4 アドニス・ギラン医学博士

 白髪の美少女が映る。私とはまるで似ていない。

 夢見映像ヴィジョナリーはそこで途絶え、研究室の真っ暗なモニターには疲れた白髪の中年男が映り込んだ。

「せんせー、この子の夢の中では、女の子になっちゃってるんですねー」

 にこにこ笑っているミラとは反対に、私は頭を抱えていた。

 私の研究は夢見管理療法ヴィジョナリーコントロールセラピーと呼ばれている。植物状態の患者に良い夢を見せて、覚醒を促す新しい治療法だ。だが患者が三年間も目覚めていないことを見ても分かるように、まだ実用化にはほど遠い。そして今回も、先行きに暗雲が立ち込め始めていた。

の夢を、狂わせてしまった」

 私の患者―フィオナ・キフューは夢の中で、自分たちを逃がしてくれた人たちのような素敵なヒーローになることを選んだ。十七歳の少年が大発明をして、反政府組織のリーダーになり、格好良くて強い大人たちが脇を固め、作戦は何もかも上手く行く。なぜなら、ナノ・マシンがフィオナの神経に良い夢を見せるよう働きかけていたからだ。

 けれどもいま、フィオナの脳波グラフは不安定に乱高下している。ミラが私の名前を呼ぶ声が、潜在意識に干渉してしまったのだろう。このままでは、彼女は目を覚ますどころか永遠に眠り続けてしまう。そのほうが良いのではないか、とささやく心の声に、私は耳を貸しそうになる。

「だめだ!」

 私は自分に向けて言葉を放った。

 衝動に任せて椅子を蹴り、再びフィオナの病室に向かう。「待ってくださいよぉ」とミラも追ってくる。

「フィオナ、君は、目覚めなくちゃだめだ」

「せんせー、患者さんに話しかけちゃ、治療に悪影響ですよう。もし今年もフィオナちゃんが目覚めなかったら、今度こそ予算が……」

 君は黙っていてくれ。私はミラの口元に人差し指を立ててかざす。ミラはおとなしく沈黙した。いくら精巧なアンドロイドでも、人間のために都合良く作られた道具にすぎない。そこに本当の命はない。フィオナが見ている夢も同じだ。

「フィオナ、よく聞くんだ。都合良く作られた夢の中でヒーローになっても、何の意味もないじゃないか。君は何のために地球に来た? 危険を冒してまでリブラを抜け出したのは、こんな怪しい治療法の被験体にされるためじゃないだろう!」

 眼鏡の裏がちらちらと光った。ナノ・マシンが、フィオナの脳波に起きた異変を報せている。彼女に話しかけるなと、小さな機械までもが私に警告してくる。黙らせたはずのミラも再起動した。

「せんせー? アドニスせんせー? どうしてそんなに、一生懸命なんです?」

 ミラは目を見開いたまま、首を傾げている。

「どうしてなんです?」

 答えるほどの理由などない。この研究の成功でも、増額予算の獲得でもない。研究者の地位さえもどうでもいい。

 私はただ、彼女に会いたいのだ。

 太陽はいよいよ光を放つ。視界が白く消える。

「わたしに会いに来て、フィオン!」

 私とフィオナだけが、世界に取り残された。

 フィオナは目を閉じていた。私も思わず目を閉じた。それでもなお眩しいと感じる。足元がおぼつかない。フィオナと一緒に浮いているような気がする。何秒間そうしていたかわからない。光が和らいだのを感じて、私はゆっくりと目を開く。

 フィオナ・キフューと目が合った。

「……アド、ニス?」

 彼女の声を初めて聞いた。リブラ・アークの訛りが強い。この世界に、温かい陽光が満ちた気がした。

 深い緑色の瞳が、自分に焦点を合わせている。きっと感極まって目を潤ませている、くたびれた男が映っているに違いなかった。

「こんなおじさんで、がっかりさせてしまったかな」

「いいえ。……だってあなたが、ずっとわたしを見守っていてくれたんでしょう?」

 ああ、フィオナが微笑んでいる。このときを、ずっと待っていた。これ以上の幸福はない。このまま消えてなくなってもいい。すべてが終わってもいい。

 彼女は目覚めた。これは、

 視界が溶けていく。太陽に焼かれていく。私の意識と一緒に。


 もしかして、?(了)

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女神のまなざし/あなたは太陽 泡野瑤子 @yokoawano

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