そしてラムネ色の夏が終わる

五月 病

そしてラムネ色の夏が終わる

「花火大会をしようよ!!」


 休校中のある日、眠っていた僕にそんなラインが飛んできた。

 送信主は高校の同級生、宮本明日香。

 幼稚園からの僕の悪友であり、実を言うと僕の初恋の相手だったりもする。容姿端麗で運動神経バツグン、頭こそちょっぴり弱いところもあるが、幼げなツインテールで笑う姿はとても可愛いのだ。

 まぁ絶対に叶うことがない恋だからもうとっくの昔に乗り切ってしまったのだけど、やっぱり今も少しは意識しないこともない。そんな明日香からの提案は僕を少し高揚させた。


「花火って?どこでやるの」

「学校!!」

「えぇ!?学校!ほんとに言ってるの?」

「本気も本気、今からゆーちゃんちに行ってもいい?」

「今日は父さん仕事だから大丈夫。あ、でも父さん帰ってきたら絶対めんどくさいから口きかないでね!」

「どしたの、喧嘩中?」

「まーそんな感じ」

「了解!じゃあ今からいきまーす」


 熊のスタンプが送信されると同時に家のチャイムが鳴る。早すぎる……


「おじゃまします!」

「んー、僕の部屋来て―!」

「おっけ―!!」


 部屋はいつも綺麗にしているつもりだから女の子をあげても、まぁ大丈夫だよね。

 

「お邪魔しま~す!!」


 僕の杞憂なんてもろともせずに入ってくる明日香。この子って子はどうしていつもこうなのだろうか、まぁ小さい頃から何回も遊びに来てるんだけどさ。


「それで花火って?学校って忍び込むの?まさか夜に?」

「あったりー流石ゆーちゃん、私のことよくわかってる!」

「まじですか……どうしてまたそんな事件を起こそうと思ったの」


 あきれ顔でそう尋ねると明日香は含みを持ったにやけ顔で答えた。


「ん―、何と言うか、それは、思い出作り!的な?」


 明日香は僕のベットに寝ころびビシッと指を突き付ける。この子頭が弱いとは思ってたけど、そういうところなんだよなぁ……それに言葉足らずなところがあるからいつも僕が脳内補完しないといけない。


「それって僕の家とかじゃダメな訳?」

「ほら、私たち、今年で最後じゃんか、だからもっと特別な思い出がほしいんだよね、なんちゃって」


 恥ずかしそうに言った明日香に僕は、はぁと息を吐く。確かに来年はお互い受験生だから今みたいに自由に遊ぶこともできそうにはない。ほんといつも勝手な子だ。

 こっちの気も知らないで。他の誰でもない明日香に頼まれて僕が断れないはずがない。


「分かった、で、いつにするの」

「流石ゆーちゃん!絶対そういってくれると思った!えっとね、待ってね、実は計画書を作ってきたんだ!」


 そう言って明日香は2枚のルーズリーフを取り出す。なにやら手順めいたものと学校の地図が手書きされているけど、これが計画書?胡散臭い顔で明日香を見る。あ、ダメだこれマジな時の顔だ。目がキラキラしてる。もう駄目だ。こうなってしまば僕が止めることができたためしが無い。


「えっとねー、やるのは明後日の15日!この日はお盆で学校も閉庁日だから先生とかの見回りもないって、んで入るときは体育館の裏からカメラに見つからないように、フェンスをのぼる、後は目的のところまでダッシュでいって花火!!もしかしたら今年はなんとか流星群もみえるかもしれないって!」

「割としっかり調べてある」

「へへーん、当たり前でしょ、絶対失敗できないからね!」


 計画書に目を通しながら心の奥底から上がってくるワクワク感を感じる。

 確か昔もこんな感じだったはずだ。明日香が前に立って僕がその後ろをついていく。お互い高校にあがってからは、こんなこともめっきりなくなったからなんだか懐かしい。


「それじゃ、これで私たちは共犯者だね!」


 共犯者、何か大きな秘密を二人だけで共有したようなその言葉の響きはとても耳障りがよかった。

 その日は一日中いろいろと計画の準備をして過ごした。

 大きな不安の中で無限大に高まっていくこの感情は、昔に諦めたものなのか、それともただの高揚感なのか、僕にはそれを決定づけることができなかった。



―※―※―※―※―※―



 そして犯行当日がやってきた。


「それじゃあいくよ」

「うん!」

 

 穏やかな鈴虫の声に隠れて全身黒づくめの僕たちは学校へと忍び込む。

 いつも見ていた昼の景色とは違う雰囲気やこのスリルに心臓がバクバク叫んでいる。僕よりも先にフェンスを飛び越えた明日香も少し緊張した顔をしていた。たぶん僕も同じ顔をしているのだろう。

 中学生くらいの時ならこんなフェンスでも簡単に超えれたのかもしれないけど、てこずってしまったことにお互いひきつった笑顔で微笑み合う。ちょっとだけ緊張がほぐれた。


「それじゃあ、あそこ、桜の木の下までダッシュして花火の準備!!私は掃除のバケツに水入れて持ってく!」

「了解!」


 互いに離れ離れになり暗闇に消えていく。それだけど物凄い不安が夜とともに襲ってくる。一瞬でも足を止めたらもう走れないような気がして僕は桜の木の下まで走っていった。

 野球部のバックネットの裏に咲いた一本の桜の木。そこは前後左右どこからも死角になる絶好の隠れ場所だ。そこで僕は肩ひもの長いリュックから、ろうそくとマッチ、あと花火を取り出す。

 

「もってきた、ゆーちゃん準備大丈夫!!」


 わっさわっさと青バケツの水を結構こぼしながら運んできた明日香の指示に従ってマッチに火をつける。それだけで少しばかりどこか達成感で感動してしまうが、そのままろうそくに火をつけて、花火を手にもつ。


「いくよ」

「うん」


 互いに小さな声で、合図し合う。同時につっこんだ花火は、明日香のから僕へと火を伝い、大きな火薬の音とともに優しく夜を溶かす閃光を放ち始める。


 二本、三本とどんどん花火を消費していった。バックネットのせいで流星群は見えそうになかった。でも、そんなこと関係ないくらいに穏やかで、それでいてとても心地よい時間がゆるりと流れていった。


「あのさ、ゆーちゃん」


 線香花火が火種を落とした時、明日香はそう言った。


「私さ、夏の終わりに、引っ越しちゃうんだ」

「――そっか」


 僕の火種も追いかけるように落ちていく。ろうそくの火だけが僕たちを照らす。


「そっか」


 もう一度、無意識に呟いてしまった。本当はずっと前から知っていた。

 背け続けていた、明日香から聞くまでは無視しようとしていた事実がようやく僕に突き付けられた。

 何日も前から、何カ月も前から、知っていた。昔から家族ぐるみの付き合いだったから、ずっと前に、親から聞かされていた。だけど。怖くて何も聞けなかったんだ。


「いつ」


 それも知っている。


「8月30日。ホントは31日にいくつもりだったんだけど、学校とかいろいろ手続きあるから」

「そっか、どこに」


 それも知っている。


「東京」

「そっか、だいぶ遠いね」

「ずっと黙っててごめん」


 ゆらゆら揺れる火を見ながら僕は黙ってしまった。気味の悪い静寂が続く。

 明日香は今、何を思っているのだろうか。ひょっとしたらおバカなりに僕が怒っているのかと考えているのかもしれない。ずっと昔から、元気で、頼もしくて、明日香が泣いてるところなんてお化け屋敷ぐらいでしか見たことがなくて、ずっと、ずっと昔からその姿を見続けてきて、本当に、長い間、ずっと見続けてきた。


「あーちゃん。僕もずっとあーちゃんに言えなかった言葉がある」

「ん」


 あーちゃん。それは僕が小学生のころまで呼んでいた呼び方だ。

 

「好きだよ、あーちゃん」


「私もだよ、ゆーちゃん」


 そう言ってほほ笑んだ明日香を見て僕はあの時と同じ感情を抱く。

 小学生四年生の時、まだあーちゃんと呼んでいたあの時に僕は一度だけ明日香に恋心を打ち明けたことがあった、まだお互い小さかったが、僕は少しだけませていたこともあり、明日香が僕の言葉をどんな解釈をして受け取ってくれたのかもすぐに分かった。今回も、同じだ。


 ふっ、と涙とともに笑いが零れた。やっぱりあーちゃんは馬鹿だ。僕がどんな気持ちでこの言葉を言ったのかすらもきっとわかっていないのだろう。どこまで行ったとしても、僕と彼女にある壁は親友でしかとどまることができず、それより先にはいくことができない。


「ねぇ、あーちゃん。もし、よかったらなんだけど。明日も、こうしてどっかにでかけない?僕も、まだ思い出作りがしたいんだ」

「うん!!」


 夜の闇でも分かる、弾けた笑顔が僕には酷く眩しく感じた。

 残り2個の線香花火。

 この火がいつまでも消えなければいいのにと、そう願いながら、僕たちはその花火に火をつけた。



 次の日からは、淡く炭酸がはじけたような日々が目まぐるしく過ぎていった。

 茹だるような猛暑の日も、入道雲に襲われ雨でずぶ濡れになった日も、カブトムシを取りに朝早くから山に行った日も、季節は一日も待ってはくれなかった。

 変わりばんこで毎日どこに行きたいかを出し合って、毎日小さなこどものように馬鹿をした。


 本当に楽しい毎日だった。


 そして、気が付けば、いつしかさよならを言う日になってしまっていた。


 誰もいない朝のプラットホーム。僕と明日香だけが世界に取り残されたそんな感じすらしてしまう静寂の中で僕たちは優しく抱き合った。


「今の時代一生会えなくなるなんてわけじゃないんだから、そんな泣かないでよ」

「あーちゃん、ごめん――でも、泣かせて」

「ゆーちゃんのバカ、そんなんされたら私だって、泣いちゃうじゃん」


――今度会うときは、お互いもっと可愛い女の子になっていようね

――うん、約束だよ


 汽笛が永遠を破り、時間を告げた。


「じゃあね、さよなら!」

「絶対!ラインするから!手紙も書くから!電話もするから!絶対、絶対!約束だから!!」

 

 いつまでも手を振る明日香に僕は叫んだ。

 遠ざかっていく電車はやがて陽炎に消え、残響音も次第に薄れていく。

 だけど、僕はこの肌に感じた温もりだけは決して忘れない。


 そうして、「僕」たちの夏は、幕を閉じた。

 私たちの青春にはいつだってラムネ色の風が吹いていた。


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