第7話 目的①




 一夜が明けて朝露が晴れ始めようとした頃、ケモノたちを乗せた船はロディニア大陸の船着き場に到着した。初めて外の世界に出たという興奮と不安からか、昨晩ほとんど眠ることができなかったケモノの顔は少し疲れた表情が浮かんでいた。

 だが、ケモノの興奮は未だ収まっておらず、むしろ昨夜よりも今の方が興奮状態にあるといっても過言ではなかった。というのも、昨日訪れたグラッコの町はケモノがこれまで住んでいた町をはるかに凌駕する賑やかさであったものの、グラッコの町があるバールバラ大陸は世界でも最も小さい大陸であった。一方、このロディニア大陸は世界で最も大きい大陸であり、幼いころから物語が好きであったケモノにとってそんな未知の世界を見るのが楽しみでしょうがなかったのだ。


 そんな胸の高鳴りを抱えたケモノであったが、船を下りたケモノはその光景に思わず拍子抜けしてしまった。

 森のような場所の一帯を切り開いてできた小さな土地に、船が迷わないようにと建てられた小さな灯台が一つ。建物は一切なく、数人の商人が敷き藁の上に品物を並べただけの露店は、大きな町を想像していたケモノにとってあまりに殺風景であった。



「嬢ちゃん、悪いがここらでちょっと待っててくれるか?」



 船を下りたところで突っ立っているケモノに男は声をかけた。その声にケモノは我を取り戻し、そして小さく頷くと、男は一人で品物を広げる商人のもとへと歩いて行った。



「ちょっと聞きたいことがあるんだが」



「はい、何でしょう?」



 男の言葉に商人がにこやかに答えた。



「この辺りで獣人を扱ってる商人はいないか?」



「それなら私が」



 と、商人は男に答え、後ろ立たせていた2匹の獣人をチラリと見た。


 獣人が人間の奴隷となったのはおおよそ500年ほど前である。その当時は獣人の数も少なく貴重であり、なおかつ人間にはない身体能力を持つ獣人は高値で取引されていた。

 しかし、時が経つにつれて獣人の数も増え、その市場価値が低くなった今では平民が労働力として獣人を所持していることも珍しくはない。それゆえ、獣人を扱う商人「獣人商」も今や世界各地に数多く存在している。



「なんだ、あんた獣人商だったのか。なら話は早い」



 男は手間が省けたことに少しだけ上機嫌になる。そして船の前に置いて来たケモノを親指で小さく指差し、また商人と話を続けた。



「あの獣人を買い取って欲しいんだ。いくらになる?」



「獣人……あの赤頭巾の少女、ですか?」



 一瞬どれを指しているのか理解できなかった商人は男に尋ね返した。



「そうだ。なかなかだろ」



 男が自慢げに声を漏らした。

 ケモノはそんな男と商人の会話には一切気づいていない様子で、二人に見守られながらも物珍しそうにあたりを見回す。まるで人間の子供のような、そんなケモノの様子を商人はじっくりと眺めた。



「そうですね……5万ジルでいかがでしょう」



「5万ジルだぁ!?」



 商人の言葉を聞いた男が声を荒げた。

 その表情は驚きと、それを隠すように呆れた笑いを浮かべた顔だった。



「おいおいおい、桁を一つ間違えてねぇか?歳だってまだ10歳ちょっと、顔だって悪くねぇ。何よりあいつには尻尾がねぇんだ、あいつほど人間に近い獣人なんて俺は今まで見たことがねぇ」



 詰め寄る男に商人は困惑した表情を浮かべた。



「で……では7万ジルでいか――」



「はん!話にならねぇな!」



 馬鹿にするなと言わんばかりの声で、男は食い気味に言葉を放った。そして荒い鼻息をひとつ吐いて、男はケモノの元へと戻っていった。



「悪い。待たせたな嬢ちゃん」



「ううん」



 ケモノの元に戻ってきた男は簡単に謝罪の言葉を並べると、ケモノはその言葉に小さく首を振った。

 すると男は肩にかけていた鞄の中から一本の小さな筒を取り出し、その中から出てきた一枚の紙を広げて眺め始めた。



「しょうがねぇ、ちょっと距離はあるがキクロプまで行けば……。いや、待てよ。それならあのジジイの方が近いか……」



 男が広げた紙を見ながらブツブツと独り言をもらす。男の視線に合わせて広げられたその紙はケモノの背丈では到底見ることはできなかったが、何が描かれてあるのか気になったケモノはその紙を一目見てみたいという好奇心が溢れ出た。

 とは言え、自分から話しかける勇気がないケモノは男に声をかけるなんてことができるはずもなかった。そのかわり、ケモノは背伸びをしてみたり、紙の裏側から透かして見たりと、男の邪魔にならない程度に色々と身体を動かしてみた。


 そんなケモノがやはり目障りだったのか、男は面倒くさそうな表情を浮かべながらケモノの視線に合わせるように男は屈んだ。



「嬢ちゃん、見たことあるか?」



 ようやく紙に描かれているものを見れたケモノであったが、何が描かれているのか全く分からず、男の言葉にケモノは無言で首を横に振った。



「これは地図っつって、たとえばこれだとこのロディニア大陸を小さくしたようなもんだ」



 そう説明する男だったが、ケモノには今一ピンと来ている様子はなく、ただ物珍しそうに地図を眺めていた。



「例えばだな、ここが今俺たちのいる船着き場だ。そうすると少し左に行った場所に小さな家のマークが見えるだろ?これが町を示してるんだ」



 そう言いながら、男は地図上の一か所を指差し、そこからゆっくりとその指を動かしていった。



「つまり、ここから少し歩けば、町があるっていうことだ。まあ少しって言っても半日くらいはかかるだろうが」



「そうなんだ」



 と、ケモノが抑揚の無い空返事を返す。


 ケモノが理解していないことを瞬時に悟った男だったが、獣人だからしょうがないという気持ちが勝ったようだ。男はケモノにそれ以上説明するのを諦めた。



「ということでだ。今からディオニソスに向かう」



 立ち上がった男は地図を鞄の中にしまい、ケモノに声をかけた。するとケモノはやはり無言でコクンと一回頷いた。



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