カムパネルラを殺す夜

五月 病

カムパネルラを殺す夜

 銀河鉄道の夜に憧れて小説家になった。それが十年前の話だ。

 当時中学生だった俺は、小説投稿サイトで恥ずかしげもなく稚拙な文章を晒し続けた。時折、誰かから感想や評価を貰うことがあり、そこで自分が描きたかった世界が読者と共有されたと知った時、小説と言う存在は俺にとって自尊心を大きく満たす離れがたい麻薬となった。

 

 そんな俺が夏祭りに行こうと思ったのはただの気まぐれだった。


 強いて言えば、今日駅前であった通り魔殺人から連想される赤が、俺にりんご飴を無性に食わせたくなった。いやそれは嘘だ。本当の理由は、どこかへ逃げ出して、また禁断症状に陥ればいいものが書ける。そんな気がしたからだ。

 

 家を飛び出し、夏祭りで屋台が出そろう神社の下、木に囲まれ苔が生えた長い階段の中腹で座り込む。

 死人が出た事件があったと言うのに人々はまるで暢気に階段を上がっていく。


 それを嗤って、俺は日の入りあたりでちょうど南中するケンタウルス座を観ようと星が出るのを本を読みながら待っていた。


「何を読んでいるの?」


 ちょうど日が落ちたタイミングだった。


 とても肌が白く、艶やかな赤い浴衣を着た女に聞かれた。知らない女だ。

 だが、話しかけられて無視をするのも気まずい。

 俺はそのくたびれた本の背表紙を見せる。


「あぁ、銀河鉄道の夜か。私も好きだよ、その本。感動するよね」

「そうですか、俺は嫌いですけどね」


 俺はそう言ってまた項を捲る。

 関わりたくない、それが本心だった。


「へぇ、珍しいね。みんな好きだっていうけど、もしかして変わった人?」

「なら、こんな変人に話しかける貴方の方がよっぽど変人ですよ」

「失礼な人だなぁ、でも面白い人っぽい。もしよかったら教えてくれない?なんで君がその本が嫌いなのか」


 彼女はいきなり俺と人一人分の間を開けて階段に座り込む。厄介な人だ。そう思った。だが、このまま本を読んで星を待つよりかは良いだろうと思った。思わされたという方が正しいのかもしれない。

 少し頭を整理する。

 きっと俺の考え方を説明するには俺の言葉が足りなすぎるからだ。


「俺は、ジョバンニのことを唯一孤独にしなかったカムパネルラが死ぬのが嫌なんです」

「ふふ、カムパネルラが死ぬからこそ、ジョバンニは銀河鉄道に乗っていろんな星を回り、自分にとってのほんとうのしあわせを探せるようになるんじゃない?」

「それはカムパネルラが死んだ結果です。俺は、そもそもなぜカムパネルラがザネリを助けて死んだのかが疑問なんです」

「それはカムパネルラの優しさが自己犠牲になって――」

「じゃあ貴方は親友をいじめていた相手を、助けようと思いますか?」


 彼女の言葉を遮ると、彼女は困ったような顔をして続けた。


「私はカムパネルラじゃないよ」

「だとしてもです」

「そっか、なら、私は助けたよ」

「俺は助けません。意見が合いませんね」


 皮肉を込めてそう言うと彼女は少し不機嫌になって言い返す。


「君もカムパネルラじゃない」


 確かにその通りだ。それでも、俺はその死を認めない。


「このまま行ってもおそらく平行線なので論点を変えます。貴方は、カムパネルラが死ぬべきだったと思いますか。物語として」

「カムパネルラが死ななければ物語はジョバンニがいじめられて丘に行く、それで終わり、それはつまらない。物語上、カムパネルラが死ぬべきじゃない?」

「俺はそうは思いません。例えば、ジョバンニの父あるいは母が死んでも、銀河鉄道は走って、ジョバンニはそこで生きる価値を見つけると俺は考えます。生きるジョバンニと死ぬ両親のどちらか、この物語に必要な生と死の対比も揃ってますし、なんなら作中には感じられにくい親子の対話も表現できるかもしれない。なのに、あの心優しくて、誰よりも心が綺麗なカムパネルラが死ぬべき理由は何ですか?」

「君のそれは銀河鉄道の夜じゃない」

「それでも俺はその答えが欲しいんです」


 彼女は少しばかり考え込んでしまった。今更ながら少し熱くなってしまったと感じてしまう。至って冷静に話しているつもりだっただが、事実は違った。

 この生暖かい夜風がそうさせたのか、はたまた彼女がそうさせたのか。


 どちらにせよ、これ以上困らせる訳にはいかない。家でも星は見える。帰って筆を執ることにしよう。俺は徐に立ち上がり彼女の方へ向く。


「変な質問でした。すみません、俺帰――」

「待った」


 今度は彼女が俺の言葉を遮った。


「答えが欲しいって言ったのは君の方だよ。考えるから、少し待って」


 俺の服を掴み、真っすぐとこちらを見つめる彼女。本当に変な人だ。

 俺は体を元の位置に戻し、空に浮かぶケンタウロス座を見る。日は落ちたとは言えまだ星の輝きはそれほど綺麗ではない。だが、子供の頃から何百回も探し当てたその星座だけは見間違えることがなかった。


「一個、君に質問してもいいかな」

「どうぞ」

「さっき、君は親友をいじめていた相手を助けるかと私に聞いた。じゃあ、君がカムパネルラなら、君はジョバンニのために死にたいと思えた?」

「俺はカムパネルラじゃありませんよ」

「だとしてもだよ」

「俺に、友達はいません」

「そんなこと聞いてないさ。君が、カムパネルラならだよ」


 今度は俺が酷く困った顔をする。まるでいたちごっこだ。

 あの星を見つけた数より多く読んだあの物語の世界に自分を落とし込み、言葉足らずながらも考える。


「――多分、死にます」


 自然とそう答えていた。


「なんで?」


 少しいたっずらぽい表情をした彼女は呟く。


「それが、俺の大切な人のためだから。でも俺はザネリを助けようとは思いません」

「ふふ、意外と我儘な答えなんだね」


 彼女は楽しそうに笑って続ける。


「よかった。そっか、君も、死ねるんだ。よし、分かった。君の質問に対する私の答えを言おう。多分、これが私の人生最後の答えになる」

「そんな大げさな」

「そうでもないさ。――ふふ、多分ね、カムパネルラは、ジョバンニのために死んだんだ」

「その、理由は」

「ジョバンニ自身が、カムパネルラに逢いたいと願い、またカムパネルラ自身もそう願ったから」


 突拍子もない言葉に俺は絶句する。

 だが、そんな俺の様子を気にすることなく、彼女は笑顔で楽しそうに続けた。


「一人ぼっちのジョバンニが願う理由は言うまでもなく、カムパネルラは死ぬ前にいじめられるジョバンニに対して何もできなかったから、自分の死の淵、最後の時間に親友であるジョバンニとともに話したいと望んだ。まさか自分の子を死の淵まで連れて行くなんて、両親がやるには、あまりにも酷すぎるだろう?だから、カムパネルラなんだ。どうだい、君?」


 してやったりと、真っ白な素肌の美しい彼女はそんな誇らしげな顔をする。


「なんで、家族じゃなくて、ジョバンニなんですか――いや、家族じゃ死の淵に連れて行くのは酷すぎるって話なのか、じゃあ――」


 そう言葉を残すも、その先に続く言葉が出てこない。

 

「じゃあ、何?」

「――いや、なんでもないです」


 カムパネルラが殺されなければいけない理由を俺は肯定したくはない。

 だが、今の頭の足りない俺自身では、それを否定する理由が見つからない。

 おそらくきっとあるのだ。なぜ家族じゃあ死の淵に連れて行けないのか。

 でも、見つからない俺に酷く腹が立つ。


「でも、それでも、俺はカムパネルラに死んで欲しくはなかった」


 誰よりも心優しく、どんな時でも独りぼっちだったジョバンニを支え続けたカムパネルラを、誰であろうと、殺していいはずがない。

 そんなことが認められる世の中なんて、理不尽極まりない物語なんて、俺は認めたくはない。


「君は、ジョバンニみたいだね」


 どこから湧き上がってくるのかまるで分からない、感情と呼んでいいのかすら分からない感情に震えていた手を、彼女はどこまでも冷たいその両手で優しく包み込む。

 そろそろ時間だ。彼女は静かにそう呟いた気がした。


「私はね、特別大切な人がいない人生を送ってきたんだ。ほら、私って美人でしょ。だから、よりついてくる人とか多かったんだけど、みんな、私のガワだけを見て、中身を見てくれなかった。私がメイクよりもドラマよりも文学が好きだなんて気づいた人、誰もいなかったんだから。なんで美人な人とかイケメンな人ってあんなに頭空っぽで明るい事しか言えない人が多いんだろうね、ホントついていけなかったよ」

「大変、だったんですね」

「大変だった。でも、ようやく、それともおさらばできる。ホント、最後に君に会えてよかった」


 彼女はきびきびと立ち上がり、二段下に降りて俺に振り返り、見上げる。


 どこまでも真っ赤な血に染まった浴衣を左右に揺らして、微笑んだ。

 

「なんで、俺だったんですか」

「君が、そこで寝てたから。ふふ、あーあ、せっかく最後の時間を夏祭りで楽しく過ごそうと思ったら、こんな変な人と話し込んじゃった」

「そんなに楽しくなかったですか」

「うそうそ、楽しかったよ。あぁ、そうだ、もしよかったら、事件現場に花を供えてくれるともっと嬉しかったりするんだけどなぁ」

「約束します」

 

 どこからか「銀河ステーション銀河ステーション」とアナウンスが聞こえる。

 いつの間にか、一番下には、白く輝く銀河鉄道が見えた。

 彼女は、しっかり前を見据えて階段を降りていく。

 

「もし、もし!!事件に会っていなければ、貴方は!!俺に話かけてくれましたか!!」


 ここ十数年で一番大きな声で、あのアナウンスにも負けない声で叫ぶ。

 すると彼女は、見たことがないほど綺麗な笑顔でこう叫んだ。


「絶対無理ぃ!!」


 遠くからでもはっきりと分かる。

 いや、俺が泣いているせいだろうか。

 きっと気のせいだろうが、彼女も泣いているように見えた。


 銀河鉄道が。消えていく。

 俺は何もできずに、ただただ、カムパネルラが消えていくのを見守った。

 おそらく、この銀河鉄道が完全に消え終われば、俺の意識は現実に戻るだろう。


 だから、その時は筆を執るよりも何よりも先に、花を買いに行こうとそう思った。

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