堕ちてよ

矢向 亜紀

ねぇ

 学校帰りのバスの中で。制服のスカートの裾からのぞく、四つの膝小僧が並ぶ。

 あたしの、あたしの。貴女の、貴女の。


「あーあ。これで三人目だよ」

「フラれたのが?」

「うん」


 バスの揺れに合わせて、こっそり膝小僧を貴女につける。貴女の肌がいつもよりちくりとしたのは、きっと昨日の夜に泣いてしまって、産毛を剃るのを忘れたから。


「私、そんなにダメかなー? 男子から見て、そんなに彼女にしたくないのかなぁ。どう思う?」

「そういうのは、あたしじゃなくて男子に聞きなって」


 通学鞄を抱きしめて、貴女はお芝居じみたため息をつく。


「高校入って三人だよ、三人。せめて一人くらいは、好きになってくれたらいいのに」

「あたしが見た限りでは、みんなダメ男っぽい気がするけど。そういう人がタイプ?」

「そんなつもりないんだけどなー。もしかして私、恋愛偏差値低い? 落ちこぼれ?」

「それは無いでしょ」


 窓の外には夕暮れ。そこに、青白い貴女の横顔が透けて写るから、一枚の絵みたいに見えて仕方ない。

 こんな風に、額縁の中に閉じ込めて、貴女を手元に飾れたら。あたしはどんなに幸せだろう。

 だけど、貴女に額縁が寄り添う姿なんて見たくない。もしかしたら、貴女ごと額縁を割るかもしれない。だって貴女の一番近くにいられるのが、あたしじゃなくなっちゃうから。


「中学の時は彼氏いなかったの?」

「好きな人はいたけど、それだけ。私、中学の時は彼氏作るなんて考えたこともなかったよ」

「そっか」


 あたしが知らない貴女がいるなんて、考えたくもない。その頃に出会えてたら、あたしたち、少しは変わった?

 きっと、なんにも変わらない。


 貴女の膝小僧が、こつん、とあたしの方を向く。


「ねえ、そっちこそどうなの」

「なんにもないよ」

「いつもそうじゃん。ずるいなぁ、私ばっかり話して」

「話題がないから。仕方ないよ」

「嘘だあ。実はモテるでしょ」


 白い顔が近づいて、あたしの顔を覗いてる。貴女の瞳に、あたしが見える。こんな顔して見てるのに。貴女はちっとも、気付いてくれない。


 ちょうどよく、スマートフォンが鞄の中で震える。こっそり覗けば、通知が見える。


『着信 : 3人目』


 単なる文字が点滅する。


「電話?」

「うん。お母さんから」

「なんだ、彼氏だったら面白かったのに」

「言ったでしょ、話題がないって」

「またまたあ」


 画面を消して、鞄にしまう。貴女は何も知らないから、窓の外を眺めてる。

 貴女の顔に重なる景色が、羨ましい。そんな風に堂々と、白い頬を撫でられるなんて。黒い瞳に見つめられるなんて。あたしには、夢のまた夢だから。

 窓を割ってやりたい。手からどれだけ血が出ても、貴女がいれば平気だもの。


「ねー、私が卒業するまでに彼氏出来なかったら、うちらが付き合おー?」

「いいよ」

「それが出来たらいいのにさー。なんで友達と付き合えないんだろ」

「そうだね」


 あたしは貴女の、何人目になれるんだろう。それまでに、何人分の想いを足蹴にすればいいんだろう。

 足元に溜まる、光を無くした泥を見る。あたしは、どこまで堕ちればいいんだろう。


 でも、この暗い泥の底に貴女がいるのなら。あたしはなんにも怖くない。


 本当に、いてくれればいいのにね。


「私、もし二人とも彼氏出来たら、ダブルデートってやつやりたいんだ! 今年は間に合わなかったけど、夏祭りとか。お揃いの浴衣着て」

「……それさ、浴衣着たいだけじゃない?」

「バレた? だってさ、楽しそうだから」


 貴女は、暗い泥の底になんかいない。明るい日差しの中で、きらきらと輝いて笑ってる。あたしのことを見てるけど、あたしと同じようには見てくれない。


「お互い彼氏が出来ても、ずっと一緒にいたいじゃん」


 またスマートフォンが震えるから、鞄の中で覗く。画面が光って見えた通知は、泥とおんなじ色をしていた。


『通知 : 3人目

 元気? 返事くれないから心配してる!

 まさか、生理来ない?!』


 貴女が好きになる男が嫌い。肌に触れるハンカチが嫌い。貴女を写す窓が嫌い。貴女を隠す、制服が嫌い。貴女の友達が、先生が。机が、靴下が、下着が。消しゴムがリップクリームがシャンプーが。全部全部嫌い。


 貴女を連れて帰ってしまう、このバスだって。

 どこにも行けなければいいのに。

 どこにも着かなければいいのに。


「……あたしもずっと、一緒にいたいよ」


 ねえ。

 あたし、貴女のことが好きなの。

 ほんとだよ。


 だから、お願い。


 ここまで。



 堕ちてよ。

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