title:ノスタルジー
伊予
蝉の声が止まない。
平成最後の夏は暑かった。
「今日で夏休みも終わりか」
蝉の声は頭を割るような音量で鳴り響いていて、先程まで私たちはその音の中、年甲斐もなく川辺で水遊びをしていた。aくんとbちゃんとcくんと私、そして彼の五人で。受験を目前にした私たちが何もかもを放り出して遊べたのは、きっとこの日が最後だった。
薄情者の三人は気が付いたら「勉強があるから」と帰っていった。今この場には私と彼しかいない。彼は泥水で汚れた足裏をタオルで拭い、靴下を絞る。汚れるのが分かっていたのに何故白いパンツを履いてきたのかが理解できないな、と考えながら、私は足先で石ころを転がした。
彼はその様子をぼうっと見て、独り言のように言葉を漏らす。
「みんな、バラバラになるんだよな。……寂しいよな」
「そうだね。でも、こんな所何にもないしさ。分かってたことじゃん」
自然と長閑さだけが売りの寂れた村。それが私たちの故郷だった。数時間に一本のバスで何とか高校に通うことは出来たけれど、大学ともなるとそうはいかなかった。ここにいる若者たちは皆外に出ていって、そして、帰ってこない。それはあまりにも当然の事実だった。
「でも、会えるもんな。卒業しても、五人で集まろうな」
「うん、そうだね」
私は気のない返事を返しながら、はちきれんばかりの笑顔の彼をじっと見ていた。騒がしすぎる自然音のせいで、お互いの声が聞こえづらかった。
彼は知らないのだ。私たちの関係は、平成を越える以前に全てが壊れきってしまうことを。
引っ込み思案のaくんは、次の年の四月に交通事故に遭って死んだ。飲酒運転のトラックが彼に突っ込んできたのだ。死体は見る影もなかったという。
気取り屋のbちゃんのその後は私もよく知らない。というのも、このすぐ後に彼女は行方不明になったからだ。父親の残した借金の取り立て屋が毎日彼女の家に訪れていたという話を、私は後から聞いた。
ひょうきん者のcくんは卒業式の後、東京へ向かうというその日に、私たちに向かって「大嫌いだった」と吐き捨てた。彼がいつからそう思っていたのか、そもそもそれは本心だったのか、もう遠く離れてしまった距離と心では知りようがなかった。
帰ろうか、という彼の言葉をきっかけに私たちは川沿いを歩き始めた。彼は私を気遣ってか、行きは乗ってきた自転車を押して歩いている。私はその後ろをただ付いて歩いた。
思えばこの日が一番幸せだった。aくんもbちゃんもcくんも彼も当たり前のように隣りにいて、離れるなんて考えられなかった。だというのに、これから先には嫌な出来事ばかりが待っている。
だから、ここで、時を、止められたら。
小走りで彼の元へと近寄っていく。黒い短髪が揺れる、汗が滲んだうなじへとにじり寄っていく。そして、そのまま、手に持っているものを振り下ろし――。
「……、何?」
直前で彼が振り返る。私は咄嗟に持っているものを後ろ手に隠した。何も気づかなかった彼は少しきょとんとしてからまた前を向いた。そのあどけない仕草に胸が詰まる。
「なんでも、ないよ」
タイミングを外した謝罪は彼に届かなかったようだ。
結局大学に行かず、この村に残った私と彼は二十三になった年に結婚した。あの三人の記憶も消えて、二人の子供を生み、家も譲り受けて、絵に描いたような幸せな生活だった。でもそれは最初の六年ほどで、そこからは何故か崩壊の一途を辿った。村に再開発の話が訪れたのだ。村に愛着がある彼と、そんなものない私。意見は当然のように割れて、一方的な喧嘩に何度もなった。とんでもなく些細なことであったと、今では思う。逆上した彼は物を投げ、それが子供に当たり、私は耐えられなくなり、そして。
「――」
だから私は、彼と死のうとしたのだ。怪しい施設に大金を払って、一番楽しくて幸せで素敵だった夏の日にまで遡って。どうしても嫌いになれなかった彼と共に、最低な理不尽な心中を、果たそうとしたのだ。
だというのに。
「平成最後の夏、どうだった!」
前を向いたまま彼が叫ぶ。そのフレーズを言いたいだけじゃないか、とも思ったが、彼のその瑞々しい物言いに何も言えなくなってしまう。
時代が終わるとともに、私たちは高校生としての生を終えた。それに介入してしまうのは、あまりに傲慢なのかもしれなかった。
彼が前を見ている間に、力いっぱい包丁を川へと投げ込む。ボチャン、という呆気ない音がして、それはそのまま流されていった。そうして遠くなった彼との距離を詰めながら、私はありったけの声で叫んだ。
「夏は夏だよ!」
紛れもなく、私たちのこの夏は特別だった。生命を燃やすような蝉の声は、今この瞬間弾けんばかりに大きくなって、次にはふっと掻き消えた。それは確かに夏の終わりであった。
title:ノスタルジー 伊予 @iyoiyoku
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