第40話 epilogue
渡會陽羽里は、真っ赤なドレスを真っ白なウェディングドレスに変えて、塔の頂きで倒れていた。
千葉が伝え忘れたドレスの性能の一つに、失明した後、エフェクト機能をさらに使い続けると、ドレスが変化する、というのがある。
目が見えなくなってもパートナーを信じてエフェクトを使い、戦い続けた信頼の証として、ウェディングドレスになるのだ。
「陽羽里ちゃん……」
彼女の傍に寄り添い、震える手で優しく起こそうとした。
「綺麗だよ。鏡、見ないと勿体ないよ……」
ほらっ、起きて、と彼女の体を引っ張って起こしたが、すぐに力なく倒れてしまう。
膝立ちのまま、正面から陽羽里を受け止めた。
抱いてみて、初めて分かった。
……冷たかった。
炎の中にいるのに、まるで氷みたいに。
「嫌、だ……」
さらさらの髪を撫でる。
ぎゅっとさらに力を込めて抱きしめる。
なのに。
密着しているのに。
どうして。
……心臓の音が、聞こえないの?
渡會陽羽里は目を覚まさなかった。
とは言っても、彼女が帰らぬ人になったわけではなかった。
目を覚まさないだけ。
医師の診断によれば、植物状態であるらしい。
彼女が目を覚ますのは、およそ半年後の事だ。
エピローグ
恋愛島プロジェクトは開花祭で起きた事故のせいで、企画もチームも解体された。
人工島の開発は順調に進んではいるものの、人工島でおこなわれていた男女をペアにした強制的な同棲生活については、今は実施されていない。
人工島に訪れるのは、作業着を着た工事作業員だけである。
「……まただ、人の拳の形で、壁が凹むなんて事があるのかい?」
「あるんじゃないですか? この島、今都心で流行ってる例のスポーツの発祥と言われていますしね」
壊れた壁を直していく作業員。
鉄臭く薄暗い、灰色の世界に徐々にだが、彩りが加えられていた。
やがてこの場所にも巨大なショッピングモールができ、観光スポットとして認知されていくだろう。
「よし、後はあっちの凹みも――」
作業員は今日も汗水流して仕事をしている。
巷で流行っている『ウィズ・パレード』という競技の元は、開花祭でおこなわれていた『ヴァルキリーマウント』である。
開花祭二日目は不幸な事故によって競技そのものが問題視されてしまったが、安全面を確実に確保できれば、化けるのではないか、と思った男がいた。
初めは規模を小さく、遊び感覚で人を集めてやってみた。
やがてネットに競技の様子を動画でアップするようになり、注目を集め始める。
パートナーを必須とし、強引に男女限定とした事でより若者から支持を得られるようになった。
気になる相手を誘う口実に、既に付き合っているカップルが信頼関係をさらに深めようと参加したり、その勢いは社会現象にまで発展した。
参加者は今も増え続け、ニュースで取り上げられるほどの知名度を有していた。
開花祭の不祥事を持ち出す者は、もはや誰もいなかった。
千葉道と連絡を取る事ができなくなっていた。
もちろん、プライベートな用件ではない。
仕事である。
全てが終わった後、独占取材をさせてくれる約束だったのに、結局、不祥事に追われて彼は姿を眩ました。
政府にこってりと絞られているのではないか。
一番近くにいた桧木は不祥事をネタにする事もできた。
実際、ネガティブイメージを持たれないような印象操作をして記事を書いたが、すぐに大手メディアに先を越されて、責任者を徹底的に非難するよう報道されてしまい、桧木の記事は潰されてしまった。
プロジェクト責任者ではないが、競技において責任者である千葉も、かなりの非難を受けていたのだ。
彼に接触するのは難しいだろう。
……ほとぼりが冷めるまで待つしかない。
そんな折りに新たな競技が話題となったのだ。
「桧木、このウィズパレードの記事を書けばうちの雑誌も売れるぞ。お前、確かこの競技の元となった……あるだろ、あれ。知り合いに取材してこい」
意識が高い編集長の命令で桧木は事務所から追い出された。
最近はまともな記事の一つも書けていない。
そろそろどでかいのを一発、打ち上げておかなければクビにされても文句は言えなかった。
ウィズパレード、現参加者の一組が、桧木の旧知の仲である。
彼女らによれば、半年前から目を覚ましていない渡會陽羽里の病院に、『彼』はたまに姿を現すらしい。
本当にたまになので、出会える確率は限りなく少ない。
それでも、行ってみない事には始まらない。
大男に連れられ、渡會陽羽里の病室へ。
彼女の体中のあちこちに機械が繋げられており、無理やり延命しているようにも思えた。
気を抜けば死んでしまうような状態の中、彼女は必死に内側で戦っていた。
彼女にお見舞いの花を渡して、桧木と明石は、病院の外にあるベンチに腰かける。
「恋愛島プロジェクトはなくなりましたけど、都心では男女がペアを組む事に積極的になってきている。開花祭も、人工島でのモデルデータも、無駄ではなかったわけです。……陽羽里さんが頑張った結果は、これから先の未来に影響するのですから、誇らしいですよ」
「……そう」
「江戸屋君と河澄さんの事ですか?」
「ええ、お見舞いにきてるって、聞いたんだけど……」
「河澄さんは、よくきます。江戸屋君は……まだ一度だけしか」
一度。
なにがたまにくる、だ。
ほぼ来ていないではないか。
情報提供者に愚痴を漏らすがあの二人もウィズパレードに加えて、かつての経験者という立場から色々と取材が舞い込んで忙しいのだ。
時間を作って会ってくれただけでも感謝だ。
「会いたいですか?」
明石から差し出されたのは、一つの住所だった。
河澄ミトの自宅に降り立った桧木を出迎えたのは、彼女の叔母と名乗る女性だった。
相手の乱暴な対応に逃げ出したくなったが、家の中から現れたもう一人の女性が救いの手を差し伸べてくれた。
彼女は河澄ミトの母親だと名乗った。
彼女は寂しそうな表情で、
「あの子……優勝できなかったからまだ会わないって、帰ってきてないのよ……」
「は、はぁ……?」
「意外と意固地……に、させられたのかしら。昔のままなら飛んで会いにきてくれるに決まっているのに……。成長したのね、あの子」
「その、娘さんの居場所って、分かりますか?」
「今は女子校に通っているから、その寮だと思うけど……あ、でも今日は休日だから、多分あっちかもしれないわね」
あっち、とは?
そう顔に書いてあったのだろう、母親が答えてくれた。
「江戸屋扇くんの実家、よ」
今にも崩れそうな、取り壊し作業途中なのかと思ってしまう見た目の団地だった。
そこに江戸屋家は、母親と息子、娘の三人暮らしをしている。
不良息子が帰ってこない事が多いため、実質二人暮らしだったのだが、今は兄の代わりに新しく姉ができて、女の三人暮らしになりつつあった。
河澄ミトと江戸屋扇の妹がテレビを見ている隣で、
「…………あいつの居場所? 知らないね。どこをほっつき歩いてるんだか。まあ、前と違って毎日夜には顔を見せにきてくれるから、あいつも変わったんだろうけど――」
「お母さん、嬉しそう」
テレビから目を離してこちらを振り返った妹が言った。
彼女の顔には、横一文字の大きな傷が刻まれていた。
「嬉しくない。ほら、テレビ、見てな。ミトお姉ちゃんに迷惑かけんじゃないよ」
「はーい。あ、……あれ? テレビが映らなくなっちゃった」
「じゃあ叩いてみる?」
河澄が今時珍しいブラウン管テレビを手で叩く。
それでも調子が直らなかったので、最終的に強めの蹴りを入れたらテレビが映像を映し出した。
「よし」
「……ミト、一応人の家だからな? 加減をしろよ……」
「壊したらわたしが買うから大丈夫。五〇インチのテレビで映画見たいよねー!」
「五〇インチってどれくらいなの!?」
「そんなもん置いたら生活スペースがなくなるわ」
と、江戸屋扇がいなくなって沈み込んでいた妹も、河澄のおかげで笑顔を取り戻した。
顔の傷が痛む事も、襲撃者から毎日のように追われる事ももうない。
江戸屋扇が多くの不良から恨みを買い、そのしわ寄せが家族に牙を剥いていたが、今は江戸屋扇の伝手によって守られている。
河澄ミトもその一人なのだ。
江戸屋家の安全は保証されている。
「ミトお姉ちゃんは、お兄ちゃんと結婚しないの?」
「んー、しないかなー。だって別に好きじゃないし、そういう目で見てないしー。だって妹の顔に傷をつけさせるなんて、兄として失格だよ!」
「……お兄ちゃん、それ気にしてるから言わないであげてね……」
「あ、もう遅い。その件でたくさんいじっちゃった。……大丈夫だよ、お兄ちゃんはもうそんな事じゃ傷つかないし、傷ついていたとしたらお門違い。被害者ぶってんじゃないわよ、って話なんだから」
どれだけ日が経とうとも、加害者である事実は消えないのだ。
「ミト、お見舞いには行かないのかい?」
時刻はもう夕方に近い。
夜まで待っていれば江戸屋扇も顔を出すだろうが……。
「あんたもさっさと出て行ってくれ。あいつならどこかで喧嘩してるだろうさ」
そう追い出されてしまった。
江戸屋扇――彼は変わっていない、そう思うかもしれない。
戦って、相手を叩き潰して、そこで見捨ててしまうから負が負を呼び寄せる。
なら、手を差し伸べてみたら?
暴れたい奴を暴れられる場所に案内してやれば、その先の道が開けるかもしれない。
ウィズパレードの参加人口が増えたのは若者中心に広がったネットの影響もあるが、直接的なスカウトの面も大きい。
注目を浴びる前はそういうやり方で増やしていったのだ。
江戸屋扇は、ウィズパレード創始者と繋がっていた。
今や、彼は表舞台には立たないが、創始者メンバーの一人に数えてもいいだろう。
結局、江戸屋扇を見つけられないまま、最初に訪れた渡會陽羽里が入院している病院へ戻ってきてしまった。
河澄ミトがお見舞いにくると言うので、最後に、彼女に話を聞いて記事を書こうとしたら、
「あ? 珍しい顔がいたもんだ」
「……あんた」
「お前も見舞いか? ……なら、花くらい持ってきたらどうだよ」
江戸屋扇と邂逅した。
ふつふつと沸き上がる感情……怒りが、桧木の顔を引きつらせる。
「…………今まで、どこに……!」
「どこにって――まあ、早い話、喧嘩してた」
「どれだけ歩き回ってあんたを探したと思ってんの!?」
「はぁ!? 知らねえよ。……まあ悪かったよ。で、用件は?」
以前とは違って全体的に落ち着いた様子の江戸屋を見て、桧木も落ち着きを取り戻した。
「まずは、最初にお見舞いを済ませましょ」
その後、彼女は今日を終えるまでに取材をおこなう事はできなかった。
それどころではなかったから、である。
後日、彼女が書いた記事は他のメディアよりも注目を浴びる事になった。
本来書くはずだった内容を変更して、誰よりも早く一つの事実を世間に伝えた。
――強かな赤い白雪姫が、キスもなく目覚めた。
武装花嫁 渡貫とゐち @josho
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