空に走る

結城 慎

空に走る

 それは日本音楽史にとってとてつもない悲劇だったといえるだろう。

 デビュー僅か三年でトップアーティストとまで呼ばれるほどに成長した大人気女性ユニット『Baby Souls』の三波詞みなみ つかさが急逝したのだから。

 高校生でデビューした『Baby Souls』は、天使の歌声とも称される平城葵ひらき あおいの歌唱力もさることながら、三波 詞の手掛けるメロディーや詩が海外でも高い評価を得、世界を伺うほどの勢いだった。

 そんな矢先の悲劇。片翼を奪われた平城 葵の落胆ぶりは誰の目から見ても痛々しいほどで、すぐさまユニットの解散、歌手活動の引退を噂されるほどだった。


 これは、そんな『Baby Souls』の復活の軌跡を追ったドキュメンタリーである。




 取材1日目――

三枝さえぐさ芸能プロダクション事務所前】

 既に日も暮れ、辺りは闇に包まれていた。先ほどまで煌々と点いていた事務所の明かりも消え本日の業務も終了なのだろう。


「葵ちゃん現れませんでしたね、先輩」


 同行クルーの村野のそんな呟きを聞きながら本日の張り込みは終了する。

 まあ、三波詞の葬儀から三日も経っていないんだ。当然と言えば当然だろう。



 取材3日目――

【三枝芸能プロダクション事務所前】


「さすがに三日もボウズは不味くないですか?」


 煩いボケ。



 取材4日目――

【三枝芸能プロダクション事務所前】


「あ、先輩!」


 村野が声を上げる前に当然俺の視線は捉えていた。

 ステージ上で輝いている姿からは想像できないほど憔悴しきった平城 葵の姿。

 その姿に彼女にとっての三波詞の存在の大きさが伺えた。


「痛々しいですね、葵ちゃん」


 なんだ、その素人みたいな感想は。



 取材5日目――

【三枝芸能プロダクション事務所前】


「酷い会社ですよね、三枝プロ。あんな状態の葵ちゃん今日も呼び出してるなんて」


 歌手といっても客商売、大方ツアーが目前に迫ってるんで決行できるか最終判断したいんだろうが、他人の事は言えないが業の深い業界だこと。

 それはそうと……


「え、また取材許可取りに行けって? 昨日三枝さんにめっちゃ怒られたんですよ。イヤですよ、先輩行ってくださいよ」


 ったく、文句ばっかりだなコイツは。



 取材6日目――

【三枝芸能プロダクション事務所前】


「あ、葵ちゃん飛び出してきましたよ先輩!」


 どうやら泣いて飛び出してきたようだが……


「三枝さんも出てきた。うわっ、泣いてる女の子の手を引っ張って連れ戻そうとするなんて鬼かよ……」


 あ、三枝氏と目が合った。

 あちゃー、こりゃ後で会社にクレーム入るわな。



 取材9日目――

【三枝芸能プロダクション応接室】


「先輩、どういう風の吹き回しでしょうね、急に取材OKなんて」


 さあな、ただ、発表するならツアーまでのドキュメンタリー仕立にしろってことは……


「いや、あの葵ちゃんの状態じゃツアーは無理でしょ?」


 珍しく意見が合うが、俺もそう思う。


「えー、先輩と俺はいつも息ピッタシの一心同体でしょ!」


 煩い黙れボケ。

 それよりこの変化は、昨日事務所に姿を見せていた三波詞の母親が関係してるのか? 少し調べる必要があるかもしれんな。



 取材10日目――

【三枝芸能プロダクション事務所内】


「ち、近寄りがたい……」


 なんだ、この平城 葵の鬼気迫る雰囲気は。何か一心不乱に読み耽ってるみたいだが……

『Baby Souls』のマネージャーからも今日は触れないでほしいと頼まれているし、今邪魔するのも得策じゃないか。それなら寧ろ別方向を攻めてみるか。


「え、詞ちゃんのお母さんにアポ? 先輩なんでまた」


 煩い、いや待て、俺が直接アポとった方がいいか。



 取材12日目――

【三波 詞宅前】


「いやー、流石先輩です。よく詞ちゃんのお母さんが三枝プロに来てたの気づきましたね」


 …… いつも思うが、村野、お前この仕事向いてないんじゃねえのか?


「そんなことないですよ、まさに天職っす! それより葵ちゃんが見てたのって、詞ちゃんのお母さんが事務所に持って行ったっていう、詞ちゃんの書き溜めた曲の譜面とか歌詞とかっすかね?」


 おそらくな。

 だが、そんなもんで人は立ち直れるもんかね? 俺は疑問に思うが。


「うわ、先輩血も涙もない。亡き友の書き溜めたものですよ、心動かされるでしょ、普通」


 そんなもんかね? まあ、三枝プロに戻ったら平城本人に頼んで見せてもらうか。



 取材13日目――

【三枝芸能プロダクション事務所内】


「先輩のせいっすよ」


 何でだよ、ちょっと見させてもらおうとしただけじゃねえか。


「デリカシーですよデリカシー。相手は傷心の女の子なんですから、もう少し気を遣ってですね……」


 デリカシーなんてもんは俺たちの業界には存在しない言葉だよ。


「うわ、最低ですね先輩。人間として終わってる」


 煩い。とりあえず三波 詞の遺作が平城 葵にどんな影響を与えたかを知るためにも、そのものを見せてもらわんとはじまらんだろう。


「はぁ、この前の先輩との一心同体発言、俺取り消すっす」



 取材15日目――

【三枝芸能プロダクション屋上扉前】


「で、屋上に葵ちゃんがいるってわけですか」


 ここ二日めっちゃ避けられてたからな。何とか説得して懐柔しないと取材どころじゃねえ。


「そういうところですよ、先輩…… ってアレ? 三枝さんもいますよ」


 なに? もしかして中々オイシイタイミングに遭遇したか?


「先輩、二人の声聞こえますか?」


 ああ、バッチリだ。

 さあ、どんなネタ掴ませてくれるんだ?



【三枝芸能プロダクション屋上】


「詞くんが遺した曲も、詩も、そのデモテープも、君が墓に持っていくべきものじゃないだろう?」


 三枝氏の言葉は正鵠を射ていた。

 そしてそのことは平城 葵自身が何よりも理解していたことなのだろう。


「―― そうですよ、分かってます。でも……」


 しかし、俯き零れた言葉には迷いが―― いや、おそらくは彼女自身の心はもう決まっているのだ。ただ、最後に少し背中を押してくれる言葉を待っていたのだろう。


「それは全て、心待ちにしているファン―― いや違うな。君たちの夢のために使うべきものだ。君と詞くんが描いた夢を叶えるために。

 歌って見せてくれよ、そのデモテープの曲を。君たちの見る夢を」


 顔を上げ、小さく頷いた平城 葵の瞳に迷いの色は無かった。

 そして――



 取材47日目――

 小雨の降る曇天の下、平城葵はステージの上に立っていた。目の前の野外特設ステージ前には数万の観衆。老若男女問わず様々な年代のファンたちが声の限り葵を応援している。

 何曲目だろうか、曲が途切れたタイミングで平城葵は間を取ると、観衆へ向かって声を掛けた。


「あの日、私は大切なものを失った」


 会場にいた誰もが理解した、三波詞の死ということを。


「自分の半身。自分の夢。未来。希望。

 詞を失った悲しみで前が見えず泣いてばかりいた私を立ち直らせてくれたのも詞だったの」


 小さなざわめきが起こる。

 死んだはずの三波詞からの助け。そのことに対する疑問に。


「今日、ここにこうして立てたのも、また再び夢に向かって走り出せたのも、全部詞のおかげ。詞が最後に残してくれたのこの曲のおかげ」


 その言葉で観衆は気が付いた。

 これから何が起こるのか、彼女が何を紡ぐのか。


「だからみんなにも聞いてほしい。そして、一緒に私たちの夢へとついてきてほしい。歌は世界を救えるんだって」


 ざわめきは歓声に。


「聞いて、詞の、そして私たち『Baby Souls』の未来。『空に走る』!」


 歓声は波になり、そして―― はじけた。


 この取材を通じて俺は彼女たちがなぜ日本のトップアーティストに名を連ねているのか身をもって実感した気がした。アーティストの歌は、言葉はこれほど多くの人の心をいとも容易く動かしてしまうのだと。

 だが、そんなことは平城葵には関係のないことなのだろう。

 彼女にとって大事なのは、何よりも亡き友と共に目指した夢。

 友の遺した詩、言葉、そしてメロディー。


「空に走る私の声は、町を越え、海を越え、空の果てまで

 届いているかい? 君の下へ。

 私はこれからも歌うよ、いつまでもこの歌が、この声が、君へ届き続けるように」


 これからも『Baby Souls』は走り続けるだろう。

 あの空へ向かって。

 

 その前途を祝すかのように、晴れ間の除く天気雨の空には虹がかかっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空に走る 結城 慎 @tilm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ