第九章

1899年3月15日

 見慣れない部屋からの見慣れない景色。

 大きな窓から日光が差し込み、机の上のティーカップと書きかけの手紙を照らす。

 万年筆を置き、ティーカップを手に取るサラ。

 彼女の表情には、少しばかり影がかかっていた。

 休暇代わりの遠出任務だというのに、何故か楽しめない。

 外では、近所の政財界の有力者を招いた小規模のパーティーが開かれていた。特に重要な催しでは無かったが、今後の事を考えると色々役に立つだろう。

 庭を三人の子供が駆け渡る。何の心配事も無い無邪気な笑顔で。

(…あいつもこういう光景、見たかっただろうな。)

 溜息を零しながら、サラはティーカップを口に近づけた。

「あら、お一人?」

 突然の声に、サラは手を止める。振り向くと、部屋の入口に一人の美女が立っていた。

 まるで探偵小説にでも出てきそうな。

 紅茶を飲まずにティーカップを机に置くサラ。

「すみません。ちょっと独占してます。」

 クスッと美女は笑うと、サラの前の席に座った。

「相談に乗りましょうか?」

 突然の申し出に「え?」と思わず漏らすサラ。

「お姉さんとの年の差を甘く見てはダメよ。人生の経験は、あなたに比べて少なくとも十年は多いんだから。悩み事があることぐらいお見通し。」

 先ほどまでの色気抜群なオーラが、純粋なやさしさの物に和らぐ。

 しかし、サラはただ気まずく苦笑するだけだった。

「大丈夫です。気にしないでください、本当に。」

 彼女が視線を外の景色に向ける。

(今はそれでいい。そういうことにしておこう。)

________________________________________

二十五枚の手紙

第九章「In the Concert of Nations」

________________________________________

1899年2月20日

 街の鐘が鳴る。

 大きさが多少違うのか、普段聞きなれている音より少し低い。

(A♭、かな?絶対音感じゃないからわからないけど。)

 くだらないことを考えながら、サラの目がゆっくりと開いた。

 明らかにやる気の無い表情。

 鐘の音から察するに、時刻は午前7時。本日最初の予定は10時から。ここのところ毎日似たような状況だ。

 誰かがドアを叩く。

「開いてるよ…」

 情けない声での返事と同時にドアが開く。

「やっぱりまだ寝てた。」

 呆れた表情でシャルルは言う。

 軽い溜息を漏らしながら彼は容赦無く窓のカーテンを開けた。日光が一機に部屋を照らし、サラは思わず目を瞑った。

「こんな時間までよくもまあぐっすりと。遅刻するぞ。」

「遅刻って、まだ7時になったばかりだろう…?」

「何言ってんだお前。もうとっくに8時過ぎてるぞ。」

 一瞬の間。

「へ!?」

 一気に飛び起きるサラ。

「いや、でもさっき鐘が‐」

 サラの視線が壁の振り子時計に止まる。針は8時15分を指していた。

「絶句」という単語の具現化のような表情を浮かべるサラ。恐らく単に鐘の鳴る回数を聞き間違えただけだろう。

 自分のだらしなさに呆れ、思わず溜息が漏れるサラ。

「…顔洗ってくる。」


 この日、サラたちの一団は大陸で既に約一週間を過ごしていた。街から街へ、国から国へと回り、フーリエに残った仲間たちが飢え死にしないよう寄付やパトロンを募集していた。

 もちろん、すべて秘密裏に行われていた。例え中立国の地にいたとしても、帝国の目が光っていないとは限らない。

 身支度を済ませ、ホテルの前に停車していた馬車に乗り込むサラたち。 

 レンガで舗装された道路を走る馬車。

 窓の外を流れる景色。

 大陸の街並みを初めて見る者はこの一団には居ないが、それでも思わず外を眺めてしまう。

 今日のサラは、単純にそんな気分だったのだろう。

「なぁ。」

 サラの黄昏ている姿が似合わないと思ったのか、単に暇をつぶしたかったのか、シャルルがサラに声を掛けた。

「なに?」

「罠じゃあ、無いだろうな。」

「今更?」

「いや、だって、今から行くの、この国最大の兵器工場だよな。いくら帝国との中が悪いからって、俺たちみたいなのにそう簡単に買い物させてくれるとは思えないんだが。」

 小さな溜息をつくサラ。

「ここ北海王国は三十年前、帝国に喧嘩売って返り討ちにされたことをまだ根に持っているらしいよ。特に現政権のお歴々方は。しかし、表の顔は中立主義の国である以上、あからさまな行動は出来ない。だから我々を支援するなどといった回りくどい方法を使って帝国に嫌がらせをしているって訳だ。」

(まあ、心配するのも無理も無いけど。この国は帝国と国境繋がっているんだし。)

 再度の溜息と共に視線を外の景色に戻そうとするサラだったが、相変わらずシャルルが会話を継続させようとする。

「しかし、異国の準国立兵器工場で買い物させてくれるとか、ドクトルはどんなコネ使ったんだ?」

「ジークさんのコネも少しは働いていると思うぞ。まったく。いったい誰と寝たんだか。」

 苦笑いするシャルル。

「違い無い。」


 ロッツァ帝国はこの過去数百年において、大陸での勢力を大いに拡大してきた。隣国との衝突も相次ぎ、双方が軍事的外交手段に頼るのもよくあることだった。

 ここ北海連合王国も例外では無く、過去に何度か領土を廻って帝国と衝突してきた。勝利した例もあったが、ほとんどが何らかの形での敗北である。サラがシャルルに説明したように、一番最近の衝突もそうであった。

 北海王国は、敗戦の後、大規模な軍制改革に着手した。火砲の近代化、無煙火薬を使った連発銃の独自開発、近代兵器の国産化など、その成果は様々。

 馬車を降りたサラたちの目の前に広がるこの兵器工場も、その成果の一つ。

Rekyl反動 Riffel Syndikatシンジカート?」

 サラが目の前の工場の看板を読む。

 妙に見慣れない単語の列を見て、ようやく少しは今日の仕事に興味が沸いた。

 きっと何らかの新技術、或は技術の新しい応用に違いない。

「看板で名義されているのとは別に、普通の小銃の製造もやってるらしいぞ。」

 タバコを一服しながら馬車を降りるシャルル。

 後ろの馬車から降りる二人の護衛を含め、サラたちの一行は四人とかなりの少数だった。

 とある異国の使節団による工場見学。その建前を崩さぬよう、サラたちは全員背広姿での出席だ。

 19世紀は帝国主義の時代。世界各地には列強諸国の侵攻に抵抗しようとする小国が星の数だけ存在する。それ故、サラたちのように大陸の軍事施設や兵器工場などをお忍びで転々とする使節団は珍しくはない。

 そのためか、出迎えに来た工場長は慣れた手つきで関連書類を裁き、サラたちを工場内へと案内した。

 工場長が取り出したシガーから独特の匂いがする。

「ああ、なるほど。」

 何かを察したのか思わず声を漏らすサラ。

(まったく。あのドクトル、いったいどれぐらいのアヘンを世界にばらまいたのやら。)

 小さな溜息と共に視線を工場長が紹介していた工場機材にぼんやりと向ける。

 正直、事務的ではあるものの少しは興味を示していたシャルルと違い、サラはこのような物への興味は薄かった。士官学校時代、ドライズラント唯一の大規模兵器工場への見学も同様で、重要ではあると認識できたものの、彼女はこれら重工設備などに好奇心が刺激されなかった。

 当然、視線が工場長の説明していた対象から離れる。

 野戦砲や山岳砲、現在標準となりつつある小口径無煙火薬式連発小銃、少々時代遅れなれど十分現役な手動機関銃。

 これらもサラの興味をそそらない。

 再度溜息をするサラ。

 しょうがなくシャルルたちに意識を戻そうと思ったその時、見慣れぬ物を発見した。

 小銃という物を見たことある人にとって、それを小銃と認識するだろう。ここに関してはサラも同類である。しかし、小銃にしては妙で余分な物、例えばレバーやら箱やら、が所々からはみ出ていたそれは、サラなどにとってはそもそも武器の常識概念から外れているものだった。

(もしかしてだけど、あれが社名の由来、「反動銃」とやらか?)

 珍しそうにそれを見つめるサラ。

 それに気づいたのか、シャルルもそれに視線を移す。


 この工場で開発、生産されていた「反動銃」は二種類、少し大きめで要塞守備隊用の1893年型と普通の小銃に近い海軍用の1896年型があった。工場長の話によれば、本来この二種類の銃は軍による大量発注が見込まれていた。しかし、近年経済が傾いてしまったことと、国の予算が新しい福祉計画に割かれてしまったため、軍からの発注は中止され、二百丁強の不要在庫だけが残った。

 工場としては、これらの在庫処分兼試験運用の客を探していた。ゆえに、サラたちが例の「反動銃」に興味を示した時、工場長は喜んで試射を許可した。

 結果、フーリエの使節団は、重機関銃の購入数を半分に割ることとテストデータの共有を条件に、「反動銃」の在庫全てを半額で購入することに成功した。

 商談が成立し馬車へ戻る間、シャルルがサラに視線を向ける。

 しかし、シャルルが発言する直前、サラが口を開く。

「普段は銃火器なんかに興味無いのに珍しい。そう言いたそうだね。」

 ポケットからタバコを取り出すサラ。

「…なぜわかる。」

 反射的にマッチを取り出し、サラのタバコに火をつけるシャルル。

「ゼークト大尉が陸戦隊の火力を上げたがっていた。こいつはそれに使える。」

「どうやって?」

「さあ。細かいことは押し付けられる当人に任せる。」

 呆れた表情を浮かべるシャルルだった。

________________________________________

 一方、ロッツァ帝国のドルシグ軍港では、臨時編成された第一討伐艦隊が着々と準備を進めていた。

 食料などの物資を整理する者。

 旧式の鋼鉄艦に急遽近代化改修を施す者。

 古い客船にコンクリートを流し込む者。

 そしてそれらの行動を監督する者。

 討伐艦隊旗艦、海防戦艦「ウィンドボナ」の艦橋にて、艦隊指揮官のロタール・ヴィートヘフト少将は満足気に頷いた。

 今年丁度三十二歳になる彼は帝国海軍士官学校次席卒業、二十歳という若さで司令官勤務を受け、更には極東の海賊退治で武勲を立てた優秀な士官である。これらに加えて独身であったため、女性の間では人気との噂もあった。

 軍からしてみれば、彼の推薦は指揮官としての有能さと同時に政治宣伝も兼ねた人事である。

 しかし、そんな人事に少しばかり呆れた不満な人物がいた。

 この時、艦隊指揮官の後ろで盛大な溜息をついていた左官が正にそれだ。

「まったく。よりにもよって先輩が司令官に選ばれるとは。」

 頭をかきながらルーカス・ファルケ少佐が言う。

「貴様こそ、出世したものだな。前に会った時はただの巡洋艦の参謀だったのになぁ。」

 ガハハっ!と笑うヴィートヘフト。

 一方、ルーカスは内心感動の再会を味わう気分ではなかった。

 ヴィートヘフトという人物は、根っからの武人である。戦ってこそ活路が開けると信じているタイプの人だ。

 実際、彼の過去の武勲は戦って得たものなのだが、今回の作戦では役者不足だった。

 武人としての誇りと思考回路が作戦の邪魔になるだろう。万が一の場合、過激な手段を使えず、戦況が泥沼と化す。無駄な戦闘による無駄な犠牲が出るに違いない。

 少なくとも、ルーカスはそう思っていた。

 それとは別に、上層部に自分が立てた作戦から外された事に対しても不満ではあったが、今更嘆いても仕方がない。

「色々不満そうだな。」

 まるでルーカスの心が読めるかのようなタイミングで指摘するヴィートヘフト。

「いや、指揮官の候補リストにもっと優秀な人材が載ってたのに、と思ってまして。」

「例えば?」

「ザイラー提督。」

「軍神!?そんなお方と私を比べるな!提督に失礼だろう!」

 再度溜息をつくルーカス。視界の端に見慣れた赤髪が見える。

「先輩。最後に忠告しておきます。」

 迎えに来た人物に軽く手を振ると、ルーカスは視線をヴィートヘフトに戻した。

「くれぐれも、目的を見失わないようお願いします。」

________________________________________

「よ~こそおいでくださいました~!」

 陽気にあふれた声がサラたちを出迎える。

 ここはメクラスナ王国の港町、タルデ。

 多くの造船所が並び、世界各国から仕事を受けている町。

 極東のアマナシマ帝国海軍もここの造船設備の世話になっている。

 当然、海上戦力を拡張させたいフーリエもまた同様。

 一通りの挨拶を終えた一団は、出迎えてくれた陽気な所長に連れられ小さな列車に乗り込んだ。

 大きな溜息をつく所長。

「いや~、助かりましたよ~。実を言うとですね?急にの買い取り手がいなくなってしまって困っていたのですよ~。」

 列車が造船所の数々のドックの横を通る。

「幸い、我が国の海軍のみならず、新大陸や極東からの注文も多いもので、多少の損害は我慢できるのですが…」

 先ほどまで陽気だった所長の目が遠くなる。

「なにしろだけのために新しくドックを作らなければいけなかったのですから…。」

 思わず憐れむような苦笑いをするサラ達。

 丁度その時、所長が嘆いていたがサラの視界に入って来た。

 目を見開くサラ。


 その昔、一人の偉大な技術者がいたという。

 彼は常に技術の最先端を行き、のちの世では彼の名を借りた技術コンペ賞が作られるほどである。

 そんな彼が生涯最後に挑戦したのが、世界で一番巨大な蒸気客船の建造だった。

 合計4000名もの乗員を乗せることができ、極東まで補給無しでも行き帰りが可能な、まさに海の怪物。

 四十年前もの出来事である。


「…資料はちゃんと読んだつもりなんだが、実際に見るとでかいな。」

 目の前の巨大な船を見上げながらシャルルがボソッと言う。

 全長二百十一メートルのその船は、今でも最大級で、その大きさを超える船は今年の頭に進水したばかりの最新蒸気客船一隻のみ。

「これが、電纜敷設船『リバイアサン』…。」

 思わず言葉を漏らすサラ。

 噂によれば、この巨大な船を解体寸前というときに購入した馬鹿な大富豪がいたという。

 その大富豪は、船の巨大さと耐久性能に注目し、当時既に建造から三十年も経過したにもかかわらず、この巨大な船を世界最大の戦艦に改造しようと考えた。

 完成していれば後の世の弩級戦艦に匹敵、或は凌駕する性能になっていただろう。

 しかし、その大富豪は自分のプロジェクトの完結を見ることはできず、この船を含めた資産全てをフーリエ政府に没収されたらしい。

(で、その事後処理を私たちに押し付けた、と。)

 今度は思わず溜息が漏れるサラ。

 すると、造船所の所長が相変わらずのビジネススマイルでシャルルに告げた。

「船体の修復は、去年の地震で少々手間取りましたが、半年前に完了しております。また、当初搭載されていた帆と旧式のエンジンは既に撤去し、最新式のに換装させておきました。さらにさらに、当初搭載されていた外輪を撤去し、もともと一本のスクリューを三本に増やしました。もちろん、スクリュー事態も最新のに換装いたしました。艦橋周りは、正直現在中途半端な状態です。電気機器などの納品を待っている状態ですので。後は追加装甲と主砲、副砲を搭載すれば…!」

「いや、それは別にいい。」

 シャルルが何か言いたげそうだったが、その前にサラが会話に割り込んで来た。

 その行動を鬱陶しく思ったのか、所長のビジネススマイルが一瞬歪む。

 シャルルは呆れたような表情を浮かべ、護衛の四人は少しばかり焦っているようだった。

「と、言われますと?」

 所長に一枚のメモを渡すサラ。

「戦艦に改造する必要は無い。変わりにこのように仕上げて欲しい。」

 仕事、つまり設け、が取られると思っていたものが、そうで無いと知った途端に所長のビジネススマイルが元に戻った。

「下に書いてあるこれは…?」

「そのスペックに沿った船を建造、或は調達してくれると助かる。」

「なるほど。」

 頷く所長。

「しかし、これでは予算が一万リーラ程余りますな。」

「それは、」

 所長の目を見るサラ。

「口止め料、と言う事で。」

 それを聞いた所長は、嬉しそうに書類を再確認していると、シャルルがサラに近づいた。

「おい、このデカブツ本当に持って帰るつもりか?」

 シャルルが問う。それに対し、珍しく上機嫌なサラはウィンクしながら答えた。

「後のお楽しみだ。期待するんだな。」

________________________________________

 フーリエ湾、シェヒール要塞。

 二百年前に当初建造されたそれは、以来近代化と増設を繰り返し、今ではフーリエ湾の沿岸全体を守るのみならず、一部内陸にもその守りの手を伸ばしていた。

 しかし、これほど巨大な要塞を完全に守り切るのは、常に人員不足に悩まされていたフーリエ政府には重荷だった。

 アマナシマからの義勇兵を要塞の守備隊に組み込んだのは、それが理由である。

 彼らは、要塞の東側の後方に配置されていた。要塞の手薄な防衛線を破られた場合に備えた予備戦力。

 彼らにあてがわれた要塞の一角には、兵舎と申し訳程度の食堂、そして訓練用のエリアが設けられた。

 今日もまた、その訓練エリアから木刀同士がぶつかり合う音が響く。

「ちゅ、中佐っ!少しは手加減を!」

「馬鹿者!そのような態度では、敵に返り討ちにされるぞ!」

 鋭い衝突音と共に、片方の木刀が宙を舞う。

 義勇兵たちの隊長、中島中佐が溜息を漏らすと同時に額の汗を拭く。

「よし、今日はここまでだ。各員、一休みしてから警戒態勢に戻れ。いいな?」


あんさん、お疲れ様。」

 妹の麗華から一切れの黒パンとコーヒー入りのマグカップを受け取る中島中佐。

 一言礼を言うと共にパンを一口食べる中佐だったが、途中から彼は不思議そうに手元のコーヒーを見つめる。

「こんな真っ昼間にコーヒーを?」

「あ、それは大尉さんからや。」

 近くの壁に寄りかかりながら手を振るヨセフ、そしてその彼に指差す麗華。

「これは大尉。稽古の見物ですかな?」

「妹さんの剣捌きを見に来たのですが、どうやら一足遅かったようで。」

 赤面する麗華。

 その反応を見て一瞬クスッと笑うヨセフだったが、彼の表情は次の瞬間極めて真面目なものに変わった。

「中佐殿、少々よろしいですか?」


「噂?」

「ええ。」

 中島中佐にタバコを一本渡すヨセフ。

「うちの艦隊指揮官に関する噂なんですが、どうも貴族出身だっていうのがばれたようで。」

「貴族?あの人が?」

「とぼけないでください。中佐殿の事ですから、もうお調べになっているでしょう。」

 ヨセフの詮索に敢えて黙る中島中佐。しかし、ヨセフは構わず続ける。

「まあ、そのおかげで、彼女の名前が一時期うちの粛清リストに載っていたのですが…。」

 一服するヨセフ。

「問題は、彼女がその身分を隠していた事を利用し、彼女を貶めるような風聞が流れているってことです。」

 曰く、艦隊指揮官のサラ・エッセルが貴族の身分を隠して革命軍に参加している理由は、彼女の家が皇族の末永であり、当人は革命軍を利用して帝国の玉座を狙っている、とのことだった。

「最悪のタイミングです。今のところ華々しい戦果のおかげで黙らしてはいるが、一介の少尉が艦隊指揮官であることに不満な連中は少なくない。本人が不在だから自己弁護も出来ない。」

「これを口実に不平分子が動く可能性がある、と?」

 中島中佐の見解に対し頷くヨセフ。

「難民のせいで少しずつ食料の配給が間に合わなくなっていますし、何かが起きるとしたらそろそろですね。幸い、家の情報収集能力は反則とも言っていいほど優秀ですから、何かあれば事前に察知できると思いますよ。」

 一瞬黙り込む中島中佐。

「…だといいがな。」

________________________________________

「なぁ、少し思ってたんだが、なんでこんなに回りくどい旅になってるんだ?」

 フェリーの甲板から海岸線の風景を眺めながらシャルルが呟く。

「大陸の北にいたと思えば今度は南。東にいたと思えば今度は西。正直目が回りそうだ。」

 一瞬、サラの視線がシャルルに突き刺さる。

「仕方ないでしょ?本国が押し付けて来た旅程なんだから。ホント、一々その場しのぎ方針しか組めないんだから。」

 あからさまに聞こえやすい声で答えるサラ。

 視界の端で影が動く。

「…やっぱりね。」

 関心を表すため口笛を吹くシャルル。

「なるほど。監視を惑わす計略か。」

「一応ね。こういうスパイみたいな仕事は専門外なんだが。」

「素人にしては上出来じゃないか?」

 不満そうな溜息を吐くサラ。

 海の静けさをフェリーの汽笛が突き破る。

「そろそろ到着だな。」


 アングレメア連合王国の港町、オルデバリー。

 世界最大最強の王立海軍を保有するこの島国は、この街で世界各国からの軍艦建造を一つの会社が発注していた。民間の重工業メーカーの中では間違いなく世界最大だろう。

 しかし、今日の仕事は別だ。

 サラたちを乗せた馬車が道路沿いに立ち並ぶ数々の兵器工場を素通りする。

 度重なる長旅で疲れたのか、サラの隣でシャルルが馬車の壁に寄り添いながら寝ていた。

「ホント、何やってるんだろう、私。」

 思わずため息が漏れるサラ。

 彼女は、無意識にポケットに入れておいた一丁の拳銃に触れ、思考が一瞬フラッシュバックする。

 見慣れた名前の死亡通知。

 酒に溺れる父。

 そして、自室の机の上、それなりの紙幣の束と共に置かれた拳銃。

 まるで「好きにするがいい」と言い残したかのように。

 現実に戻り、意識を窓の外へと向けるサラ。

(帝国への忠誠心だけは本物のあの人の事だ。そんな意味は無いだろう。)

 とは言え、内心そうであって欲しい自分がいたのも確かだった。


 街の郊外に出たころ、一つの洋館がサラの視界に入った。

 優しく隣のシャルルを起こそうとするサラ。

 しかし、当のシャルルは目を覚まそうとしない。それどころか既に起きていて、単にサラを無視しようとしているようだった。

 サラの片方の眉毛が、苛立ちのあまりピクリと動く。

「おい。」

 中指でシャルルの耳を弾くサラ。

「痛った!!起きてる!起きてるって!」

 再度溜息が漏れるサラ。

「着いたようだね。」

 目の前の洋館は、典型的な貴族の豪邸とは少し違い、狩りや休暇に使う別荘のような物だった。それ故、例の邸宅は一般的な一軒家二つ分と、大きさ的には少々小さい方だった。

 目立つ点があったとすれば、その邸宅と周囲の庭を囲う城壁だった。

 中世時代の物を模して作ってはいるが、大きさも一回り小さく、材質は現代の物で間違いない。

「山岳砲程度の火力なら余裕で防げそうだ。」

「え?」

「…忘れてくれ。」

 首を横に振るサラ。

(まったく。嫌な癖が付いたものだ。)

 そう思いながら、サラは邸宅の玄関前に止まった馬車から降りる。

「閣下、」

 護衛の一人がシャルルに駆け寄る。

「地元の警備員が怪しい人物を捉えました。どうやら、フェリーを降りた時から我々を尾行していたようです。」

「情報漏洩は?」

「尋問の結果、『インスリンドの反乱分子の使者を調査せよ』との命令を受けていたようです。当人は素人でしたので、それ以上は聞き出せませんでしたが。」

「隠れ蓑が二枚ほど剝がされたか。まあいい。後二枚ほどある。」

 シャルルが意識をサラに向ける。

「…増えたな、ああいう態度。」

「は?」

「いや、個人的な話だ。気にするな。」


 邸宅の中で待ち構えていたのは、一人の貴族の男性と数人の使用人たちだった。外見からすれば、貴族は三十代前半と若く、自ら男爵家の三男坊であるとサラたちに告げた。

 どうやらこの男、サラたちが何所かの反政府組織の代表だという事は既に知っていた。しかし、必要以上に関わりたくなかったのか、それ以上の事は敢えて知らないようにしていたと言う。

(懸命な判断だ。実際、この人は場所を提供してくれるだけなのだから、好都合で助かる。)

 貴族の男がサラたちを客室へと案内しようとした時、二階の渡り廊下から足音が聞こえて来た。

「あら?もう来ていたのですか?」

 女性の声。

「おお、やっと来たか。」

 貴族の男が声の主を手招きする。

 二階からの階段を、一人の茶髪の美女が下りてくる。

 出ている所は出ていて、引き締めている所は引き締まっており、色気抜群の美女を見たサラとシャルルは、思わず呆れたような表情を浮かべてしまった。

「イリシュカ・オーレンドよ。話は既に聞いてるわ。」

 探偵小説にでも出てきそうな美女が自己紹介をする。

 色々と察したサラとシャルルが顔を合わせる。

「なあ、シャルル。」

「ん?」

「ジークさんが誰と寝たか分かったかも。」

________________________________________

「いよいよか。」

 溜息を漏らしながら呟くルーカス。

 帝国のドルシグ軍港では、ヴィートヘフトの討伐艦隊が夜な夜な静かに出航していた。

 見送る群衆も、別れを告げる軍楽隊も無い。

「心配ですか、少佐?」

 ルーカスの隣で立ち止まるヴィーシャ。

「多少はな。」

 ポケットからフラスクボトルを取り出しブランデーを一口飲むルーカス。直後、ヴィーシャが彼に一枚の電報を手渡した。

「…ビシニエリも危ないか。」

「あの国のスルタンは一国の主であるとともにスーラ教全般の教祖ですから。ドライズラントに同情するのもおかしく無いでしょう。」

「幸い、あの国は我が帝国への借金を多く抱えているから、そこまで大っぴらな事はできないだろう。国務省の外交官たちに任せるか。」

 港を出る艦隊に注意を戻すルーカス。

「…この作戦が失敗に終われば、現政権は瓦解するだろうな。」

「ここまでお膳立てしてあげたのです。当然でしょう。」

 一瞬クスッと笑うルーカスだったが、艦隊を眺めると同時にその笑顔は徐々に薄れていく。

「何隻帰って来るのやら…。」

 そう呟きながら、二人は軍港を後にした。

________________________________________

二十五枚の手紙

第九章「In the Concert of Nations」

END

________________________________________

次回:第十章「Unter dem Doppeladler」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二十五枚の手紙 ーTwenty-Five Lettersー カール・アーティー @karl_arty

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画