あの時。

 ソレ、と出会ったのは中尊寺の中にあるお土産屋の中だった。

 安っぽく雑多で、かつ量産型のそのお土産屋の中にある小物類も、どこの観光地にもありそうなものばかりの至って平凡で、凡庸で、中庸な観光地需要にかこつけた精神的に向上心のないお土産屋であったと、そこは明確に記憶している。

 なにせ人と言うものは楽しい記憶はすぐに忘れてしまうが、嫌な記憶は異常なほどの長期間にわたって記憶できる生物である。一般的な小学生にとって、お土産屋と言うものは楽しい場所であるのかもしれないが、しかし小学生期に『暗黒期』とルビを振るボクにとって、お土産屋なんてものは苦痛でしかなく、兄さんに言われたから仕方なくお土産を探していたのだった。

 そんな中で適当に見繕ったのが、例のソレである。値段は確か五、六百円。三センチほどの円柱形に仏像が彫られ、振ると鈴の音が聞こえるキーホルダー的な物。

 買った理由は至極単純。ソレを見た瞬間に思った「たった五、六百円の神様」という言葉が、思いのほかボクの心に刺さったからである。……まあ、神と仏は違うのだと当時は知らなかったことは、少々見逃してほしい。


 とまぁ、こんな感じでボクはソレと出会った。

 ……仕方ないじゃないか。本当に五分もかからないで選んだのだから、四百文字と少しの文章量しかないことくらい諦めてくれよ。


 ただ、重要なのはここからで、旅行から三カ月後くらい。ボクは確か宿題をどこかへなくし、死ぬほど焦燥しながら家中をひっくり返していたのである。どれくらい焦っていたのかというと、涙を流しながら歪んだ視界の中、家中の収納を探し回っていた問えば少しは通じるだろう。

 その頃のボクは人に叱られるということを、異常なほどに嫌い恐怖の対象としてみていたことは間違いなかった。加えて、その年の担任が鬼婆レベルの死ぬほど怖い人であったことも加わって、その頃の精神状態は、ただでさえ不安定だったボクの心に台風と津波と自信と噴火が同時に発生したようなくらいのもので、簡潔に言うと、もう、ハチャメチャだった。

 そうして一時間ほど探して見つからず、そうしてボクがした行動こそが、まさに三カ月前に買った「五、六百円の神様」に念ずる。という少々どころか、笑えるほどに愚かしい行動だった。が、当時のボクの想いは、文字通り藁にも縋る思いで効果なんぞあるわけもないお土産に思いを込めた。


 Ⅰ、両手でソレを包む。

 Ⅱ、ある程度ソレを振るう。

 Ⅲ、願いを込めて息を吹きかける。

 Ⅳ、そうしてもう一度振るう。

 Ⅴ、それから額に当ててもう一度願いを込める。


 これがその時ボクがやった五つの行動。

 この行動は面白いくらい明確に今でも覚えている。それくらい切羽詰まっていたこともボクは覚えているからこそ笑えないのだけれど。

 しかし、もちろんこんな行動をしたところで、目の前に突如として閃光が煌めき、気付けば宿題がそこにある。なんてこともあるわけがなく、のちに冷静になったボクが三十分ほどかけて探し出したのであった。

 が、当時のボクは異常なほどに馬鹿であったのか「神様のお陰で見つかった!」と、無神論を信奉していた一方で、ソレに祈ったおかげだったと本気で信じ込んだ。

 ボクの性別が女だったら、もしかするといつか誘拐されていたのではないかと思う程の馬鹿っぷり。

 しかしそれ以上にばかなことは、神様のお陰だと、信じ込んだ挙句その一週間後にはその神様とやらをどこかへと紛失してしまった事である。きっとこいつは無上の馬鹿であると断言するね。……まあ、ボク自身のことだけど。


 けれど不思議なことに、その一か月後、一か月半後、二か月半後、この時と同じ行動が繰り返されたのだ。

 いや、最も不思議なのはあんなに泣いて焦燥していたのに、そんな短期間に紛失しまくるボクの方であるのかもしれないが、泣いて焦燥するたびにボクは「なくしていたソレ」を見つけ「例の五つの行動」を行い、三十分後程度に「宿題を見つける」ということが頻発したのである。

 その癖、宿題を見つけた後は相も変わらずソレを紛失したのだ。

 ただの偶然なのか、それともボクのあずかり知らぬ何者かが協力をしてくれたのか。まあ、もちろん当時のボクは後者を信奉したね。精神が不安定であれば不安定であるほど、宗教などにのめり込みやすくなるとは言うけれど、当事者としてはこれが信奉、信仰の類ではないと信じ切ってしまうのだ。

 とはいえ、この後も、二桁回くらいはこの行為によって救われたことを鑑みるに、残念ながら今でも宗教なんぞは信じ込んでいないが、アニミズム的なものは実のところ信じていたりする。


 けれどもっと不思議なのは、精神状況が安定してきた中学生期になると、神様を見なくなったことだ。いや、それ以上に今考えてみると、死を比較的頻繁に望んでいた位に荒んでた小学校の中学年以降の三年近くで、常人レベルにまで精神状況が落ち着いた点というのも、結構不思議な点である。

 経験的に、前者は心の底から懇願することがなくなったこと。後者に関しては小説という、他に信奉しのめり込めるものを見つけた、という理由が存在している。

 が、小説嫌いだったボクが奇跡的に見つけた、とあるライトノベル。……そう「奇跡的」に。

 ちなみに、今もボクはこのことも、背後には神さまが居ると信じているのだ。

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