第19話 どうしたら、こうなるのか?

 恋が愛にかわると、人間は鋼の心を兼ね備えることができる。

 年単位の音信不通もなんのその。

 見返りなんてものは微塵も求めることなく、ただひたすらに相手のグラスになみなみと愛情という酒を注ぎ続けることができる。

 淡々と過ぎていく毎日。でも、一向に津島を嫌いになれない自分がいる。


『彼氏はいないの?』

『結婚はしないの?』


 もう聞き飽きた。

 人生設計は自分でやるのでそっとしておいてくれないだろうか。

 職場でストーカー気味の自称色男の医者に絡まれ、近寄られただけでも吐き気がする自分を知り、津島がいかに心地よい男だったかも痛感。

 どこで聞きつけてきたかわからん情報を易々と口にしてくる度に、私の怒りのボルテージはあがっていく。


『自衛隊のパイロットなんてそんなもんだよ。 もう忘れて、俺と付き合ったら?』

 

 津島のことを何も知らないくせに、ぬけぬけと言ってくるゲス野郎には迷いなどなく鉄槌をくだす。

 病院において絶対的な権力を持つ医者を蹴散らすのだからそれなりの覚悟はいったが立場の差などもはや気にするものか。

「私が惚れた男に比べたら、あんたなんてクズ以下だ! 触るな!」

 ストーカー医者に掴まれた腕を躊躇なく振り払って、堂々と言い放って潔く病院を辞めた。

 大好きな先輩や同僚と離れるのは辛かったが、行動あるのみ。

 助産師は己の腕一つで職場はいくらでも選べる。

 芸は身を助くだ。

 どんどん自分が強くなっていくのがわかって、どこかおかしい。

 極度のめんどくさがり屋であり、一度仕事にのめりこむとそれしか見えないであろう相手に対し、適度な声援とありあまるほどの愛を送り続ける。

 時には励まし、時にはご挨拶、時には誕生日祝い。

 たまに、恋文をはさむ。あなたに逢いたいのだと。

 メールの返信はない。

 電話番号は知っているが、いつ、どこで何をしている場面かわからないからやめておく。

「まだまだ……」

 本当は怖くて、不安もぶっちぎり。

 もうだめなのかもしれないという想いを必死に遠ざけてあがく。

「死んだ方が楽だ……もう考えなくてもいいし」

 人生終わった方が楽だとさえ思う夜もある。先のことを考えなくて済むだなんて短絡的な思考になるけれど、それでも津島との未来がつながる方が絶対に幸せなんだと立ち上がる。

「ダメだ。 絶対に大丈夫なんだから! 津島さんはクズじゃない!」

 諦めるのはまだ早いとわけのわからないごちゃまぜの感情を何とか良い方向へ昇華させようと努力するしかない。

 この暗い長い夜にもいつかは太陽が戻るのだと、まるで天照大神を天岩戸から引きずり出した物語のように。

「絶対に大丈夫」

 胸の奥でははらはらしながらも、口だけは強気で行くしかない。

 奇跡は起こしてなんぼだという暴論を盾に突き進む。


 私の奇跡はいつだって12月からだ。

 12月の人事異動。2年の沈黙を破り津島の異動が発表された。

 そして、それを目にした時、神様は本当にいたずらをすると腰が抜けた。

 私が招待されていた基地のイベント前日に彼がそこへ異動していたことがわかった。

 そして、本当に嫌になるが、遠目にも彼が来るのがわかってしまう。

 緊張で体が震えていた。

 どんな顔をするのだろう。

 基地の式典の後、エプロンを足早にかけていく津島。

 私はその彼の腕をつかんだ。

 一瞬、驚いた顔をしていたが、すぐに彼は『おう、久しぶり!』とさらりと言ってのけた。

 何が久しぶりだと殴ってやりたい想いにかられたが、かなり急いでいる彼を足止めできず、連絡してねとだけ言葉をねじ込んだ。

 もんもんとした私の心はもう爆発寸前だ。

 イベントでは目の前に大好きなイーグルがいるっていうのに気もそぞろ。

 私はイーグルより津島が大好きらしいと思い知らされた。

 今まで一度だって電話はかけないようにしていたが、勢いでコールしてしまった。

『何かあるならメールで連絡しろ、電話はでれるかわからんからな』

 津島のこの言葉に良い子に従ってきたが、我慢ができなかった。

 コールが続く、もう泣きだしそうだ。

 一瞬でたかとおもったけど、すぐにそれは切られてしまった。

 そして、数日後、津島からとんでもないメールがやってきた。


『一つ条件を護るのならば逢おうと思います。 条件を護れますか?』


 津島はずるい。何を護るかは言わないのだ。

 私が条件を聞かせてくださいと送っても、まずは約束ができるかどうかだと彼は言った。

 逢わないことにははじまらない私は思い切った決断をした。護りますと。


『俺以外の男とちゃんと結婚して、幸せになること。 これが護れるのならば逢おうと思います』


 思考回路がどうがんじがらめになったら、津島はこんなことが言えるのだろうかとスマホをベッドに放り捨てた。

 こじらせきった津島は私を手放せないくせに、こんなことを言う。

 だったら逢うなよ。

 結局、逢うのだろうが!と私は思考を切り替えた。

 逢えないことの方が私にとってはデメリットでしかない。だから、割り切れと、ここは引き下がれ、そして、ひっくり返してやるからと飲み込んでやった。

 泣きつかれたし、食事も食べられなくなって、薬すら飲み込めなくなった。

 胃潰瘍まで発症してしまった頃、私はそんな負の状況で彼をクリスマスに呼び出すことにした。

 君の好きなところへ行くからとだけ返ってきた津島のメール内容に、くそったれと大きな声をだした。

 それでも、引き下がるもんかと食事もとれないくせに私は飛行機のチケットを予約し、ホテルを予約した。

 空港にはやや緊張気味の表情をした津島が車で迎えに来てくれていた。

 津島がそう来るのならば私だって負けはしない。

「津島さん、私がちゃんと結婚相手をみつけるまではあってくださいね」

 助手席に乗り込むや否やの私の攻撃に、津島は片眉をあげて声もなくうなずいた。

 以前のように話さないし、手もつながない。

 会話の掛け合いもない。

 津島が壊れてしまったように思えた。

 何があったらこんな風になってしまうのかわからない。

 適度に観光したところで、私が予約しておいたホテルへ向かうことになった。

 気を取り直して、クリスマスプレゼントだと笑顔で突き出してみる。

 津島はそれを受け取るとちゃんと自分のバッグに丁寧にしまってくれる。

 言葉と行動があまりにちぐはぐだ。

 もうがまんできなくなって、その背中に顔をうずめるようにしてぎゅっとしてみた。されるがままになってくれる津島は小さくため息をもらしていたが、ふりはらうこともなく、しばらくしてから、暑いとかなんとか言って首をかしげていた。

 クリスマスディナーも薬漬けの私はほとんど食べることができず、津島が本当にくわねーなとか何とか言って、私の分も例の如く綺麗にたいらげてくれた。

 あれだけ一緒にお泊りしようとかいう雰囲気をだしたら、丁重に終電にのせてきていた津島が時間を気にせずに、すぐそばでテレビを見て笑っている。

 なんだこれはと私の心はどうしたらよいのかわからない。

 次があるかなんかわからない。

 だから、ありったけの勇気を振り絞り貸切露天風呂とか行こうとか提案してみた。

 どうせならやってみたいことをするだけだ。

 それに、疲れ切っている津島の顔を見たらマッサージでもしてやりたい気分になる。目の前にいるのはとんでもないクソったれなのに、私はどうにも津島を信じたい。

 女、川村泰子、素っ裸上等じゃないか!と、津島を引き連れて貸切風呂へ行く。

 津島は何ともおもいやしないのか、のんびりと ちょっと熱いぞとかなんとか言って、足を伸ばして入っている。

 内心、ちょっと、チラリズムどころじゃないんだから何とか言えよと思ったが、相手は津島だ。何も言うまい、万事諦めた。

 津島の後ろにつかると、津島が熱くないかと聞いてきたが、大丈夫だと顔をそらした。なんだ、この緊張感のない私たちのこの状況、おかしくないのか。

「津島さん、肩をもんであげるよ。 むちゃくちゃでしょう? どうせ」

 津島は無言で、ほいと私に肩を差し出してくる。

 世が世なら、他人に背を預けて、首すじをさらすだなんて、あなた、殺されるよとおもったけれど、何度も言うけれど、この男は津島だ。 

「長風呂、俺は平気だけど、お前きついならそこの岩に座れ」

 肩もみは続行してほしいが、私がぶっ倒れるのは回避したいらしい津島の提案に甘えて、私は足だけつかるようにして肩をもみつづける。

「優しいのか、なんなのかわかんない」

 ぼそりとつぶやいた私の言葉に津島が何だと聞き返してきたが、スルーした。

 どうだ、スルーされる心地はと舌を出した。

「津島さんはさ、すごいよね。 戦闘機パイロットなんか一握りだし、あっという間に一佐だしさ。 うらやましいよ。 私は何で助産師やってんのかわかんないもんね」

「やりたい仕事をしている人間なんて指の数ほどもおらんわ」

 津島が間髪入れず答えた。

「じゃあ、津島さんは指の数ほどの内だね。 空が大好きだし戦闘機パイロットだし」

「なりたくてなったわけじゃない。 俺は国際線のジェットにのりたかった」

 初耳だった。あれだけ楽しそうにイーグルで空を駆け回っていた人が何を言い出すんだと思わず手を止めてしまった。

「嘘でしょう!? 防大でて、一佐にもなって、認められて、愛されて、イーグルにのってるのに?」

「あんな牢獄みたいなところへ好き好んで入るわけがないだろうが。 頭が足りなくて、国際線のパイロットは無理だったから、別の経路で空を飛ぶために行った。 そしたら、戦闘機がついてきただけだ。 階級なんか、生きてりゃ上がる。 俺のかわりなんかいくらでもいるんだから」 

「それは違うよ。 津島さんのかわりなんていないよ。 それを言うのなら、私のかわりなんていくらでもいる。 助産師なんて戦闘機パイロットにくらべりゃ、誰でもなれるよ」

「助産師なんて難しいもん、阿保じゃできん。 それに何かと難しいことを平気でやれるお前の方がいくらか世のため、人のためってもんだ」

 やっぱり津島は津島だ。

 まったく色気のない空気感だし、そういう雰囲気になりもしないが、私はこの人を思いっきり抱きしめたくなった。

 思い切って、背からぎゅっと抱きしめてみる。

「津島さんはね、すごい人なんだから。 かわりなんていない。 そこはちゃんと覚えていやがれ」

「首がしまる、殺す気か」

 本当にこの男はどこまでも知らぬ存ぜぬで行く気だな。

 本当に覚えていやがれと、私はさらに腕に力を入れてやった。

「色気がない……」

「今更だろうが、そんなもん」

 くっそう、ああだ、こうだと言い返す津島に舌打ちをした。

「ギブ、あがります」

「おう!」 

 長風呂にギブアップして先にあがり、私は鏡の中の自分と向き合う。

 まるで男同士で露天風呂に入っているようなムードにため息がこぼれるが、とりあえず、すすんでいると色んなおかしいことに目をつぶった。

「ほい、水!」

 湯船にだらりとつかっている津島に差し出すと、素直に水を飲んでいる。

 何の回路が壊れているのだろうと津島をながめていると、一言、エッチと言われた。  

「誰が!? もう時間だよ、はよ、あがれ」

 上がるから見ないでというように手で私を追い払うと、津島は露天風呂からあがってきた。そういうところを見越して、はいとバスタオルをさしだすと、タオルを素直に受け取ってくれる。

 こういうコンビネーション、やっぱり間違っていないんだけどなぁと夜のとばりがおりてきた空を見上げた。

 星がきれいにみえる。

 津島はまるで、昼間の星のようにわからない。

 ふいに振り返るとパンツ一丁の津島がいた。

「見ないで頂戴」

 見てないわとくるりともう一度背中を向けた。

 もう、私の緊張と不安に埋め尽くされた時間を返せと腕を組んで、縁側であぐらをかいた。

 着替えを済ませたらしい津島が私に座禅かときいてきたが、私は知らんと顔をそむけた。

 誰か、甘い時間を私にくれ。

 本当にクリスマスなんだけどなと肩を落とす他なかった。



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真昼のスピカ ー頑固な鷲の口説き方ー ちい @chienosuke727

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