第5話 アイオリス温泉

「ハルカさん。どうしたんですか? その恰好!!」

「ちょっとな」

「どこがちょっとなんですか。田んぼにでも入ったの? いや、この凄いにおい、肥溜こえだめにでも落ちたんですか? ところで肥溜めって知ってます?」

「資料的な知識だが知っているぞ。火星で見た事はないし、若い読者は知らないと思うのだが。まあアレだ。私が行ったのは、そんな肥溜めよりも酷い場所だったよ」

「服と靴、直ぐに脱いで! もうくさいったらありゃしない」

「ここで脱ぐのか」

「勿論です。早く早く!」

「わかったよ。そう急かすな。ところでヴェーダ。お前、私の裸を見たいのか」

「ハルカさんの裸なんて興味はありません。それより、今は洗濯のプランを検討中です。こんな汚れ、マジ初体験ですからね」

「……これでも脱いだら凄いんですって体形だけど……お前、一応、男だよな」

「はいそうですが、何か」

「いやね。さっき、LGBTのLとTが同居してる人に会ったんだよ」

「そんな複雑な性的志向の話なんて、私は興味がありません」

「なるほど。ヴェーダはLGBTQのQなのかな」

「また訳の分からない事を! そんな事はどうでもいいんです。私は乳児期にサイボーグ化されたから、性的な成長なんてしてないんです。そして性行為に興味がないし、しようとも思わないし、もちろん、性行為可能な体ではないですけど、したいって思ったらお〇ん〇んぶら下げてますって」

「そうかもな。ここではヴェーダと二人きりだけど、私は身の危険を感じた事はなかったな」

「もう、何言ってんですか! ハルカさんを襲って身の危険を感じるのって、ハルカさんを襲った人に決まってるじゃないですか。一回襲えば十回は死ぬと思う」

「そうか」

「そうです。ところでハルカさんは性欲ってあるんですか?」

「それなんだよね。300年以上生きてるけど、性欲を意識したことはほとんど無い」

「やっぱり、サイボーグ化すると性欲減退するって本当なんですかね」

「さあな。まあ、私もヴェーダも、性的マイノリティなのかもな。Aセクシャルって分類になる」

「そんな御託はもういいですからさっさとお風呂へ入ってください。今日は温泉の日ですから大浴場ですよ。よーく体を洗ってくださいね。そのまま湯船につかっちゃダメですよ!」

「はいはい」


 ここ、アイオリスでは月に一回温泉の日と言うものがある。

 火星では温泉が湧き出ることはないのだが、発電所から出る温水を風呂用に分けてもらい、そしてそのお湯に温泉の成分を溶かしてから温泉気分を味わおうという催しだった。ここにはハルカとヴェーダ二人だけしかいないのだが。


 髪を二回洗い、体中を念入りに洗ってから湯船につかる。そんな時、ヴェーダから通話が入った。


「ハルカさん。お湯加減はいかがですか」

「いいよ。41℃ちょうど。お前も来ないか」

「あっかんべーです。ハルカさんの裸に興味がないって言ったでしょ」

「私の裸に興味を持ってるやつを呼ぶわけがないじゃないか」

「それもそうですね。でも、私の体は温泉水で錆がでるんですよ。後々メンテが大変なんで遠慮しときます」


 メンテが大変。

 小柄なヴェーダの体は全てむき出しの金属製だ。温泉に浸かってしまうと、後のメンテナンスに時間がかかる。それに対してハルカの体は生体系部材が多く使用されており、温泉で錆びるという事はない。ただし、生体系部材を多く使えばそれだけ交換する頻度も高くなる。実際、ハルカの方がメンテの頻度は高い。


 ハルカは今日、TをしてLだったギャレットに出会い、性的マイノリティについて考えさせられた。一般にはLGBTと略されているが、LGBTQという表記もある。Lはレズビアン、Gはゲイで共に同性愛者。まとめてホモセクシャルとも言う。Bはバイセクシャル。いわゆる両刀使いで男女両方に性愛を持つ人たち。Tはトランスジェンダー。つまり性的違和、心の性と体の性の不一致を感じ、性転換した人。もしくは、性的違和をそのまま持ち続けている人。最後のQはクエスチョンと言う意味で、自分で自分の性が決められない、もちろん心の性だが、そんな人の事。男性でも女性でもない中性という事なのだろうか。そしてハルカとヴェーダの二人はそれとは別の、Aセクシャルに分類される無性欲者となるだろう。


 アイオリスの施設は広大だ。

 しかし、ここにいるのはハルカとヴェーダの二人だけだった。こんな場所に二人きりなら、通常の性欲を持つ男女であれば、何かの性的トラブルが起きてもおかしくはない。


 しかし、ハルカたちの間にそんなトラブルは一切なかった。

 これは、ハルカとヴェーダがお互いがAセクシャルであるからだろう。恐らく、一般社会においては何かと生き辛い性的マイノリティなのだが、ここアイオリスではそのような事はなかった。ハルカは自分自身もその性的マイノリティの一人であることを改めて実感していたし、そんな自分が不幸だとは思っていなかった。


 だが、あの女神はそうではなかった。

 そもそも自己満足の為、趣味娯楽のために人殺しを強要するなどあってはならない事。しかも、性的マイノリティを嫌悪し、明確に差別していた事は言語道断だ。


「あれはやはり、女神の皮を被った悪魔だな」


 ハルカはそう結論付けた。


 その悪魔と一切関わらないと約束させた訳だが……。


「魔界の者が律儀に約束を守ると……それこそ笑い話の種でしかないな……」


 ハルカはその約束が守られると信じていなかった。


 今度呼ばれた時はスニーカーではなくブーツに……これならナイフが二本収納できる。

 スカートもやや裾の長いものを……太ももにもナイフと小型拳銃を。

 半袖ではなく長袖のジャケットに……拳銃とナイフがさらに収納できるさ。


 そして、硬貨ではなくパチンコ玉をどっさりと……以前、レールガンの要領で玉をすっ飛ばす練習をした。自動車のドアなら簡単にブチ抜ける。


 持って行こう。


 (* ̄▽ ̄)フフフッ♪


 湯船につかりながらにやりと笑うハルカ。


 二度と関わらない。


 そう約束したはずなのだが、彼女の心中は再戦への抱負が満ち溢れていた。


【おしまい】

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雷神のアナトリア 暗黒星雲 @darknebula

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