怒り茶釜

眞戊子ナツ

第1話

 一

 良平は、東久留米に残る大農家の次男である。

 練馬の運送会社に勤めて十二年にもなるが、仕事も役職も十二年変わらない。かつての部下が一回りして上司になっても、変わらない席で黙々と仕事を続けている。

 それが人には出世欲や、功名心がないように見える。同僚たちはのんきな笑顔を見るたびに、勤め人に向かない奴だと冷ややかに囁いていた。

 彼らは、良平が見栄を嫌っているとは知らないのだ。

 畑仕事と早起きを好く彼が、実家の畑を継がずにスーツを着ているのも、豪農なりの見栄や意地を嫌ってのことである。


 良平は幼い頃から寝物語に、家が持つ畑の広さを伝え聞きながら育った。

 次に瓦の古さと、墓や蔵の絢爛さを。

 最後に、家の財産は何より授かったのかを、年寄りから熱心に語り聞かされていた。

 「火の玉が、ぼうと上がった。木を切り倒すとな、ぽーっと明るい火が登っただ」

 ――家の富は、火の玉から授かった、というのである。

 年代は定かではない。まだ久留米村と呼ばれていた頃、練馬大根は盛んに、現在で言うところの「東久留米駅」の周辺で育てられていた。大根の売買で金が動けば、商人を相手にした小料理屋が並ぶ。男が集まれば、女も商売のために集まって、春を売る茶屋も並ぶ。

 こうして賑やかな夜の街ができあがり、裕福な小作主には馴染みの女をつくるものも現れた。中には女のために私財をすべて投げ打つ者もいたという。

 語り草になっているのは、最期に村一番の巨木にまで手を出した女狂いである。

「さあ伐れ。この木はうちの庭のものだ。伐ってよろしい」

「旦那、本当によろしいので」

 注連縄の巻かれた巨木を畏れ、使用人は主に震えた声で聞き返した。ところが主はのこぎりを、無言で巨木につきたててしまった。

 ぎこ、

 と刃が皮にめりこんだ。

 みし、

 ぎし、

 ばきり。

 のこぎりを挽く腕は止まらぬ。

 覚悟を決めた使用人は、お経を唱えながら、主とは反対のほうから木に刃をたてた。

 次第に使用人と主の刃が届くと、巨木は真っ二つに両断され、大きな音を立てながら自然に倒れていったという。

 そこへーーー

「火の玉が、ぼうと上がった。」

 木が切り倒される様子を見ていた何人かの農夫が、空へ登っていく火の玉を見つけたのである。

「火の玉を見つけた連中は、皆土地持ちになって金持ちになっただ。だが、火の玉を見つけられない連中は駄目だ。いつまでたっても貧乏人のままでな」

 令和の世でも火の玉と家名を引き摺る封建的な風習に、良平はうんざりしきっていた。


 二

 休日の昼間―――

 良平は南沢の湧水のほとりを歩いている。

 苔むした岩。

 蝉の声。

 日をさえぎる巨木。

 古い森の姿である。

 深く呼吸し、見渡すと、体の芯が畏れに震える。

 伝承を嫌っている良平であったが、万古の自然や古刹を目の当たりにしたときの、「何かがいる」と根拠なしにわかる感覚を大切にしていた。

 鳥居の向こうにすっぽりと納まった灯篭、源泉のように蝉の声が湧く森。

 こうしたものに眠る「何か」を散歩がてらに探し物をするのは彼の日課になっていた。

 

 この日、良平が日常から外れる切っ掛けになったのは、一匹のタヌキであった。

 タヌキだけなら珍しくもないが、こいつは全身雪のように白かった。

 「――おお、いたいた」

 白いタヌキ。その次は高い古木より降る、老翁のしゃがれ声である。

 カ、

 カ、

 カッ、

 しゃん。 

 聞きなれない鈴と靴音に振り替える間もなく、老人は良平の目の前に降り立った。

 

「ああ、あ、」

 

 その姿を見てしまっては、白いタヌキどころではない。

 

 「――天狗、」

 豊かに伸びた真っ白い髭と、隈取のような眉毛以外はみな赤い。衣装が山伏のものだと知らなくとも、烏の羽と伸びた鼻を見れば、このあやかしが天狗の爺さんらしいことは見れば判る。

 「人間!」

 天狗が腹より大声をだすと、森は大きく揺れた。

 一瞬で蝉が鳴きやみ、まだ青い木の葉までおちてくる。

 この喝を正面から食らえば、人間にはひとたまりもない。良平は木の根の上にど、と尻餅をつく。

 「そう驚くことも無かろう」

 あやかしはばつが悪そうに、腰を抜かした良平に腕を伸ばした。

 「先に天狗と言うたのはお前様じゃ。だから人間と言ったのよ」

 脇からぐ、と持ち上げ、成人男性を赤子のように抱えてしまう。

「ほれ」

 地面に降ろされるまで数秒足らずのことでも、良平にとっては大事だ。

 ところが天狗の爺さんはおかまいなしに話しかける。

 「沢で一番大きな古木、というのは何処かな」

 「へ、」

 「地のものなら案内しておくれ。わしはこの辺りに疎いのじゃ。ふう、やっと道が訊けそうだわい」

 この天狗は、実に屈託がない。

 眉を八の字に垂れ下げて言われると、良平も弱った。

 「……どちらからいらっしゃったんですか」

 おそるおそる訊いてみる。

 「昔は福生といったが、今でも福生で良いのかな」

 人がつけた地名を迷わず使っていることにも、良平はいちいち驚いてしまう。

 「福生からこちらまで?」

 「うん。おでかけじゃ」

 「ここで何かあるんですか」

「茶会の席ぞ。お前も来るかよ」

 天狗はしわを深くして笑った。

 穏やかな笑みにつられ、良平は怪異に出会ったことも忘れて、思わず笑ってしまうのだった。


 三

「名はないのでなぁ。爺さんで良いぞ、良平」

 いつまでも人間、天狗と呼び合うわけにもいかない。

 良平は自己紹介をした後に、あやかしに名前を教えても良かったのかと不安に思ったが、天狗の爺さんはおかまいなしに名を呼んでいる。

 それも〈爺さん〉と〈良平〉、と呼び合うようになってからは、良平も気にしなくなっていた。

 「でも、地元の人からつけられたあだ名とか、謂れだとかはあるでしょう」

 「謂れと云うほどのものでもないが…。昔、百姓どもが土をすこしずつほじくりかえしちゃ畑にすんのが、見ていてまどろっこしくなってな」

 歩きながら鈴懸をまくると、天狗は真っ赤な腕に力をこめた。

 力を入れれば入れるだけ、天狗の腕は太くなる。

 タヌキの尾から古木の幹ほどに膨らみ、まだまだ太くなる。

 「畑を地面ごと、こう、ひっくりかえそうとしたことならある。見ていた者も居ったから、物好きが語り草にしているやも知れぬ」

 この話は「福生の天狗」として伝承に細々と伝えられている。

 福生の天狗は、何日もかけて畑を作り出す人間に舌を巻き、あやかしながらに人間を好いてしまったそうである。と、ここまで天狗が語らなくとも、良平は、彼が人好きの爺さんらしいことは判っているだろう。

 そうしている間に、二人は古木にたどり着いた。

 前足をちょんと揃え、白いタヌキが二人を待っていた。

 「ご苦労さん。客が一人増えるぞ」

 二人にぺこり、と頭を下げて藪の奥に消えていく。

 天狗は懐から二つ小さな布を取り出し、無造作に地面へ放り投げた。布が膨らみ、人がひとり腰掛けられる大きさになると、天狗はどっかり腰を降ろした。良平もそれに倣って、座布団の上に座った。

 それからすぐに、白いタヌキが八匹ほど集まってくる。

 ぽてぽて、よたよた。

 と茶器やらを運ぶ仕草に、つい良平は微笑んでしまう。

 そのうちの一匹が茶釜をくわえて二人の前にやってきた。良平が聞く前に、天狗は言った。

 「ワシらはこれで茶をたてる湯を沸かすのよ」

 「火元があるように見えませんが…」

 「まあ見ておれよ」

 天狗はうっすらと悪戯げに笑う。

 「『怒り茶釜』に火は要らぬ。名の通り、怒りで湯を沸かすのじゃ」

 小さな竹の茶筅。

 抹茶の入った茶碗。

 そして――湧水の入った怒り茶釜。

 人間と天狗、八匹の白いタヌキがそろい、茶会が始まった。


「あすんぼう!」

 タヌキのうちの一匹が、突然、大きな声をあげた。

 「でくんぼう!」

 「あしっつるしのさされっつらめ」

 ―――遊び人

 ―――でくのぼう

 ―――アシナガバチの刺され顔

 どれも古い多摩の罵倒だが、声変わりを迎えていない子供の声で叫ばれても、迫力がない。

 茶釜は時折みじろぐのだが、水をこぼしてからかうだけで、まるで相手にしていないようだ。

「茶釜を怒らせねばならんというに。見ての通り、一向に茶が沸かぬ。毎年のことじゃ」

 「誰も怒れませんよ」

 「怒れんよなぁ」

 天狗の爺さんと一緒になって、良平は相好をくずした。

 しかし、だんだんタヌキたちが哀れに思えてきて、どうにか湯を沸かしてやりたいと思った。

 だからといって茶釜に悪さをする気にもならない。

 ならばどうする、と悩むうちに、良平は思いついた。

 怒っても笑っても、熱くなるのは一緒ではないか。

「失礼します」

 良平もタヌキに混ざって、怒り茶釜の前に腰掛けた。

 それからこよりをつくり、茶釜の溝をなぞった。

 「笑うなよ」

 ガタ。と茶釜が揺れる。

 笑うなと言われて弱るのは、あやかしも人間も変わりない。

 こしょ。

 ごそごそ。

 こそこそこそ。

 タヌキもねこじゃらしやススキを持って、茶釜をくすぐりはじめた。

 大きく回転しながら、茶釜がもだえた。

 たたらを踏み、翻し、左転に右転。

 人間が笑い転げている姿と大差ない。

 茶釜はたちまちのうちに煙を上げ、ゴボゴボと深い音を立てた。

 タヌキは喜び、舞とも踊りともつかない拍子で跳ねた。

 「天晴れ!天晴れじゃ!!」

 天狗は茶杓で、ゆっくりと湯を注いだ。

 木の洞には、茶会の席らしい新茶の香りが漂い始めた。


 四

 「本当だったのかもしれません」

 「何が」

 喋る白タヌキ。

 福生の天狗。

 それから、茶会。

 この先何を見ても驚かないと決めた良平は、家の伝承を信じても良い気になっていた。

 「言い伝えです。僕の先祖は樹から出た火の玉に、富を授かったのだそうです」

 天狗は聞くなり、大きな声をあげて笑った。

 茶釜に負けない笑い振りである。

 「それはな、樹の霊よ。何でも永く生きよれば九十九の神になるものじゃが、福の神にはならんな」

 だが、と天狗は言い濁し、良平の手を見た。

 手の豆をまじまじと見、

 「木霊が視える者なら、畑の仕事などおちゃのこさいさいだろうよ。百姓が土地持ちになるのも道理じゃ。―ほれ、良平」

 指差すほうを見れば、火の玉がじっと、樹を照らして輝いていた。



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