マイナーなシュミの話

 趣味といってもオタクの話ではない。

 性懲りもせず、今回もまたフェティシズムチックな話である。


 「敦煌の好きなタイプは?」

 こう聞かれた時、わたしは結構困ってしまう。少なからず、同世代の友人が求める回答ではないからである。本当のことを言うべきか、いいや、きっと笑われるんだろうなあ。私が笑われるのは構わないけど、それで自分の趣味まで否定されるのは癪だなあ。

 あれこれ思索の末、いつも結局こう答える。

 「うーん、わかんないけど優しい人かな」

 天に誓って嘘は言っていない。しかし、「優しい人」とだけ聞いて皆のイメージする異性像と、私が本当に魅力的だと思うソレとには大きな乖離があるのは事実である。ああ友人たち、申し訳ないが私が好きなのは、マッシュヘアの似合う痩せたイケメンではなく、優しくて品と清潔感と包容力のある、ぽっちゃり気味の中年男性なのだ……!


 思い返してみると、顔が整った長身のアイドルにはまったことは一度もなかった。前言ったように劇では道化方が好きだし、そうでなくても名脇役と呼ばれる個性的なキャラクターの方がわたしの目には魅力的に映る。今までの好きなジャンルだってメジャーなものではなかった。元々歴史マニアであった私は、マイナーなホビーアニメ、オペラを経て一次創作に落ち着いた。いわゆる有名作品や大手界隈には、足を踏み入れるどころかその本編作品に触れたことすらない。

 いまのこの性癖が完成するのには、そう言う支流ばかりを渡り歩いた上での紆余曲折があったように思う。または現実世界で色々な人と出会って、彼らに感化されたということもあろう。前の話と繋がるが、此処もやはり自己肯定感の低さと繋がるような気がしてくる。天賦の物に恵まれなかった自分に、大勢からちやほやされるイケメンは眩しすぎるのだ。世間の美の規範に当てはめられず、ちょっとくらい歳を取っていて、ちょっとくらいふくよかな方が安心するのだ。


 持ち前の内面コンプレックスからくる、いやに透かした、斜に構えた性格が、こう性癖なんかにも影響してくるものだ。これだから美男美女の純愛ストーリーに移入できない。友達の恋バナに共感できない。皆があの歌手が、俳優が、キャラクターが、隣のクラスの男子がかっこいいなどと盛り上がっている時に、私だけへぇと言いながら何も考えていない。別にだからも言って何の苦にもならないのだが、ただ主流なコンテンツについて行けないことに対する、少しの疎外感と申し訳なさは常に心の中にある。その面で、皆と私の間になんとなく壁があるのは感じている。それが嫌だからあまり言わない。無論、そうやって隠す事すらも良くないとは思っているが……。


 今、こんな愚痴っぽい文章をダラダラと書いて、嘆くこと自体ナンセンスだと気づいた。どういう由来であれ、私はそれが好きなのである。

 もうこの話は此処でやめにするが、最後に、どんなに己に卑屈になろうと、好きな物事にくらいは自信を持って生きていきたいものである。

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記録帳 敦煌 @tonkoooooou

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