ただいま地球の故障中につき、苦情の声は届きません

ちびまるフォイ

あれ? 遅れて、いるよ?

「ん? すまんね、なにか言ったか?」


秘書は口を鯉のようにパクパクさせている。

少し後で声がやってきた。


「というのが政党の意見とのことです。

 ……あ、すみません、もう一度ですか?」


「いやいいんだ。もう聞こえたよ」


「では繰り返しますね、まずうちは……」


「んん!?」


これまで長年同じ秘書と二人三脚でやってきていたが

こんなにも意思疎通がうまくいかないことはなかった。


「疲れているのかな……ちょっと気分転換でもしよう」


テレビの電源をつけるとアナウンサーが口を動かしている。

けれど、その声が届くのは次の映像に切り替わってから。


おいしいスイーツ特集の画面に、凄惨な事故の様子がアテレコされてしまっている。


「どうなってるんだ? このテレビ、音がズレてるぞ?」


と、同意を求めて秘書を見ると口を動かした後に声が聞こえた。


「先生、腹話術できるんですか!?

 声が遅れて聞こえています!」


「いや音ズレしとるんだよ!!」


怒鳴った声もしゃべってから遅れて聞こえた。


最初はなにか勘違いだろうと自分を納得させていたが、

日に日に音ズレは大きくなっていった。


今ではしゃべっても相手に届くことはない。

相手に届くまで1時間以上のタイムラグがある。


ひとたび外に出れば1時間前にその場で話した人の声が聞こえてくる。


「くそ、うるさいなぁ……」


「パパ。キャッチボールは?」


「ちょっと外がうるさいから今日はやめておこうか」


「でも誰もいないよ」


息子との会話もホワイトボードの筆談しなければいけないとはつらすぎる。

公園に来てみたが議員の自分の悪口ばかりでとても息子には聞かせたくない。


その場に私がしないからと好き放題言って、

音ズレにより私がいるときに届くという皮肉。


「この状況、なんとかならんのか!?」


「先生。実はこの音ズレを研究している博士がいるそうです」


「なんだって!? ようしアポを取れ!」


秘書との会話はチャットで行うしかない。

これじゃまるでSNSのオフ会のよう。


議員のあらゆるコネと権力を総動員して博士に連絡を取り付けた。


「ここが研究所……。あなたが博士ですか」


「……」


博士はなにも言わずに研究室の一角を指差した。

そこだけ別室になっていた。


中に入ると博士はやっと喋りだした。


「んで、わしになにかようかね」


「ええ実は……ってあれ!? 声が遅れて聞こえない!?」


自分がしゃべった声が目の前の相手に届くなど

ここしばらく忘れていた感覚だった。


「この部屋は音を伝える速度を上げている部屋じゃ。

 地球の音ズレぐあいに合わせ、音を自動補正してくれる」


「すごい……! それじゃ博士はこの音ズレの原因を知っているんですか!」


「ああそうだ。すべては地球音源と呼ばれる片側のタイマーのズレが原因じゃ。

 もう片方は……」


「だったら早くそれを治してください!」


「それはできん」

「なぜ!?」


「やっとこの装置の商品化が出来たところじゃ。

 ここで音ズレを修正しては、売れなくなってしまうだろう」


「こ、このっ! 守銭奴!!」


「汚職して議員を辞めさせられそうなお前さんと何がちがうかね」


「私のは疑惑だ!! 息子にも潔白だと言っている!」


新研究に対しての費用を惜しんだ結果がこれだ。

地球規模のピンチなのにお金に目がくらんでしまうなんて。


こうなったら頼れるのは自分だけだ。


「地球の底にある地球音源を治せばいいんだろう!」


あらゆる政治資金を動員して穴掘り工事をはじめた。


音ズレがあるので騒音が届くのはまだ先だが、

バカでかい重機で工事をおっぱじめたことに住民は文句を言っていた。


と言っても、その声も届くのはまだ先で今は口パクでしかない。


「聞こえるものか! 今はどんな風に言われても構わない!」


たとえお金をしょうもないことに使う悪政者に見られようとも。

音ズレが修正されればきっと感謝してもらえる。


また息子と公園でキャッチボールができるようになるはず。


「あ、あれか!?」


地球に対して垂直に穴を彫り続けた結果、

なにやらふたつのタイマーらしき箱を見つけた。

片方のタイマーだけ数字が進んでいる。


「これが……地球音源なのか?」


数字の意味はわからなかったが、ズレが出ているのは明らか。

進んでいるタイマーのボタンを押した。


進んでいたタイマーがリセットされ、

もう片方のタイマーと同じ数字に同期した。


「これでよし、と……あ! 声が戻ってる!」


ふとつぶやいた独り言がまっすぐ自分に戻ってきた。

今まで自分がどれだけ話しても独り言が届くのはその数時間後だったのに。


「治った! 音ズレが治ったんだ!!」


喜びのあまり息子に連絡した。

電話口に出た息子の声が耳元に届く幸せ。


『パパ? 今、音ズレが治ったみたい』


「そうだろ。ああ、ほんとうによかった。

 ここから戻ったらまた一緒にキャッチボールしような」


『うん!』


もうその場所に残存する陰口に悩まされることはない。

穴から戻ると、息子と一緒に約束の公園へと向かった。


「なにもかも元通りだ!」


公園で聞こえるのはそこにいる人たちだけの声。

映像と音が完全に一致していた。


「パパ。ボール投げるよーー」


「よし来い」


息子は小さな体で精いっぱい山なりにボールを投げた。


「オーライ。オーライ」


ゆっくり落ちてくるボールを目で追っていたとき。

ゴツン、と頭にボールが当たった。


「痛っ……あ、あれ?」


見上げるとボールはまだ空中に浮かんでいる。

けれど足元にはたしかに落ちたボールの感触が伝わっていた。


空にまだ浮かんでいるはずのボールを地面から拾い上げた。



「まさか……映像が遅れている……?」



遅れたままの音に合わされた目の風景では、

やっとボールが落ちてくるところだった。

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