第7話 決戦

 それから二人は、夫婦のように一緒に暮らし始めた。


 人工冬眠装置の完成によって、知世は未来に飛び去った時宗を追いかけることができるようになった。しかし、それでも時宗の時間跳躍を停止させることを諦めたわけではなかった。


「インタフェースはさっぱりわからないけど、とにかく生物が自力で時間跳躍できるわけないのよ」

 知世はぶつくさ言いながら、電話で誰かと話している。


「そうなのよ。 エネルギーがどれくらい必要なのか想像も付かないわ」


「そう。 結局どこかにエネルギーの供給源や、時間跳躍のシステム本体があるはずなのよ」


 電話の相手は何かとんでもない提案をしたようだ。


「ええっ?! そんなものがあるの? 科学の進歩は早いわねぇ……」


 電話を切ると、知世が時宗に話を持ちかける。


「昔の知り合いに電話したんだけど、今度、例の透明な本が開き始めたら、行きたい場所があるの」

「無論、いずこへでも参るでござる」

「ニュートリノ研究所って言うんだけど……って、鳥の研究所じゃないからね」


 時宗は機先を制されて、ぐぬぬと唸った。


 その電話の後から、知世は時宗が透明な本と呼ぶ不可解なインタフェースの研究を一切やめた。

 次にその本が開き始めるその時まで、時宗との短い貴重な時間を有意義に過ごそう。知世はそう考えた。


 もちろん、時宗の時間跳躍はなんとしても阻止したい。

 しかし、何のヒントもない以上、そればかりにこだわっていては、時間跳躍を止めるために人生の全てを費やすことになりかねない。知世はその無意味な生き方を恐れた。

 知世は時宗と一緒に生きたいのだ。他の全てを捨ててでも。


 それから二人は、海に、山に、あちこちに繰り出した。温泉にも遊園地にも行った。実は海外旅行にも行きたかったが、時宗にパスポートが発行されるはずはなかった。


 知世と時宗は遅い青春を謳歌していたが、どんな青春にも終わりが来る。

 彼らの短い青春は、例の本が開くことで幕を閉じた。



「ついに、来たでござるな」

「失敗しても後から眠って追いかけていくだけだから、気楽なものね」


 知世は軽口を飛ばす。

 しかし、回数制限のある人工冬眠には、いつか終わりのときが来る。

 その行き着いた遙かに遠い未来の果てで、知世は、終焉の深い絶望とともに一人取り残されることになるのだ。


 彼らが最終的に幸せになる方法はただ一つ。時宗の時間跳躍を止めるしかない。


「じゃあ、行きましょうか。 新車も買ったことだし」

 知世はそう言って、玄関で手に持った薄い板をいじる。すると、どこからともなく無人の車がやってきた。


「さあ、急ぎましょう」

「そうでござるな」

 もう大抵のことには驚かなくなっている時宗は、知世と共に車の後ろに乗り込んだ。前の運転席に人はいない。


「学研都市、ニュートリノ研究所まで」

「はい、かしこまりました。 所要時間は49分です」


 どこからともなく声がして、車は音もなく滑るように走り出す。

 しばらくして同じような車ばかりが走っている高速道路に入ると、車はすぐに目にも止まらぬ速さで疾走し始めた。全ての車がコンピュータで集中管制されているため、車間距離はかなり近い。電気モータの甲高い作動音だけが車内に響く。


 そうして一時間もかからず研究所に車が着くと、知世は車を降りる前に、時宗にも車の認証登録をするように促した。


「これであなたが家に帰りたくなったら、勝手に車で帰れるわよ」

「ここに座って、家まで、とか言うのでござるか?」

「まさにそのとおり」


 登録手続きを済ませると、知世は笑いながら時宗とともに車を降りる。車は勝手に扉が閉まり、近くの駐車場へと消えていった。


 建物に入ると、朝早くに連絡を受けていた、知世と深い付き合いのあるポールが待っていた。


「やあ、知世! ほんとに久しぶりだねえ。 しかし変わらないなあ、さすがコールド・スリーピング・ビューティーだ」

「いやね、美女だなんて。 ポールもほんとお久しぶり、なのかなぁ」

「そして、君がサムライ・フライヤーの時宗だね」

「蓬莱屋ではござらぬが、時宗でござる」


 ひとしきり挨拶が済むと、三人はすぐさまニュートリノ観測室に向かった。


「ねえ、ニュートリノで情報やエネルギーを送るのは、今の時代のはやりなの?」

 知世がポールに質問すると、ポールは激しく首を横に振る。


「いやいや、理論上可能なだけだよ。 ただ、電磁波が一切観測されなかった、って君が言うからさ、可能性はあると思うよ」


「でも、ニュートリノって物質をすり抜けるんでしょ? どうやって捕まえてエネルギーに変換するのよ」

「それが分かったら、今頃俺は大もうけしてるさ」


 観測室のど真ん中で、ポールと知世が時宗そっちのけでおしゃべりに興じていると、いきなり部屋中にブザーが鳴り響いた。


 はっとして知世が時宗の顔を見ると、時宗が黙ってうなずき返す。


「おい、発信座標を特定しろ!」

 ポールは、ガラスの向こうに見えるモニター室の助手達に向かって叫びながら、駆けだしていった。


 知世は、大騒ぎのモニター室の方をちらりと見てから、時宗に問いかける。


「まだ本は出てる?」

「出ているでござるが、もうそろそろ振り払わないと飛んでしまうでござる」

「ぎりぎりまで待ってね」

「うむむ、たぶんもう時間がござらぬ」

「仕方がないわね、いったんキャンセルして」

「きやんせるでござるな」


 そう言って、時宗は目の前の見えない本を振り払うようなジェスチャーをする。

 すると、やかましく鳴り響いていたブザー音がいきなり止まった。


 モニター室からポールが走って戻って来る。


「わかったぞ、富士山の麓、青木ヶ原樹海の中だ」

「それはよかったわ。 だって、大気圏外だったらどうしようかと思ってたのよ」

「やっぱり彼は宇宙人なのかな?」

「それが人間には間違いないんだけど、ってそんなこと言ってる場合じゃないわ」


 知世は時宗の腕をつかむ。

「さあ、まさか宇宙船が埋まってるとは思えないけど、発信源まで行くわよ!」

「止めに参るのでござるな」

「そうよ、いざ参らん!」


 あわただしく走り出そうとする二人をポールが急に呼び止めて、時宗に向かって金属の筒のような物を投げる。


「ヘイ、サムライ。 これを持っていきな! 人のいない方へ向けて突起を押すんだ」


 時宗が受け取った筒に付いているボタンを押してみると、筒の一端からまばゆい光の刃が飛び出した。


「な、なんと面妖な」

「ポール! それってライトセーバーじゃないの?!」

「近頃のサムライの必需品さ」

 ポールは茶目っ気たっぷりにウインクする。


「未来の剣でござるな」

 そう言って、時宗は手慣れた様子で振り回す。そしてボタンを離すと光の刃はさっと消えた。


「それじゃあ、行きましょう」

「いざ、参ろう」


 そうして建物の出口まで走り出てきてから、知世は詳しい座標を聞き忘れたことに気付いたのだった。

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