第六章

1898年12月1日

「雪?」

 タイプライターの上を走らせていた手を一旦止め、空を見上げるサラ。

 周りに広がる光景は見覚えの無い街。周囲には煙が上がっている場所も多い。

 まだ火薬の匂いが鼻に残っている。

 手元には初めて飲むブレンド茶。寒い季節にちょうどいい。

「…外に残ると紙が濡れちゃうな。」

 そう言いながら、サラはタイプライターを片手で片付けはじめた。

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二十五枚の手紙

第六章「アルシャール」

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1898年11月20日

 アルシャール・スルタン領の首都アブダルケントにて、王宮への道を一人の男が歩いていた。

 スカーレットのスラックス、真っ黒な革のブーツ、その上にミッドナイトブルーのチュニック、頭にはスラックスと同じくスカーレットのフェズ帽。

 その男は、服装からしてみれば何かしらの士官だと思うであろう。

 しかし、この男がアルシャールのスルタン、セリム二世であると思いつく人はそう多くない。彼を尾行していた背広姿の二人組も、上からの情報が無ければ気付いていなかった。

 スルタン・セリム二世が何やら酒場の前で立ち止まる。

 一瞬、尾行がばれたのかと焦った二人組は急いでたわいもない会話を始めたが、再度尾行対象の方を向くと彼は酒場へと足を踏み入れていた。

 急いでスルタンの後を追う二人組だが、店の中に入ると、一面が軍服姿の青年たちで賑わっていた。

 どれがスルタンか見分けがつかない。

 困惑する二人だが、本来観察する側の立場である彼らもまた観察されていた。


「残念だな。お前らの面は当の昔に割れているんだ。」

 尾行されていた張本人、スルタン・セリム二世は少し笑いながら呟いた。

「それはそうですが、監視の目がまだついていることをお忘れにならないでください、陛下。」

 セリムは、説教する声に苦笑すると、覗き穴を塞いだ。

「で、結果はどうかね、アハメド・パシャ?」

 問われた背広姿の男、カルタル・アハメド・パシャは、まん丸の眼鏡の位置を直す。

「はい。現在、即実戦投入できる戦力は、地方警察、国境警備隊、陛下に従う貴族の私兵、そして陛下直属のイェニチェリを含め、二万強に達します。実際に戦争に備え、兵力を総動員すれば四十五万の大軍が使用可能になります。ですが、」

「兵を動員する時間はない、か。」

 溜息混じりにセリムが言う。

「おっしゃる通りです、陛下。」

 何やら考えこんでいるのか、不満そうな表情で近くの椅子に腰掛けるセリム。

「総動員が完了するまでどれぐらいかかる?」

「早くて半月でしょう。」

「一週間では?」

「五万が限界かと。」

「ならぬ。」

 テーブルを軽く手で叩くセリム。

「一週間で総勢十二万の兵を動員できるようにするのだ。それぐらいの数が無くては、敵に太刀打ちできないであろう。」

 敢えて「敵」が誰を指していたのかは言わないセリムであった。

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「お帰りなさいませ、旦那様。本日の昼食はいかがしましょう?」

 屋敷に戻ったアハメド・パシャは、玄関でコートを脱ぐなり執事にそう問われた。

「いや、必要ない。もう少ししたら王宮で仕事をすることになっている。食事は外で済ませておく。」

「かしこまりました。」

 アハメド・パシャのコートを手に取り近くのハンガーにかけようとすると、ふと何かを思い出したように執事は立ち止まった。

「そうでした。旦那様、今朝お出かけになる直後、旦那様宛の手紙が届きました。差出人が書かれていなかったので怪しいと思ったのですが、旦那様への手紙を勝手に開けるのも無礼かと思い放置しておいたのです。」

「手紙だと?はて。」

 明らかに心当たりのないアハメド・パシャ。

「今どこにある?」

「こちらでございます。」

 薄茶色の妙に分厚い封筒をパシャに手渡す執事。

「爆弾ではなさそうだな。」

 手で軽く持ち上げながら重さを計るアハメド・パシャ。

「ナイフをお持ちいたしましょうか?」

「いや、その必要はない。」

 そう言うと、彼は素手で封筒を開け、中の手紙を取り出した。

「ん?これは…!」

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「ヴィンスタイン・パシャ、これをどう説明してくれるのかね?」

 セリムは不機嫌だった。

 挙兵するための準備に手間取っているから、と言われれば本人は否定しないだろう。しかし、今回は手元にある新聞の記事に対しての気持ちだった。

 記事は帝国の植民地警備隊による虐殺行為が書かれていた。この戦争において、民族、宗教、階級などを火種とした虐殺は珍しくはなかったが、帝国軍によるその行動が帝国の新聞に載ったことがこの事件の異常さを示すであろう。

 新聞曰く、ルドルフ・オスターリンクなる植民地警備隊の士官が指揮する部隊は、帝国軍の「警察行動」の一部としてドライズラント西部のガルタシュ地方の治安回復を任された。ガルタシュには潜伏するゲリラが多かった。これに対してオスターリンクは、ゲリラと思われる者、あるいはゲリラと協力関係にあると思われるものを拘束し、尋問、時には拷問、そして申し訳程度の裁判の後その場で処刑すると言った過激な方法で対処した。

 これによる犠牲が千名以下にとどまっていれば、帝国のメディアは取り上げることなく、戦後のどさくさでもみ消されていただろう。

 しかし、この事件による犠牲が余裕に万単位で数えられてしまった為、帝国でさえ無視できない状況になっていた。

「ご心配には及びません、スルタン。あれは一人の士官が任務を過剰に捉えただけです。我が帝国は名誉ある文明国であり、必要以上の暴力は振るいません。」

「ほう、外れ値だと申すか。」

「はい。」

 セリムに対するヴィンスタインの返事は、この事件に対する帝国の公式見解と同じであった。

 過剰。例外。外れ値。

 このような残虐行為が普通行われていないと言うアピール。

 しかし、スケールはもう少し小さくとも、虐殺や略奪が双方によって日常茶飯事だと言うのは逃れようのない事実である。

 そして、セリムもそれを知っていた。

「しかしだが、ヴィンスタイン・パシャ。我が領内に難民が殺到し、反乱軍の存在もあって領内の治安維持が困難になりつつある。これをどうにか解決したものだ。」

「では、治安維持のための兵を増やすがよろしいかと。私が本国に頼んで部隊を派遣させましょう。」

 片方の眉をピクリと動かすセリム。

「なんと!帝国からの増援とはありがたい。しかし、現在西部にて暗躍するゲリラの鎮圧に忙しく、反帝同盟を名乗る烏合の衆に手こずっている帝国軍が、我が領内に兵を駐屯させるだけの余力があるとは思いませんでした!」

 ヴィンスタインの笑顔が一気に崩れる。

「そ、それは…。」

「汗を拭きたまえ、パシャ。せっかくの立派なスーツに染みが付きますぞ。」

 一瞬、セリムが軽く深呼吸すると、彼はようやく本題に入った。

「であるから、我が領内の治安維持のため、我がイェニチェリの造兵を行うこととする。帝国政府にはそれを承知して頂きたい。」

 明らかに驚いたヴィンスタインは、汗を拭くために使っていたハンカチを思わず落としてしまった。

「スルタン!それでは!」

「理由は他にもある!」

 そう言うと、セリムはヴィンスタインの足元めがけて新聞を投げつけた。

「このような事態を我が領内で起こしたくない。帝国政府はともかく、軍は信用できそうにないからな。」

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 セリムは困惑していた。

 帝国政府の代表との会見の後、セリムはアハメド・パシャに呼び止められ、兵力拡大の難を解決したと言ってきたのである。

 ありがたい展開ではあったものの、こうも早く解決するのは怪しい、そう思うセリムだった。

 実際、翌日アハメド・パシャの邸へ足を運ぶと、宛先の書かれていない封筒を渡された。

「封筒の中身は、手紙と約五十万帝国グルデンの銀行券でした。しかも、手紙に書かれた場所へ向かうと、このようなものが埋められていました。」

 アハメド・パシャはまだ少し土のついた箱を開けると、中から銃を取り出した。

 それはレバーアクション式の連発銃で、弾薬には最新式の無煙火薬が使われていると言う。

 セリムがその銃を手に取る。

「こいつが千丁も…。」

 更に解せなかったのは銃と共に箱に入っていたメモだった。

「『ご自由にお使いください。フーリエより願いを込めて。』」

 小声でメモの内容を口にするセリム。

「信じられん。あの社会主義者どもが我々に手を貸すとは。」

「私もそう思ったのですが、奴らと我々の利害関係が一致するのも事実でございます。」

「それもそうだな。で?戦力はどのくらい増える?」

「即戦力は三万五千前後。一週間で八万弱動員できます。これに加え陛下直属のイェニチェリを増やせばよろしいかと。」

 セリムは少し考え込みながら近くの椅子に座り込んだ。

「…パシャ。」

「はい、陛下。」

「決めた。開戦の準備をせよ。」

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 アルシャールが独立を宣言し、帝国の資本を接収し始めたとの情報は、瞬く間に広がった。

 しかし、この情報が帝国から出発した船団に伝わったのは11月27日のことである。

 船団は、十数隻の輸送船と数隻の護衛艦で構成され、帝国とアルシャールの仲介役であったヴィンスタインの要請により派遣された。

 故に、この船団に輸送されていた一万強の軍勢は治安維持のためにアルシャールに駐屯するのが目的だった。

 しかし、その駐屯先がなくなってしまったため、彼らの任務は変更となった。

 その命令書を、駐屯部隊の指揮官が怒りのあまり握りつぶす。

「『ナッヒイェヴァンの港を橋頭堡とし、アルシャールの首都を攻略せよ』だと!?簡単に言ってくれる!上陸作戦の準備すら一切してないんだぞ!そもそも、一個師団だけで一国倒せると思っているのか、上層部の老い耄れどもは!?」

 その「上層部の老い耄れども」の中には皇族も含まれているため、この発言は不敬と捉えられてもおかしくなかったが、それを指摘しようとした部下は一人もいなかった。上層部への偏見はさておき、いきなり下された命令への不満に関しては皆同意見だったからであろう。

「司令、どうするおつもりですか?」

「決まっている。上陸戦の準備だ。最低限作戦とかはなければどうしようもないからな。」


 時を同じくして、船団の護衛艦隊の旗艦『ヴィッテイン』の艦長は返って上機嫌だった。

 護衛艦隊の中核は『ヴィッテイン』を含む四隻の鋼鉄艦だった。数年前に改修作業が行われていたとはいえ、結局のところは旧世代の艦艇。本来なら前線での配備など期待できないはずだ。

 しかし、本来の目的地であったアルシャールが蜂起したことで、状況は変わった。

 高笑いする艦長。

「こいつはいい!ついに私にも吉が回ってきたようだ!」

 周辺に立っていた副官などが困惑していると、艦長はさらに続けた。

「わからぬか貴様ら?前線だぞ!実戦だぞ!これでようやく武勲を立てることができるのだ!」

 しかし、上機嫌な艦長とは一変して他の船員たちは不機嫌だった。

 何も起こらないはずの快適な旅が台無しになってしまったのだ。無理もない。

「しかし、敵も黙って我々の到着を待つとは思えません。反徒どもには、我が軍から鹵獲した艦隊があると聞きます。それに遭遇してしまいましたら無事ではすまないかと。」

 部下の意見に対し鼻で笑う艦長。

「卿の考えは間違っていないが、この際気にすることは無い。社会主義者共とスーラ教徒ムーアは水と油だ。故にアルシャールの助けに来る事は無いだろう。」

 自信満々に宣言する艦長。

「到着予定日は?」

「は、あと三四日ほどかと。」

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「最短であと三日で来るな。」

「敵の増援の話でございましょうか?」

「そうだ。」

 アルシャールの首都アブダルケントにて、スルタンとその側近と将軍たちが軍議を開いていた。

 目の前にはアルシャールと周辺地域の地図。帝国陸軍は元より、他の反帝国勢力との衝突も描かれている。

「北は現状の戦力で持ちこたえられそうか、ハリル・パシャ?」

 セリムの問いに、見事としか言いようがない髭を生やした軍服姿の老人が深く頷いた。

「ご安心ください、陛下。どちらかと言えば多いほどです。」

「では二個連隊西へ割いても大丈夫だな?」

 目を丸くするハリル・パシャ。

「陛下、それでは奪われた領土を取り返せませぬが。」

「だが守るだけなら十分なのであろう?」

「それはそうでございますが、」

 ようやく主の意図を察したハリル・パシャ。

「…西の状況はそれほど悪いのでございますか?」

 その問いに対しセリムは無言だったが、その無言自体が答えだとハリル・パシャは悟った。

 他の将軍たちは西の防衛を務めていたアハメド・パシャの欠席の時点で察しはついていたが。

「…もう一つの問題はナッヒイェヴァンだ。」

 話を逸らすセリム。

「どれほどの戦力かは知らぬが、敵が海路でここに向かっているのは事実だ。将軍方、余力があるのであれば東の防衛に回してもらいたい。」

 既に余力を失ったハリル・パシャを含め、将軍たちは沈黙した。単純に自分の下に出来るだけ多くの戦力を置きたいと言う願望もあったが、戦略的にも戦術的にも余力がないと彼らが思い込んでいたのも事実である。

 そんな時、会議室のドアを誰かがノックした。

 セリムがドアを開ける許可を出すと、入ってきた士官が敬礼して見せた。

「失礼いたします。陛下、フォーゲル・ベイが参りました。」

「何?フォーゲルだと!?」

 突然会議室の雰囲気が変わった。

 このユリウス・フォーゲルなる人物は、アルシャールの村々から人員を集めて作られたミクラー人義勇軍の隊長である。

 この独立戦争において、宗教別に、特に少数派のミクラー人やイーサー教徒が自衛手段として義勇軍を組織するのはよくあることだった。帝国側にもミクラー人義勇兵は存在し、フーリエにもアントン・ヨアヒムなる農業学生が組織した義勇軍が街の防衛に参加している。

 とは言え、スーラが主流のアルシャールで大勢のミクラー人が武装していれば、警戒されるのも当然である。

 セリムは、何か妙案を思いついたのか、目を見開かせた。

「ちょうどいい。奴を通せ。重大な任務を与えるとしよう。」________________________________________

 11月29日、23時40分。

 アルシャールの港町ナッヒイェヴァンにて、突如雷鳴が鳴り響いた。

 ロッツァ帝国海軍の砲撃が闇を照らし、陸では天地を引き裂くような爆発がたて続きに起きた。

 少なくとも、砲撃を受ける側からしてはそれが事実だった。

 ナッヒイェヴァンの沿岸防衛設備は、手薄ではなかったものの、旧式であるのは間違いなかった。

 急遽掘られた塹壕と中世時代の古い石垣や城、そこに旧式の大砲などが拠点ごとに集中配備されていた。

 本来ならこれで戦略的に重要な場所に火力を集中することができたのだが、今回はその企みが裏目に出た。

 旧式の砲であるため、砲撃してくる帝国軍の艦艇へ射程が届かず、一方的に叩きのめされるだけだった。

 結果、沿岸砲台の役三分の一は壊滅し、残りの砲は反撃することができず沈黙していた。

 そんな中、街の防衛を任されていたマフムート・ケマル・パシャは、単刀直入に言えば必死だった。

 直接最前線にはいなかったものの、その悲惨な状況が視界に入る場所にはいた彼は、次から次へと電話をしていた。

「だから砲撃が終わるまで一旦軍を下がらせるんだ!敵が上陸して来たところをハチの巣にすればいい!このままだと戦う前に全滅してしまう!」

 受話器に怒鳴り込むパシャ。

「責任!?そんなのいくらでも俺が取ってやる!だから早く…!おい!もしもし!?」

 舌打ちと共に受話器を元の場所に叩き付けるパシャ。

「クソッ!第二大隊との電話線を切られた!」

 そんな時、一人の兵士が息を切らせながら部屋の中に入って来た。

「か、閣下!街からの伝令です!増援が到着しました!」

 少しばかり微妙な表情を浮かべるパシャ。

「今更増援だと!?数は!?」

「一個大隊!フォーゲル・ベイの義勇軍です!前線配備を求めていますが!」

「だめだ!街にとどまらせておけ!今前線に行ったら砲撃の餌食になってしまう!」

 伝令を届けた兵士が敬礼し部屋を出ようとすると、突然電話がなった。

 素早く受話器を手に取るパシャ。

「こちら司令部!…なに!?砲撃が止んだだと!?」


 一方、鋼鉄艦『ヴィッテイン』の艦橋にて、艦長はニヤニヤしていた。

 時間は翌日の午前三時。

「四時間も砲撃を加えたのだ。反徒どもも十分に吹き飛ばせたであろう。上陸部隊の状況は?」

「は。もうじき上陸の準備が完了致します。」

「うむ。そうか。では偵察部隊を先行させよう。敵は我々の圧倒的な砲撃に対して逃げ出したであろうが、上陸を実行している間に戻ってくる可能性も無くはない。のこのこと出て来た所を叩いてくれる。」

「しかし、敵がいない場合はいかがいたしましょう?」

「その時は抵抗無しで海岸堡が確保できる。何がどう転がろうと、我々の勝利は揺るぎないのだ!」


「一体マフムート・パシャは何を考えているのだ!?このままでは敵の上陸を許してしまうぞ!」

 ナッヒイェヴァン守備隊、イェニチェリ第二大隊の指揮官、ムスタファ・ベイは不機嫌だった。

 攻めてくる敵に対し防戦する機会をくれるよう上層部に頼んだが、返事は「許可できない」の一点張りだった。不機嫌になるのも無理は無い。

「…全く理解できん。」

 無断で出陣し武勲を立てよう。そう言った考えが脳裏を飛び交う中、兵士が一人テントの中へと駆け込んで来た。

「大隊長殿!フォーゲル・ベイが兵と共に参りました!」

 つづいて、申し訳程度の軍服を着た人物が入って来た。ちょうど二十代か三十代か判別が難しい見た目の彼は、ムスタファ・ベイを見つけると軽く敬礼をした。

「遅くなって申し訳ない。積み荷が予想以上に運びにくくてな。」

 軽い溜息で返事するムスタファ。

「来てくれたはいいが、出陣のお許しが出ないのでな。このままでは敵を前にして立ち往生だ。」

「その事だが、マフムート・パシャからこれを預かって来た。」

 ポケットから封筒を取り出すフォーゲル。

「…封密命令か。」

「ええ。私もまだ読んでいない。ただ貴官に渡すようには命令されている。開封するのも貴官だ。」

 そう聞くなり、ムスタファは封筒を手に取り躊躇無く封を破った。

 命令書を読む目がふとフォーゲルに向けられる。

「そう言えば、貴官が先ほど口にしていた「積み荷」とやらは何なのだ?」

「はぁ、沿岸防衛で使われていた砲の生き残りだが。我が隊には固有の火砲は無いのでね。」

 答えに納得したのか、ムスタファは視線を命令書に戻した。

 頬が少しばかり緩くなる。

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 11月30日。0500時。

 鋼鉄艦『ヴィッテイン』の艦長は不機嫌だった。

 先行した偵察部隊の報告に基づき、彼は上陸部隊の第一波をナッヒイェヴァン近くの沿岸地帯へと送り出した。しかし、上陸に用いたのが手動で動かすボートであること、そもそも上陸作戦など予想していなかったためボートの数が不足していたこと、その他もろもろの要因で上陸に時間がかかってしまった。

「上陸部隊第一波は順調に進軍しているとのことです。多少の抵抗に遭遇しているようですが、簡単に排除できているようです。」

「海岸堡は?」

「確保されつつあります。」

 頷く艦長。

「よし。では第二波を上陸させる準備をしよう。」


 一方、すでに上陸した上陸部隊の司令官も不機嫌だった。『ヴィッテイン』の艦長とは違い、その理由ははるかに納得の行くものだったが。

 長旅からの休憩の間もなく始まった戦闘。

 戦力の集結もままならぬ状況での進軍。

 定期的に遭遇する敵。

 不安定な補給線。

 イライラの要素ばかり。

「そもそも、なんで高が一艦の艦長が作戦の指揮を執ってるんだ?納得がいかん。」

 ブツブツ独り言を漏らす司令官。

 一人の兵士が駆け寄って来たのはその時であった。

「司令、この森を抜けた先にどうやら丘があるようです。一旦そこで進軍を停止し、後続部隊を待ってはいかがでしょう?」

 一瞬考え込む司令官。

「そうだな。このまま敵が黙って我々の進軍を許すとも思えん。陣を固め敵の来襲を待つとするか。」

 そう決断し、部下たちにテキパキと指示を出す司令官。

 突然、何かしら発砲音が聞こえて来る。

「艦砲射撃か?にしても方向が…」

 司令官が己の間違いに気づいたのは、森の端に大量の爆炎が上がった時だった。


「砲撃命中!効果あり!」

「敵群、なおも前進中!間もなく有効射程内です!」

 報告を聞いたフォーゲル・ベイは、周囲の兵士たちとは一変して落ち着いた表情だった。これだけを見れば、いかなる状況でもう冷静に対応できる有能な指揮官と思われるのが当然だが、当人は内心高揚感、緊張、アドレナリンが人間に齎すほぼすべての感情が暴走しかけていたらしい。

 少なくとも、彼は後日の日記にそう書き記していた。

 そんなフォーゲル・ベイは、一度右腕を宙に上げると思いっ切り振り下ろした。

 合図と共にほぼ一個大隊分の小銃が一斉に発砲し、鉛の雨が帝国軍の兵士たちに降り注ぐ。

 例え旧式の後装銃であるとしても、それが千丁前後も集まれば効果は抜群だった。


 突然の組織的抵抗に混乱するのは帝国軍上陸部隊中央のみではなかった。

 この時、フォーゲル・ベイが開始した砲撃を合図に、ムスタファ・ベイ率いるイェニチェリ第二大隊も行動を開始した。

 まず、第二大隊に配属された野戦砲六門、沿岸要塞から回された重砲六門、計十二問の火砲が一斉に発砲。同時に、銃剣が砲撃でできた炎の光を反射させながら、イェニチェリたちが帝国軍の横っ腹目掛けて突撃した。

 ムスタファ・ベイ本人も直接攻撃に参加し、片手にサーベル、片手に拳銃を装備し、最前線で指揮をしていた。

 帝国軍とイェニチェリが乱戦状態に突入した時、自ら敵兵を斬り敵将を射殺したとの伝承も残っている。

 これが事実であれば、「武勇の将」と言う概念の最後の栄光だったかもしれない。


 マフムート・パシャがこの時実行した作戦の内容はこうである。

 まず、帝国軍の艦砲射撃から戦力を守るため、一時的に守備隊を内陸へと撤退させた。

 本来なら砲撃が止んだ後、上陸して来る敵を撃退するべく沿岸の防衛線に戻るのが基本。しかし、マフムート・パシャは敵を内陸部へ引きずり込むためにあえて敵の上陸を許したのである。

 敵の上陸部隊が一定の距離を進軍すると、そこには急遽構築された防衛線があった。この防衛線の仕事は帝国軍の撃退では無く、時間稼ぎだった。

 本命は、帝国軍の右翼を一気に攻撃する別働隊だった。

 スルタン・セリム二世がマフムート・パシャに与えた戦力は、既に多少消耗していたイェニチェリ一個旅団。フォーゲル・ベイのミクラー人義勇軍、地元の地方警察、元々沿岸要塞の警備に在たっていた部隊、武装市民なども合わせると、総戦力は一個師団にも満たない。

 帝国軍の正面に配置された部隊、つまり時間稼ぎを任された部隊は、イェニチェリ第五大隊、フォーゲル・ベイの義勇軍、そして警察や武装市民などを集めた部隊だった。

 一方、側面攻撃を行った別動隊は、イェニチェリ第七大隊とムスタファ・ベイのイェニチェリ第二大隊。

 予備戦力など存在しない、まさに一発勝負だった。


『ヴィッテイン』の艦長は激怒した。

 上陸部隊が敗走を始めたとの報告が彼の下に届いたのは、夜明け頃のことである。

「高が劣等民族相手に陸軍は何をやっているのだ!?」

 そう言い放つと、艦長は陸軍に対する文句、敵将への暴言、他にも色々叫び終えると、深く深呼吸した。

「仕方がない。いくら無能の集まりだとしても見殺しにはできん。砲撃用意!上陸部隊の撤退を援護する!」

「艦長、第ニ波の上陸の真最中ですが?」

「そのまま続行させればいい!」

 命令を受け砲身を内陸へと向ける艦隊。

 上陸地点の砂浜には大量の物資がボートから荷下ろされ、上陸部隊の後続も順次輸送船から運ばれていた。

 艦隊の砲撃を眺めながら。


 この艦砲射撃が既に敗走し始めていた上陸部隊に逃げる隙を与えたのは事実だった。

 逃げ遅れた味方が砲撃に巻き込まれはしたが、撤退した部隊のほとんどは第二波で上陸した後続部隊との合流に成功し、海岸堡にて防衛線を築いた。

 少数なれど機関銃や野戦砲を守りに用いていたそれは、最初の攻勢で疲弊し始めていたナッヒイェヴァンの守備軍にとっては大きな障害だった。

 艦砲射撃と合わせれば尚更。


 0925時。

『ヴィッテイン』の艦長の下に一人の水兵が報告を届けに来た。

「艦長、実は先ほどから哨戒艦との連絡が取れないのですが。」

「なんだと?」

 先ほどまで陸での戦闘に気を取られていた艦長は、手に持っていた別の報告書を隣の部下に渡した。

「何時頃からだ?」

「一時間ほど前です。」

 一瞬艦長が黙り込む。すると、何かを思いついたのか、ふと顔を上げた。

「機関始動。いつでも出航できる準備をしておけ。」

「艦長?」

「これは恐らく敵の仕業だ。敵が近くで蠢動している証に間違いない。通信が途絶した哨戒艦の最後に確認された位置を見せてくれ。」

 この時の艦長の発言は的を射ていた。確かに、消息不明の哨戒艦は反乱軍の艦艇により無力化されていたのである。しかし、この時点では、艦長は水雷艇か機雷か何かが原因だと内心では思っていた。

 そしてその考えは外れていた。

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 季節外れの荒波を『ペトラ』以下の艦隊がたくましく進んで行く。

 甲板の様子は慌ただしく、高揚感と緊張が空気を包んでいた。

『ペトラ』の露天艦橋も例外では無い。

「敵艦隊、エンジンに火を入れはじめました!出航準備に入った模様です!」

「見つかったか!?」

 慌てた表情で言うユステンセン。

 それに対してサラは軽く笑った。

「大丈夫だ。今更見つかったとしても作戦に支障は無い。」

 サラの言葉で少しは表情が落ち着くユステンセン。

「さて。そろそろかな。シャルル?」

「いつでも行ける。」

 シャルルの返事に対し頷くサラ。

「よし。では、初めてくれ。」

「了解。全艦!撃ち方始め!」


『ペトラ』とその他の艦が一斉に雷鳴を上げた。

 今回サラが導入した戦力はフーリエ艦隊のほぼ全軍だった。

 単縦陣で航行していた艦隊は、海防戦艦『ペトラ』、戦艦『ツァハラ』、海防戦艦『ナスル』、装甲巡洋艦『ムハンマド・オスラン』、装甲巡洋艦『来遠』、その他護衛艦艇の順で、北北東の進路を取っていた。

 通信が途絶していた帝国海軍の哨戒艦はヨセフ自慢の海兵隊に鹵獲され、サラたちは帝国軍に対してほぼ完璧な奇襲を仕掛けることができたのである。

 上陸部隊への支援砲撃を行うために停止している帝国軍の艦隊。絶好の的と化していた。


 サラたちから放たれた砲弾が『ヴィッテイン』の姉妹艦『ツェーリンゲン』の場所に着弾した。ほとんどが至近弾だったが、撃った砲弾の二三発かがたしかに直撃した。

『ツェーリンゲン』の甲板から炎が上がる。

「わお。最初の一斉射で命中とは。うちの砲手たちも上達したようだね。」

 サラのコメントに対してシャルルは肩をすくめた。

「いや、まだまだだ。あれだけ撃ったのに二三発だけってのはなぁ。」

 とは言え、フーリエ艦隊の砲撃がより正確になったのは事実だった。

 当然一つの原因は待機中に訓練を続けていたからなのだが、もう一つは物理的な変化が原因だった。

 これまでの戦いとは一変し、フーリエ艦隊の艦にはレンジファインダーと伝声管を使った初歩的な中央射撃指揮システムが搭載されていた。従来、各砲座が個々で射撃の調整や測定をする方法と異なり、艦橋などに設置されたレンジファインダーのデータを各砲座へ伝達し射撃を調整するというものだった。

『ペトラ』には独立戦争以前から試験的に搭載されていたが、必要なレンジファインダーの数の少なさと命中率の向上のメリットがあるとして、防護巡洋艦以上の艦艇には全て搭載される事となった。

 その効果は一目瞭然だった。


「『ツェーリンゲン』被弾!沈みます!」

「『アギロルフィング』炎上中!」

「輸送艦『エリカ』轟沈!機関部に直撃を受けた模様!」

「『ブリーク』もやられたぞ!乗ってた陸軍の連中諸共だ!」

 目の前の光景を信じられなかったのか、『ヴィッテイン』の艦長は呆然としていた。

 帝国軍の艦隊は、元々上陸部隊を乗せた輸送船の護衛のために急遽編成されたものだった。

 確立された指揮系統どころか、艦隊を指揮する将すらいない。

 更に、このような上陸作戦を行った経験のある者は艦隊にはおらず、艦隊は戦闘艦と輸送船の入り乱れている状態で錨を下ろしていた。

 結果、反撃できずに叩きのめされることとなった。

「艦長!早く撤退を!」

 意識を取り戻す艦長。

「撤退だと!?このような不祥事を前に逃げろと言うのか貴様は!?」

「まだ我が方には物資、武器、兵士を満載した輸送船が残っています!これらを逃がさねばいけません!護衛を任された我々としての責任です!」


 一度双眼鏡を目線から外すシャルル。

「敵さん、逃げ始めたな。上陸部隊を見殺しにして。」

 軽く溜息をつくサラ。

「無理も無い。この状況では回収したくても回収できないだろうし。」

 ポケットから煙草の箱を取り出すサラ。

「敵の進路は?」

「あらかじめ準備しておいた逃走ルートを選んだらしい。」

 サラの煙草に火をつけるシャルル。

「だったら後はヴォス准尉たちに任せるとしよう。我々は逃げ遅れた連中の後片付けに移ろう。」

 サラが一瞬黙り込む。遠くで燃えたり爆発したりしている艦船を眺めながら、その光景が彼女の眼球に反射される。

 複雑な表情。

 シャルルが軽く咳をした。

「アルシャールの連中、助けてもらった礼に紅茶ぐらいは出してくれると思うぞ。」

 サラの複雑な表情が少しイラついたものに変わる。

「お前、私が紅茶さえ飲んでいれば一生幸せだとでも思ってるだろう。」

「違うのか?」

 反論を諦めたサラだった。


 一方、脱出できたかに見えた帝国軍の艦隊は、今度はサラの用意した別動隊に引っかかった。

 イブラヒムが率いる防護巡洋艦『アスカロン』を先頭にした巡洋艦隊である。

 彼の任務は敵艦の撃沈より嫌がらせが優先であった。

 鹵獲できる艦は鹵獲し、沈められそうな艦は沈め、切りのいいところで引き上げる。

 半年近く繰り返し行ってきた船団護衛の任務にうんざりだったイブラヒムは、喜んでこの仕事を引き受けた。

「ん?」

 ふと水平線上に何かを見つけるイブラヒム。

「副長、あれはもしや…?」

「ええ、煙のようですね。」

「敵の増援かな?」

「恐らく。」

 軽く溜息をつくイブラヒム。

「少し早いが、時間切れのようだ。全艦に打電、帰還する!」

________________________________________

 ロッツァ帝国海軍少佐ルーカス・ファルケは、保護に成功した友軍艦艇の様に対し正直呆れていた。

 ナッヒイェヴァン攻略を試みた艦隊の助けに駆け付けたのは、装甲巡洋艦『カイザーリン・ウント・ケーニギン・アメリア・クリスチアナ』、防護巡洋艦『カイザー・ヨセフ・カール』、防護巡洋艦『カイザーリン・アマーリエ・オイゲーニエ』の三隻だった。

 この小艦隊を差し向けたのは、アルシャールの反逆を知りいち早くこの大惨事を予想したルーカスだった。

 それがサラたちの手によることも予想済み。

「少佐、コーヒーをお持ちしました。」

 甲板から消防作業などを眺めていたルーカスに、ヴィーシャがマグカップを手渡した。

「何をお考えですか、少佐?」

「ん?あ、いや。この大惨事をどう利用できるものかと思ってね。」

「大公殿下の目的のために、ですか?」

 苦笑するルーカス。

「それもそうだけど、本国の軍国主義派も気になってさ。現政権の失態を最大限に利用したいのは、連中も我々も同じだし。」

「敵の司令官の事も考えていましたよね?」

 視線をヴィーシャに向けるルーカス。

「何故ばれた?」

「あの人の事を考えている少佐は、何かしら楽しそうな表情をしていますから。」

 コーヒーを飲みながら再び苦笑するルーカスだった。________________________________________

12月1日。

 ようやくタイプライターを自室に持ち込んだサラは深く溜息をついた。

 シャルルはナッヒイェヴァンの防衛部隊との交渉で忙しく、ユステンセンは鹵獲した物資などの整理に没頭中。

 リリーとイブラヒムは任務以外で何やら用事があるらしい。サラ以外の士官にデートかどうかからかい半分に問われ、当人たちは否定したと言う。ナッヒイェヴァンへ向かう前、サラがジークに二人の関係を問うてみたところ、仮に恋愛感情が存在したとして、当の二人はお互いそれに気付いていないらしい。

 そのようなことを思い出しながら、サラは自室の窓から外の世界を眺めていた。

 帝国が派遣した部隊のほとんどが壊滅した。

 武器。

 弾薬。

 食料。

 衣類。

 宝の山とも言っていい。

 更に、今回の戦闘でフーリエ艦隊は何隻かの帝国軍艦の撃沈に成功し、損害は皆無だった。

 軽く背伸びをするサラ。

「これで我々の存在を改めてアピールできた。他の反帝国組織とも少しは仲良くなれるだろう。」

 帝国に抵抗する左翼勢力は元より、アルシャールのような大勢力の関心を買えば、他のスーラ系勢力や中道勢力とも友好関係が生まれるかもしれない。

 将来、この戦争が終わった暁に、「フーリエも活躍した!」とアピールできるように。

「まったく。まるで政治家みたいな思考回路になってきた。嫌だ嫌だ。」

 軽く溜息をつくと、サラはふと空を見上げた。

 少しではあるが、雪が降っている。

「…綺麗。」

 サラのタイプライターが再び紙に文字を打ちはじめた。

「1898年12月1日

 お父様、

 例え普段とはかけ離れた場所にたどり着いたとしても、見上げる空は同じのようですね…。」

________________________________________

二十五枚の手紙

第六章

END

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次回:第七章「連邦革命軍宣言」

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