第8話 目的②




 ケモノと男が船着き場を出てから随分と経ち、太陽はケモノたちのちょうど真上から道を照らしていた。

 季節がら日の光がそれほど強くなかったものの、歩幅の小さなケモノが男に合わせて歩き続けるというのは想像以上にきついものだった。加えて、昨晩十分に眠れていないケモノは、ディオニソスまでの道のりの約四割というところで既に疲労困憊の様だった。


 とは言え、奴隷である獣人が人間に文句を垂れるというのは、奴隷である獣人にとっては何よりも恐ろしいことであった。縄で縛られ、鞭を打たれ、意識を失えば水をかけられてまたお仕置きが始まる。

 それはこれまで奴隷であったケモノが何度も見てきた光景で、何度も経験してきたことであった。それゆえ、ケモノは足の皮がむけて血が流れていようとも、一言の泣き言を言うことなく、男に後れを取らないよう着いていった。


 そんな矢先、ケモノたちの後ろから一台の荷馬車がやってきた。

 馬の手綱を握っていたのは齢二十そこらの若い青年で、荷台には獣の皮が積み重ねられた様子からその青年が行商であることは容易に推測できた。



「やあ、どうも」



 男が青年に声をかけると、行商も小さく会釈を返した。



「これはシユウの皮か……またなかなかの量だ。一体どちらまで?」



「ええ、キクロプまでです」



 荷台を覗き込んだ男が声をかけると、行商は馬の足を休ませて男の言葉に答えた。


 キクロプは男たちが向かう町よりもさらに西にある古都である。男たちが歩いてきた道は平野を分け隔てた一本道であり、地形を知っていれば商人が向かう先はディオニソスかキクロプ、あるいはその先であることは当然であった。

 勿論、男はディオニソスの先にキクロプがあることも、この道の先にそれらの町があることも理解した上で行商に声をかけていた。



「実はディオニソスに向かってるんだが、見ての通り連れが足を挫いてしまってね。もしよかったら荷台に乗せて運んで欲しいんだが」



 と、男は血の滴るケモノの足に視線を落とした。そんな男の言葉に商人は悩んだ様子を見せた。


 品物や貨幣を積んだ行商からすれば、見知らぬ者を馬車に乗せるというのは一種の賭けであった。もしそれが商人や貴族であれば、恩を売ることで今後の商売に直結し得るまたとない機会である。一方、悪人であれば品物や貨幣を奪われるどころか、後ろからナイフで刺されでもすれば簡単に命を落とす。

 いくら行商としての経験が浅いといっても、男の品のない喋り方から男が商人の類でないことは数個の会話で理解できた。ましてや、貴族の立ち振る舞いにはあまりにかけ離れており、本来であれば断るのが得策と言わざるを得ない状況であった。



「確かにディオニソスまでは距離がありますね」



 場を濁しながら、行商は男の様子に探りを入れた。



「もちろんただで乗せてくれとは言わねぇ。ただ生憎、金を持ち合わせてないもんでな……代わりにディオニソスに着くまで護衛をするってので手を打ってくれないか」



「なるほど、護衛ですか」



 何とか断ろうと言葉を探していた行商であったが、護衛と言うあまりに予想外の言葉に思わず唸り声を上げた。

 行商が改めて男を見ると、確かにそのがっしりとした佇まいは護衛と言うには十分であった。男が背中に担いだ剣は説得力を増し、何より、自ら護衛と言うところに自信があるのだろうと行商はふんだ。


 加えて、行商は男の隣に立つ少女、ケモノのことを心配していた。足の怪我は勿論、赤頭巾の下から時折のぞかせる幼い表情は青ざめており、ケモノの具合が悪いことは一目瞭然であった。



「分かりました。では護衛ということで共に行きましょう」



 良心が後押ししたのか、行商は二人を荷台に乗せていくことを了承した。

 二人が荷台に乗り込んだのを確認した行商が手綱を引くと、馬はゆっくりと荷台を引き始めた。




 一人離れて座っていたケモノが、青い空に浮かぶ白い雲を見つめる。

 そう言えば、ちょうど昨日の今頃も馬車に乗っていたことを思い出したが、今のケモノにとってはそれが随分と前のことのように思えた。それだけケモノにとってはこの一日が目新しいことの連続だったようだ。



「ところで、ディオニソスへは何をしに行かれるんですか?」



 馬の手綱を握った行商が、近くに座っていた男に尋ねた。



「知り合いが住んでるんだが、近くに来たもんだから顔を出そうかと思ってな」



「それはそれは」



 と行商は男に笑顔で言葉を返した。



「ところで、そちらは娘さんですか?」



「ああそうだ。顔は別嬪なんだが、小さい時に顔に大きな傷を作っちまってな。ああやって布を被って顔を見られないようにるんだとよ」



「そうでしたか、お若いのに気の毒なことで……」



 そう言った行商はそれ以上ケモノについての尋ねるのをやめた。


 商人は人との会話が商売の要だけあって、他人の嘘や不自然な仕草には敏感である。しかし、男が並べる出任せもそれは見事なもので、ケモノが獣人であることも、ケモノが男の娘という嘘も、商人は全く疑っている様子はなかった。

 荷台の後ろの方で聞き耳を立てていたケモノは内心ひやひやしていたが、行商の様子に胸をなでおろした。


 舗装されていない道を走る馬車は、小石を踏むたびにゴトリと大きく揺れた。

 その不定期な振動がどこか心地よく、また、積んであった何十という毛皮から発せられるケモノの臭いもどこか懐かしさを感じたのかもしれない。ケモノは馬車のアオリに背中を預け、静かに眠りについた。



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エデンに花束を 一人歩 @onesown

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