第4話 別れ

 時宗の秘密を知った日から、知世はさらに時宗のことを想うようになった。


 時を駆けるサムライ、というのは乙女心をくすぐったが、それよりも知世は過酷な運命を背負ってなお強く、そして皆に優しく生きていく時宗の姿に尊敬を超えた愛情を持ち始めていた。


「時宗さん、今日は服を買いに行きましょう」

「拙者は、この服でよいでござるよ」


 時宗は、くたびれた着流しの袖をつまんでひらひらさせる。知世は呆れた顔だ。


「それ、ボロボロじゃない。 今日はお母さんに、行きつけの和服店で買ってこいって言われたのよ」

「母君が、でござるか」


 知世の家はかなり裕福で、父親がほとんど儲からない剣道場を続けていられるのも、曾祖父からの莫大な財産があるためだ。母親も和服が好きで、行きつけの店がある。


「お母さんに逆らうと、後がこわいわよ?」

「そうでござるなぁ。 せっかくなので、頂戴するでござるか」

「うんうん、行こう行こう」


 あきらめ顔の時宗をひっぱって、知世は電車を乗り継ぎ、遠くの和歌山市内まで買い物に出かけた。


 市内の商店街を歩いていると、周りの人はみんな時宗を見る。すれ違う人は振り返る。

 時宗は、慣れてしまったのか、気にならないのか、堂々とした風情で知世と話をしている。その姿は、本物の武士のようで、とてもコスプレのようには見えない。実際コスプレではないのだが。


 知世が時宗と店に入ると、店の女将が出迎えた。

「奥様からはお伺いしております。 既に出来ておりますので、お直しを致しましょう」


「いってらっしゃ~い」

 知世が時宗に声を掛けて、近くの長いすに腰掛けようとすると、女将が知世の方にも手招きをする。


「お嬢様には浴衣をお作りしてありますので、ご試着してみてはいかがですか?」

「え、私は何も頼んでないけど」

「奥様から頼まれております。 ささ、どうぞこちらへ」


 店の奥に入ると、知世は女将から浴衣を手渡された。

 時宗は、女将にさらに奥の部屋に連れていかれるようだ。知世は、隣の小部屋に入って着替え始めた。


 手慣れた手つきで浴衣に着替え終わると、知世は鏡の前に立ってみる。紺色の地に白色の草花の柄があしらわれた落ち付いた雰囲気の浴衣だ。帯の色は薄い黄色で、きれいなアクセントになっている。


「ちょっと地味かなぁ。 どっちにしても髪の毛はくくらないとダメね」

 知世はぶつくさ言いながら、長い黒髪をアップにしてくくってみる。しかし、何が気に入らないのか、何度も鏡の前であれこれとセットし直していると、ようやく時宗が戻ってきた。


 時宗は、赤茶色で少し派手目な色合いの着物に、縦縞の入った灰色の袴を身につけていた。着流しの浪人風な感じも時宗には似合っていたが、上下の分かれた着物を身につけると風格が出てくるものだ。

 もともと剣豪特有のオーラを持っている時宗は、ただ着物を変えただけで、今までのなよっとした雰囲気をがらりと変えてしまった。


 そんな時宗を、知世はハート形になっていそうなとろんとした目で呆然と見とれている。

 しかし、時宗の方もまた、知世から目が離せなくなっていた。


「知世殿。 これはまた、お美しいでござるな……」

 時宗は、アップに括った髪の毛をいじっている状況で固まっている知世の姿に目を丸くしている。

 見慣れぬ洋装から、伝統的な浴衣姿へ、髪を上げてイメージチェンジした知世は、とても艶っぽく見える。たぶん、かき上げた髪の隙間から白いうなじがまぶしく見えるためだろう。


「あらあら、お二人ともよくお似合いですよ。 いえ、お似合いのお二人でしょうかね」


 お互いの姿を見つめて惚けている二人をからかうように、女将が声を掛ける。

 その声で我に返った二人は、同時に咳払いをして、あらぬ方向へ目線をさまよわせた。


「わ、わたしもこのまま浴衣で帰ろうかなぁ」

 知世が上目遣いで時宗を見る。時宗は、少し照れながらも優しく目を細めて頷く。

 すぐに、時宗は思いついたように女将に尋ねた。


「彼女にかんざしを贈りたいのだが、なにか見繕っては頂けぬか」

「はい、いくつかお持ち致しますね」


 女将は、にこやかに奥に下がると、少ししてから風呂敷を敷いた盆の上に何本かかんざしを載せて持って来た。


 時宗はその中から一番豪華なものを指さし、懐から財布を出して女将に尋ねる。

「実はこれで全財産なのだが、買えるでござるか? 宝石が付いているようだが」


 時宗は師範代の給料を前借りして渡された十万円を盆の上にぽんと載せた。


「ちょっと時宗さん、全財産を出してどうするのよっ」

「食事などのご厄介になっているゆえ、お金はいらぬでござるよ」

「でもちょっと高すぎるよ」


「そうですね。 これはちょっとお嬢様には高すぎるかもしれませんが、女将としては、黒田様の侠気にお応えしないわけには参りません」

 女将は、そのかんざしをつまみ上げると、知世の結んだ髪にそっと挿す。豪華にあしらわれたダイヤモンドがきらめいて、美しい黒髪にアクセントを添えた。


「おお、お似合いでござる。 しかし女将、これでは足りぬのではござらぬか?」

「どうかお気になさらず。 また元は取り返させて頂きますので」


 女将は、上品に商売人の笑顔を浮かべる。

 知世は、かんざしのきらめきに負けない眩しい笑顔を浮かべて、ありがとう、と時宗にお礼を言った。



 そうして二人とも上機嫌で店を出ると、来るときの何倍にも増して周囲からの視線が痛い。しかし、舞い上がっている知世は、自分も周りから観察されていることなど気も付かず、しきりに時宗に話しかけている。


 そのまま並んで駅に向かって歩いていると、いきなり女子大生くらいの二人組に声を掛けられた。

「ねえねえ、写真撮ってもいい?」


 コスプレカップルが街を練り歩いていると思われたようだ。ただ、舞い上がっている知世は、なんだかとてもいい気分で時宗に目でお伺いを立ててみる。


「ああ、構わぬでござるよ」

 笑顔の知世に時宗がうなずくと、女子大生達は黄色い声を上げる。


「きゃあー、この人、世界に入ってるわぁ」

「なんの世界でござるか?」

「ああ、いいのいいの。 彼女さんもぴったりくっついて」


「わ、わたし彼女じゃ」

 あたふたと訂正しようとする知世を時宗にむりやりひっつけると、彼女達は色々とポーズを注文しながら写真をとりはじめた。周囲の人も物珍しそうに集まってくる。

 あっという間に黒山の人だかりができあがった。


「一番いいやつアップしとくから、ホームページで見てね」

 女子大生の一人がそう言って、なかなか濃い名前のサイト名を教えてくれた。



 そんなこんなで、二人であちこち出かけたり、剣道場で大人や子供に剣道を教える時宗を知世が手伝ったりして、知世の夏休みは瞬く間に過ぎていった。



 そして、夏休み最後の日がやってきた。


 今日は和歌山港の近くで花火大会が開催される。結構大きなもので、沢山の人がやってくる。知世はこの前買った浴衣で、時宗と出かけることを約束して、この日を指折り数えて待っていた。


 その日、2014年8月31日、時宗は消えた。

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