第118話? 後日譚 焼き菓子を落としたら

フォロワーさん限定で近況ノートに書いていた小ネタ。続くか続かないか微妙なところ。


※※※


 ――よし、できた!


 俺はオーブンの扉を開け、ふわりと漂う甘い香りを目いっぱい吸い込んで幸せを堪能した。ジーナに教えてもらった焼き菓子のレシピを見て、簡単なやつからできるようにと練習を重ねてきた結果、ジュリエッタさんに差し入れできそうなくらい、見た目も味も満足な、お洒落なものが作れるようになった。

「美味しそうじゃのー」

 ダミアノじいさんが俺の背後から手元を覗き込み、そわそわと右手を宙に彷徨わせた。俺は風魔法の応用でケーキ――アップルクーヘンを急速冷却しつつ、近くの作業台の上に運んだ。

「味見します?」

 俺が包丁も使わず魔法でケーキを切り分けると、それも感心したようにじいさんが笑いながら頷いた。

「味見というか、一切れ所望するわい」

「んー」


 まあ、一切れ減ったからといって問題はない。

 このケーキは、ジュリエッタとダフネ、ジーナとそのマゾ仲間たちに差し入れようと思い立って焼いたものだ。

 相変わらず彼女たちは放課後、図書室で勉強をしている。ただ、ジュリエッタさんがかなりのスパルタらしいので、ジーナたちがぐったりしているのが気になっていた。疲れている時には甘いものだ、と考えつつ、そしてちょっとだけ邪な考えもあった俺である。


 つまり。

 リカルド先生との婚約をなかったことにするには、俺が彼女を作るのだということ。


 ジュリエッタさんといい仲になるのが難しいのであれば、ジュリエッタさんに誰か美少女を紹介してもらう。もしくはマゾ仲間たちと今まで以上にお近づきになって、そこから可愛い女の子と急接近できればいいなあ、と企んだのだ。

 この世界、いや、他の世界でもそうだが、パンを咥えて走ったとしても、ぶつかった瞬間に恋に落ちるといった運命的な出会いなど存在していない。だったら、こちらから動いてきっかけを作らねば。

 可愛い女の子の胃袋を掴んでしまえばこっちのものだ!


 と、思ったものの。


 何かこれ、前世で読んだ漫画とかによくある、『憧れの先輩に差し入れする女の子』みたいじゃね? と気づいてしまった。

 おーまいがっ!

 俺の意識、どんどん乙女みたいになってないか!?

 でも、差し入れする相手が女の子なら問題ないか!?

 だってほら、前世ではバレンタインに女の子同士でチョコレートを贈り合う光景がよく見られてたじゃないか。そこに恋心があったのかどうかは別としてだが!


 身体を硬直させてそんなことを考えているうちに、ダミアノじいさんが一切れ食べて、親指を立てていた。

 まあ、美味しいならいいか。


「リカちゃんにも残しておいてあげなさい」

 じいさんがそう言ったので、「余ったらそうします」と返したら眉間に皺を寄せられた。別にリカちゃん先生、甘いもの好きじゃないはずだし。気にしない気にしない。むしろ、ケルベロス君たちの方が雑食だ。喜んでくれる相手に食べさせてあげたいし、きっと余ることはないだろう。


 ……まあ若干、後ろめたい気もするけどな。


 俺は切り分けたケーキを個別包装して、普通だったらアイテム回収に持っていく籠に放り込んで外に出ることにした。


 今日は小雨が降っているせいか、若干涼しい。俺が暮らしている塔から出て、籠が雨に濡れないように新選組マントで庇いながら、ジュリエッタさんたちがいるであろう図書室を目指し、足早に進んでいくと。


「あ」

「……」

 何の前触れもなく誰かにぶつかりそうになって、俺は慌てて横に逃げた。その誰かも俺とは反対側に避けたが、多分、俺の動きが大きかったからなのだろう、籠からアップルクーヘンが一個だけ飛び出して、地面の上に落ちた。

 俺がそれを拾う前に、相手の手が伸びる。

「……ええと」

 俺特製ケーキの包みを拾い上げた彼――紫色の長い髪の毛と、灰色の瞳を持った無表情男性が俺を睨むように見つめていて、俺の表情が引きつったのが自分でも解る。

 彼は魔法科の生徒のようで、そこそこの魔力量を感じさせながらそこに立っている。何と言うか、リカルド先生と系統が似た、どこか冷ややかな印象を与える感じの凄いイケメン。

 でも、先生よりずっと無表情。


 ……しかしどこかで見たような。


 そんなことを考えていると、彼は手にしたケーキに視線を落とし、小さく言った。

「……焼き菓子か」

「ええと、はい」

「……そうか」

「はい」


 そして沈黙。


 いや、返してくれると嬉しいんだが。

 俺がぎこちなく手を伸ばそうとすると、その青年は人形みたいに表情筋が動かないまま言葉を続けた。

「もらってよいだろうか」

「はい?」

「いいだろうか」

「いやあの」


 そしてまた沈黙。


「……どうぞ」

 根負けして俺がひらひらと手を振りながら言うと、彼はおもむろにその場で包みを開いて食べた。優雅な仕草で、しかも相当素早く完食。

「美味いな」

「そうですか」


 何だか面倒くさそうだから、俺は短く返しながら頭を下げ、そのまま彼の横をすり抜けようとした。


 が。


「君は確か、リカルド先生と」

「ええ、まあ」

 俺はできるだけ彼と距離を取ったまま、足をとめた。最近、俺と先生は一緒に行動していることが多いから、それを見られていたのかもしれない。

 俺が探るように彼を見つめると、さらにこう言われた。

「それに、ヴィヴィアン嬢と仲が良いように思えたが」

「えー……」

 ヴィヴィアンよりジュリエッタさんと仲が良いと言って欲しかったがな。っていうか、何で知ってるんだ、こいつ。

 俺が警戒したのがあからさまだったのか、彼は他にも何か言いたげに目を細めたものの、すぐに諦めて俺の横を歩いて行ってしまった。少しだけ安心した――と胸を撫でおろした瞬間である。


「目を付けられたかもね」

 と、俺の背後からヴィヴィアンの声が響いて飛び上がりそうになった。

「……驚かさないでください」

 俺は籠を胸の中に抱え、声の主に恨みがましい目を向けた。

 最近、ヴィヴィアンは気配を消すのが得意になった気がする。俺の背後を取るなんて、とんでもない。彼女は魔力も少しずつ戻ってきているみたいだし、気配を消す魔法でも使っているのだろうか。それ自体は彼女にとっては喜ばしい変化なのかもしれないが、俺のか弱い心臓に悪いのだ。


「さっきの彼、ラザロ・ジュストー殿下っていってね」

 ヴィヴィアンが俺の抱え込んでいる籠を覗き込み、甘い香りに目を細めた。

「殿下……」

「ジュストー公国の闇の公子、いわゆるゲームでの攻略対象なのよね」

「はい?」

 そこでヴィヴィアンが勝手に籠の中からケーキを一つ奪う。本当だったら咎めたかったのだが、先に別の言葉が俺の喉を突いて出てしまう。

「そう言えば、紫芋みたいな髪の毛してましたね!」

「何言ってるの」

 ヴィヴィアンが呆れたように笑ったが、俺はそれどころではない。そう、この世界では人間とは思えない色彩の髪の毛を持った奴は危険なのを思い出した。ブルーハワイしかり、濃縮された森達しかり。

 思い返してみれば見事な紫色だった。


 つまり、間違いなく要注意人物である。


 だが。


「ヴィヴィアン様の恋のお相手ですか?」

 そうか、どこかで見たような気がしたのは、ヴィヴィアンと会話でもしているところを見たことがあったからだろうか? その辺りは覚えてないけど、きっとそれが正解だ。

「だったら何とかしてください」

 俺のことは巻き込まないでくれ、という意思を込めてそう続けたが、ヴィヴィアンはどこ吹く風だ。

「違うわよ。面倒だからそっちのルートは諦めたの」

「面倒って」

「だって彼、もの凄く無口なんだもの。こっちがテンション上げて色々話しかけないと、永遠に静けさの中に呑まれることになるのよ?」

「詩的な表現ですね! っていうか、どうして食べてるんですか!?」

 俺の目の前で、ヴィヴィアンもアップルクーヘンの包みを開けてもぐもぐ食べ始めている。こちらは紫芋みたいに素早くではなく、ゆっくりと味わうように。

「あ、これ、美味しいから危険だわ」

「何がですか!?」

「ラザロ殿下の気を引くきっかけってね、手作りお菓子なの。ゲームの中では、お菓子の出来栄えで好感度の上がり具合が違うのよね。で、美味しければ美味しいほど恋愛が進展するの。意外だけど彼、あんな顔をして甘党なのよねー」


 いやいやいや、それはどうでもいいけど!

 早い話、餌付け完了ってことかー!


 っていうか、俺、乙女ゲーム関係ないよな!? それなのに何で巻き込まれてるんだ! いや、まだ巻き込まれていないはずだ! 諦めるな俺!


「じゃあ、これからジーナたちのところに行って、紫芋さんのところに美味しいお菓子を差し入れるよう助言してきます。そうすれば、ジーナも玉の輿に乗れるはず」

「ふうん、頑張って」

 ヴィヴィアンはひらひらと手を振りながら、少しだけ雨脚が強くなってきた空を見上げた。くそ、他人事みたいに言いやがって。後で覚えてろ。さっきのケーキ、お前が作ったって嘘を流してやるからな!


 あらゆる暴言を心の中で思い浮かべつつ、俺が残ったケーキをジュリエッタさんたちに差し入れし、結構時間が経ってからダミアノじいさんのところに戻ったのだけれど。


 そこに、何故かリカルド先生が怖い笑顔を浮かべながら待っていました。

「……さて、何をしたのか教えてもらおう」

「ええと、何でしょうか?」

「先ほど、ラザロ・ジュストー殿下にお前のことを訊かれた。私たちが婚約していることは伝えたのだがな、どうも彼はお前のことが気になっているらしい」

「き、気のせいでは」


 俺は、空っぽになった籠を抱え込みながら彼から目をそらした。ケーキ一つ残しておけば、ここで先生に差し出して話をそらすことができたんだろうか。


 いや、それよりも。


 何で俺、変な男にばっかり目を付けられるんだろうか!

 どこかに可愛い女の子はいないのか! ジュリエッタさんを超える、見事なツンデレ属性持ちの美少女を希望するのだけれど!


「いいからお前、しばらく引きこもっていろ」

 リカルド先生はやがて頭痛を覚えたように額に手を置き、深い深いため息をこぼしてそう言った。俺もつい、ため息をついて苦笑する。


 そしてその後から、紫芋が遠くから俺を見ていることが増えた。うん、軽く死ねる。どうしたらいいのか、誰か教えてくれ。

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