけで、なぜか急に気分が悪くなってへたりこむことも、少なくありませんでした。そんな自分を責める。今、思えば、我ながら、相当まいっていたのでしょう。
でも今の私でも、横になりながらでも、呼吸はできる。とりあえず、どんな時も、精一杯、呼吸をしよう。せっかく習ったのだから、この呼吸法をしてみよう。
起きられない時でも、ベッドの中でも、深く呼吸をしました。
それだけですべてが解決したわけではありません。はっきりいって、まだまだです。
最初は劇的に感じた効き目も、しょっちゅうすると慣れてきます。
ただ、そのあとコロナ禍でレッスンが思うようにできない時でも、私は、年齢は重ねているのに、体重が増えず、じわじわ減っているのです。(続く)
ラテンダンス物語 TOSHI @toshi-007
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