第3話 下宿

 次の朝早く、時宗は剣道場に来ていた。朝の空気は清々しかったが、道場では張り詰めた空気が支配している。


「それでは、はじめっ」

 知世が審判となり、向かい合う父親と時宗に声を掛ける。

 二人はともに動かない。


 すると知世の父親が細かい動きで、時宗の構える竹刀の剣先を叩く。

 時宗はまっすぐ正眼に構えて動かない。


「とおりゃあっ!」

 動かない時宗にじれたのか、父親が気合いの入ったすさまじい勢いで前に踏み込んだ。

 その一瞬の間隙を突き、不思議な足さばきで時宗が前に進むと、父親の手から竹刀が吹っ飛んだ。

 父親は呆然として、そばに立つ時宗を見る。


「あの一瞬で小手と面に二撃入れたのか……信じられん」

「竹刀も打ったので三撃でござるかな」


 時宗は防具を脱ぎながらにこやかに答える。

「拙者のできる最高の技でお応えしたつもりでござるが……」

「いやはや、恐れ入った」


 父親も防具を脱ぎながら、笑顔で首を振る。そして、真顔になって時宗に向き直った。


「是非うちで働いてもらえないだろうか」

「それは大変ありがたいお申し出。 よろこんでお受け致しまする」


「まあ、こっちが弟子にしてもらいたいぐらいだがな」

 父親はまんざら冗談でもない顔で軽口を飛ばした。知世は、時宗の腕前を知ってはいたが、さらに三倍増しの尊敬の顔で時宗を見つめていた。



 しばらく三人で歓談していると、小学生くらいの男の子が道場にやってきた。

 男の子は、入り口で元気よく挨拶する。

 すぐに男の子は着流しの時宗を見つけて大喜びだ。


「うわあ、サムライだ! 兄ちゃん、サムライなの?」

「そうでござるよ」

「秘伝の必殺技、教えてよ!」

「それは基本ができてからでござるな」

「やった~、俺がんばる!」


 それからも沢山の子供がやってきては、口々に時宗に話しかけている。時宗は笑顔で答え、知世たちもにこやかに見ている。そうしてその日は穏やかに過ぎていった。


 その日から時宗は道場で師範代を務めることになった。そして、空いている部屋に下宿させてもらえることにもなった。年頃の娘が心配な父親はかなり悩んだが、時宗のまっすぐな心は疑いようもなく、母親の説得もあって最後には折れたのだった。


 それから、夏休みに入った高校一年生の知世は、しばしば時宗に剣を教わり、時宗の方は現代の暮らしぶりなどを教わって、どんどん親しくなっていった。


 堅物の時宗だったが、その風貌はややもすると女性的で、長髪なこともあってか、今風のかっこよさを備えている。そんな時宗が気になる16歳の知世だったが、実年齢22歳の時宗は、知世に思わせぶりな態度を見せることもなかった。


 そんなある日の夜、知世は時宗の部屋を訪ねてきた。


「時宗さん、ちょっといい?」

「知世殿、もう夜も遅いでござるよ。 お話なら明日に」

「どうしても聞きたいことがあるんです」


 思い詰めたような知世の言葉に、時宗は思い当たる節があって、障子を開けた。

 知世が入ってきて、障子を閉めると、おもむろに時宗の前に正座する。


「時宗さんは、この時代の人じゃないですよね?」

「ああ、拙者は高野山に籠もっており……」


「その話は聞きましたけどっ! 何か隠してますよねっ?」

 知世は、時宗の話を途中で遮って、強い口調で時宗を問い詰める。時宗は、しばらく知世の顔を見ていたが、諦めた顔になって話し始めた。


「およそ信じられない話だが、よいでござるか?」

「薄々は想像しています。 時宗さんはいつ生まれたんですか?」

「弘治3年」

「弘治3年って、あの伊達の鬼、片倉小十郎が産まれた年じゃないですか! 1557年ですよ?!」


 戦国武将マニアの知世は、その時代にかなり詳しい。今から450年以上の前に産まれたと語る時宗は、どうみても二十歳そこそこの若者だ。時宗はちょっと苦々しい顔で話を続ける。


「確かに生まれは弘治3年でござるが、元亀3年、15歳になった日の夜に、拙者はいきなり時間を飛び越えてしまったのでござるよ」


「時間を飛び越えたって、どのくらい?」

「その時は30年ぐらいでござった。 家に戻ると年老いた両親にはたいそう驚かれたが、その2ヶ月後にまた10年ほど先の未来へ飛んでしまったのでござる」


「もしかして、何ヶ月かすると未来に飛んじゃう特異体質とか……そんなわけないよね?」

「いや、そのとおりなのでござる。 拙者にはいつ飛ぶか、何年先に飛ぶかはわからぬ」

「……そんな」

「ただ飛ぶときが近づくと、目の前に透明な本が開いてわかるのでござる」


「それでこの現代まで飛び石のように飛んできたって言うの?」

「ああ、そうでござるな。 知り合いがどんどん死ぬのが辛く、高野山に籠もっていたのでござるが、また出てきてしまった」


「じゃあ、そのうち時宗さんは」

「ああ、また飛んで行くのでござろうな」

「ほんとにそんなことって……」

「本当かどうかは、何十年か先に拙者が会いに来ればわかるでござるよ」


「何年経っても、絶対会いに来てね。 もし私が死んでたらごめんだけど」

「ああ、必ずここに戻ってくるでござるよ」


 とんでもない話でびっくりしたからか、時宗の過酷な運命を思ってかはわからないが、知世はボロボロと涙をこぼしている。

 時宗はそんな知世にハンカチを渡すでもなく、ただ黙って見つめている。その表情は穏やかで、自らの定めを受け入れているように見えた。

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