笑い袋
無月弟(無月蒼)
笑い袋
皆さんは、笑い袋というオモチャをご存知でしょうか。
布製の巾着袋の中にレコーダーが入っていて、スイッチを押すと、録音されている笑い声が再生されるというもの。
本当にただ、笑い声が聞けるだけ。ただそれだけの、言ってしまえばくだらないオモチャ。だけど私は、その笑い袋が大好きだった。
小学校三年生の夏休み。私の住んでいる村にある、神社のお祭りに行った時。屋台のクジ屋で当てたのが、笑い袋だった。
赤色のさらさらとした手触りの桃色の生地に、漫画絵で笑っているおじさんの顔が描かれていて。正直最初は、外れを引いたなって思っていた。
だけど、どうしてだろうね。
家に帰って、ギュって笑い袋を抑えてみると、中のスイッチが押されて、『ワハハハハ』という声が再生された。
くだらない。だけど何故だかその声を聞いていると、私までつい、笑いたくなってきた。
『ワハハハハ ワハハハハ ワハハハハ』
「はは。あはははっ」
笑い袋につられながら、あはあはと声が漏れて、笑いの世界に誘われる。
面白い。くだらないけど、面白いよこれ!
それから私は、すっかり笑い袋の虜になっちゃった。
暇さえあれば笑い声を聞いて、私も一緒になって笑う。おかげで夏休みの間、わが家は笑いの絶えない家になっていた。
けど、ね。ちょっと調子に乗りすぎていた。
私にとっては元気をくれる笑い声でも、人によっては不快に感じることもあるって、幼い私は気づいていなかったの。
夏休みも終盤に迫ったある日の夜。私はお茶の間でいつものように笑い袋の声を聞いていたら、お母さんがこんな事を言ってきた。
「アンタねえ。毎日そんなもので遊んでいるけど、宿題はちゃんと終わってるの?」
「うーん、大丈夫。順調かな」
『ワハハハハ ワハハハハ』
「そんなこと言って、去年も一昨年も、最後は泣きついてきたじゃない。本当にやってる?」
『ワハハハハ ワハハハハ』
「もう、だから大丈夫だってば」
『ワハハハハ ワハハハハ』
「それじゃあ工作は? あと、絵を描く宿題もあったわねえ。アンタが何かを作ったり、絵を描いたりしてる所なんて、見てないんだけど」
『ワハハハハ ワハハハハ』
「そ、それは、その……」
『ワハハハハ ワハハハハ』
お母さんの目が鋭くなる。マズイなあ、本当はあんまりやってないって、バレちゃってるよ。
怒ったお母さんを前に焦った。焦ったんだけど……この時もまだ笑い袋は、笑い声を出し続けたままだった。
だけど、なにも私は、ふざけて笑い袋で遊んでいた訳じゃない。
実は毎日毎日笑い袋で遊んでいたものだから、どうやら壊れちゃったみたいで、袋の中のスイッチが押されたまま、元に戻らなくなってしまっていたのだ。
所詮はクジ屋で当てた安物、簡単に壊れたとしても不思議じゃない。だけど、何でよりによってこんなタイミングで。
真剣に話していたお母さんは当然、「ふざけるのは止めなさい!」と、大声で叱りつける。だけど、どうすることもできないんだよ。
スイッチが壊れちゃって、止めたくても止められないんだもん。
「いい加減にしなさい!」
鋭い声で怒鳴られて、場が凍りつく。ヤバい、完全に怒ってる。
だけど笑い袋は、そんな空気を読んではくれなくて、ワハハハハと笑い続ける。
張りつめた空気の中響く笑い声はとても不気味で、そして笑う度に、お母さんの機嫌がどんどん悪くなっていくのが分かる。
そしてとうとう、我慢は限界に達した。
「ちょっとそれ貸しなさい」
「あっ!」
止める間もなく、笑い袋を取り上げたお母さん。
そしてそのまま廊下に出てサッシを開けると、外に向かって放り投げた。
「ああっ」
中にレコーダーという重りが入っていた笑い袋は、思いの外遠くにまで飛んで。家のすぐ隣にある畑に、ドサッと落ちた。
『ワハハハハ ワハハハハ』
真っ暗な夜の闇の中、笑い声がこだまする。
だけどお母さんがサッシを閉めると、その声も聞こえなくなって。そして怒った顔を、私に向けてくる。
それからガミガミとお説教を食らったけど、内容はあんまり頭に入ってはこずに、喪失感が胸の中に広がっていく。
たかがおもちゃが失くなっただけだけど、この時の私にとって、あの笑い袋は間違いなく宝物だったから。
捨てられてしまったことがとても……とても悲しかった。
◇◆◇◆
お母さんにこっぴどく怒られてから一夜が明けて。朝になってサッシを開けてみたけど、もうあの笑い声は聞こえなくなっていた。
夕べはあの後雨が降ってたから、濡れて袋の中のレコーダーが壊れてしまったのか。それとも電池が切れたのか。
何にせよ、見つけて持って帰ったところで、きっとまたお母さんに起こられそう。そう考えると、探しに行くこともできなかった。
もちろん、笑い袋が失くなったところで、何か特別不都合があるわけじゃなくて。朝食を済ませて、溜まりに溜まった夏休みの宿題をして、何事もなかったように時間は過ぎていく。
けど、その日の午後。アイスを買いに外に出て、その帰りに事件は起こった。ううん、正確に言うと、起こっていることに気がついた。
自転車をこいで、家の近くまで戻ってきた私は、お隣の畑の前に大勢の人だかりができているのを見つけた。
酒屋のおじさんや、二丁目の鈴木さん。他にもたくさんの人が集まっていて、いったいどうしたんだろう?
「あの、何かあったんですか?」
「それがよう。昨日清盛のやつが、この辺で恐ろしい目にあったって言うんだ」
見るとそこにいたのは、電気屋の清盛さん。二十代後半のお兄さんで、真面目で人当りがよく、中学生の頃から両親の経営する電気屋を手伝っていた、村一番の働き者だ。
学校の下校時にすれ違った時は、必ず笑顔で挨拶をしてくれる爽やかなお兄さんだけど、今日は青い顔をしている。
恐ろしい目って、いったい……。
「清兄、何があったの?」
「それがな。昨夜テレビの修理の依頼を受けて出かけていたんだけど、その帰りにこの辺を歩いていたんだ。修理にえらい時間がかかったから、たぶん8時は過ぎた頃だったと思う」
ふむふむ。と言うことは、ちょうど私がお母さんに叱られていたくらいかな。うう、嫌な事を思い出しちゃった。
「もうすっかり暗くなってたから、急ぎ足で歩いていたんだ。そしたらそこの畑の辺りから、不気味な声が聞こえてきたんだよ」
「不気味な声って、どんな?」
「笑い声だよ。『ワハハハハ、ワハハハハ』って、まるで感情の無いような声が、とめどなく聞こえてくるんだ」
え、笑い声? そ、それって……。
「何だろうって思って見てみたけど、誰もいなくて。だけど笑い声だけは、ずっと続いてるんだ。気味が悪くて、腰を抜かしそうになったよ」
「清盛くん、それ本当かい? 酔っぱらってたんじゃないの?」
「修理に行った帰りだって言っただろ。酒なんて飲んでないよ」
「そもそもコイツは、そんな幻聴が聞こえるまで酒を飲むような奴じゃないからなあ。それじゃあ、その声はいったい何だったんだ?」
「不気味だよなあ。おい、誰か神社に行って、神主の織田さんを呼んで来い。何か悪いものが、この辺りにいるのかも知れねえ。お祓いをしてもらおう」
「いや、もしかしたら変質者が、どこかに隠れていたのかもしれないぞ。駐在さんに頼んで、パトロールしてもらった方がいいんじゃないか?」
「こうしちゃいられねえ。村中のみんなに知らせねえと」
口々に意見を言い合う大人達。なんだかこのままだと、村人総出で解決に乗り出しそうな勢い。
私はそんなみんなから背を向けて、コソコソと退散し始める。
エ ラ イ コ ト ニ ナッ テ シ マッ タ !
ごめんなさいみなさん。その不気味な声の正体は、昨日お母さんが捨てた笑い袋なんです。
だけど盛り上がっている大人達を見ていると、とても真実は言えなくて。自転車にまたがると、全力で家までダッシュする。
あ、後でみんながいなくなったら、笑い袋を探して回収しないと。持って帰ったらまたお母さんに叱られるかもしれないけど、そんなの知った事か!
こうしてこの日、笑い袋は笑う幽霊の都市伝説……ううん、村伝説になっちゃって。
私が大人になった今でもこの噂は、村人たちの間でまことしやかに囁かれていやがるのでした。
ちゃんちゃん♪
笑い袋 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます