「加奈子の手料理の話」


「たった一回だけですが、加奈子が料理を作ってくれたことがあるんですよ」

 清瀬が急にそう話し出したのは、俺が清瀬を放置してシャワーを浴びに行き清瀬は人の布団の上でごろごろと怠惰を決め込んでいた、ある秋の初めだ。

「あいつ料理できたのか」

 率直な感想を口に出しつつタオルで頭を拭いた。清瀬は頷いて上半身を起こしたがまだ全裸だったので結構不快で、汗の浮いている背中に向かってシャツを投げ付けた。清瀬はありがとうございますと呑気に言ってから灰色の長袖シャツを着た。秋とは言えまだ暑い時期に長袖とか正気か? と思いはするが面倒で口にしなかった。

「できますよ、加奈子は負けず嫌いというか、プライドが高いというか……大抵のことはできたんやないかな」

 清瀬は解けたままの長い髪を縛り、手探りでジーンズを引き寄せながら更に話す。

「せやけど急に料理を作ってくれたわけではなく、ちょっとした理由があって。偶々安く買えた魚一匹をね、捌きたがったんですよ。俺は捌けるから買ったんですけど」

「捌けるのか……」

「捌けます。構造は理解してるので、人間も捌こうと思えばできるんやないかな」

「喩えが殺人鬼じゃねえか」

「それでですね、俺は捌けるから加奈子も捌けるようになりたかったみたいで、解体方法を手伝いながら教えろと」

「マジで人間捌いてそうなんだよ、お前らだと……」

 清瀬は鼻を鳴らし、失礼な、と文句を言いながらもぞもぞとジーンズを穿き始める。

「せやから、教えながら魚を一匹捌きました。加奈子はすぐに覚えましたし、機嫌も良くなったみたいで、そのままその日の夕飯を作ってくれたんですよ。解体したばかりの魚のあらであら汁とか、切り身をホイル焼きにしたりとか、作り置き用の味噌煮込みとか、魚フルコースという風情の食卓を演出してくれましたね」

「普通に美味そうなのがちょっとムカつくな」

「美味かったですよ。あれきりでしたが……俺は嬉しかったです」

 清瀬の目線がどこでもない場所を見る。それに口出しする時期は過ぎたし俺が首を突っ込む話でも既になく、無視して煙草を取り出し火を着ける。ライターの音に反応したらしく、ぱっと振り向いた清瀬は無言で人差し指を立ててくる。

 机に放置してあった清瀬の煙草の箱を手に取った。放り投げてから灰皿を互いの間に移動させる。清瀬はやっと布団から全身這い出して、煙草を咥えながら縛り切れていない前髪を鬱陶しそうに掻き上げる。

「お前、偶にライターで髪の毛燃やしてるよな」

「はい、燃えますね。それがどうかしたか?」

「いや、特に意味はねえよ。ただの世間話だろどう考えても」

 清瀬は瞬きをして、世間話、と初めて知る単語のように口にしたから、ああそうだったこいつあれなんだったと思い出す。

「……友達いないんだったな、お前……」

「はい、いませんね。それが」

「どうもしてねえんだよSFに出てくる人工知能じみた受け答えすんじゃねえ」

「そう言われても……朝陽さん、俺の友人は朝陽さんです」

 明らかに何かがずれている返答にわりと苛つくが、連絡先を交換したからには以前よりまともな関係性ではあった。いやまともだろうか。この話になる手前まで普通にセックスをしていたが、強姦じゃないので恐らくまともな方だろう。

 知性のない結論だと自覚しつつ煙を吐く。清瀬は何か腑に落ちないと言いたげな顔をしてたが、煙草を一口吸ってから、魚か……としみじみした声で呟いた。つい咽せた。

「そこは普通、加奈子か……じゃないのか?」

「いや、加奈子ごと魚のことを考えていました。魚と加奈子って、なんか名前が似てませんか?」

「サカナ……カナコ……」

「サカナコ。ほら似とる、加奈子はもしかしたら魚っぽかったんかも知れへん」

「あいつ死んだせいで俺とお前に無茶苦茶に言われすぎだろ」

「俺を置いて死んだからですよ」

「こっちに嫌がらせばっかしてろくに後追いしなかったのはお前だろうが、清瀬」

 清瀬は急に黙る。まだ何か、朝陽さんのせいやないですか暴力教師のクズ野郎、みたいな暴言を返してくるかと思っていたため、なんだよと訝しむ。

 消えた煙草を灰皿に捨てる。その間に清瀬は煙草を限界まで吸い込んで、わざとらしく盛大に吐き出した。紫煙の量が多い。部屋の中が薄ぼんやりと煙っていて、窓でも開けるかと立ち上がりかけるがなぜかシャツを引っ張られて座り直させられる。

「なんだ、煙い方がいいのか」

「そんなわけないやろ」

「じゃあなんだ?」

「いえあの、朝陽さん、朝陽さんは、その……」

「その?」

「その……あかん、とりあえずもう一回セックスしましょう」

 俺が芸人だったらひっくり返っていた。あからさまに話を逸らしてんじゃねえよ、セックスしましょうより言いにくいことってなんだよ! とツッコミもつけて強めに胸元を叩いていた。

 だが芸人ではない。腕組みをしつつ向き直る。 

「あのな、清瀬。友人か友人じゃないか、魚だか加奈子だか、煙いか煙くないか俺はどっちでもいい。お前がずっと言ってるように情やら興味が薄いんだ、だからお前が何言っても基本的にはどうでもいい。妙に濁される方がイラつくんだよ、わかるか清瀬」

「それ! それです!」

 急に叫ばれてちょっと引く。なんだこいつ。引きながら顔を覗き込むとそれですともう一度強い声で何かしらを指し示される。

「それってなんだ? 俺の情が薄いって話か?」

「いや、そうやなくて、……その、朝陽さんはなんというか……」

「早く言え殴りたくなってきた」 

「朝陽さんは俺のこといつの間に清瀬って呼ぶようになってるんですか!」

 芸人ではないがひっくり返った。というか仰向けに布団に倒れた。清瀬は慌てたように覗き込んできて、縛り切れていない髪がばさりと垂れて思い切り頬をくすぐりうざかった。

「清瀬……」

「な、なんですか」

「めちゃくちゃめちゃくちゃ心底すげえどうでもいいこと聞くなよ…………」

「どうでもええって、朝陽さん」

「退け、セックスもしねえよ、疲れさせるなこれ以上」

 覆い被さっている形の清瀬を片腕で押して退かせ、今度こそ部屋の窓を開けに向かう。ついてきた清瀬には一度だけ蹴りを入れた。痛い! と叫んだ長髪ストーカー野郎は俺をじろりと睨んで数秒見つめ合いはしたが、やがて清瀬がふっと目を逸らしてどうでもええことならいいですと言い残し、部屋の奥へと戻っていった。

 呼び方なんて清瀬でも隆でもあんたでもお前でも長髪でもロン毛でも友人でもセフレでもなんでもいい。そう返す前に袖を捲りながらこちらを見た清瀬隆が、夕飯何にしますか、とどこか楽しげに聞いてきたので何も入れねえなら好きにしろよという台詞に変わったが、魚はいつか捌かせてみようと思う。

 いつかがあればの話だが、ないかもな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不能共 草森ゆき @kusakuitai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ