すべてのきっかけ

 十二月二十六日、塔弥は午後四時頃、アルバイトを終えた。夕食の材料を近くのスーパーで購入し、マンションへ帰った。

 エントランスへ入ると、郵便受けを調べた。縦長の茶色い封筒と白い洋封筒が入っていた。

 部屋まで持って帰り、食材を冷蔵庫に仕舞ってから封筒を確認した。茶色の封筒には、塔弥が卒業後に入社する企業からの今後の案内が書かれた紙が入っていた。適当に読んで、今度は白い封筒を手に取った。宛名はどこにも書かれていない。直接投函されたということで間違いない。

 中には折り畳まれた紙が二枚入っていた。裏表にぎっしりと手書きで文字が書かれている。見覚えのある筆致だ。

 塔弥はベッドのへりに座り、深呼吸をしてから手紙に目を落とした。もう何かの暗号のような文章ではない。しっかりと書き手の表情が分かるような、思いの籠もった文章である。

『お手紙、読みました。でも本題に入る前にまずは言わせてください。私を部屋まで運んでくれてありがとう。二十五日のお昼ごろ、目が覚めました。私のことを考えて手紙を書いてくれるなんて、さすがは塔弥くんだと思います。おかげで置かれている状況をすぐに理解することができました。

 塔弥くんが書いていたこと、ほとんど正解です。変なことばかりしてしまってごめんなさい。自分のことで精一杯で、塔弥くんのことを全然考えていなかったと思います。許してもらえるわけないよね。

 私が同性愛だと感じたのは、最後の舞台の稽古が始まってからでした。私は、男装する女性を好きになる役。男装した久美を前に愛を伝える台詞を言っているうちに、なぜかどきどきするようになりました。最初は役への感情移入のし過ぎかと思っていましたが、次第にただ久美を見ているだけで、気持ちが落ち着かなくなっていきました。これは変だな、と思いながらしばらく過ごしていました。

 明らかに気が変になったのは、十一月三十日に久美の家に行った日でした。私がテキーラを飲んで倒れたこと、覚えてるよね? あのあと、久美のベッドに連れて行ってもらって、私は体調を整えようとしました。でもどういうわけか、どんどん変な気分になっていきました。それで気づいたんです。久美が毎日寝ている布団だと意識してしまって、興奮が抑えられなかったのだという風に。

 私は気を落ち着かせるためにベッドから出ようとしました。でも塔弥くんは、私を止めようとしたよね。私は早く出ないとおかしくなりそうだったから、思わず叫んでしまいました。迷惑をかけたくないから帰りたいというのは、咄嗟に思いついた嘘です。ごめんなさい。

 自分の気持ちに気づいたけど、塔弥くんとは普通に接しようと努めていました。男の人を好きだった昔の気持ちと、女の人を好きになった現在の気持ち、どっちに従うべきか迷っていたからです。というより、同性を好きになるということがいいことだとは思っていなかったことが大きな要因です。〝普通〟じゃないと思っていました。

 でも、そんな私が変わるきっかけがありました。それが、杉原さんと会ったことです。そう、あの留守電の人です。三十代の女性で、私と同じように女の人が好きで、実際にお付き合いされている方がいらっしゃるそうです。

 杉原さんは、同性愛の方々を支援する団体に所属しています。私が杉原さんと会ったのは、杉原さんが街中で募金活動をされている時でした。この人に相談すれば何かが変わるかも知れないと思って声をかけてみると、すごく親身になって話を聞いてくれました。類は友を呼ぶとはこのことのようです。カフェでさらにいろいろと話し、すぐに仲良くなりました。私は自分と同じ性質の人が近くにいるという安心感を身につけ、自分はこうあっていいんだ、と思えるようになりました。

 心機一転のため、私は髪をばっさりと切りました。その次の日、塔弥くんに大学で会い、髪のことを指摘されました。でも私は塔弥くんを見た瞬間から、髪のことよりも、塔弥くんに本当のことをどう伝えようかということに頭を支配されていました。それでどうしていいか分からなくなった私は、とりあえず塔弥くんから離れることを決めました。その時からです。私が塔弥くんを避ける癖がついたのは。

 塔弥くんが書いてくれたように、そんな自分を戒めるために手紙を書きました。そうです。本番のあと塔弥くんに全てを打ち明け、塔弥くんと別れる覚悟を決めたんです。

 でも、私は少し逃げ道を用意していました。それは、手紙の内容で私の気持ち、決意を示唆したことです。覚悟を決めたとは言っても、やはり自分から言うのはすごく勇気がいりました。だから、塔弥くんに手紙を読解してもらって、私が女性好きだということを気づいてもらえればいいなと思っていました。そうすれば楽に打ち明けられると思っていました。

 塔弥くんがそれに気づいた気配は、見る限りありませんでした。でもイブのことは分かってたんだね。すごいと思います。

 結局自分で言わないといけないという圧力は、日に日に増していきました。そしてどんどん塔弥くんを避けるようになってしまいました。だけど私は、今まで塔弥くんにいろんなことをしてもらってきたのに、何も恩返しができないまま距離を置いているということに心が痛くなりました。何でもいいから塔弥くんのためになることをやらないといけないと思いました。

 そんな時、莉央がインターネットで塔弥くんの悪口を書いているのを見つけました。まだ仲直りができていないことを悟った私は、莉央の所に行って話をしました。塔弥くんは悪い人じゃない、塔弥くんは仲良くする価値のある人だと、私は訴えました。三時間くらい説得したのかな? 莉央は最後には首を縦に振ってくれました。それで本番の日、莉央と塔弥くんが喋っているのを見て私は素直に嬉しかったです。少しは恩返しができたのかな、と思いました。

 本番前日に塔弥くんを誘ったのも、恩返しの意味合いがありました。塔弥くんの喜んだ顔が最後に見られて、私は幸せです。

 あとは勇気を出して伝えるだけというところでしたが、私は本番中に倒れてしまったんだよね。自分の口で言えなかったことは、今となっては残念に思います。そして、こんな形での告白になってしまったことを謝りたいです。

 塔弥くん、今までありがとう。こんな私を想い続けてくれるというのは嬉しいです。でも、やっぱり当分は自分の気持ちに素直になりたいと思っています。なので、私たちの関係は一旦ここで終わり

ということで、どうか理解してください。

 最後に。久美が私のことを好きではないということを知って、ショックがあるのと、久美に申し訳ないことをしたなという気持ちが織り混ざっています。でも私は、やっぱり同性の初恋の相手として久美を諦められません。一度私の想いを伝えてみたいと思っています。もし応援してくれるなら、よろしくお願いします。

 長くなりました。これが私の気持ちです。今までありがとうございました。塔弥くんとの二年間、私も楽しかったです。これからはお友達として接してくれたら嬉しいです。真由美』

 塔弥は手紙をデスクの上に置き、窓を開けて外を眺めた。茜色の空には雲一つなく、遠くでカラスが鳴いている。寂しい気持ちがするのは、その景観のせいではないだろう。

真由美は未だに罪悪感を抱いている――塔弥はそう思わずにはいられなかった。例の暗号のような手紙には真由美の気持ちと決意が書かれているということを知り、ようやく手紙を読解できた気がしたのだ。

 彼女が『罪』と記していたのは、今の社会が同性愛を法的に認めていないということ。『さになき女』は「差に泣き女」、つまり性という差、そして社会との意識の差があることで苦しんでいるということ。そして『みなが殺し』については、「みな」は社会全体のことで、「殺し」は批判の比喩だ。すなわち、同性愛をする人は依然、社会で批判される立場にあるということだろう。

 真由美はそういう身であるということを自覚した上で、名前の代わりに『哀』と書いた。それは「哀しい」のではなく、「哀れ」という意味だったと塔弥は思った。つまり、真由美は自分が同性愛だと自覚しながら、社会との意識の差に敏感になっている。うまく立ち回ることができないそんな自分の態度が「哀れ」なのだ。

 塔弥は窓を閉じ、椅子に腰を下ろした。デスクの上には、いつか撮った真由美の写真が立てられている。それを手に取って顔に近づけた。

 彼女は恥ずかしそうにこちらを向いている。だがその表情が本当に恥じらいから生じているものなのか、今の塔弥には分からないのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイのきっかけ 天井昇風 @syohu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ