第1章「城塞都市」7


 基本的に几帳面な性格のクリスは、機材に札を貼り付けていくだけの作業もしっかりと等間隔に貼り付けていく。均等に貼ることにより、札のコスト削減になる。

 リーダーとして、こういった小さな努力が、チームの評価を上げることになる。周りをもう一度確認し、クリスは出口に戻った。

 唯一の外界との出入り口である梯子には、電力を提供する為の電線が隣接している。高所のせいでまめに点検出来ないこの電線は、かなりの強度で出来ており、人間一人くらいがぶら下がっても切れないはずだ。

 クリスはニヤリと笑う。クリスの後ろでは、音のないカウントダウンがもう始まっていた。

 腰のポーチから新しい札を出すと、クリスはまた違う文字を刻む。どんどん硬質化していく札を電線に巻き付け、その上から握り締める。

 そして札を滑車代わりに、クリスは電線を滑り降りた。すぐ背後で爆発音が響く。









 左手だけで全体重を支えながら、摩擦に耐えるだけの“硬度”を持たせた札によって一気に中央塔に近付く。高速で滑り降りる中、クリスはエレベーターから出て来たトラックを発見した。

 ルークが蛇に睨まれた蛙のようになっている。実にアイツらしい。

 本来の計画では、三階くらいの窓をぶち破って侵入するつもりだったが、急遽作戦を変更する。

 トラックの丁度真上で、クリスは左手を離した。眩しい金髪を輝かせながら、固定銃座に居座っていた人間を殴り殺す。最初の数発は既に撃たれた後だったので、ルークの身が少し心配だ。

 突然の乱入者に驚いた運転手がハンドルを切って逃げようとしたので、クリスは鞘から抜き放った長刀を、荷台から運転席に壁越しに突き立てた。吹いていたエンジンが止まり、手応えを楽しんでから刀を引き抜く。壁ごと運転手を貫通した刀には、血がべったりと付着しており、それを見るだけでもクリスは飛び降りた甲斐があると喜ぶ。

「うはー、リーダーさすがっ!! マジで良い男だぜ犯してー!!」

 そう言いながら、ロックが隠れていた機銃の陰から出て来る。

「助かったぜリーダー。ありがとう」

 ルークも緊張が解けた笑顔で礼を言う。彼には幸い怪我はなく、ジャケットに穴が開いた程度だった。

 そんな二人にクリスは小さく笑うと、すぐに入り口に身体を向けた。

「談笑しに来た訳じゃない。ここからが本番だ」

 冷たい雰囲気を纏う背中に、二人の目付きも変わる。その表情にクリスも満足すると、虐殺により歪みそうになる口元を引き締めながら歩き出した。









 ラボへの直通のエレベーターを見付けたレイルは、いきなり足を止めた。

 ここは商業区から続く地下道で、辺りはなかなかの広さの一本道だ。先程最後の防災シャッターが下りたので、今は広い正方形の空間というのが正しい。

 目の前から大型のボディアーマーに包まれた人間が歩いてくる。本来持ち運ぶような運用に適していないはずのガトリング砲を右手に持つその姿は、人間と言うよりは機械のそれに近い。ご丁寧なことに、目の部分に遮光グラスが付属したフルフェイスのヘルメットまで付いている。

 コンピューターによる補正の掛かる遮光グラスには、自分の姿がどう映るのだろうか?

 レイルは一瞬だけ考えたが、どうせ殺すのだから意味のないことだと考え直す。相手との距離は遠距離武器の間合いとしてはかなり近い。本来ならばらまくのが仕事のガトリングで、確実に蜂の巣にしたいのだろう。

「君達は何者だ?」

 いきなり男の声が響いた。向こうの表情が見えないので、レイルには最初、その言葉が目の前の人間から出た言葉だとわからなかった。

「……人殺し」

 つまらない、そう思いながらレイルは吐き捨てた。本当につまらなくて、気分が悪い。この距離までこの愚鈍な人間が近付いてくるのは、自分の勝利を確信しているからだ。本当に腹が立つ。

「シンプルな答えをありがとう。なら質問を変えようか。何が、目的だ?」

「それは、言えない。後のお楽しみだ」

「ふん……本当にただの若造のようだな。おかしな情報迷彩が掛かっていて顔までは見えないが、その体格…女だろう? それに、商業区から乗り込んでくる等……人質でも取ろうとは思わなかったのか?」

 そろそろ、本当に腹の虫が納まらない。

「リーダー……“交戦許可”を」

 小さく、無線の先の人間にしか聞こえない声量で囁く。

『それは身元がバレてからの許可だったが……』

「……だったが?」

 普段のクリスらしくない、少し呆れたような声が続く。

『ルークの馬鹿がしくじった。交戦許可を出す』









 ヤートがラボに着いた時、既にラボ内では対策会議が開かれようとしていた。

「防衛部隊隊長のヤートです。遅くなりました」

「ヤートくん。無事で何よりだよ。セキュリティーの関係上、緊急時にエレベーターを動かすには何重ものチェックを通す。だからこの程度の遅刻は仕方のないことだ」

 柔和な表情を浮かべてヤートを出迎えたのは、この国が誇る世界トップクラスの科学者の一人だ。彼の後ろにもう二人いる。軍関係者はヤート一人だけだ。あとは迎撃に向かっている。

「申し訳ありません」

「いやいや、構わないよ。それに、私達は科学者であって上官じゃない。普段通りの喋り方で構わないよ? 噂では、君の地元の言葉使いは新鮮で、心地よいと聞いているが?」

「いえ、あれは国民に親しみを持ってもらう為のものでして……」

「普段のお堅い姿こそが、本当の君ということか」

「早く対策会議を始めないか?」

 おかしそうに笑う男の後ろから、もう一人が苛立った様子で声を掛けてきた。声だけでなく、常時貧乏揺すりによって白衣が揺れている。この状況ならば、彼の対応の方が正しい。

「対策、と言ってもこちらはただ、最大限の戦力を投入するだけだ」

「しかし、戦力の七割を占める機械大隊が使い物になりません」

「使い物にならないどころか、今じゃお荷物だ」

 奥で二人の科学者が揉めている。それをヤートはじっと観察していた。軍隊を動かすならヤートにも出来るが、この国の主力は機械兵器達だ。それらを安全に動かすには彼らの力が必要だった。

「防衛システムの指揮系統が壊されたのなら、後は自動制御の新型を使うしかないな」

 突然隣の科学者が、笑顔のまま言った。一瞬黙った二人が、慌てたように反論する。

「あれはまだ研究段階だ! 第一、どれだけの負担が掛かるかわからない」

「統率された機械だからこそ立案出来たことだ! 暴走した機械からの情報まで捌かなきゃならんこの状況には対応しきれない!」

「しかし、それをしなければ全滅ですよ?」

 焦る二人などお構い無しに、涼しい顔で言ってのける彼に、ヤートは不審に思い目を向ける。

 いきなり彼と目が合った。顔全体は笑っているのに、目は全く笑っていない。

「私は、『ゼウス計画』にヤート君を推薦します」

 いきなり名前を呼ばれてヤートは戸惑う。後の二人も戸惑う。しかし戸惑いながらも、何かのパーセンテージや数式を机の上にあった紙に書き出していく。

「……確かに、彼なら大丈夫かもしれない」

「……バグの起きている回線を全てシャットダウンしていけば、あるいは」

 口々にそう言う科学者達を見て、ヤートは小さな恐怖を感じた。理由のわからない恐怖――だからこそ、ヤートは警戒が足りなかった。

「プロトタイプの運用は?」

 科学者の一人が聞いた。それにもう一人が自信満々といった様子で答える。

「もう運用している。モニターに映そう」

 言いながら手元の端末を操作し、全員からよく見える大型スクリーンに映像を映した。侵入者らしき人影と対峙している映像だ。どうやら兵士の目線の位置に取り付けたカメラの映像らしい。

「相手は……侵入者か?」

「ええ、そうです。リアルタイムの映像ですよ」

 しれっとそう答える科学者に、ヤートは苛立つ。

「こちらの戦力は見る限りこのカメラを取り付けた一人だけのようですね」

 ちなみに機械ではなく人だとわかったのは、音声も録音されていたからだ。相手の女に、何故か違和感を覚える。

「こちらとしてはプロトタイプの戦闘能力を実戦で試し、そこから計画を実行しようという考えでして」

「そのための、捨て石か?」

 顔色一つ変えず話す科学者を、ヤートは睨みつける。

「彼も自分の評価が上がるかもしれないじゃないですか。真っ当な取り引きですよ。彼は命を売り、我々は防具を差し出す」

「……俺が行く」

 武器を手に、足早にこの場を去ろうとするヤートを、科学者達は慌てて止めた。

「貴方にはここで私達を守ってもらわないといけない」

「防衛部隊隊長の責務ですよ?」

 そう言われてしまっては、ヤートとしてはもう動けない。いくら科学者と軍人といっても、彼らはこの国の未来のために必要だ。

「ご協力ありがとうございます。とにかく、相手戦力を把握するのが急務ですな」

 科学者達と共にテーブルに座り直し、ヤートはスクリーンを凝視した。この違和感はきっと、名前も知らない自分の部下が殺されるかもしれないという恐怖だ、と――そう思っていた。

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