終わり


 現代文の教科書に出てきた、とある作品の言葉を引用するのならば、ボクは「丸太」の上を八割方は渡り切ったのだと思う。

 陰鬱で陰湿で薄気味悪い小学生期。活力と楽しさを知った中学生期。そして友愛と努力の術を学んだ高校生期。この中で、最も危険だったのはやはり小学生の頃であったのは間違いない。事実として”メメント・モリ”とは少し違うが、ただ死への渇望を何度も心に抱いたその当時の精神状況は、とても健全でなかったと実感する。

 けれど、ボクの場合、小学生の終盤から。それも神様と出会った後の頃からボクは、小説という心の拠り所を見つけたのである。

 それが偶然によって邂逅したのか、それとも神様が秘密裏に企ててくれた救済だったのか。ボクにはその真相を知る術など持っていない。が、ただボクが神様と出会ってからの二、三年間。ボクの人生が大きく変動し、急速に健全な方向へ進んでいったのは間違いではない。

 ちなみに、ボクはもちろん、神様のお陰だと思っている。

 神話や伝承に残るような劇的で著しい状況の変化や、救済と言った物はボクの神様はいつも与えてくれなかった。が、けれど諦めなければ、大抵救ってくれたボクの神様らしい、救済の方法だと思うのだ。

 ……最近はもう見つからなくなってしまったが。しかしこれも、もうボクにとって神様の役目を終えたということなのだろう。


 けれども今日は、試験前の今日だけは願い事をさせてほしい。

「英語で好成績を取らせてください」

 と。


 こうして図々しくなった高校生のボクに、一日は訪れるのである。

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小さくしょぼい、ボクの神様 酸味 @nattou

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