第八章

1899年2月4日

 万年筆が紙に文字を削り込む。

 相変わらず手紙を書いていたサラだったが、状況は以前と違う。

 手元にはタイプライターは無く、場所は『ペトラ』の艦内では無く客船の客室だった。

 二等客用の切符のおかげで、客室は一室四人だったが、机などもそろってあり窓も普通の客室に比べて少し大きめだった。

 一等客のスイートルームにはほど遠いが、それなりに快適ではあった。

 シャルルとその他数人の連れと共に慣れない民間人の服で向かう先は、意外にも敵のロッツァ帝国が陣取る大陸だった。

 本来、艦隊司令官であるサラがする仕事では無いのだろうが、この際は仕方ない。

 サラの視線が一瞬机の上に置かれた新聞に向く。

 見覚えのある名前の死亡通知。

 ふと、今の作業が無駄なのではないかと思ったのか、サラの手が止まる。

 溜息を漏らすサラ。

「まあ、あっちからでも読んでくれるだろう。」

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二十五枚の手紙

第八章「親子の戦争」

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1899年1月25日

 サラは不機嫌だった。

 連邦革命軍との交渉が終了し、フーリエ軍はある程度の物資と資金の援助を確保することに成功した。

 それは良い。

(良いのだが…)

 頭を抱えるサラ。連邦と手を結んだおかげで利益を得たものの、代償もあった。特に、目の前の書類の数字が正しければ、以前よりは少しマシになっただけに過ぎないだろう。

 誰かがドアをノックする。

「お~い。入るぞ~。」

 ドアを開けると、シャルルはいきなり襲ってきた煙草の煙にむせてしまった。

「おまっ!どんだけ吸ってるんだ!?」

「今日はこれで三本目。」

「流石に多すぎだろ。身体壊すぞ。」

「吸っていないとやってけないんだよ。」

 愚痴を言いながらサラはシャルルに目の前の書類を渡す。

「これは?」

「今月の出費と来月の収支予測。」

 書類に目を通すシャルル、徐々に表情が不機嫌そうなものに変化していった。

「…一本くれ。」

「だろうね。」

 シャルルに煙草を一本渡すサラ。

「連邦軍の連中、援助と引き換えに輸送船の護衛を全て我々に押し付けて来た。」

「いやいや、流石に無理があるだろ。こっちの護衛艦の数が明らかに足りない。」

 手元の紅茶を一口飲むサラ。

「そこで、ドクトルが護衛用の巡洋艦や砲艦を新たに入手しようと考えた。追加の出費はそれが原因さ。」

 サラの説明に納得したのか、シャルルはサラに書類を返した。

「にしても珍しいなぁ、ドクトルがサラに直接報告するなんて。」

 サラの表情がさらに不機嫌なものに変わる。

「…大陸での金銭援助に使えそうなコネがあるか訊かれた。そのついでさ。」

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「艦長さんよぉ、うちらの仕事が爆発的に増えるって話を聞いたんですが、本当ですか?」

 フーリエの港に丁度帰港した防護巡洋艦『アスカロン』の艦橋にて、一人の水兵が艦長のイブラヒムに訊ねた。

 溜息と共に返事が返ってくる。

「一時的な処置だと思いますよ。追加の戦力が到着したらいつものパターンに戻ります。多分。」

 冗談半分の舌打ちをする水兵。

「主力艦隊の連中が羨ましいですよ。時々出撃するだけで、後は港でのんびりぐーたらできるんですから。」

「毎日訓練などで上官たちに説教されるのが我慢できるなら、それもいいかもしれませんね。」

「…前言撤回しますぁ、艦長さん。」

 クスクス笑うイブラヒム。


「あ、イブ君、お帰り。」

 聞きなれた、自分にはもったいない、元気かつ優しい声。

「ただいま。」

 とりあえずいつものように返事するイブラヒムだが、視線を背けたり声が微かに震えてたりと、相手の態度が少しばかり引っかかる。当の本人は隠し切れているつもりなのだろうけど。

「ねぇ、リリー。」

「ん~?」

 いつものように返事するリリー。

「何か悩んでる?」

 急に立ち止まるリリー。

「…やっぱりわかっちゃう?」

 苦笑と共に振り向くリリー。

 リリーの複雑な表情を見て、イブラヒムは頭を搔きながら溜息をついた。

「長くなりそうだね。コーラ買って来る。」

 リリーの表情が少しばかり明るくなる。

「あ、うん。ありがとう。ついでに食べ物もお願い。あたし今朝から何にも食べてなくてさぁ。」

 今度はイブラヒムが苦笑する番だった。

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 ロッツァ帝国海軍はこの時、帝国の軍組織内では微妙な立場にあった。

 帝国は大陸の広大な土地に君臨する国家である以上、代々陸軍の育成が重視されていたのは当然のこと。それ故、独自の海軍戦力の強化は軽視され、長年ないがしろにされてきた。

 申し訳程度の海岸防衛戦力があれば十分。陸軍に国家予算を割かなければいけない以上、仕方がなかった。

 主力艦の大半が海防戦艦や時代遅れの鋼鉄艦なのも、それが理由である。

 加えて、現在進行中の戦争において、帝国海軍の作戦はほとんど全て敗北に終わっている。軍内部での立場が弱くなる一方だった。

 そんな中、少しでも給料分の仕事をするべく努力していた一人の海軍士官がいた。

 机に横たわりながら書類に目を通す彼。

 軽い溜息。

「こんな戦力で足りるだろうか。」

 書類を眺めながらぶつぶつ言うルーカス。

 ドアの方向からだれかの溜息が聞こえて来る。

「少佐、またそうやって行儀の悪い体制を。」

「許してくれ、ヴィーシャ。こうでないと集中できないんだ。」

 呆れたような表情を浮かべるヴィーシャ。

「どいてください。コーヒーがおけません。」

 ルーカスが机から降りる間、ヴィーシャは無意識に彼の持っていた書類に視線を向けた。

「随分と大胆な艦隊編成ですね。」

「戦艦三隻、海防戦艦四隻、装甲巡洋艦などその他重装艦艇六隻を中心とした大艦隊。帝国海軍前線艦艇のほぼ全軍さ。今年中旬には最新鋭の新造戦艦が二隻完成する予定だし、できれば艦隊に加えたいものだ。」

「本土防衛はどうします?」

「残った水雷戦隊と時代遅れの鋼鉄艦で十分。この際、仮に他国が状況に乗じて攻めて来たとしても、十中八九陸路からだしね。」

 書類をルーカスの手から摘み取るヴィーシャ。

「後は上層部にこれを認めさせるだけですね。個人的には無理があると思いますが。」

 書類を摘まみ返すルーカス。

「それは問題無い。頭の固いお偉いさん方がこれだけの大戦力を動かすことなんかこっちは期待していない。狙いはその一部を動かしてもらう事さ。一部だけでもあれば、フーリエの連中は叩ける。」

「…策がおありで、少佐?」

 クスッと笑うルーカス。

「そいつは後のお楽しみだ。」

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「わぁお。これはまた。」

「不十分かい?」

「いいえ、そんなことはありません。」

 フーリエの市庁舎では、シューマンに呼び出されたサラが珍しくその呼び出しに応じていた。普段はシャルルを通してのやり取りに頼っていたサラだが、今回は流石に会わなくてはいけない。

 艦隊に関する重要な決断の場となるのであれば、尚更。

「旧植民地政府独立派が発注した艦船の一部をこちらが引き取る事になったのは耳にしていましたが、この数は、」

 サラが困惑するのも無理はない。

 手元の書類曰く、船団護衛戦力強化のため、新にフーリエ艦隊へと引き渡される艦艇は、防護巡洋艦六隻、非防護巡洋艦五隻、補助巡洋艦十二隻、武装商船十隻、超大型輸送船一隻。

 中堅国家の海軍一個分の戦力だった。本来、フーリエのような一地方軍閥が保有できる戦力では無い。

(絶対こちらが独自で発注した艦船も混ざってるだろうけど、だとしたら…)

「ちなみに、連邦軍とは別の資金が入ったので、こちらから数隻追加で注文させてもらった。」

 サラの考えていた事を予測したかのように言うシューマン。彼が有能である証拠ではあるのだが、何故かそれがサラに取って腹立たしかった。

(ホント、この人苦手だ。理由ははっきりしないけど。)

 気を取り直すサラ。

「その金はどこからですか?」

「…知りたいかね?」

 一瞬部屋の空気が急激に寒くなる。少なくとも、サラにはそう感じた。

(まあ、恐らくはアヘンでも大量に売りさばいたのだろう。しかも絶対医療用では無い方の。)

 軽い溜息と共にサラは首を横に振った。


「で、お前が直々に大陸まで行って追加の戦力を取りに行け、と?」

 港から少し離れた桟橋で、一箱のフィッシュアンドチップスを分けながら釣りをするサラとシャルル。

 一見仕事をサボっているように見えるが、フーリエの物資のほとんどが配給制になった以上、釣りや家庭菜園などで食料を追加するのはれっきとした仕事である。

 少なくとも、二人はそのような言い訳で釣りをしていた。

「艦隊司令官が自ら赴く必要も無いだろう。俺が変わりに行こうか?」

「いや、シャルルは多分一緒に来る事になると思う。一応私の監視役なのだろう?」

「…そうだったな。」

 一瞬の間。明らかに複雑な表情をしたシャルルだったが、サラに気にされるのを恐れたのか、誤魔化すために意識を少しばかり揺れる釣竿に集中した。

 舌打ちをするシャルル。

「なんだよ。根がかりじゃねぇか。」

 その光景を静かに見つめるサラ。

「そう言えば出発はいつだ?」

「来週。中立都市のムルズハーフェンからの出港らしい。」

「了解。護衛部隊の準備を…」

「必要無い。陸路で行くから。」

 一瞬手が止まるシャルル。

「…ここ、陸からは完全に切り離されているって事、忘れてないよな?」

「当然。しかし、極めて少数が抜け出せないほど厳重な包囲網じゃない。それに、寄りたい所もあるしね。」

 黙り込む二人。サラの複雑な表情を明らかに気にしているシャルルだったが、サラがいきなり釣竿を引き上げ一瞬の静けさをかき消した。

「お、穴子だ。」

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「まあ、多分気にすることは無いんじゃない?」

「そうかな?」

 フーリエの商店街、数少ない営業し続けている店の前でベンチに腰掛けるイブラヒムとリリー。

「先輩はああ見えて色々ため込みがちだから、下手すれば破裂するかもしれないと思うんだよね、精神的に。」

 コーラを一口飲むリリー。

「いや、このままだと過労で倒れちゃうかな?」

 リリーの冗談半分の発言にクスクス笑うイブラヒム。

「まあ、数日後には出張に出るらしいし、少しは休憩の機械もあると思うよ。」

「出張?先輩が?」

「うん。」

 今度はイブラヒムがコーラを一口飲む。

「…何処へ?」

「大陸のどっか。」

「シャルル先輩も一緒?」

「一緒らしい。」 

「…ふ~ん。」

 微妙な表情を浮かべるリリー。

「艦隊司令官と副司令官が二人そろって留守にするのはマズいんじゃないかな?」

「上からの命令だからね。仕方ないよ。」

「でも、あの二人が海外まで行ってのデートか。いいな~。」

 一瞬、イブラヒムの手が止まる。

 当人の顔が少しばかり赤くなっていたが、幸いそれにリリーは気付いていなかった。

「二人の後任は決まったの?」

「ゼークト大尉とユステンセン准尉じゃないかな?あの二人ならなんとなく安心できるし、階級も問題無いし。」

 イブラヒムからの情報に頷くリリーだったが、明らかに心配している表情を浮かべていた。

 そして彼女はそれを誤魔化すためにコーラを飲み干す。

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「おい、着いたぞ。」

 五日後。

 上層部の決定を受け、サラとシャルルを含んだ六人の小集団が大陸での集金活動のためにフーリエを抜け出していた。海路で帝国軍の包囲網を抜け出し、陸路で中立の港町へ向かい、そこから大陸へ向かうという少しややこしい作戦だった。

 波に揺れるフェリーから海岸を眺めていたシャルルだが、正面の席に座っていた人物に視線を向けた。

「…おい。サラ。起きろ。」

 軽くサラの脛を蹴るシャルル。

 唸りをあげるサラ。

「シャルル、万が一の場合私が大統領とか独裁者になったりしたら、個人の昼寝の邪魔をすることは違法行為に指定する。」

 むにゃむにゃと戯言を吐くサラに呆れた表情を浮かべるシャルル。

「昼寝も糞もあるか。朝の六時だぞ。」

 明らかに他に言いたそうシャルルだったが、軽い溜息と共に本題へと移った。

「この街は帝国軍の支配下にあるから早めに離れたほうがいい。」

「七時の電車に乗れば大丈夫。」

「そこまで急ぐ必要は無いと思うが。例の寄り道か?」

 静かに頷くサラ。

「寄り道先には正午に着く。三時間前後そこで時間をつぶすとして、目的地のムルズハーフェンは深夜には着く。船が出るのが翌日だから十分間に合うはず。」

 微妙な表情を浮かべるシャルル。

「…何?」

「いや、その、」

 シャルルの目線がサラの服に向けられる。

「さすがにしょぼすぎないか、その服?」

「悪いね、民間人の服がこれぐらいしか無くて。」

 色の薄れたブラウスと所々かすれたカーキー色の長ズボン。典型的な低所得者の服装。

 目立たない服装ではあるのだが。

 溜息をつくシャルルだった。


「どの面下げてここに来たぁ!?」

 寄り道先の小さな二階建ての民家。

 庭は荒れ放題で玄関の近くの窓が割れていた。

 玄関を抜けた先のダイニングは薄暗く、木製の家具が全て傷んでいた。

 そして何より酒臭い。

 特に、ウィスキーの瓶を片手に椅子に崩れこんでいた中年男性がそうだった。

 その男はサラに指差し、罵詈雑言を吐く。

「皇帝陛下に弓引くどころか、反徒どもの長となるとは!帝国への忠誠は何処へ失せたか!?」

 明らかに怒りが混み上がっているシャルルとは裏腹に、サラは静かに溜息をつくだけだった。

(相変わらず皇帝への忠誠が熱いな、お父様。酒の趣味も変わっていない。)

 父からの罵倒を落ち着いて聞き流すサラ。

(シャルルも頼んだとおりに黙っててくれてありがたい。私のフォローをしたいのはわかるが、この状況だと喧嘩になりかねない。)

 そう思っていたサラだったが、父のとある発言で突然思考が一瞬停止した。

「貴様なんぞ娘でも何でもないわ!」

「…へ?」

 静かなれど確実に声が出てしまったサラ。

 彼女の傷ついた表情を見たシャルルは、溜め込んでいた怒りが友人への心配へと変わり、サラの父も、娘の表情に気づいたのか、舌打ちをしながら視線を逸らし、残っていたウィスキーを飲み干した。

 深い溜息をつくサラの父。

「部屋はそのままにしてある。持っていきたい物があったら勝手に持っていけ。」

 サラの表情が少しばかり寂しそうな微笑みに変わる。

 無言で階段の方へと足を運ぶサラ。

 その後を追おうとするシャルルだったが、突然サラの父に呼び止められた。

「あんたは残れ。話がある。」


 シャルルの足が止まる。突然の展開にどう対応すべきかたずねようと思ったのか、彼はサラを呼び止めようとした。しかし、当のサラは既に上の階へと消えていた。

 思わず溜息を漏らすシャルル。

 その光景が少しばかり面白いとでも思ったのか、サラの父親が静かに苦笑する。

「あんた、イルファン家んとこの坊ちゃんかい?」

 よろよろと立ち上がろうとするサラの父親がやつれた声でシャルルに問う。

「…え?」

 一瞬シャルルが戸惑うが、目の前の中年は気にせず棚から新しい酒の瓶を取り出した。

「あいつから色々聞いている。士官学校では世話になったらしいな。」

「…いえ、世話になったのはむしろ自分の方です。」

 シャルルの反論に対し鼻で笑うサラの父。

「それにしても、あいつが賊軍の長とは、やっと反抗期か。」

 黙り込むシャルル。

 サラの家が元々帝国の貴族、しかも相当高位の出だということは知っていた。救済同盟の粛清リストに彼女が名を連ねていたのもそれが理由だ。

 同時に、サラが親孝行の手本のような存在だということも知っていた。今でも書き続ける父親への手紙が何よりの証拠。恐らく、父親の帝国への忠誠心も熟知しているだろう。

 それなのに革命軍に加わるなど、親からしてみれば遅い反抗期と捉えてもおかしくは無い。

「自分の父も、あなたと似たような心境でしょうね。」

「ムフティーの子が社会主義か。たしかに、そりゃあ親にとっては面白くないだろうなぁ。」

 サラの父親がウィスキーを瓶から直接一口飲む。

「…終わったようだな。」

 二階からの物音に反応するかのように発言するサラの父。

「見ての通り俺はぁ酒に埋もれていて警察を呼べん。酔いが覚める前にさっさと失せろ。」

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「おや、今日はお一人なのね。」

 ロッツァ帝国、皇宮入口。

 ポツンと一人で立っていたヴィスラーヴァ・フォン・ハーゼ少尉。

 呼びかけた声の主の方へ振り向くと、そこには馬を引き連れた美男子と数名の護衛らしき人物たちだった。

 苦笑いを浮かべると共に、ヴィーシャはその美男子に敬礼する。

「大公妃殿下。遅れてしまい申し訳ありません。」

「構いませんわ、理由は大体察しがつきますから。」

 そう、この一見美男子に見える人物は、ロッツァ帝国の大公妃マリア・レジーナである。

 同性愛至高者である夫、アルブレヒト大公の気を引くために始めた男装だったが、どうやら自分自身がハマってしまったらしい。

 とは言え、この女性はれっきとした淑女である。

「男子二人の仕事が片付くまで、紅茶を淹れる練習でもしましょう。あなたもそろそろ何処かへ嫁いでもおかしくないですし。」

 再度苦笑いするヴィーシャ。

 当の相手が紅茶では無くコーヒーが好みだということは黙っていることにした。


 一方、女子二人を待たせていた男子の片方は大本営で欠伸を我慢していた。

 殺風景な会議室のような部屋。中央には長い机が一つとその机に見合うだけの椅子、それ以外には何もない。 その机の角にルーカスが座り、斜め反対側の角には自分よりは二十歳前後は年上の将官が座っていた。

 手元にはルーカスにとって見覚えのある書類。

「少佐、実に見事な作戦だ。君みたいな士官がまだ軍にいてくれて嬉しいよ。」

 思わず鼻で笑うルーカス。

「褒めすぎですよ、ストラウス中将。」

 ルーカスがストラウスと呼んだ中年男性は、そう言われるとわざとらしく笑って見せた。

「褒めて当然であろう。ルーベンベルク閣下も卿の提案に賛同しておられたからな。」

 ルーカスの眉毛の片方がピクリと動く。

 帝国国防尚書オスカー・フォン・ルーベンベルク元帥。帝国内において膨大な勢力を拡大させつつある軍国主義者である。近年人気が増長している社会主義、民主主義といった左翼思想に対する反動であった。

 そして、ルーカスの左翼的思考回路を十分認識している人物である。

「で?どこまで『改良』されたんですか?」

 ストラウスが苦笑。

「自分で確認してみたまえ。」

 そう言うと、ストラウスは手元の書類をルーカスに渡す。

「単刀直入に言わせてもらうが、卿が作戦に投入したい戦力は過剰過ぎる。敵は反徒どもの主力では無くただの地方軍閥だ。連中の艦隊を封じ込む必要があるとは言え、前線艦艇のほぼすべてを投入する必要は無いだろう。」

 もう一枚資料を渡されるルーカス。

「これだけでなんとかしろ、と?」

 不満を漏らすルーカス。

「それは卿が心配する必要は無い。既に作戦の司令官の人選を進めているが、卿は艦隊を指揮できるような階級では無いであろう?それに、」

 明らかな上から目線全開の鼻笑いをするストラウス。

「仮にもアルブレヒト大公殿下の『お気に入り』を危険にさらしたくはないのでね。万が一の場合、私の政治人生が終わりかねない。」


「で、結局どこまで戦力を削られたんですか、少佐?」

 夜、大本営の目の前に停められた馬車にルーカスが乗り込む。

「一応想定内だ。海防戦艦一、鋼鉄艦二、巡洋艦四、その他諸々の艦艇を合わせると大体二十隻位。」

「小さい国の海軍一個分位ですね、少佐の提案よりは遥かに少ないですが。」

 馬車の運転手に指示を出した後、迎えに来たヴィーシャも馬車に乗った。

「上手くやれると思いますか?」

「まあ、指揮官次第だろうな。人選のリストを見たが、優秀な提督たちが並んでいてほっとしたよ。」

 背伸びをするルーカス。

「指揮官が本来の作戦目標を見失いさえしなければ、楽勝で終わるかもしれない。すべてがうまくいけば、の話だが。」

「しかし、少佐にとっては残念ですね。」

「…何がだい?」

「直接対決したかったのでしょう?フーリエの提督さんと。」

 ヴィーシャの発言に対し、ルーカスは思わず笑ってしまった。

「否定はしない。しかし、意外と早く自分の出番も出てきそうだ。」

 呆れたような表情を浮かべるヴィーシャだった。

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「平和だな。」

「ね。」

 大陸へ向かう客船の甲板上からのどかな海を眺めるサラとシャルル。

「新聞読むか?」

「いつの?」

「昨日の。出向前に買っておいた。」

 シャルルの手にした新聞紙に視線を向けるサラだったが、軽い溜息と共に視線を水平線へと戻した。

「…やめておく。」

 タバコの箱を取り出すサラ。

「ここ、喫煙場所じゃなかったっけ?」

「それは船の反対側。ここは大丈夫。」

 タバコを咥えながらマッチを探すサラの目の前に小さな炎が現れた。

「どうも。」

「気にするな。」

 再度戻る二人の間の沈黙。

 シャルルが視線をサラの顔に向けた。

 実家と父親を後にしてから、サラの表情は暗めだったが、空元気でうまく誤魔化していた。

 しかし、今は空元気をする気すら薄れてしまったらしい。

 軽い溜息と共に、シャルルが注意を幼馴染から手に持った新聞に向けようとした。

 そんな時、

「昔、王様に一人で喧嘩を売ったバカな男がいた。」

 サラの独り言に近い発言に対し、いきなりどうした、と言いたそうな表情を浮かべるシャルル。しかし、サラは構わず続けた。


「男はとある貴族の坊ちゃんだった。男は子供の頃から王様とは家族だの兄弟だの言い聞かされ、男はそれを信じていた。男は甘えん坊であると同時に積極的だった。男が青年になった頃、王様が死に新しい王様が必要となり、男は我こそはと名乗り出た。

 当然、男は無視され、別の人が王様になった。

 甘やかされるのに慣れてしまっていた男は理不尽にも起こった。男は家の財産をすべてつぎ込み、自ら王になろうとした。

 そしてその反乱は始まる前にあっけなく終わった。男は自分の意志を高々に宣言し、結果警察に寝込みを襲われ捕まった。

 要するに、男の敗因は自分がバカだからだ。

 幸い、その無能さのおかげで大した脅威では無いと思われたのか、男は命を取り留めることができた。その代わりに無一文になったけど。


 すべてを失った男は、ある日一人の女性に出会った。

 平民の娘だった彼女は、世間知らずだったのか、対等な立場の人間として男に優しかった。男もそのやさしさに答えようと努力し、その人柄は徐々に改善した。

 気づけば男は彼女に求婚し、彼女はそれに答えた。しかし、社会、とくに男の家が貴族と平民の結婚を許す訳がなく、結果男は家とのつながりを断絶し女性と共に異国へ逃げた。

 やがて女性は絶命し、再びすべてを失った男は絶望し、最終的には孤独のまましんだ。」


 サラが無意識にタバコの吸い殻を目の前の海に捨てた。吸い殻が水面に命中したころと同時にようやく我に返ったサラは、軽く溜息をついた。

 さっきまでの独り言に対する溜息か、それとも無意識に海にポイ捨てしたことに対してか、はたまたその他の理由か、シャルルはわからなかった。

「…ちょっとトイレ。」

 あからさまに逃げるサラ。その後ろ姿をしばらく眺めながら溜息をつくシャルル。

「何だったんだ、今の?」

 疑問に思うシャルルだったが、考えても仕方がない、気持ちを切り替えよう、と、手持ちの新聞に目を通し始めた。

 一つの記事が目立つ。

「…。」

 見覚えのある名前の死亡通知。

「どうりで。」

 再度サラの向かった方向へと視線を向けると、シャルルはポケットから取り出したタバコに火をつけた。

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二十五枚の手紙

第八章

END

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次回:第九章「In the Concert of Nations」

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二十五枚の手紙 ーTwenty-Five Lettersー カール・アーティー @karl_arty

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