ザンショーズ・クエスト

猫山

第1話

 ショルダーバッグに小さな小銭入れと、すでに水滴まみれのペットボトルを入れる。ベリベリと、うるさいスポーツサンダルを履いて、狭い家の玄関を出る。ちょっと蒸す風を浴びながら、自転車と共にマンションのエントランスに向かう。大通りに面した出口をくぐれば、まぶしい世界が歓迎してくれる。光で満足に開けられない目で覗く、青と緑。そして、少しのコンクリート。

 それが、僕の夏休み。


「夏が嫌いだ……」

 厚手のパーカーのチャックをすべて閉め、両手で熱々のココアが入ったマグを持ち、つぶやく。それが、今の僕。

「また言ってやがる。秋も冬も春も、嫌いなくせに」

 同期の川内は、横で長袖のYシャツをまくり、アイスティーを飲みながら笑いかけてくる。俺のデスクに腰掛け、書類を読み始めた。

「うるせー。 ……あー。室内調節設備、壊れねぇかな」

 渡されたページを読みながら、愚痴る。

「機械を呪ったところで、その機械に生かされている俺たちが死ぬだけだろ。じゃ、宮本、資料よろしく」

「僕はとっくに殺されかけている。定時前にメールする」

 軽く手を振り、ホットココアを啜る。対して川内は、酒を飲むふりを見せる。

「じゃ、いつものとこで」

 笑顔で返事をすると、川内はご機嫌に革の鞄に資料を突っ込み、オフィスを去っていった。

 僕は、擦り切れて記号などが読めないキーボードをたたき始める。

 ふいに、壁に目を向ける。いつかやったゲームの世界のような画面が表示されている。いわゆるバーチャル窓。五十六階の壁に、窓はひとつもない。法律上、地上に窓は設けられない。日差しが入って、死に至るからだ。

 窓が映すどっかの草原は、なんかの風で一定に揺らいでいる。遠くには牛と羊がいる。近くには一時間ごとに鳴く鶏が、スタンバイ。

「十六時です。残業の予定がある方は、タイムカード登録の申請と修正をしてください」

 聞きなれた美声で要件を伝えると、鶏は画面端へと消えた。定時間際になると、使われない会議室などの室内調節は電源が切られる。単に室内調節設備の点検がオートで行われるだけだが、僕は若干うれしくなる。冷房がひとつ、またひとつ、切られるからだ。底冷えは和らぐ。とはいえ、まだまだ日が残っている。

「なんの問題もない、普通の日だねぇ」

 珈琲を啜りながら、のんびり部長がつぶやいた。メンバー同士が他愛無い無駄話ができる、平和な金曜の夕方。

 すでに冷えたココアの最後の一口を啜り、指を再び動かし始めた。


 今日の夏は、まさに『殺人的猛暑』。夏に日光を浴びるもんなら、三十分も立たないうちに、死に至る。いわゆる温暖化と、ビル群の室外機の温風と、島国日本特有の蒸し暑さが、五割増しとなり、東京都の中心部は引きこもりと化した。

 

 堂々と外を歩けるのは、冬のみ(気温や天気など条件が揃えばだが)。空気汚染により、糞高い立派なガスマスクが必要だが。春秋は花粉で九割の人は出歩けない。花粉を持ち込んでしまうため、残りの人も外出禁止とされる。まぁ、花粉は一年中あるが。

 そこで開発されたのが、室内調節設備。建物、地下街など、人が存在するエリア内の気温調節を自動で行う設備。簡単に言えば、超クーラー。外気の熱を通さず、籠らせないよう、壁・地面から冷やし、空調も徹底的に冷やす。寒い冬は、地下からこみ上げる地熱とごみ処理の熱で温める。

 今立っているビル群も、昔の産物を内側から改装したもののみ。外での工事ができないならばと、新しい建物は地下へ伸びていく。最近では、地熱も、温泉も、東京ではあって当たり前になった。

 毎日快適な室温調節された、活動エリア。室内調節設備は、外の厳しい環境をどうにかするだけなので、空調設備も並行して行われる。

 つまり、機械の空気を年がら年中浴びるわけだ。冷房・暖房が苦手な人間は、東京では暮らせない。



「……という時代に合わせ、わが社はクールウォーマーを企画しました! 布型AI搭載で、いつでも快適に貴方を守ります。空調が肌に触れないよう、なおかつ布が常に適温になるので、気温差もありません!」

 適当なビニールに包まれた無地のタオルケットを、百貨店店員のように持ち上げる川内。僕は鼻で笑う。今日は、売りたくないものを作った打ち上げだ。

「鉾が刺さった盾を売り出して、どうするんだよ!」

 川内は、手に持っていたタオルケットを、足元の鞄へ投げ捨てた。僕はそれを手に取って眺めてみた。ちょっとほしい。

「云年前のオフィスワーカーも、ひざ掛けは年中使ってたよ。それに、僕は心惹かれる。」

「わかる。わかっている。そりゃ、需要はあるんだよ。人を生かす室内調節設備から逃れるような商品だぜ? 上に潰されるわ!」

 ビールの三口目を飲み切ってから、川内はグチグチした。僕は電子メニューから、ビールと熱燗を追加注文した。今日は長そうだ。

「そもそも、利用者がいても、売らせてくれないのは国だ。どの会社も均等に……って、それは空気以外もかよ! いい加減に利益操作はしないでくれよ!」

 わが社、高尾山通グループ問わず、商品営業部は、国と都と会社の板挟みになっている。商品を企画し、売りにいかなければならない。が、企画後に茶々入れられて、まったく別の商品になることもしばしばある。まぁ、その点は、技術部・製造部もだろうが。多くの技術者は、免許制で管理され、国と都が雇っている。新しい発明などは、企業側はほぼ見込めない。更にほとんどの商標登録も、買い取られている状態だ。会社の技術者も出向として勤めているため、知的財産はほぼ入らない。よくあるものしか、作れないのだ。

 国はさらなる開発のため、企業の競争のためと、公表はしているものの、勤めている身としては納得いかない。

 僕が今いるマーケティング部でも、国民の不平不満は耳にする。それらの声を形にするべきだが、上が許してくれない。そして、商品営業部は、もみくちゃにされる。

 仕事の愚痴は、半分は政治の愚痴になってしまうのも、東京の風物詩。川内の話半分、目の前で焼かれている銀杏の皮を、ずっと眺めていた。焼き場の傍は暖かい。

「それに付け加え、お見合い話も持ってこられちゃ、会社から逃げられん」

 思わず顔も向ける。

「川内にお見合い?」

「社内表彰のせいだろ」

 あー……。下手に仕事ができちゃう奴は、貧乏くじも引きやすい。

「俺は、稼ぎたいだけ! 遊びたいだけ! 国の偉いやつにはなりたくない!」

「お見合い話で飛躍しすぎじゃない?」

 ドローンで運ばれたビールを手に取り、川内は鼻で笑った。

「今のお上は、政略結婚で奴隷の伝手を集めてんだよ」

「いつの時代よ」

「しらん。どっかの官僚は、最近商標登録していたリクレーション社の一族を娶っていたらしい。企業戦略としても、政略結婚して縁を繋げたいんだろ」

「政略結婚ねぇ……」

 熱燗を手酌しながら、ぼーっと考える。

「……で、結婚すんの?」

「しらん」

 冷めた焼き鳥の櫛を加えながら、川内もぼーっとする。

 大学時代に知り合ってから、なんやかんやで、十年。二人とも立派なアラサーである。周りは、割と結婚して、幸せな家庭を築いている。うれしい反面、焦りもある、そんなお年頃なのだ。

「夏ってさ……。何かしなきゃなーって気持ちにならないか?」

 ビールジョッキの結露を指で拭いながら、川内はぼそっと言った。大学の夏休みでも、あいつは言っていた。

 毎日が同じで、飽き始める。脱皮をするように、新しいことに挑戦することが増える時期。アニメの主人公だって、夏に冒険を始める。

 僕は手の中にあるおちょこを回しながら、十歳若返った気持ちで言う。

「何歳になっても、始めるのに遅いことはないよ」

 自分にも言い聞かせることはできただろうか。

 いつまでも、同じ考えということはない。物事は流動する。それでも、夏は夏だ。

 昔の自分なら、何をしただろうか。

「……なぁ、宮本。避暑地に行かないか?」

「いいねぇ」

 逃げるように、男二人の小旅行が決定した。

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