ラテンダンス物語

TOSHI

第1話 いつの日かドヤ顔を。「すべてを失った」と思った私が…!!


 皆さん、「ラテンダンス」って何か知っていますか?踊ったことはありますか?


 私は踊っています。今朝も踊りました。本当です。「クカラチャ」というルンバのボディ・アクションの一つと、私が勝手に『ヘビ手』と名づけたアーム・アクションの練習をしました。


 ラテンダンスは私の趣味です。本当に予期に反することでしたけれど、この趣味は私の窮地を救いました。そしてまた、思いがけなかったのですが、ラテンダンスが好きです。


 世の中にはラテンダンスというものがある、と知ったのは、確か、二年くらい前のことです。

 当時の私はウェブライターをしていました。主に食レポ、旅行に関する記事を書いていて、現場に取材に行くこともありました。


 そしてプライベートで、とある、日本発着クルーズ、日本から乗船、下船できる外国船でクルーズ旅行をしたのです。

 こういうとなんだか凄く優雅な人のようですが、別にそうではありません。クルーズ船はラグジュアリー船、プレミアム船、カジュアル船の階級があって、私がその時乗った船はいわゆるカジュアル船だったのです。一泊あたりの価格は一万円くらいからでも乗れるし、気軽で楽しい、と評判の船でした。

 

 その後、私は他のクルーズ船にも乗りましたけれど、こういう船旅には、お元気に年齢を重ねた人がたくさんいます。あと、社交ダンスをやっている人が少なくありません。


 ある時、私は母と一緒にクルーズをしました。母は七十代です。けれど、クルーズしなれている人には、八十代、九十代の人も珍しくないようでした。クルーズ中のお茶会で、隣にいた、男友達と来ていた男性は九十代でした。


 その人は、私と一緒にいた母にこう言ってくれたのです。

「なんや奥さん、七十代かいな。この世界ではヒヨッコや。あと二十年はクルーズできるで」

 そして彼は、美味でボリュームのある異国のお茶菓子を完食すると、私達に挨拶をし、その後、友達に、「じゃあ、部屋で作戦会議しようぜっ!」と勢いよく述べて帰っていきました。


 その夜、船内のショーの会場でこの男性を見かけました。九十代もなんのその、彼は、胸元がざくーっと開いた、黒っぽい、金のラメ入りの派手な衣装を着ていました。きっと、ショーを観たあとは踊りに行くのでしょう。


 その日、船内のエレベーターで、やはり、ひと目でダンスの衣装だと分かる衣服を着た女性達がいました。おそらくは四十代か、五十代の人達です。

「私達、社交ダンスのサークルの仲間なの。習っていても、踊れる場所がなかなかなかったからこのクルーズに来たのよね」

 と言います。


 せっかくなので、私と母は、船内のダンスフロアに行ってみました。ちょっとしたダンスパーティーが行われていて、皆さん、いきいきと踊っています。


 ああ、知らなかった世界がここにある。


 私をいくつだと思いますか?ありのままをいえば、私はアラフォーと呼ばれる世代の女性です。また、諸事情で独身でした。

 この中では私は若いほう。誰かと踊ってみようかと思ったのですが、踊れませんし、そこまでの勇気は出ず、その日は帰ったのです。


 それで社交ダンスに興味が湧いたわけですが、その気持ちに追い撃ちをかける出来事がありました。


 後日、同じクルーズ船に乗りました。そのさい船内のショーで、ハンガリーから来た、「ラテンダンサーズ」のショーがあったのです。

 それがとても面白かったわけですが、私はラテンダンサー、ラテンダンスの意味が分かりませんでした。他のダンスとの違いが何も分からなかったので、ショーの詳しい内容は思いだせません。

 でも楽しかったので、そのクルーズ中に行われた、社交ダンス教室にも行きました。ショーに出ていたラテンダンサーズが、舞台の上から客に、ニューヨーク(ルンバのステップの一つ)などの比較的憶えやすいステップを教えます。客と一緒には踊りませんでした。


 ところが、理由は分からないのですけれど、クルーズも終わろうとしている日、部屋に戻ると、あなたは明日の昼にある、ちょっとしたパーティーに参加できます、と書かれた紙が置いてありました。何度もこの船に乗ったので、リピーターへのサービスだったのかもしれません。


 その時間に行ってみると、ソフトドリンク、軽いカクテルなどが配られ、船長が挨拶をしました。


 そして、舞台で踊っていたラテンダンサーの方々が、男女ともに何人か衣装をまとい、「どなたか、ご一緒に踊りましょうか」と言ってまわっていました。


 プロのダンサーと踊れる機会です。水を得た魚のように隆々りゅうりゅうと踊る上級者。あるいは、ご家族に見守られながら、とってもきれいなお姉さんと、ハタハタと踊ってもらって、嬉しそうにする小さな男の子。それは浮き浮き、ほのぼのとした時間で、私も踊れればよかった、と思いました。


 それで私はどうしたか、というと、凄く勇気がいりましたが、その中の一人と少しだけ踊ってもらったのです。

 勇気がいったのですけれど、取材をしていた関係で、見た目より突撃には慣れていたのかもしれません。それに、もうこんな機会はないかもしれない。踊ってもらわないと損だ、と。


 それにしても、さすがはプロのダンサー達です。男女ともに、近くで見るとなおさら、皆さん、大変に美しい容姿をしていました。特に女性はウエストがきゅっとしまって、同性から見ても、もの凄くいいプロポーションです。

 私と踊って下さった方も、凄いイケメンでした。こんなことを書いていいのでしょうか、でも本当にそうだったのです。日本人うけしそうな、中性的な、比較的幼い顔の人で、私が少女時代のさいに人気だった、とある外国の俳優に似ていました。こういう人を日本発着のクルーズのパフォーマーに選ぶとは、間に入った人はよく分かっている、とまた違った意味で感心しました。


 ついでといってはなんですが、感心したことは他にもあって、当時、私は、社交ダンスに関する知識が何もなかったのですが、その人は細身に見えて、なんというか、何かあっても、やすやすと、はじき返すことのできそうな、揺るぎない、同時に優雅な姿勢で歩いて、私をリードしてくれました。やはり上手な人なのでしょう。

 簡単なステップを英語で教えてもらったものの、ほぼ何もできません。無様ぶざまとまではいいませんけれど、恥ずかしかった。こういう時に優雅に踊れたらかっこいいし、楽しいだろうな、としみじみと思いました。心に刻まれた出来事です。


 踊ったあとは、一緒に写真を撮ってもらって、帰ってから友達、知りあいに見せまくりました。皆、

「いやー、凄いイケメン」

「貴重な体験しちゃったね」

 と喜んでくれました。


 こうして、社交ダンスにいいイメージができました。

 いいイメージ……いやいや、私はいつか、ああいう機会があったら、見事に踊って、見ている人にドヤ顔をするんだ!そこまで考えました。


 ただ、日常生活に戻ってみると、知らない男性と組んで踊ることに、正直いって照れを感じました。また、社交ダンスをもっと簡単に考えていたので、そんなに頻繁にクルーズに来られるわけではないだろうから、社交ダンスは、例えば月に数回習うだとか、それくらいにして、体を動かせる違う趣味を見つけよう、と思ったのです。


 そうだ、今、「大人バレエ」が人気らしい。姿勢がよくなって、上品な身のこなしが学べる。かなり前だけれど、クラシックバレエをほんの少しだけ習っていたし、もう一度やってみようか。


 インターネットなどで調べているうちに、通えるところでも、素敵なバレエスタジオはたくさんありました。貴婦人のように踊る先生、生徒達。体験レッスンを受けつけているところをいくつか見つけました。


 ただ、たまたま、行きたかったところは、どこも自宅から遠かったのです。


 社交ダンスを教えているところは、もっとたくさんありました。けれど、あまりに数が多すぎて、大人バレエのことも含めて調べているうちに、頭がいっぱいになりました。


 そうしたら、自宅からそんなに遠くもない、便利な場所に、ラテンダンスを中心に、社交ダンスを教えている教室があることが分かりました。先生や生徒の写真を見ると、明るい教室で、皆、とても楽しそうに踊っています。


 でも、ラテンダンスって、なんだろう?


 そういえば、あのクルーズ船のショーに出ていた、少しだけれど一緒に踊ってくれたイケメンの人も、ラテンダンサーだった。


 けれど、そもそもラテンダンスって、何?他のダンスと、どう違うの?


 ウィキペディアなどで調べてみても、いま一つよく分かりません。


 家から比較的近かった、その教室について調べると、一組の男女の写真が出てきました。そこの代表の講師です。彫りの深い、舞台役者のような長髪の男性と、お人形のように整った顔をした女性。絵になるお二人でしたが、いい場所にあるし、自分のような地味な人間が行って場違いな思いをしないだろうか、と正直いってその時は思ったのです。


 そして、その後しばらく、私の新しい趣味を見つける活動は、突然中断しました。


 長くなりますし、ここではお話ししたくありませんが、いろいろなことが重なり、とにかく、私はすべてを失ったのだ、と思うことがあったのです。


 私は神奈川県A市生まれで、一時は他の地方に住んでいました。故郷に帰ってきたのも、その理由からです。


 でも、何もかも諦めるのはもうやめよう。何かをしてみよう。


 体を動かして、健康になって悪いことは何もない。調べておいたうちの、どこかの教室に、とにかく行ってみよう。


 最後に調べた、ラテンダンス中心の教室が一番自宅に近かったので、少し勇気はいりましたが、連絡をして、体験レッスンの予約を取りました。


 お世話になるかもしれないのだし、第一印象が大切と、最近、重く感じられる体を引きずるようにして、頑張って、今の自分にできるだけでも身だしなみを整え、当日、その教室に向かったのです。


 場所は横浜のとある場所。私の大好きな街の近くです。

 

 ――きれいな通りにあるんだ。このあたりに来るの、久しぶり。緑が多い。おしゃれなカフェもあるし、このへんに来たの、本当に久しぶりだな。なんだかうきうきする。


 同時に、でも、もう私には関係ない。私はすべてを失ったんだ、とまた気分が沈みました。


 誇張ではなく、涙がにじんで、動悸がしました。頭がくらくらして歩きにくくなったので、少し休みました。


 もう約束したのだし、とりあえず行ってみよう。


 その教室の扉は白く、すりガラスがはまっていて、向こうの明かりが透けて見えました。なんだか、まぶしそうな明かり。白くて素敵な扉……。


 扉越しに聞こえる、はきはきした張りのある男女の声、きっと指導中なのでしょう。


 その扉から透けて見える光がとてもきれいで、まばゆくて、当時に、もれ聞こえる指導者の、特に男性の声が、舞台役者のような声で、きれいだけれど自分とは違う世界の人のようで、聞き慣れなくて、少し怖くなりました。


 でも勇気を出そう、とりあえずこの扉を開いてみよう……と、私は前に進みました。(続く)

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