第6話 ケモノとおじさん⑥




 昼下がりの港町はいつもと同じように流れていく。


 その袋の中身が気になる者もいなければ、ケモノが入っているのではないかと怪しむ者なんてだれ一人としていない。まるで初めからケモノという存在がなかったように、騒がしかったイゼッタの露店は道行く人で賑わっていた。

 無論、分厚い麻に閉じ込められたケモノにはその光景を知る由もなかった。


 男は賑わう露店に一切の視線を移すことなく、一直線に船着き場へと向かう。先ほどまで泊まっていた船は既に出航したようで、波止場には替わりの少し小さめの船が泊まっていた。騒ぎを感じ取ったのか、ケモノにオピウムの粉の運搬を頼んだ船乗りたちの姿もそこにはなかった。


 男は船乗りに無言で一人分の乗船券を渡し、そのまま船へと乗り込んだ。そして船の中を数分ほど歩いた男は人の気配がない廊下を見つけ、ケモノが入った麻袋を床におろした。

 床に置いてみると不自然に動く麻袋。その口の紐を男が解くと、苦しそうな様子のケモノが麻袋の口から顔を覗かせた。



「ありがとう、おじさん」



「なっ……おじ……」



 笑顔を浮かべるケモノとは対照的に、男はケモノの言葉に一瞬顔を強張らせた。



「……?」



「いや、なんでもない」



 不思議そうな表情を浮かべるケモノに、男は少し呆れた様子で顔を抑えた。



「それよりも、船に乗れたからといって安全が保障されたわけじゃねぇからな。見て回るのはいいが、あまり目立たないようにしておけよ」



 そう言って男はケモノの被っていた赤頭巾をグイッと深く被せた。



「さてと……。ロクス港まで1時間ほどだが、どうするか」



 フーっと面倒くさそうな鼻息をひとつ吐いた男がケモノを見つめた。

 お前に合わせると言っているような、邪魔だと言っているような、何とも言えないその表情にケモノは目のやり場を失う。



「まぁ折角だからな……。甲板の方にでも行ってみるか」



 そんなケモノの様子を察したのか、意外にも男の方から口を開いた。

 その言葉にケモノは首を縦に振るものの、やはり男はどことなくけだるそうな感じだ。




 甲板へと続く階段を上がり、ケモノと男は陽気な日差しに目を細めた。船内の廊下とは違い、大人から子供までそれなりに人で賑わってはいるが、どうやら獣人はいなさそうだ。


 ボォー

 と、この日何度か聞いた音が耳元で大きく轟いた。まるでケモノが甲板に出てくるのを待っていたかのように、ケモノたちを乗せた船がゆらりと動き出す。と同時に、鳴き声と共にカモメの影が楽しそうに床に黒く彩り始めた。



「嬢ちゃんは船に乗ったことはあるのか?」



 甲板の先端に向けて歩きながら男が尋ねた。

 ケモノは男にわかる程度に首を小さく横に振る。



「じゃあバールバラから出たこともねぇのか」



 その言葉にケモノはコクリと小さく頷いた。男はさらに何か聞きたそうに口を動かしたが、甲板の先端に着いたためかその言葉を口に出すことはなかった。


 男に続いて看板の先端に着いたケモノは物珍しそうに柵から身を乗り出した。ただ波打つだけの水面を、ケモノは口を開き楽しそうに眺める。

 船が揺れるたびにかき分けられる水は白い波を打ち、数秒後には暗い海に飲み込まれて消えていく。男にはその魅力が一切理解できなかったようで、代わりにその様子をじっと眺めるケモノを見つめた。



「じゃあ俺はあっちの椅子で休んでるから、あまり目立つようなことはするなよ」



 十数秒ほどケモノを見守った男はそう言うと、ケモノの反応も待たずにその場を離れた。


 ケモノは男の背中を見送り、そしてもう一度深い海を覗き込んだ。黒くて先が見えない海を見ていると、小さな頃に主に読んでもらった海底都市の話を思い出した。

 とは言え、もう何年も前の話。ケモノも内容はあまり覚えてはいないが、主から聞かされたその話が好きだったことだけしか覚えていなかった。




 1時間ほど海を眺めていたケモノだったが、流石に同じような光景に飽きたようでケモノもその場を離れようとした。



「おかーさん早く早く!」



 とその時、ちょうどケモノとすれ違うように看板の先端に走り過ぎていった子供が大きな声で叫ぶ。ついさっきまでケモノがいた場所で手を振る子供を、ケモノの視線の先にいる母親らしき女性が優しい笑顔で見守っていた。


 ケモノはその母親のすぐ隣を通り過ぎ、鋼板を中腹の方へ歩いていると、一人掛けの大きな椅子にもたれ掛かって座る男の姿が見えた。

 ケモノは男の方へと近づいてみたが、ケモノに反応する様子はなかった。どうやら男はどうやら夢の世界にいるようだ。


 ケモノは男を起こさないよう静かに男の目の前に立ち、そして気持ち良さそうに小さないびきをかいていた男の寝顔に顔を近づけた。

 髭の生えた濃い顔。がっしりとした体つきではあるが、やはり歳相応の皺が所々に目立つ。自分の親がもし生きていたらこのくらいの年なのだろうか、なんてことを想像してみた。



「んごっ!?」



 息苦しそうに詰まる鼻息をひとつ、男の目が勢いよく開いた。突拍子もなく目を開いた男に驚いた様子で、その場に固まったままパチパチと何度か瞬きをすることしかできなかった。

 男は男で、目を覚ました途端に目の前に大大と広がったケモノの顔に、思わず思考回路が停止する。

 ずっとそこにいたのか、それとも偶然この瞬間ここにいただけなのか。思考を取り戻した男がとりあえず何かを言葉にしようとしたが、そんな実のない疑問はケモノの赤く深い瞳に消されてしまった。




 青々とした空はいつの間にか灰色に薄れており、春先ともあってか船の上を通り抜ける風も肌寒さが増す。数秒程男と見つめ合っていたケモノは一通の風に身体を少しだけ縮こめた。



「寒いな……。入るか」



 そんなケモノの姿に、男がおもむろ口を開いた。その言葉にケモノが少し後ろに下がると、男は無言で立ち上がって船内へと続く扉の方へと歩いて行った。ケモノも言葉を発することなく、男の背中を追った。




 船は進む。

 色々な想いを乗せてロディニア大陸へ。



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