武蔵野ドリアー道(DOU!)

一矢射的

その道はいつか行く道

 私が初めて中森杉乃なかもりすぎのと会ったのは、頭数で誘われた合コンの席だった。

 当時の私は、ゲーム会社をクビになったばかりのキャラクターデザイナー。

 何とも冴えない身の上である。


 無職の身で婚活をした所でパートナーなど見つかるわけもなく。

 そんな気分じゃないし、時間の無駄だから断ろうとしたのに、誘ってくれた友達が言うには「捨てる神あれば拾う神あり」らしい。何でも女性側には、暇を持て余した男こそを欲する変人がいるとか。


 どういうことだ? 専業主夫を募集しているのか?

 それとも単に労働力の男手を確保したいのか?

 当方とて物づくりの職に係わっていた身。

 落ちぶれても好奇心は健在だった。


 気晴らしぐらいにはなるかもしれない。

 何年振りかのお洒落を決め、物見遊山で現場の居酒屋に向かう。一人だけ待ち合わせ時間から遅れたのは、やはり職なしの見栄。皆の前で自己紹介する赤っ恥を避けたかったせいだ。

 主催者もそんな私の気持ちを汲んでくれたのだろう。座敷部屋の小上がりに見立たぬ場所を用意してくれた。こっそり座って、飲物を選んでいると……わざわざ席を立ち、私の傍に座り直す女性がいた。そう、向こうも待ち構えていたのだ。


「貴方が町田さん? お隣、よろしいかしら?」


 彼女が中森杉乃だった。

 カラフルな緑のロングスカートに胸を強調する黒のトップス。

 くせっ毛のミドルショートに髪飾りをつけた長身の女。

 針葉のようなつけ睫毛と、アイシャドウを決めた物怖じしそうにない顔立ち。

 大胆な彼女は、こちらの返事も待たずに隣の座布団で足を崩していた。出会って僅か二秒で私は会話の主導権を握られてしまった。


 彼女は東京と埼玉の県境、所沢市から来たらしい。

 都会のベッドタウンといえども多摩湖付近には多くの自然が残っており、アニメ監督の宮崎駿氏がインスピレーションを受けた森としても有名だ。東京の一端を含めたみどり豊かなその地域を『日本書紀』に記された古い国名にちなんで武蔵野といった。

 私は蘇った記憶を口に出していた。


「トトロの森がある所ですね?」

「ええそう。感受性の豊かな人なら誰でも感じるでしょうね。森には妖精や精霊の存在を信じさせる神秘性があるわ」

「ああ、それ判ります。都会で暮らしていると希薄になっていく感覚ですね。自然離れっていうのか」

「ふふ、素直な人。でも、その森が人の手で造られたものだと聞いたら驚きます?」

「人の手で?」

「ええ、植林です。江戸時代までの武蔵国はススキで覆われた原っぱでした。月の名所ではあれど、湧き水すらロクになくて人の生きていける土地ではなかったんです。農民たちが用水路と井戸を掘り、杉やならを植え、長い年月を経て緑豊かな大地へと変わったんですよ」

「水源の確保はわかりますが、なぜ樹を?」

「当時は薪が燃料として欠かせないものでしたから。落ち葉からは腐葉土がとれるし、木は防風の役目も果たします」

「それで植林か、過酷な仕事でしょうね」

「そりゃもう。衰弱し、帰らぬ人もいたそうですよ。ですが尊い犠牲の甲斐あって、多くの雑木林がそこに生まれ、荒れ地が肥沃な土地へと成長したんです。当時、人々の生活と森は密接な関係にありました。森のない所では人も生きていけなかったんです。樹と人はパートナーでした」

「ところが今は住宅地からも自然が失われつつあると。世話になった森を切り倒し、所せましと家を建てる。恩知らずな話ですね」


 酒に酔った私がつい軽口を叩くと、杉乃は僅かに顔色を曇らせた。


「私達は違います。誇り高き開拓者の末裔ですから」

「ほぉ、自然を大切にしてらっしゃる?」

「ええ、我が身のように。しかし、女の身ではままならぬ事もあります。森林の手入れには人手が必要なのです。男がそれらしく生きる為には伴侶と目標が不可欠だと思いません? 私ならその両方を差し上げられるのですけれど」


 杉乃は期待のこもった眼差しをこちらに向けながら言った。

 おいでなすったぞ。私はそう思った。どうやら後継者不足の林業が、婿をとって問題解決を図ろうとしているらしい。

 確かに暗澹あんたんたる会社勤めの日々は私を人間嫌いにしていた。この街に何の未練もないし、新生活を欲しているのも確かだ。しかし、私は訊かずにはいられなかった。


「みんなに同じ勧誘をしているんでしょう?」

「皆に断られましたので。前提条件として同意して頂ける人なんです。私の場合」

「これは失礼……」


 バカな事を口走ってしまった。人は誰にでも事情があるのに。

 しかし怒りで眉を吊り上げても彼女は美人である。試しもせずに諦めるのは余りにも勿体ない誘いかもしれない。私には不相応な好機であることは誰の目にも明白だった。だが、全くの素人が無責任に請け負うのも不義理な筋違いだ。

 男の本能と自制心、責任感がせめぎ合った結果、私は顔を上げて尋ねた。


「結論を出す前にどんな仕事か体験させてもらっても?」

「勿論、歓迎しますよ」


 思えば、止まっていた私の車輪が回り始めたのはこの瞬間からであった。








 中森家は多摩湖の畔に豪邸を構えた地主で、杉乃はそこの三女という話だった。

 私はとりあえず一週間、屋敷の離れに住み込みで働くことになった。

 家政婦の婆さんが運んでくれた朝食を頂くと、一日八時間の労働が始まる。林業の先輩である大熊さんの指導を受けながらチームの一員となって働くのだ。


「アンタが噂の玉の輿こし候補か! まぁ、ここで働いている野郎どもはみんな同じような境遇ばかりさ。段々と都会臭さが抜け、自然の虜になる。なんたって自然は手間をかければそれだけ応えてくれるからな。現実の女とは大違いさ、ガハハ!」

「よ、宜しくお願いします」


 大熊さんは顔中が髭で覆われた、まさに獣みたいな人だった。

 それでも嫌悪を感じないのは、その豪快かつ大らかな人柄ゆえだろう。

 苗畑で材木の苗を育て、それを植林して森を広げながらも既存の領域をしっかりと管理する。それが大熊チームの業務だ。

 苗木も植えてオシマイというわけではなく、放っておけば成長の早い草木に覆われて日光が当たらなくなってしまう。下草刈りを行って苗を守らなければならない。また、足元ばかりでなく頭上も要注意で、成長した枝が絡み合い日の光を遮るケースも考えられる。余計な枝は伐採し、苗の成長するスペースを確保せねば作業員失格だ。

 また枝打ち作業は将来材木が板に加工された際、表面に出る節(枝のついていた跡)を減らす為にも疎かには出来ない。高枝バサミでは太い枝に歯が立たないので、そういう場合は直接のぼってのこぎりで落とさなければならない。想像以上に過酷な業務の連続だった。


「森を生かすも殺すも、密度なんだ。木々の間隔、樹冠の距離、下生えの状態、それらが森の価値を決める。人の手が入ってない森なんぞ、密が限界を超え、足を踏み入れる猶予すらねえ。別嬪べっぴんな森を作り上げるのも、仕立て屋さんの腕の見せ所ってわけだ」

「な、なるほど」


 ご高説もハードワークでグロッキーな私の耳には届いていなかった。

 しかし、どんなに過酷でも肉体を酷使し続ければ慣れてくる。

 日が経つにすれ、私も大熊さんの美学が判りかけてきた。


 樹木に精霊が宿るという考え方は世界中にある。日本の樹霊こだま、中国の山椒の精、そしてギリシャ神話のドリアード。ファンタジーでは美女に化けた木の精が若い男性をたぶらかすのが定番となっている。

 大自然の美しさは必ずしも雄大なものばかりではない、木漏れ日を浴びながら風のせせらぎに耳を傾けるだけで通じる美学もある。そんな森の繊細な美しさを女性の姿に託したもの。それがドリアードの伝説なのかもしれない。森の美に囚われ、街に帰れなくなった男の顛末てんまつということか。


 私も実は怖くなっていた。

 ここでの生活は心地よいが、都会でつちかった私の価値観が凄い早さで壊れていくのには面食らった。あんなに大切だったスマホやテレビが特に恋しくならないのだ。毎晩、離れにやって来ては私を逃すまいとする杉乃も不気味だった。

 誘惑されても彼女を抱く気にはなれなかった。それをしてしまえば全てが手遅れになりそうで。


「夜の森には行かないで下さいね」

「夜の森は危険だから」


 屋敷の人々は口を揃えて私に忠告した。

 約束の就労期限である七日目、私が寝床を抜け出し森へ向かったのは好奇心よりも、勇気に駆り立てられての事だった。決断を下す前に真実を見ておきたかった。


 そして私は目撃した。

 夜の森、木々の下で語らう半裸の女性たちを。飛び交う蛍の灯に照らされ、女性の手をとり優雅な踊りを楽しむのは、私と同じ作業服を着た森の男たちだった。

 それはまるで宗教画のような ――。


 幻想的な光景に打ちのめされ、私は屋敷の離れに逃げ帰った。

 そこで待ち受けていたのは畳の上で三つ指をつき正座をする杉乃の影。

 月明かりを浴びた彼女は、森の女と同様に薄絹だけを裸体にまとっていた。


「さぁ、契りを」


 両手を広げ、杉乃が言う。

 その声は甘さよりも犯し難い神聖さに満ちていた。


 私は言われるがままに彼女を抱く。胸筋に乳房が押し当てられ、杉乃の背中へと私は無我夢中で手を回した。その時の触感を私は生涯忘れないだろう。


 硬い。


 指先に触れたそれは、女の柔肌などではなく、この一週間に数限りなく触れた杉の樹皮。そしてベタつく杉のヤニだった。


 目線を上げれば、彼女の背中から生えた二本の枝が私を抱擁せんと梢を広げていた。


「うわ!」


 彼女を突き飛ばし、私は逃げた。

 最後に振り返った時、視界をかすめた杉乃の顔。彼女は怒るでも、悲しむでもなく、何かを確信した微笑を湛えていた。








 そして。

 今ならあの笑みの意味する所が判る。

 逃げ帰った都会では、待つ者もなく、仕事も見つからず、無味乾燥な灰塵かいじんの日々が続いた。唯一開かれた幻想の扉を恋い焦がれる毎日。


 そう、私はとうの昔に森の虜囚であった。この街は私の美学にそぐわない。

 帰るべき道はきっと、彼女へと通じるドリアー道。


 道端のゴミ箱にスマホを投げ捨て、私は踵を返した。


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武蔵野ドリアー道(DOU!) 一矢射的 @taitan2345

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