反運命的彼女たちー2

「で、案内役の彼が登山家の榎木園樹実えきぞのたつみさんで、その隣の怯え症な私の助手が守河優斗もりかわゆうとくんです。あなたの名前は――ってどこかそのお顔覚えがあるような……」

「誰が怯え症だ――って俺も確かに覚えがあるぞ。あ、あの、俺たち何処かで会いました?」

 三人分の視線が動いてこちらを向く。先ほどまでの怒りは吹き飛び、ふと息苦しい靄にも似た罪の意識が身を包む。忘れはしない。アメリカでのことだ。アーチストは出会った討伐部隊の青年、優斗の命を奪ってその肉を食べた。後の純と戦いに巻き込んだクローシェを黒焦げにして殺した。生きていた誰も残っていない代わりに、食って、殺した二人が蘇ってそこにいる。自分を、思い出そうとしている。目が合う。心臓が引き攣って足が動く。

「いや、俺は名前だけ思い出したぞ、確かみな――」

 逃げた。本当は彼らが生きていることを喜ぶべきだった。その死の経緯について謝罪するべきだった。この世界のことについて尋ねるべきだった。けれども彼は奇声を発しながら逃げた。殺してしまうかもしれないと思った。祠から飛び出て、風化した大通りを山なりに下る。左右に立ち並ぶ滅んだ石造りの街並み――胎生人区画たいせいじんくかく――を貫きながら、向かう当てもなく進む。誰も追っては来ない。ガーネットキマイラの察知能力で、そんなことは分かり切っているのに、気が狂ったように足が動き続ける。辿り着いたのは始原湖しげんこ――オートノミー・クレーター――だった。何度もふらついて転ぶが、血が滲み、痣だらけになった身体など目に入らない。水際まで進んでも止まらず、服を着たまま沈む。深く、水の底へ。

 暗い。冷たい。息が出来ない。かつてマリアナの底を歩いたときとは違う。力が入らないまま、水のなかで醜くもがく。自分は何をしているのだろうか。誰がこんなことをして喜ぶのだろうか。何もかも間違っているらしいことは、分かっている。けれど、これ以上、何も見たくない。聞きたくない。知りたくない。考えたくない。苦しみたくない。死にたい。誰か分かってくれないか。誰か。奇跡館からここまで、自分の見てきたものを、聞いてきたことを、考えてきたことを。なぁ。

 遠のく意識のなかで、ようやく泥が全身から吹き出てくるのが分かる。息が落ち付き、身体が浮力を取り戻す。ガーネットキマイラはそう簡単には死なない。死ねない。

 幻聴がする。自分が起した噴火の音がする。灰に沈んだ海が拡がる。皮膚を泡立てる炎と、死なせてしまったひとびとの山が目に浮かぶ。終わりだ。現実でなければいいと願うものばかりが、形と色と温度を持ってそこにある。

 嫌でも頭が働く。クローシェの言葉によれば、已愛いあたちが残した胎生人区画とやらは既に滅んで久しいらしい。三万五〇〇〇年を経て全てが褪せた。一生懸命でも、必死でも、叫んでも、泣いても。自分がやってきたあらゆることは無意味だったとしかいえない。

 水面から見上げると、空は星でも、月でも、陽の光でもない、黒々とした液体のような重い色の揺らめきに満ちている。新しくなってしまった世界で、祖涯冥王断裂そがいめいおうだんれつと呼ばれる殻状の気象地形構造体きしょうちけいこうぞうたいの存在を知らない彼にとって、それは降りてくる闇と呪いそのものにしか見えなかった。発狂は続いている。心臓の高鳴りは止まらない。感情は荒れ狂ったままだ。哀しみも恐怖も蓋を失って横溢している。死だけが、自分を救ってくれるはずなのに、あまりに遠い。

 音のない湖。水平に浮いて脱力した仰向けの身体を、後ろから掴まれる感覚がある。何の反応もできず、ただ涙を流しながらうめいていると、声がする。


 ・・・・・・


 いつも、水の底から視ていた。

 必死にもがくあなたの姿を視ていた。

 忘れられてもずっと一緒にいた。

 だから、知っているよ。

 あなたが見たものを、聞いたことを、

 壊してしまって、救えなかったものを。

 

 その苦しさを、哀しさを、耐えがたさを、みんな貰っていくね。

 剣は私の武器だから、今度は、私が立ち向かう。

 あなたの全てを忘れたとしても、きっと取り戻してみせるから。

 あなたの何も無意味ではないということを、証明してみせるから。


 いまは、私のなかで眠って。

 龍弥くんではないあなたのことは、大好きでした。 


 ・・・・・・


 熱的死滅ねつてきしめつスイッチバック


 ・・・・・・


「――もういいよ、代わって」

 ガーネットキマイラ、アーチスト。

 湯河原ゆがわらロウズは、涙を流しながら、水面の彼を内側へ引きずり下ろす。

 一瞬で全身が泥に覆われる。熱で水面に立ち上る蒸気のなかで、形が変わっていく。主人格と副人格の交代。数分経って泥が引いたころ、炎の剣を握った赤い髪の女性が水面に浮いていた。常時起動している能力は、凄まじい速度で記憶を奪っていく。瞬きの間に、全てが曖昧な泡に変わる。真っ白に塗り潰されて、流れ落ちる。決意と哀しみを混ぜた咆哮が湖を揺らす。左手の『RM』と『RY』の指輪に目を落として涙を拭い、炎の剣を握りしめた彼女の頭上から風切り音がしたのは、その数秒後だ。

 数歩下がって視線を合わせると、全長三〇〇メートルほどの巨大な帆船――高さ一〇メートルほどで翡翠色の巨大な直角貝によって縄で引かれている――が、空中からこの湖に降りてきているのが分かった。帆には『ローマ深天総合大学しんてんそうごうだいがく野外調査船やがいちょうさせん』という文字が刻まれている。すっと着水地点から離れて様子を伺っていると、艦首に誰か立っているのが視える。

「ずいぶんとやかましい声だ。儂はローマ領主である。貴様が、ケーニッジ博士のいっていた登山家か」

 年齢は十代前半、身長は一六〇センチ程度。容姿はもちろん、声でさえ性別の判断が付かないのは大した問題ではなかった。羽織っている一国の王然とした豪奢なマントも、乗っている船自体の巨大さも目は引かない。最も注意が向くのは、その名前と、纏う超然的な貫禄の圧だ。ガーネットキマイラでもないのに、百年に一度生まれるといっても差し支えない力強さと超常性を備えたこの人物を、彼女は知っていた。

「待て、見覚えがある。蘆頭ろず。湯河原の遺損やりそこないか」

 古祖原こそばらルカ。先代の本家の当主だ。当時は八〇を数えた老人だったものが若返ったにも関わらず、威厳や、空気を押しつぶすような圧は変わらない。彼は、寒気がするほどの軽蔑の視線を放ると、別の波打ち際へ目をやった。あぁ、そうだ。ロウズは思い返す。湯河原の家でも、まして本家、古祖原ならなおさら、彼女は粗悪品で、不出来な愚図だった。そして、そのことに、ただ涙を流すことしかできないほど無力で無知だった。浴びた暴力や暴言は数知れない。お前は、ここに生まれてくるべきではなかった。正月の集会で表情を変えないルカに横目でそう吐き捨てられたとき、ロウズはまだ五歳だった。生まれてから二〇年の月日の記憶は鮮明で、拭いきれない。怖くないといえば嘘になる。でも、負けるわけにはいかない。

「待ってください、古祖原おじさん。私もその船に乗せてください」

「――」

「聞きたいことがあるんです。この世界のこととか、あなたのこととか――」

「――うるさい」

「私は、あなたにも決して引きません」

「黙れ! 落零らくれいが!」

 激震と共に、世界が明滅した。船を引いていた一〇メートルほどの直角貝が、三角錐状の先端を向け、翡翠の爆光と共に刺し貫く勢いで迫ってくるのを見切ったのは、それを同じ色に変色した最大熱量の剣ではじき返したロウズだけだった。激烈な破壊音。蒸発した数トンの水が雨のように振り落ち、巨大な船が揺れの落ち着きを取り戻したころ、貝を小さな杖バクテリアの形に戻した少年は、マントも含めて全身を水に濡らしながら表情を変えた。無価値で煩わしいものに対する怒りから、新たな発掘に対する驚きへ。少年とロウズは、また目を合わせる。

「ほぅ……。杖ではないな、知らぬ力だ」

「私は蘇っていない。だから、過去のことを詳しく知っています。分からないから、調査しているんですよね。おじさんのところへ連れて行ってください。私も知りたいことがたくさんある。知らなきゃ、立ち向かえない」

「この儂に交渉とは分限を弁えず大きく出たものだが、よい。古祖原は淵源えんげんにこそ向かう。――戻殻れいかく直後だ、年寄り扱いされる筋合いはないから、儂のことはルカと呼べ」

 その後、しばらくして来た樹実ほか二名を回収し、船は浮かぶと、帰路についた。反魂神世はんごんしんせいカンブリア、第一領域だいいちりょういきローマ。その中央、深天総合大学しんてんそうごうだいがく、旧サン・ピエトロ大聖堂41°54'08.1"N 12°27'09.7"Eへ。





 ――我らみな死を畏れ 第三章後編 黄金の島のひと 完 

 

 ・・・・・・


 次章 最終章 『始原の薔薇』


 最終章は少し長くなる予定で、1年以内には投稿を開始したいという思いがあります。  

 近況ノートほか、各章ごとのキャラクター紹介とあらすじを遠くない時期に投稿予定です。

 三章後編まで、長い間お付き合い頂きありがとうございました。

 深く感謝申し上げます。

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我らみな死を畏れ Aiinegruth @Aiinegruth

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