第七章

1899年1月14日

『ペトラ』の露天艦橋から聞こえてくるタイプライターの音が一瞬止まる。

 耳を澄ますと、誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきた。

 視線を階段の方向に向けるサラ。

「おや、差し入れかい?助かるよ。」

 軽い溜息と共にマグカップをテーブルに置くシャルル。

 程よいカモミールの香りが湯気と共に漂う。

「寒くないのか?もう新年とっくに過ぎてるぞ。」

「私は暑がりだからね。この方がいい。」

「いや、そういう問題じゃ無いだろ。」

 マグカップのカモミールティーを一口飲むサラ。

「彼の様子はどうだい?」

 一瞬手が止まるシャルル。

「とりあえず仕事の山を任せておいた。少しは彼の気も紛れるだろう。」

 サラは、お茶をもう一口飲むと、軽く溜息をついた。

 すると、シャルルがポケットから何かを取り出し、それをお茶の中に落とした。

「…砂糖?どんな魔法で手に入れたのかな?」

「秘密。」

 冗談半分に舌打ちするサラに対し、シャルルは軽く苦笑した。

 表情が真面目な物に変わる。

「一応言っておく。責任感が強いのは悪いことじゃないが、このままの調子だと身体に毒だぞ。」

 笑顔のまま表情が暗くなるサラ。

「…ご忠告どうも。」

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二十五枚の手紙

第七章「連邦革命軍宣言」

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1898年12月15日

 時を遡って一か月弱。

 フーリエの周辺を囲う新な要塞、その一つの砲台から一人の老将が目の前に広がる塹壕の迷路を眺めていた。

 半年もかけて築いたこの防御網は、そう簡単には突破できない、少なくとも老人はそう信じていた。

 いや、ただ信じたかっただけなのだろうか。

 ふと、自分の状況を思い返した老人。

 帝室に反旗を翻した輩を討伐すべく艦隊を出陣させたと思いきや、いまや反徒を指揮する将軍となっていた。

「人生、何が起きるかわからぬ物じゃな。」

 そう呟くと、ゼークト提督は苦笑した。

 一人の息子には先立たれ、もう一人には家族の縁を切られていた。そんな中、唯一残った肉親である孫に助けを求められた。

 例え反乱軍に身を投じる事になったとしても、断るわけがなかった。

「提督。そろそろ時間です。」

 声をかけられたゼークト提督が振り向くと、そこには十代後半か二十代前半の政治将校コミッサールが立っていた。

 元々は救済同盟の秘密警察のような役目を担うはずだった政治将校コミッサールたちだが、フーリエ内の軍政組織が大幅に変わったため、度重なる粛清で足りなくなった士官や下士官の穴埋め役と化していた。軍内部での扱いも一般の士官や下士官と同等になった。

 慣れない仕事ではあったものの、彼らは最低限の仕事は確実にこなせ、少なくとも無能ではない。

 人材が不足していたフーリエではそれだけでも大助かりだった。

 今ゼークト提督に声をかけた政治将校コミッサールも、それなりに仕事ができたため提督の副官に選ばれたのだ。

 ポケットの中から懐中時計を取り出すゼークト提督。

「迎えはちゃんと出したのじゃな?」

「はい。護衛部隊も既に待機しています。」

 それを聞くと、ゼークト提督は静かに頷いた。


 サラは慣れない場所に足を運んでしまった。

 足元は船の甲板や街の道路ではなくむき出しの少し湿った土。

 周囲には質素な天幕と土嚢の壁、ライフルを肩からぶら下げる兵士、拳銃をベルトから下げる下士官、サーベルをベルトから下げる士官。

 目の前は塹壕の迷路。

「流石は前線基地だ。想像通り慌ただしい。」

 シャルルの発言に頷くサラ。

 今日は月に一度か二度行われる陸上防衛隊との会議の日。陸で戦う兵士たちにとって、この会議は重要だった。戦闘で足りない物資などを、海上防衛隊に知らせられる機会なのだから。

 しかし、普段とは違い今回は偶然陸上防衛隊の攻勢が行われる日でもあった。

 それ故に、サラは会議のついでに前線の見学に来たのだ。

 会議自体は既に終わり、サラ一同にとっては少しの間の暇つぶしも兼ねての見学。

(「見学」と言う軽い言葉で表現していいのかどうか…。)

 サラが軽く溜息をつくと、数キロ先の砲台が一斉に雷鳴を上げた。

 偶然それは、数ヶ月前に鹵獲された帝国軍の装甲巡洋艦「フォン・ヘッセン」からサルベージされた艦砲を転用したものだった。

(皮肉なものだ。)

 一瞬、サラは視線をゼークト提督の方へ向けた。

 隣の天幕から戦況を双眼鏡越しに観察している。

 提督曰く、「攻勢」とは名ばかりで、実際の所はただの嫌がらせだった。

 この類の攻撃の目的はどちらかと言えば心理的効果を狙った物である。フーリエ軍がただ壁の反対側でうずくまっているだけでは無いと、そう帝国軍に知らしめるため。

「どうした?」

 いきなり声をかけられ、サラは驚きのあまり瞬きをすると、視線をシャルルの方向に移した。

 どうやら不機嫌そうな表情を浮かべていたらしい。

「別に。」

 首を横に振るサラ。

(…この空気はまずいかな。)

「あれ?ユステンセン准尉は?さっきから見当たらないけど。」

「ああ~。」

 苦笑いしながらシャルルが唸る。

「あいつならあそこだ。邪魔しない方がいいと思うぞ。」

 そう言って指差した先には、ユステンセンが女性兵士と話していた。

 綺麗な赤髪のその女性は、空色のスラックスとカーキー色のチュニック、その上には灰色のジャーキンで身を包み、頭には新大陸でありがちなキャンペーン・ハットをかぶっていた。

 見た目から察するに、彼女は以前ミラクから救出した革命軍の生き残り、その一人だろう。

 そんな彼女に、ユステンセンが何やら小包のような物を渡した。

「彼、自分から女子を口説くタイプの人だっけ?」

「ただの荷物の受け渡しだろ。まあ、あの二人は理由を見つけてはちょくちょく会っているらしいけど。」

 視線をシャルルに戻すサラ。

「あ、いや、仕事に支障は出て無い。むしろやる気が出て効率が上がってるようだ。」

「ふ~ん。」

 視線をユステンセンたちに戻したサラの表情は、また暗いものに戻っていた。

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「とりあえずこんな感じか。」

 呟きながら軽く背伸びをするサラ。

 目の前の机には数多くの地図とメモや書類がばらまかれ、手元には雑に書き込んだノートがあった。

 いつもの作戦提案と報告書。

 本来、このような仕事はサラでは無く作戦参謀、或はそれに似た役職の人物が行うのだが、フーリエ軍の相変わらずの人材不足の結果がこれである。

 今回書き記した作戦内容を要約すると、陸上防衛隊は現状のまま籠城し、主力艦隊はこのまま現存艦隊主義フリート・イン・ビーイングに基づき港にとどまり、巡洋艦隊の大半は引き続き輸送船団の護衛任務を続ける。

 ここまではこれまでとほぼ変わらない。

 籠城戦を保つ一方、同時に外交と情報戦で攻勢に出る。これが一番の方針の変更点である。

 ある意味ではアルシャールで行った事と同じものを何度か繰り返すのが目標だった。

 しかし、大きな問題が一つあった。

「金が無い…。」

 溜息交じりに言葉を漏らすサラ。

 アルシャールに投資した五十万グルデン、決して安い買い物ではなかった。

 このような出費を何度も繰り返せば財布が痛むに違いない。

 政府首脳部は一方、食料や飲料水の配給、武器弾薬の補充、兵士たちの給料と保険金などに予算を回したいらしく、諜報や政治工作に金を使う許可は恐らく下りないだろう。

(でも断る理由も真っ当だからなぁ。補給と給料は重要だし。)

 軽く溜息をつき時計に視線を向けるサラ。

「…直接訊いてみるか。」


 一瞬サラは立ち止った。

 初めて訪れるフーリエの遊郭は噂通り明るかった。昼間にもかかわらず来客が多いようだ。

 遊郭とは言え、みんながみんな性的な楽しみを求めて来るわけではない。少なくとも昼間に来る人の中には料理などが目的の人も多々いる。食料の大半が配給制になった今でもそうだ。

 実際、サラが一人でここに来た口実も久しぶりの外食を楽しむためだった。

(それでもこんな所には普通来ないだろうなぁ。)

 自分の行動に少し呆れたのか、サラは溜息をつきながら遊郭へと足を踏み入れた。

 目的地までの道は良い意味で予想外だった。

 場所が場所だけに、酔っ払いや下心満載の輩に絡まれると心配したサラだったが、その様なことは一度や二度で済んでしまった。

 艦隊司令官だと気付いて遠慮されているのか、或は負傷した右腕に気付き手を出す気になれなくなったのか。

 どちらにせよ、目的の店にたどり着くとサラは一度周囲を確認してからドアを開けた。

 ドアに付いていた鈴の音が微かに聞こえる。

(流石に一階にはいないか。)

 この店は二階建てで、一階は一見普通の飲食店だった。

 露出面積の多い店員たちを除けば。

「あら、いらっしゃい。」

 店員の一人がサラに声をかけると、カウンター席に案内された。

 カウンターの反対側にはバーテンダーの女性がサラを見ると軽く笑った。当のバーテンダーは他の店員とは違い男装。

(料理と酒専門かな。)

 そう考えていると、一瞬視界に見てはいけないものが移った。

 思わず視線を逸らすサラ。

 それはカウンターの裏に隠してあった、軍でも数少ない高級装備、自動拳銃だった。

(…見なかった事にしよう。)

 とりあえず紅茶と焼き魚を頼むサラ。

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 一方、サラが外出している間、『ペトラ』の作戦司令室でシャルルが目の前の書類と格闘していた。

 そんな彼だったが、結局はサラと同じ結論にたどり着いていた。

「金がねぇ~。」

 ついに諦めたのか、思わず手に持っていた書類を机の上にまき散らすシャルル。

 ふと見覚えのある人物が通りかかった。

「ん?おい、ユステンセン。」

 いきなり呼び止められ、びっくりした表情をこちらに向けるユステンセン。

 見てはいけないところを見られたのか、多少焦っている。

「…デートか?」

 一気にユステンセンの顔が真っ赤に染まるのを確認したシャルルの表情は呆れたようなものに変わった。

 大方、あの赤髪の女性兵だろう。

 溜息をつくシャルル。

 今日はユステンセンを含めた一部の兵士たちの休日。自由行動をしても軍法上問題無い…はず。

「帰ったらたんまり仕事用意しとくからな。」


『ペトラ』の作戦司令室に誰かがひょこっと顔を出す。

「あれ?先輩まだ戻っていないんですか?」

 シャルルが書類から視線を上げると、そこにはリリーが立っていた。ほぼいつも通りイブラヒムを連れている。

 改めて溜息をつくシャルル。

「ああ。まったく。仕事ほったらかしにして何処うろついているんだか。」

「一応、私たちがここ来る途中で会いましたよ、先輩に。お兄ちゃん探してました。」

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「あ。やっべ。」

 サラが注文した焼き魚を丁度食べ終えた時、二階から見覚えのある人物が一人の遊女を連れて現れた。

 その人物は堂々と軍服姿でカウンター席に座るサラを見て、徐々に顔が青ざめていく。

 一方、サラはそっと紅茶の入ったマグカップをカウンターに置き、視線を例の人物に向けた。

「勤務中に随分と楽しんだようですね、ジークさん。」

「あ、いや、これは…!」

 ジークがあたふたする間溜息をつくサラ。

「安心してください。説教は人目のつかない場所でやりますから。」

「結局説教する気満々じゃないか!」

 このやり取りに対しジークの連れの遊女らしき女性がクスクスと笑った。

「でしたら是非私の部屋を使ってください。どれだけ叫んでも外には聞こえませんから、思いっきり叱ってやっていいですわよ。」

 恐怖した表情を彼女に向けるジーク。

「え?デルフィー?嘘だよね?ね?」

 ジークの問いに対し、遊女のデルフィーは無言の笑顔で圧をかけるだけだった。


 香の香いが漂う部屋の鍵がガチャっと閉まる。

 それを確認したジークは軽く溜息をつきながら近くの椅子に腰かけた。

「さて、こんな芝居を打ってまで訪ねて来た理由は何でしょうか、司令官殿?」

 先ほどまでの動揺はほとんど消えている。

 一瞬サラの視線がドアの近くに立っていたデルフィーを向く。

(あの人がいるのに堂々と言っている。なるほど。この店もスパイ網の一部か。)

 薄々気付いてはいたが、フーリエの諜報網があれほど広範囲かつ迅速に組織化できたのには訳があった。

 つまり、フーリエの諜報網は自ら作り上げた物では無く、既に存在する物を利用してできたのだ。

(休眠させていた組織を再起動したのか。それとも別の誰かから譲り受けたのか。)

 恐らく後者だろうと思ったサラだが、今はそのようなことはどうでもいい。

 サラも近くの椅子に座り込む。

「実は、活動資金を提供してくれそうな団体や組織を何個か調べてほしい。」

 ポケットからメモを取り出すサラ。

「活動資金ねぇ。」

 サラのメモを手に取りながら呟くジーク。

「…あ、そう言えば。」

 サラからのメモをデルフィーに手渡すと、ジークは何かを思い出したそうな表情で視線をサラに向けた。

「活動資金と言えば、最近奇妙な情報をつかんだ。」

「奇妙?」

 眉を片方上げるサラ。

「ああ。植民地守備隊と反帝同盟の一部に大陸からの金の流れが確認された。少量だが武器弾薬も流れて来てる。」

 ジークが鞄からファイルを取り出しサラに手渡す。

「大陸から?余程の暇な金持ちもいたもんだね。」

 そう言いながらサラは手渡されたファイルに目を通した。

 が、流れている資金の金額を見て一瞬手が止まった。

「最大で六百万リーブル…!?」

 帝国の通貨に換算すれば約五百万ギルデン。フーリエがアルシャールに渡した額の十倍である。

(こりゃ一個人や団体がやすやすと差し出すような金じゃないな。となると、)

 軽い溜息と共にファイルをジークに返すサラ。

「金の出所、多分フランカ共和国の国庫だろうな。通貨といい金額といい。三十年近く前、帝国に敗戦して以来ずっと復讐の機会を待っているらしいしな。」

「だろうな、確実な証拠はまだ無いが。」


 サラのジークに対する「説教」が終わり、店で偶然見かけた海上防衛隊の士官たちに冗談半分の忠告をすると、サラは『ペトラ』への帰路についた。

 片手に持ったフィッシュアンドチップスを定期的に食べながら考え込むサラ。

 無意識に表情が若干暗くなる。

 フランカ共和国とロッツァ帝国は、両国の誕生以来不仲な関係であった。

 フランカは、十九世紀中盤から王政から帝政に変化し、世界中にその影響を広めようとしていた。

 当然その野心は大陸で勢力を拡大しつつあったロッツァ帝国と対立し、1869年に国境紛争が勃発し、翌年には全面戦争となった。

 その戦争はロッツァ帝国の圧勝で終わり、その勝利はロッツァ帝国の半世紀以上に渡る軍制改革の集大成とも言われた。

 対してフランカでは、敗戦の責任を問われた帝室は解体され、新たに共和国として生まれ変わった。

 新政府はそれ以来、復興主義と復讐心に導かれながら大規模な軍制改革と軍備増強を開始した。

(また状況が一変するだろうな。)

 そう考え込んでいる内に、サラは『ペトラ』の下にたどり着いた。

 軽い溜息をつくサラ。

「…忙しくなりそうだ。」

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 サラの予言はほどなくして現実となった。

 1898年12月31日、0100時。

 ドライズラント東部の街パラーダを中心に、反帝同盟傘下組織の大半と植民地守備軍の一部が占領する地でクーデターが起きた。

 地元組織のリーダーたちは粛清され、政治・軍事拠点は全て占拠され、資産なども全て没収された。

 翌日の1899年1月1日、「大元帥」を自称するアブデュル・シャリフ・ゲルツ氏が新に「ドライズラント連邦」の建国と、その新国家の軍政を司る組織「連邦革命軍」の設立を宣言した。

 連邦革命軍の目的は、どのような政治的目的以上にドライズラントの独立の実現だった。

 ゲルツ大元帥が演説した「連邦革命軍宣言」曰く、「専制か民主制か。社会主義かスーラ主義か。これらの問題は重要ではあるが、解決するのは独立を果たしてからでも遅くは無い。それらを自由に決められるのが独立国家のみに与えられる特権であり、戦争に負ければそのような論争すらできなくなるであろう」とのこと。

 更に、これらの解決は軍の仕事では無いと主張し、戦後は連邦を文民統制に戻す事を同宣言で固く誓った。


 連邦の新な国旗となった「十字月星旗」の下に集った連邦革命軍の戦力は、歩兵、騎兵、砲兵、工兵などを合わせ、総勢八十五万前後と、数では対する帝国軍を圧倒していた。

 特に帝国にとって厄介だったのは、これまでは良くて烏合の衆、悪くてバトルロワイアル状態の反帝国勢力が、一つの組織に統合された点であった。

 植民地反乱の鎮圧がいつの間にか正規軍同士の衝突に発展したのである。今まで頼っていた各個撃破戦法は無効となり、帝国軍は新な作戦を立てなければ行けないだろう。


 連邦革命軍は、取り込んだ軍事組織などを再編成し、帝国軍を迎え撃つため広大な防衛線を構築し、そこに展開していた前線部隊は大きく五つに分けられていた。

 南方前線には、ディートリヒ・ラング中将の第二方面軍五個師団。

 中央前線には、ムスタファ・ヘフナー中将の第一方面軍七個師団。

 北方前線には、ミハエル・ノイマン中将の第三方面軍四個師団。

 更に、フランカから到着したドライズラント人義勇軍も参戦していた。軍服の色から「青の軍勢ブラウ・アルメー」と呼ばれた彼ら二個師団は、第一方面軍と第三方面軍の間に展開されていた。

 しかし、フーリエにこもっていたサラたち含め、ドライズラント中を驚かせたのは、スルタン・セリム二世が連邦革命軍に参加し、配下のイェニチェリ三個師団を「スルタンの軍勢アルメヤ・スルターヌム」として第一方面軍と第二方面軍の間に展開したことであった。


 それらの情報が記載された書類と新聞紙から目を離すと、サラは溜息をついた。

「連邦革命軍宣言」の報がフーリエに伝わったのは、一週間後の事である。

 流石にここまで大きく状況が変わるのは予想外だった。

 アルシャールが連邦に参加したため、多くのスーラ系勢力も連邦革命軍に参加した。

 同時に、反帝同盟に対立していた組織や一部植民地警備隊や信帝組織も連邦革命軍に参加。そもそも彼らが反乱勢力に対抗したのは、反帝同盟の首脳部が政治の腐敗の根源と思われていた旧植民地政府が衣替えした物と認識していたからである。連邦革命軍がこれを一掃してくれたため、独立に反対する理由も無くなった。

 要するに、ドライズラントの勢力図が帝国と連邦の二色に色分けされつつあり、フーリエも旗色をどちらと揃えるか迫られていた。

(帝国につくのは今更無理だろう。かと言って連邦とやらに参加するのもなぁ。)

 サラ個人としては、どうも連邦政府の首脳部が信用できずにいた。彼らがフーリエの海軍力を手に入れたとして、恐らく帝国海軍との決戦に臨もうとするだろう。特に今現在、彼らを支持するものが多いとは言え、何も戦果が無い以上その支持は固いとは言い難い。その支持を集めるために早まって艦隊決戦に突入したりしたら、惨敗に終わるであろう。

 確かに、直接的にそのような戦闘で兵たちを死なせるのは他人の責任になるが、その他人に兵を委ねたのはサラで、そうなれば結局サラが彼らを殺すことになるのでは?

 無意識に煙草を一本取り出すサラ。

 すると、隣からマッチに火が付く音が聞こえ、目の前に小さな炎が現れた。

 一瞬視線をマッチの持ち主に向けると、サラは遠慮なくその炎で煙草に火を付けた。

「…いつ上がって来たんだい?」

 そう問われたシャルルは少し呆れた表情で自分の煙草に火を付けた。

「さっきだ。聞こえなかったか?」

 サラが首を横に振ると、シャルルは軽く溜息をつきながら近くの椅子に座った。

「駐留艦隊を最大の警戒態勢にしておいた。こんな大事が起きたんだから、お前ならきっと何かしら動くだろうな、と思って。」

「ふ~ん。まあ、考えが無い訳では無いけど、うちのトップが納得するだろうか。」

 紅茶を一口飲むサラ。

「そうだ。以前頼んだあれ、出来上がったかい?」

 一瞬きょとんとした表情になるシャルル。

「ん?ああ、あれか。一応完成はしているが、まさか今使うつもりなのか?」

 頷きながら紅茶の入ったマグカップをテーブルに置くサラ。

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 1899年1月13日の朝は晴天であった。

 前日は少々雪が降り、地面にはそれが薄く残っていた。

 しかし、その朝の静けさを無数の雷鳴が打ち壊した。

 砲撃は連邦革命軍第三方面軍・第17師団の火砲からで、目標はシュルンテルンという沿岸都市を守る帝国軍の防御陣地だった。

 この時、連邦軍の砲撃は大小の野戦砲計十二門で行われ、その直後に歩兵が一気に敵陣目掛けて突撃を開始した。

 しかし、帝国軍の防御陣地に対する野戦砲の効果はいまいちで、連邦軍の歩兵部隊は生き残っていた帝国軍の機関銃の餌食となった。

 宙に舞う鉛の壁が連邦軍の兵士たちの体を引きちぎる。

 それでも彼らは進む。気がつけば、もう銃剣の届く距離までたどり着いていた。

 一瞬、帝国軍が防御陣地から押し出されるが、追撃する余力も消耗してしまった連邦軍は結局押し返されてしまう。

 地面の雪を赤く染める事以外、成果は無し。

「これで二度目か。馬鹿どもめ、なんて無駄遣いを。」

 連邦軍の醜態を目の前に、シュルンテルンを守っていた帝国軍の指揮官は溜息交じりに呟いた。

 自軍の六千五百前後の兵力に対し、敵は今対峙している連邦軍第十七師団だけで約八千。差し向けられるかもしれない増援を含めればもっとだろう。

 防戦するだけで精一杯だった。

 指揮官が次の一手を考えていた途中、一人の兵士が彼の下へと駆け寄って来た。

「閣下、補給部隊の入港が完了致しました。」

「そうか。助かった。これで籠城戦になったとしても半年は持ちこたえられそうだ。」

 一瞬安心する指揮官だが、突如として鳴り響いた爆発音でその安心感はぶち壊された。

「もう敵の第三波が来るか!」

 指揮官は防戦の命令を出そうとするが、その前に何やら炭だらけの兵士が駆け込んで来た。

「閣下!艦砲射撃です!敵の艦隊が砲撃を!」

「なんだと!?沿岸砲台は!?反撃はどうなっているか!?」

「敵の一斉射目で砲台のほとんどは壊滅!残された砲は射程が届かず反撃できません!」

 指揮官は呆然とするしかできなかった。

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 フーリエ艦隊からまた砲煙が上がる。

 今回の出征に参加した主力艦は『ペトラ』と『ツァハラ』だけで、随伴には護衛の艦艇数隻と輸送船が数隻のみであった。

 目的はちょうどシュルンテルンに入港した帝国軍の補給物資の奪取。

 少なくとも表向きはそうだった。

 本当は政治的な目的だった。連邦軍に協力し、味方であるとアピールする。さすればある程度の支援、或はそのための交渉を有利に持ってくる材料が期待できる。

 重要なのは、あくまで協力という立場であった。直接連邦軍の一部になるつもりは無い。

 うまく行けばこの先漁夫の利を得て反帝国運動を乗っ取る事も可能になるかもしれない。少なくともそれがドクトルの考えだった。

 サラ個人としては、ついでに新兵器や技術のテストも兼ねての作戦であった。

「『ルフ』より入電!修正指示です!」

 その報告を聞くと、サラは無意識に上空を見上げた。

『ペトラ』の左舷を航行していた武装船、その上に何かが浮かんでいるのが見えた。

 気球である。

 偵察や弾着測定に気球を使うのは決して新しい考えではなかったが、艦隊がそのために気球を連れまわるのはあまり聞く話ではなかった。

 気球のゴンドラには小さな電信機が取り付けられ、下の船と繋がっていたワイヤーを通して修正指示を送る。その任を任されたユステンセンは緊張で電文を打つのが精一杯だった。

 人生初の空の旅がこのような形になるとは思いもしなかっただろう。

「凄いな。予想以上に砲撃の有効射程が伸びたぞ。艦隊戦に投入したら絶対有利に戦える。」

 砲撃の成果を眺めながらシャルルは口にした。

 苦笑するサラ。

「いや、まだまだだね。気球自体はともかく、牽引してる船は敵にとっては格好の的さ。」

「戦艦で牽引すればいいだろ?」

「君は戦艦の甲板の上にあれのための水素ボンベを置くつもりかい?」

戦闘中に水素満載のガスボンベが被弾した場合を想像したのか、シャルルは一瞬黙り込んだ。

「…そろそろ出すか?」

「ん。頼む。」

 上手く話題を逸らすことに成功したシャルルは、軽く溜息をした後、輸送船に命令を打電するよう部下たちに伝えた。

 しばらくすると、輸送船群の影から小舟のような船舶が煙を吐きながら海岸へと進んで行った。

 民間のバージに百馬力前後の蒸気機関を取り付けた自家製の揚陸艇は、三十人強の海兵隊員或いは360㎏の物資を約六ノットの速度で運ぶ。

 揚陸艇が上陸作戦で用いられたのは決してこれが初では無い。十七年前、新大陸で敵への攻勢をかけるため揚陸艇を使った上陸作戦を用い、大勝した国があったと言う。しかし、サラがこの事実を知らなかったため、今回の作戦で用いられた揚陸艇は、彼女の独創から生み出されたと考えていい。

 揚陸艇の底が海岸の砂浜にぶつかる。

「よし!行くぞ!」

 ヨセフを先頭に海兵隊員たちが揚陸艇から飛び出し、敵の砲台陣地目掛けて突撃を開始した。

 それを見て恐怖したのか、沿岸砲台を守る兵士たちが次々と降伏或は逃走する。

 決着は予想以上に早く、あっけない幕切れとなった。


 一方、帝国軍の指揮官は徐々に追い詰められていた。

 フーリエ艦隊の砲撃を好機と捉えたのか、連邦軍も再度攻撃を開始したのである。

 三度目の突撃。連邦軍の兵士たちが肉弾の届く距離まで必死に進む。

 塹壕の中で激しい白兵戦が繰り広げられ、血が川のごとく流れる。

 そして、帝国軍は徐々に市街地へと逃げた。

「…やはり無理か。」

 ため息交じりに呟く指揮官。

「撤退させろ!街の東部分は放棄する!川を挟めばもう少しは楽になるだろう。」

 しかし、命令を出した直後、息を切らした伝令が駆け込んで来た。

「閣下!海から上陸して来た敵に沿岸砲台と港を奪われました!」

「なんだと!?物資は!?」

 首を横に振る伝令。

 怒りのあまり近くの机を殴りつける指揮官。

「…仕方が無い。物資が無ければ餓死するだけだ。街から撤退する!完全に包囲される前に引き上げるぞ!」


「逃げてくれたか。敵さんも決断力があって助かる。」

 フーリエの海兵隊員が帝国軍の捕虜を連行するのを眺めながら、ヨセフは呟いた。

 艦砲射撃から数時間、街のほとんどはフーリエの兵士が抑えていた。街の至る所に逃げ遅れた帝国軍の残党が残っていたが、帝国軍の主力は南西方向へと逃げて行ったらしい。

 実際、彼らにはこの街を占領するだけの戦力を持ち合わせていなかった。港の物資と沿岸砲台の火砲の奪取が限界である。

 しかし、街を連邦に自主的に引き渡せば、今後の交渉を有利に運ばせることもできるかもしれない。

 それがサラの考えであった。

 一人の海兵隊員がヨセフの下へと駆け寄る。

「隊長!大変です!街の東側から民間人が押し寄せています!逃げ遅れた敵兵も!」

「まだ抵抗している連中が居るのか?」

「いえ、我々を頼って逃げて来たようです。敵兵も同じく。」

 困惑するヨセフ。

 だが、考え込むうちに表情が徐々に恐怖したものと変わる。

「…まさか!?」


 海兵隊員たちが街の東西を繋ぐ橋で民間人を誘導し始めた。

 炎の熱と煙の臭いがここまで伝わってくる。

 ヨセフの予感は的中し、シュルンテルンの東側は火の海と化していた。

 民間人を誘導する兵士たちの中に帝国軍の兵士たちの姿も見える。

 恐らく、この時点で証拠は何一つ無いが、火事の原因は東側を攻めていた連邦軍だろう。

「とんだ面倒事を押し付けてくれる。消火作業だ!艦隊にも応援を頼む!急げ!」

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 フーリエに丁度戻った『ペトラ』の露天艦橋から景色を眺めるサラ。

 シュルンテルンの火事は結局丸一日続いた。

 ヨセフの書いた事後処理報告曰く、放火の原因は略奪暴行を働いた連邦軍の一部兵士で、火事が治まると犯人らは公開処刑された。

 恐らく今頃、連邦軍は本来の目標であるペッシェへと進軍しているであろう。

 狙いの目標は全て達成され、フーリエ艦隊は奪取した武器、弾薬、兵糧、人員などの戦利品と共に帰路についた。

 入港作業が終わったのは丁度数分前である。

(ん?)

 陸上防衛隊の兵士らしき人物が焦りながら『ペトラ』に乗艦するのが見えた。

 その兵士は、偶然通りかかったユステンセンを見かけると、彼を呼び止め、何やら必死に何かを説明していた。

 表情が徐々に青ざめるユステンセン。

 兵士の話を聞き終えずに、ユステンセンは艦を飛び出した。

 無意識に煙草の箱を取り出すサラ。

 状況は大体察しが付いている。

(…私のせいだろうな。)

 そう思いながらサラは煙草に火を付けた。

 露天艦橋への階段から足音が聞こえる。

「陸軍の連中から報告が届いた。読むか?」

 手に持った書類をパタパタさせながら訪ねるシャルル。

「戦闘報告だろう?」

「…なぜ分かった?」

 サラはシャルルに答えず、何かを確信したのか溜息をついた。

「そこら辺に置いておいてくれ。後で読む。」

「…」

 サラの複雑そうな表情を同じく複雑な表情で眺めるシャルル。

 シャルルの溜息が露天艦橋の静けさを中和する。

「茶でも淹れて来る。何がいい?」

「カモミールティーで。」

「いつもの紅茶じゃなくていいのか?」

「今はその気分じゃない。」

 もう一度溜息をすると、シャルルは露天艦橋の階段を下りて行った。

 それを静かに眺めるサラ。

(まったく、最近の勝利の後味は妙に苦い。)

 とは言え、その理由をサラは身をもって知っている。

(でも。)

 煙草の煙を口から噴くサラ。

(それでも。)

 一瞬、我に返ると、サラは静かに苦笑した。

「さて、後どれくらい耐えられるかな?」

 他人事のように呟くサラだった。

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二十五枚の手紙

第七章

END

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次回:第八章「親子の戦争」

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