越境アナグマトンネル行路

「次はいつ帰ってくるつもり?」


 煙草をくゆらせ姉が言う。俺は車から荷物を降ろしながら「来年の夏かな」なんて大して考えもせずに答える。


「あんたもうちょっと……」


 続く言葉の代わりに聞こえる姉のため息。


「連絡くらいは寄越しなさい。母さんも心配してるんだから」


「分かってるよ」


 まだ涼しい早朝の空気の中、お決まりのやり取りを済ませ歩き出す。手を振る姉に背を向けて見上げた空には小さく白い月が浮かんでいた。






 姉と別れた後、交通機関の乗り換えを数回行い、やっと特急列車の指定席に落ち着いた。あとは数時間、目的地まで座っているだけだ。


 走る列車の大きく開放的な窓には街の景色が広がっている。


(またしばらく見られなくなるな)


 そう思ったせいか、ありきたりな風景から少しの間目が離せなくなる。

 霞み薄れる朝の空気感、真っ直ぐ差す陽の光、輝く高層ビルの群。きっと街路にはエプロン姿の店員やそれぞれの場所へ向かう沢山の動物、そしてアナグマたちがいるのだろう。


 しかし列車は忽ちトンネルに入りそんな景色も見えなくなった。この先再び地上に出るのは目的地付近になってからだ。この列車はほとんどの区間で地下を走って行く。長く深いトンネルを走って行く。


 外の景色を映さなくなった窓には代わりに企業の広告が映し出された。鉄道会社、ゲート管理、コスモ化粧品と幾つか切り替わった後、自分の働く企業の広告が映し出された。『深宇宙探査』そんな大それた目標を掲げた広告だった。


 それを見て内心苦笑してしまう。


(俺ら平社員がやっていることは炭鉱夫と同じだけどな)


 帰省中、縁側でスイカを食べながら姉とした会話を思い出していた。






「資源採掘? へー、あんなとこまで行ってあんた随分前時代的なことやってんだね。要するに炭鉱夫ってことでしょ」


「炭鉱夫って……、煙草の方がよっぽど前時代的だろ、いい加減禁煙しろよ、つーかスイカ食いながら吸うなよな」


「いいじゃんか別に好きで吸ってんだし。スイカとも合うのよこれが」


「じゃあ俺も好きでやってんの」


「ふーん、穴掘りが好きだなんてアナグマの鏡だねえ」






 好きでやっているとは我ながら良く言ったものだ。正直に言えば今の仕事が特別好きと言う訳ではない。嫌いではないが嫌気がさすことだってある。ただ、好きなもの、いつか自分が夢見たものに繋がっている、そう思ってはいる。だから続けている。どっちでもいいのかもしれないが、そんな風に言った方が正しいのかもしれない。


(夢か……)


 現実を目の前にして何時までも追い掛けていられるものでもないけれど。


 遠い宇宙を映した画面が別のものに変わった。開拓宙域由来の新素材を盛んに押している寝具メーカーの広告だった。


(ま、姉ちゃんに語ったところでな……)


 そこで欠伸が一つ。広告の影響ではないが眠気を覚えていた。朝が早かったからだろう。俺は考えるのを止め体を抱え込んだ。いつの間にか大きくなった体は心とは裏腹に年齢ばかりを重ねていく。不意にスイカと煙草の匂いが列車内の空気に混ざって鼻の奥をくすぐった気がした。






 幼い自分が月を見ていた。いつか行ってみたいと思っていた。遠くその向こうにまで想いを馳せていた。無邪気で何も知らない子供心のままに。けれど今よりもずっと心は近くにあった。夢見たその場所に。






 暫く時間がたった頃だろうか、微睡の中に車内アナウンスが聞こえてきた。


 間も無く――トンネルに――、、、。シールドを――、、、ディスプレイが――なります。トンネル内では、、、――以外の通信機器――は出来ません。ゲート突入時に、、、――お気を付け――、、、。


 途切れ途切れの意識で聞いたアナウンス。もう随分聞き慣れた文言だったけれど職業柄いつも思ってしまう。アナグマも良くやったものだと。まあそれも……、もう、一昔前のことだけれど……。


 それから俺はさっきよりも深い眠りに落ちていった。






 再び車内アナウンスが聞こえてきた。間もなくトンネルを抜け地上へ出る旨を伝えるそれは俺の目覚ましの合図にもなった。


 体をよじり控えめに欠伸をする。残っていた眠気を払い頭を仕事モードに切り替えていく。


 そうこうしているうちに窓のシールドが上がり始める。けれどディスプレイは何も映さず暗いまま。それがシステムの都合なのかこれから迎える景色の為の演出なのかは分からない。個人的には、いやアナグマ的には、少々手前味噌な気もするが後者なのだろうと思ってはいる。


 瞬間、列車がトンネルを抜ける。

 それまであった轟音が消え静寂にも似た時が訪れる。

 同時に速度を忘れてしまう程に途方もない空間が広がる。


 暗黒に浮かぶ遥か遠い青い星を見ながら列車は今、月面を走っている。


 アナグマは地面を掘った。ただひたすらに。本能に従ったその行動が未来に繋がることを知っていたかのように。その過程で技術の進歩が超空間トンネルと言う特異な存在をもたらした。ゲートを越え高次元空間を通り遠く離れた二つの場所を繋ぐトンネルだ。アナグマは地球と月を繋ぐトンネルを掘ってしまった。


 とは言え今ではもう当たり前の技術。いちいち驚くものでもない。けれど目指しているものがある自分からするとどうしても感慨深く思ってしまう。月へのトンネルだなんてきっと夢物語だったはずだからだ。


 一度月面を走った列車は再び地中に入り地底コロニーへと向かう。そこに目的地の職場はある。また追われるような忙しい日々が始まる。でもその中で追いかけていたいものだってある。


 深宇宙、いつか未踏の領域へ。


 未来を夢見て何が悪い。幼い心は反骨心となって今も日々の中にある。例えしがない炭鉱夫だとしても、あの頃のアナグマたちのようにいつか道を見付けてみせる。

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【短編集】鳥獣人物戯画 てつひろ @nagatetsu

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