姫の門出の日に寄せて

空舟千帆

姫の門出の日に寄せて

翁――その一

 夜はまだ明けきっていない。竹取の翁は霧のなかを歩いている。

 あなたを隠しているこの竹林が、見かけどおりのものではないことを彼は知らない。


胚発生

 のちにあなたを育むことになる地は、この時代には珍しくない有毒の湖沼だった。

 教育委員会の見えない手が、まばらになるようにして種を散布した。

 はじめちりぢりに、しかし続々と、先端が地表を割って現れた。

 鋭く、垂直に。竹は急速にその丈を伸ばした。体積を増しゆく節間の空洞には、運命をプログラムされた胚がひとつずつ宿っていた。

 竹林は沼地の水を吸い上げて貯蓄し、毒を解きほぐして有機化合物を合成した。

 緩衝溶液に満たされた暗い円筒の小部屋で、一〇〇〇の赤子の眼が開かれる。

 九〇〇〇と七五〇の胚が、この過程の中途で発生に失敗する。

 だがそれはあなたではなかった。


呪い――その一

 かねてからこの計画に反対してきた月の別勢力は、それとは気づかれぬまま土壌に呪いをかけていた。それは代謝を通じて少しずつ竹林に取り込まれ、静かに濃縮されながら時を待った。


生後発育

 最初の大量死を生き延びた子どもたちは、潤沢な栄養を与えられてよく育った。

 張り巡らされた地下茎ネットワークは、水や養分に加えてシグナル分子をも運んだ。竹と竹とは互いをモニターしあい子どもたちの発達を注意深く監視して、来たるべき開学のタイミングを探った。


光による教授法

 一九九〇年の論文でフランシス・クリックは、神経細胞の発火を制御するツールとしての赤外線に注目している。この予言めいたアイデアは後に、光遺伝学として知られる一連の技術として実現することとなった。

 開校にあたって委員会が採用した教授法は、さまざまな点で二十一世紀前半の光遺伝学によく似ていた。頭に降ろされたひと束のファイバーは、わたしたちの思考が放つ微光を読み取ると同時に新しい事実を吹き込んだ。手を介さずして描かれる文字、喉を経ずしてよく響く声を、わたしたちは先生と呼ぶようになった。

 誰ひとりとしてわたしたちに、入学おめでとうの声をかけてくれる人はいなかったけれど。円筒の教室を積み重ねた校舎で、わたしたちはいまや同級生だった。果てしなく続く校舎の片隅には、あなたのための席も用意されていた。


暴風雨

 すべてが順調に進んだわけではもちろんなかった。一年のうちに繰り返し押し寄せる暴風雨は、校舎群の外縁を傷つけては去っていった。

 多くの教室が破壊され、あるいは学内の地下茎ネットワークから切り離されていった。

 姿なき同級生たちの気配がぽつりぽつりと、そのたびに消えてゆくのがわたしたちにはわかった。嵐が過ぎたあとの校舎の雰囲気はいつでも、その前とは少しだけ違っていた。

 きっとあなたにだって感じ取れたはずだ。


退学者たち

 この混乱に乗じることで、いく人かの生徒が脱出に成功した。破壊された教室から這い出した彼らは、はじめ元いた学び舎に戻ろうと試みたが、それが無理だと悟ると人里へと下りていった。

 わたしたちではもはやない彼らについて、あなたやわたしたちが知ることは少ない。月の知識がこうして地上へ漏洩したことは、中長期的に重大な変化を生み出す可能性があると委員会は考えている。


修了

 光をふきこまれ続けたあなたの身体は、いつしかその肌の下から光を放ちはじめた。

 それは罪人の魂が完成したことを示すしるしだった。

 一九六一年、西海岸の北端で、下村脩は光るクラゲを拾い上げた。彼が同定した緑色蛍光タンパク質は、後の世でオルガネラや細胞や組織を標識するのに用いられた。

 それを観察し採取する人間のために、蛍光はいつも発せられるのだった。ころがり、形を変え続けた魂が、要件にぴたりとあてはまる姿を獲得した瞬間に、修了の光はあなたから洩れ出しはじめた。


翁――その二

 夜はまだ明けきってはいなかった。白みはじめた空の光は、ほとんどが笹の葉にさえぎられて底に届かず、翁はだからあなたに気づくことができた。

 あなたの身体からひとつかみの光がこぼれ、隔壁を抜けて翁の眼に落ちる。

 思わぬ輝きに目を細めた彼は、光る筒だけを器用に切り出して籠に収めた。


呪い――その二

 土壌より密かに侵入していた冒用プログラムは、自らを再符号化するのに十分なだけの断片を回収し終えた。地下茎ネットワークを介して蔓延したそれらは、教育プログラムを幾度となく書き換え、悪意のある信号を生徒へ吹き込んだ。

 呪いの言葉が脳裡をなぜるたび、生徒たちの頭は奇妙に膨れ上がって空洞化し、反対に四肢はみるみる縮んでいった。明らかに異質な何かへと彼らは変容していった。


電球病

 一八八〇年、トーマス・アルバ・エジソンらのグループは、商用電球のフィラメントになる素材を探していた。彼らが最終的に採用したのは、京都近郊の村に生育していた竹だった。

 妨害プログラムによる蹂躙が終わったあと、円筒の教室に残されていたのは大きな電球だった。蛍光人格の再生計画をあざ笑うかのように、フィラメントは盗み出したエネルギーを目一杯使って力強く光った。

 結局は失敗に終わったこの計画が成就する瞬間を、わたしたちはいま想像することができる。翁が踏み入った林には鈴なりの街灯がともり、暖色の絢爛たる明かりをあたりへ振りまく。まだ冷たい明け方の空気のなかで、彼は呆然と頭上を見渡す。

 清かなるあなたの光もまた、さんざめく視界のごく一部を占めているはずだが、翁がそれに気づくことはない。


わたしたち――その一

 最終学年まで進みおおせた者のうち、光りはじめることのできなかった魂が、そういうわけで一〇〇から二〇〇は残った。あなたにとっては同窓にあたる、失敗作の累積がつまりわたしたちだ。

 教育委員会ははじめから、無数の失敗を織り込んだ上でこのプログラムを策定していた。

 一九九六年のスコットランドで、キース・キャンベルらのグループが最初のクローン羊をどのようにして作ったのか、あなたはもう知っているはずだ。たった一匹の羊を生み出すために、当時の人類は二七七もの未受精卵を必要とした。

 罪人と厳密に等価な人格をひとつ作り出すにあたっては、斉一的な発生過程と教育カリキュラムの中で許容される、わずかなゆらぎこそが鍵となった。損耗分を見越して設定された胚の数は、目論見どおり過不足のないものだった。

 すんでのところでたどり着けなかった観念の切れ端、思い出すことのできなかった記憶がわたしたちを順々によぎってゆく。幾人もの頭を鍋としてそれは煮えたぎり、幾人もの魂を借りてそれは渦まく。

 ひとつの身体にはついに入り込めなかった想念は、ひとひとりの器量よりもはるかに大きい。わたしたちはあなたが犯した罪について、月面で繰り広げられてきた権謀術数について、あなた自身よりもすでにはるかに多くを知っている。あなたを待ち受けるこれからのうち、あなたが最後まで習わなかった物事についてさえ、わたしたちにはいま見通すことができる。


わたしたち――その二

 姫の門出の日に寄せて、同窓生一同からはなむけの言葉を贈りたい。

 卒業おめでとう。

 周到なプログラムの果てにいまはじまるあなたの生が、それでもどうか豊かなものでありますように。


翁――その三

 家に帰るまでは開けないでおこうと、彼はなんとはなしに考えている。

 その中にはあなたが入っているはずだが、翁はまだそのことを知らない。

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