第2話 招待

 しばらく走ると、少女は、小さな神社の境内へと入っていった。

 巨大な石の街に突如現れたその神社は、背の高い木々に覆われて静かな威圧感に満ちている。


「ああ、ここは落ち付くでござるなぁ」


 上がった息を整えている少女を横目で見ながら、時宗はなつかしそうに周囲を見回す。

 しばらくして落ちついてきた少女は、時宗の方へ向き直った。


「助けて下さって、ありがとうございました」

「いや、なんだか騒ぎを大きくしてしまい、すまなかったでござる」

「いいえ、ほんとにありがとうございます。 私は白田知世と言います」

「拙者は、黒田時宗と申します」


 時宗は礼を述べながら何度も頭を下げる知世を右手で軽く制しながら、ゆっくりと本殿の方へ歩き始める。

 知世はその後を付いていく。


「これからお仕事ですか?」

「いえいえ、これから探すつもりでござるよ」


 笑いながら時宗は境内の軒先に腰を掛ける。にぎやかだった街の喧騒は遠く、あたりは驚くほど静かだ。

 知世も並んで腰を掛ける。


「この近くに剣道場はござらぬか? 拙者は剣を教えて生計を立てたいと……」

「ええっ! 実はうちで剣道を教えてまして、父が道場主なんですよ!」


 知世は驚いて、話している最中の時宗に割り込んだ。あの剣さばきは確かに尋常ではない。父の腕前を遙かにしのぐことだろう。知世は道場での父の姿を思い浮かべた。


「そうでござったか。 もしよろしければ父上からどこか剣道場をご紹介願いたいのだが」

「ええもちろん!」

「それは助かりまする。 今日は遅いので、明日の朝にここへ来て頂けるでござるか?」

「もちろん来ますけど、これから家に帰られるんですか? それともどこかに泊まられているんですか?」


 時宗は、困ったような笑顔を浮かべ、座っている軒先の床を指さす。


「えっ?! ここに泊まるつもりなんですか?」

「今は先立つものがなく、面目ないのでござるが……」

「それなら、是非うちに来て下さい。 助けて頂いたお礼もしたいですし」


「いやいや、ご迷惑をおかけするのも……」

「是非、来て下さい! いいから、ちょっと待ってて下さいね」


 知世は、またも話している時宗を遮ると、鞄から小さな板を取り出してその表面を撫ではじめた。そしてその板を耳に当てると、今日の出来事やこれから連れて行くことなどを板に向かってひとしきり話した。


「さあ、いきましょう。 電車で30分ぐらいですよ」

「電車……でござるか?」


 スマホという魔法の板に驚いていた時宗は、それから自動改札という魔法の扉や、長々と連結された巨大な鉄の乗り物に度肝を抜かれながら、なんとか知世の家にたどり着いたのだった。



「ただいま~ 連れてきたよ~」

 知世がピンポンとおかしな音の出る箱に話しかけると、木の家に模した珍妙な屋敷の扉が開き、妙齢の女性が出てきた。


「あらあら、ほんとにお侍さんですのね。 知世の母です」

「拙者、黒田時宗と申します」

「知世がお世話になり、本当にありがとうございました。 どうぞお上がり下さい」


 知世に続いて居間に入った時宗は、あれこれ仰天しながらもなんとか椅子に座った。

 知世は母親と共に料理をするようだ。


 しばらくすると、知世の父親が帰ってきた。

 時宗を見るなり父親は目を剥いたが、その驚きをさっと隠し、時宗に娘を助けてもらった礼を述べた。


 その後の食事は、見たこともない豪華な物だった。

 時宗はむさぼるように食べている。


「時宗くん、と言ったね」

「んごふっ……はい」


 あわてて喉を詰まらせた時宗は、せき込みながら父親に答えた。

 そんな時宗をにこやかに眺めながら、知世の父は本題に切り込む。


「君はなぜそんな格好をしているんだ?」

「拙者は、16歳のころより今朝まで高野山の僧房に籠もっておりまして……」

「しかし坊主の格好ではないな、それは」

「ええ、父から武家の作法を叩き込まれた後、その形見の刀とともに寺にやっかいになっておりました」


 時宗は、リビングに置いてある自分の刀をちらりと見ながら説明する。

 複雑な家庭環境と世間から断絶した環境で育てられたのだろう。父親はコスプレではなかったことに妙に安心しながら、いつも着ているのであろう着流し姿の時宗を見る。


「拙者は、そのような洋装は着たこともなく、見苦しい格好で失礼つかまつりまする」

「いやいや、失礼ではないよ。 ところで君は剣道場を探しているとか」

「ええ、拙者は剣の道以外に生きる道を知らないので」

「それでは、明日は生徒の来る前に、うちの道場で是非手合わせを願いたいな」


 時宗は、その申し出を快諾した。

 その後も遠めがねのようにどこかを映し出す大きな板や、座って使う水の出る便器などに目を白黒させながら、夜が更ける頃には少し酒も入って、すっかりくつろいでいた。

 そうしてその夜は、知世の家に泊めてもらうことになった。


 時宗は、どこか落ち着かない和室の布団に横たわりながら、今日のことを思い返していた。


 高野山では僧達が世話を焼いてくれるので、生きていくには困らなかった。

 しかし、籠の鳥のような状態は息苦しかった。また、森の奥深くにある僧房から本堂の方へ出て行くと、行き交う人々の服装は鮮やかで、なんだか珍しい物を持っている。

 どうしても我慢できなくなった時宗は、奥深い山を突っ切って久しぶりに街まで降りてきたのだった。


 彼にとっては、たかだか数年ぶりの遠出であったが、実際には200年以上の時間が過ぎていた。彼が時を飛び越えるときに自覚はある。しかし、どれだけの時間を飛んだのかは分からない。いつも変わらぬ僧房の景色からは、想像も付かないことだった。


 高野山では、彼が不在の時間も変わらず僧房の掃除がなされ、彼がいる時間には世話がなされた。

 彼の存在は他言無用の寺の秘密だった。彼が魑魅魍魎なのか、仏の化身なのかはわからないながら、時に呪われた彼に救いの手をさしのべることは、寺に400年も脈々と受け継がれてきた義務となっていた。


 不思議な街の光景を思い出しながら、時宗は眠りに落ちていった。

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