<番外編> 4 新たなる旅立ち  (完結)

 この日の朱莉は饒舌だった。いつもなら航の方が朱莉に良く話しかけ、朱莉は笑顔で相槌を打って話を聞いているのだが、今夜は朱莉の方が航よりも良く話していた。

航は苦しい胸の内を抱えつつ・・ずっとこの時間が続けばいいのにと願っていた。

だが・・それは決して叶わない願い。


こんなに朱莉は近くにいるのに・・・今はもう二度と手に入らない場所へ朱莉は行ってしまったのだ。

本当なら、朱莉を思う・・この苦しい胸の内を洗いざらい吐き出してしまいたい。出来る事ならその手を取って世界の果てまで連れて逃げてしまいたい。そんな激しく湧き出てくる感情を航は必死で理性で抑え込んだ。


そして・・最後の時間が迫ってくる・・・。



 夜8時半―


「ごめんね・・・。航君・・そろそろ私帰らないといけないの。」


朱莉は腕時計を見ると言った。


「あ・・・ああ・・・そ、そうだな・・・。ここは上野だし・・朱莉は電車に乗って帰らないといけないからな。」


航は何とか声を振り絞るように言う。


「あ・・・ううん。電車には乗らなくてもいいんだけど・・・。」


そこで朱莉は言葉を切り・・・勘の鋭い航はぴんと来た。


「そ、そうか・・迎えに来てくれるのか?あの男が・・・」


航はテーブルの下でギュッと拳を握った。名前は・・・口に出したくは無かった。


「う、うん・・電話を入れれば迎えに来てくれることになってるから・・。」


「そっか・・・。」


航は改めて修也の度量の深さに感心していた。自分の恋人が他の男と会っている・・。航だったら絶対にそんな事はさせないだろう。だが・・。


(きっと・・あの男は・・絶対的な自信があるんだろうな・・朱莉が決して他の男になびかないと言う自信が・・・。)


そう思うと航はむなしくてたまらなかった。



「「・・・。」」


そして・・何となく2人の間に気まずい空気が流れる。が・・・それを破ったのは航の方からだった。


「よし、朱莉・・・それじゃ店・・出ようか?」


航は立ち上がると言った。


「うん・・・。」


朱莉は返事をした―。


 2人で夜の上野の繁華街を歩きながら、航はふと思った。最後に・・朱莉とどこかで綺麗な夜景を見て見たいと・・。思えば朱莉と夜景を見たのは沖縄で見たきりだった。いつか朱莉と恋人同士になれた暁には2人で色々な夜景を見に行きたいと思っていた。そう、例えば江の島の夜景を・・・。


そんなふうに考えていると、不意に朱莉が言った。


「ねえ、航君。」


朱莉の少し前を歩く航が振り返った。


「何だ?」


「・・・多分、こんな風に2人で夜会うのも・・・今夜で・・最後だと思うから・・何処か、夜景がきれいな場所を見に行かない?ほら・・航君、ずっと夜景見たがっていたでしょう?沖縄では観覧車に乗れなかったし・・江の島は昼間だったから夜景を見る事が出来なかったし・・・。」


「あ、朱莉・・・。」


航は信じられない思いで朱莉を見た―。




 朱莉と航は上野公園に来ていた。2人は楽し気に会話をして歩いている。それは・・・傍から見れば仲の良いカップルの様にも見えた。


「へえ~上野公園にそんな素敵な場所があったの?」


「ああ。この公園には噴水スポットがあるんだ。待ち合わせ場所にちょうどいいと思う。朱莉・・今から連絡入れておけよ。噴水前にいるから迎えに来て欲しいって。」


街灯の下を歩きながら航は今が夜で本当に良かったと思っていた。何故なら自分で今の顔色がどれだけ酷いか・・自覚があったからだ。


「う、うん・・そうだね。」


朱莉はスマホを取り出すと、航が言った。


「朱莉、電話じゃなくてメールにしておけよ。ほら、外・・今騒がしいだろう?」


確かに言われてみれば夜だと言うのに、上野公園は人で溢れていた。どうやら今夜はイベントが行われているようだった。


「うん。そうだね。メールにしておくね。」


そして朱莉はスマホでメールを打ち込み始めた。


(すまない・・朱莉。本当は・・俺がお前とあいつが電話で話している姿を見たくなかったからなんだ―!)


航は悲し気に朱莉の姿を見つめていた―


やがて、噴水前に着いた。噴水は勢いよく水を吹き出しながら下から照らされたライトによって、さまざまな色に光り輝いている。


「うわ~・・・綺麗・・・。」


朱莉は噴水を見て感嘆の声を上げる。そんな朱莉を航は切なげな瞳で見つめている。そして噴き上げていた噴水が一度止まった。


「あれ・・・終わっちゃったのかな・・?」


朱莉が残念そうに言う。


「いや、一度止まるけどまた噴水ショーは始まるさ。そうだ、朱莉。」


「何?」


こちらを見た朱莉に航は言った。


「あっち側から見る噴水もすごく綺麗なんだ。見て来いよ。」


航は反対側を指さすと言った。


「え?そうなの?向こうから見ても変わりないと思うんだけど・・・。」


朱莉は首を傾げるが航は言う。


「まあ、いいからいいから。俺はここにいるから・・・朱莉、ちょっと向こう側へ行ってみて来いよ。それで・・着いたら俺に電話を掛けてくれるか?」


「う、うん別にいいけど・・・?」


言われた朱莉は素直に航から離れて、噴水を挟んでちょうど航と向かい合わせの場所に来た。


朱莉はスマホを取り出すと言われた通りに電話をかけ・・すぐに航のスマホが着信を知らせた。


『もしもし。』


「あ、航君。ねえ・・ここでいいの?」


『ああ、もうすぐ噴水ショーが始まるから待ってな。』


「う、うん・・。」


すると・・航の言ったとおりに再び激しい水音ととともに噴水が吹き上がる。その為、反対側にいた航の姿が噴水に隠れて見えなくなってしまった。

それを見た朱莉は航に言う。


「ねえ、航君。こっちから見ても・・・綺麗だけど・・やっぱり変わらないよ。」


「・・・。」


しかし航から返事がない。


「航君?」


すると・・・。


『好きだ。』


「え?」


電話越しから航の切なげな声が聞こえてくる。


『俺は・・・ずっと・・朱莉の事が好きだった。多分初めて会った時から・・・。』


「わ、航・・・君・・?」


朱莉は声を震わせて噴水の向こう側にいるはずの航を見た。


『お前に取って・・・俺は・・ただの弟だったかもしれないけど・・俺はずっとずっとお前の事が・・・大好きだった・・・!」


「!」


『朱莉・・幸せになれよ・・・。』


いつの間にか電話越しから聞こえてくる航の声は涙声になっていた。


「わ・・・たる君・・・。」


朱莉も涙を流していた。


『さよなら。』


そこでプツリと電話が切れてしまった。


「航君っ?!」


朱莉は慌てて噴水の向こう側にいる航の方へ向かって走り出したが・・。

既にそこには航の姿は無かった。


「そ、そんな・・・わ・・・航君・・・。」


朱莉はハラハラと涙を流し続け・・・背後から朱莉を迎えに来た修也に抱きしめられるまで・・・ずっと泣き続けた―。



その日の夜―


「あ・・・朱莉・・・。」


航は自分の1DKのアパートで・・・電気もつけず、朱莉の名前を呼びながら・・一晩中泣き続けるのだった―。




10月初旬―


航は羽田空港に来ていた。そこには父、弘樹の姿もある。


「航・・・まさか、本当に沖縄へ行くとはな・・・。」


弘樹は溜息をついた。


「まあ・・俺がいなくても大丈夫だろう?正社員だって決まった事だし・・・。いつまでも父さんの下で働いているわけにもいかないからな?俺だってもう独立してもいい年齢だ。」


航は肩をすくめた。


「いや、独立は構わないが・・でも、何でよりにもよって沖縄なんだ?」


「沖縄は・・・俺にとっての大切な・・思い出のある場所だからな・・・。いつか自分だけの興信所を持つときは・・沖縄で開業したいって思ったんだ。それに見ただろう?あの物件・・なかなか良かっただろう?」


どこか遠い目をしながら言う航。


「う、うむ・・・まあ確かに破格の安さだったな・・。いいんじゃないか?」


弘樹は何故航が沖縄を選んだのか何となく察しがついていたので、それ以上追及はしなかった。


「父さん・・・それじゃ、俺そろそろ行くわ。」


航は足元に置いてあったリュックを背負うと言った。


「ああ・・航。くれぐれも・・身体に気をつけろよ?」


「分かってるよ。じゃあな。」


航は弘樹に手を振ると、背を向けた―。


待合室に着くと、航はすぐに琢磨に電話を掛けた。



2コール目ですぐに琢磨は電話に出た。


「よぉ、琢磨。」


『全く、相変わらず口の悪い奴だな。』


「別に、今更だろう?」


『ああ・・そうだったな。航・・すまなかったな。見送りに行けなくて・・・。』


琢磨が申し訳なさそうに言う。


「気にするなって、それで・・・あの日に沖縄へ来るんだろう?」


『ああ・・・東京にはいたくないからな・・。』


「着いたら電話しろよ、迎えに行くから。」


『ああ、その時は頼むな。それにしても・・。』


「何だよ?」


『お前迄式に出ないとは思わなかったな。てっきり朱莉さんのウェディングドレス姿見たさに結婚式に出ると思ったけど・・。』


すると航は言う。


「馬鹿言うな。朱莉のそんな姿見たら・・連れて逃げ出したくなるだろう?」


『うわっ!お、お前・・・映画かドラマの見過ぎじゃないのかっ?!』


電話越しから琢磨の引いた声が聞こえる。


「バッカだな~それだけ俺が朱莉に本気だったって事だろ?!」


ちょうどその時、沖縄行の飛行機の便のアナウンスが流れた。


「あ、琢磨。それじゃ・・もう行く時間だから電話切るぞ。」


『ああ・・また会おう。』


「時期にな。」


そして2人は同時に電話を切ると、航は椅子から立ち上り、窓の外を見た。

青空の下―窓の外では無数の飛行機が並んでいる。


「よし、行こうっ!」


航は椅子から立ち上ると、歩き始めた。


新たな人生の一歩を踏み出すために―。




<終>




※ 長文でつたない文章でしたが、今までお読みいただきありがとうございました。




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