第119話? 後日譚 リカルド・フォレス

「兄さん」

 学園長室を出ると、そこには弟――オスカル・ファルネーゼが所在無げに立っているのが目に入ってきた。私は思わず顔を顰め、何事かとその顔を見下ろす。

 学園長の話が長かったため、いつの間にか廊下の窓から差し込む光は赤みを帯びていて、もうすぐ日没だと教えてくれている。だが、その明るい夕暮れの色でも弟の表情が暗いのは隠せていない。

 いや、暗いというか――気まずそうな空気だ。

 このところ私たちの関係は改善されたのは間違いないが、弟の方はそう簡単に割り切れるものではないのだろう。以前、私に向けた敵意のことが胸に重石のようにのしかかっているようで、罪悪感に似た光がその双眸に灯るのが日常になっている。

 このままではいけないと考え、随分と弟に気をかけているのだが――上手くはいかないものだ。


「どうした――どうかなさいましたか、オスカル殿下」

 一応、廊下に他の人間の姿はないとはいえ、学園内であるから教師としての口調を選ぶと、オスカルが眉間に皺を寄せた。

「……弟として話がある」

「なるほど」

 私はそっと廊下を見回した後、自分についてくるように促して歩きだした。背後に弟の従う――微かな気配を感じながら、やはり、以前よりも体内の魔力が弱まっていると顔を顰めていた。


「兄さんは陛下に連絡をしていたようだね?」

 私が教師が会議に使う小さな部屋に弟を案内するとすぐ、困ったように苦笑しながらオスカルが口を開いた。

「ああ」

 私は大きなテーブルの周りに並んだ質素な椅子に腰を下ろし、軽く指先で艶やかなテーブルの表面を叩いた。そこで、立ったままだった弟も小さくため息をこぼしながら向かい側に会った椅子に座り、私の視線を避けながら言葉を続ける。

「兄さんが僕を心配して、陛下に侍従をこちらに送るように進言したと……」

「ああ」

 私はオスカルの台詞を遮って続けた。「お前はこちらに入学してずっと、侍従をつけていなかっただろう。護衛として能力の高い人間を送ってもらうよう頼んだ」


 弟が他人を信用していないらしいことは何となく解っている。ファルネーゼの王宮内ですら、腹を割って話ができる人間はいないだろう。

 将来、皆の上に立つ者としてこの現状は最悪だと言える。弟と年齢が近く、友人としても側近としても動いてくれる人間が早急に必要だ。

 それに――。


「自覚しているだろうが、今のお前には身を守るだけの能力が欠けている」

 私はテーブルの表面を見下ろしたままのオスカルに言葉を投げた。「学園内に彷徨う幽霊にすら太刀打ちできないとなると、これは――」

「それを言われると耳が痛いのは間違いないのだけれど」

 弟は気まずそうに掠れた声を上げ、慌てたようにテーブルを叩いた。その後で、制服のポケットから封蝋の破られた手紙を取り出し、指先で軽く弾いて私の方へ投げてきた。

「さっき、陛下から届いた。読んで……困ったというか、まあ、読んでもらえると助かる」

 妙に歯切れ悪く言ったオスカルは、軽く頭を掻きながら椅子から立ち上がり、テーブルと椅子以外には何もない会議室の中をうろうろと歩き始めた。


 私は困惑しつつ、見覚えのある赤い封蝋を見下ろした。

 ファルネーゼ王国を表すそれは、父から弟への手紙であるということを教えてくれている。そして、そう言えば――オスカルは父のことをずっと『陛下』呼びをして、父とは呼んでいないな、と考えながら封筒から手紙を取り出した。


『我が息子、オスカル・ファルネーゼへ』


 そんな見出しの後、父の流麗な文字が書かれた手紙を読んでいくと、自然と私の眉間に皺が寄った。


『リカルドからお前の側近、護衛役の侍従をつけるように手紙が届いた。その件で、用件だけ伝えよう。

 ファルネーゼの王族を守るための人間が必要だと言うのは間違いない。リカルドに指摘される前から、我が沈黙の盾をお前の在学中に送ろうかと検討していたところだった。沈黙の盾がなくとも、王城の庭にあの木があれば防衛には問題はないからだ。

 それに、沈黙の盾は我々の命令には背くことはないし、お前も安心して背中を預けられると思う。これ以上の護衛がどこにいるのか。

 しかし、ここにきてその沈黙の盾に問題が起きた。この説明は難しいが、問題の解決のためにリカルドの協力が必要だと考えられる。

 まずは取り急ぎ、お前からリカルドに協力を仰いでおいて欲しい。あれは私には冷たいから、私から協力を願い出ても学園の仕事を理由に断ってくることが予想されるが、弟であるお前には弱い。お前が上手く言いくるめれば、リカルドの神具と一緒にファルネーゼに呼び寄せることも可能だろう。

 お前もまた、交渉術を会得するのに丁度よい機会だろう。

 必ず、リカルドをファルネーゼに呼び戻すように。そしてできるだけ早く、ファルネーゼに帰ってきて欲しい。お前の成果に期待している』


「……」

 私はつい、額に手を置いてしばらく固まってしまっていた。

 父に私から手紙を出したものの、何の返事もなかったから少し困惑していたところだった。どうやら、何か問題を隠していたらしい。

「それで」

 私は気を取り直して、手紙を右手の爪先で弾いてテーブルから落とし、視線だけオスカルに向ける。「交渉術がどうこう書いてあるが、お前は……」

「兄さんに小手先だけの話術で敵うとは思わない」

 オスカルは会議室の何もない壁の前で立ち尽くし、こちらに背を向けて言葉を続けた。「そんな面倒なことをするより、正直に手の内を見せた方がいいと思った」

「そうか」

「それで」

 そこで、弟が思いつめたような目をこちらに向けた。「次の休みにでも、ファルネーゼに一緒に来て欲しい。申し訳ないのだけれど、僕は陛下が苦手だ。僕だけが帰っても、厭な顔をされて追い返されるのがオチだろう。僕には兄さんが必要だ」


 ――全く、この親子は。


 間違いなく血のつながった父と息子であるというのに、どちら側も苦手意識に囚われているようで、会話するのにも私という緩衝材が必要だというのか。


 私は額に手を置いたまま、小さく続けた。

「沈黙の盾に問題が起きたとは? 何か他に聞いているのか」

「解らない。でも僕は、幼い頃から沈黙の盾に近づくことはほとんどなかったし、神具についても詳しくは知らない。僕より兄さんの方が神具のことは詳しいだろう?」

「さて……」


 詳しいかどうかは別として、父が困っているらしいことは解った。

 私の神具――リヴィアを連れてファルネーゼに行くことを父は望むのか。


「長期休暇はまだ先なんだがな。近いうちに授業を休めるかどうかは学園長に確認しておこう」

 私がそう言ったのは、色々と思うところがあったからだ。

 オスカルはそこで表情を明るくさせ、珍しく幼さも含む笑みを口元に浮かべた。そういう表情を見てしまうと、弟もまだ子供だな、と思ってしまう。


「ありがとう、陛下に返事を出しておく」と言い残し、弟は会議室を出て行った。私はそれを見送った後、少し前に学園長室で交わした会話を思い出して苦笑した。


「実は、ジュリエッタ・カルボネラ……いや、今はジュリエッタ・ヴェルドーネ嬢か、彼女から話があってね」

 私を学園長室に呼び出した学園長は、とにかく楽しそうに話を切り出した。「彼女も神具であるリヴィア君と懇意にしているようだね? リヴィア君が君以外の男性に言い寄られるのではないかと懸念し、居住している部屋を考えて欲しいと言われているのだよ」

「部屋ですか?」

 私が首を傾げると、彼は座っている椅子の背もたれに身を預け、腕を組んで低く唸った。

「どうやら、主のいる神具だと知っても近づいてくる者もまだいるようだ。女性としての警戒心も薄いということで、彼女を婚約者である君に近くで守ってもらえないか、と。そのためには、炎の塔の地下で暮らすのではなく、教師の君の部屋で暮らした方がいいのではないか、と言われている」

「……私の部屋で?」

 つい、私の声が地を這うような低いものとなった。

 それが予想外な提案だったからだ。

「婚姻前とはいえ、君たちは普通の男女とは違う関係だ。主と神具、同室でも問題は出ないはずだ。まあ、君が教師という生徒に模範を示すべき立場である以上、子供を作るのは結婚してからにして欲しいが」

「いや、学園長」

「ただ、残念ながら教師に与えている部屋は狭いだろう。二人で暮らすには狭すぎる。そこで」

「あの、学園長?」

「今の君の部屋と、隣の部屋を改装して広く使うか、それとも炎の塔の地下を改築して君がそちらに移動するか、どちらがいいか悩んでいるのだよ」

「……炎の塔」

「それはそれで神具の保護者みたいな人間がそこにはいるから、ある意味、彼女にとっては安全のような気はするが。だが、婚約者との生活を楽しむという点では、君から見れば邪魔だとも言えるし」


 どうも、私の意見など無視して話が先に進んでいるような気がするが――。

 悪い提案ではないと思えるのも事実だった。


 ――何しろ。


 私は会議室を出て、すっかり陽が落ちて暗くなった空を窓の外を見やり、そこから見える裏庭にリヴィアの姿があるのを見つけた。主従契約をしているからか、リヴィアの気配は何よりもはっきりと解る。

 彼女は上機嫌だと解る軽い足取りで裏庭を歩き回り、そこに光り輝くアイテムを見つけて素早く回収しているようだ。そして、レアだと思われるアイテムを手にしては何か独り言を呟いている。


 そして。


 そんな彼女を目ざとく見つけた人間が近寄る。それがあの問題児、ラウール・シャオラ殿下である。いつものように、殿下の側近候補であるオルフェリオ・ロレンツィもその後ろに付き従っている。

 ラウール殿下が声をかけると、リヴィアは毛を逆立てた猫のように身を強張らせ、脱兎のごとくその場から逃げ出していたが――。


「確かに、目の届く場所に置いておきたいな」

 私は知らず知らずのうち、窓辺でそんなことを呟いていた。私の神具は目を離すと碌なことがない。


 部屋の改築だか改造だかはどちらでもいいが、それなりに時間が必要だろう。下手にリヴィアに事前予告をしておけば「暮らすのはおじいさまと一緒がいいです!」と悪足掻きするのが目に見えている。

 それならば、事後報告でもいいだろう。

 我々がファルネーゼに行っている間、後は学園長に任せておけばいい。そうすれば帰ってきた時には全て終わっているというわけだ。


 リヴィアもそうなってしまえば逃げられない。逃がすつもりもない。

 私はそんなことを考えながら廊下を歩きだし、一人で笑った。

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アンブロシアは魔法学園に潜伏中 こま猫 @komaneko

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