わるいもの

山本アヒコ

わるいもの

 桃花はよく人から「きれい好きだね」と言われる。

 相手は誉めているのだが、そう言われるとつい否定したくなる。しかしそんなことを言って空気を悪くしたくはないので、ありがとうと笑うようにしていた。

 実際の彼女は、特別きれい好きなわけではない。できれば掃除などは面倒なのであまりやりたくはない。しかし、やらなければならない理由があった。

 だが嫌々ながらきれい好きに振る舞うことで、良いこともある。桃花が結婚した相手との出会いは、友人たちとバーベキューパーティーの際に率先して後片付けをしていたところ「手伝うよ」と声をかけられたからだった。


 結婚し、出産し、子どもが幼稚園に通うようになってからスーパーでパートの仕事をするようになった。ここでも彼女はきれい好きと思われている。

 桃花は従業員たちが着替える部屋で、自分が使っているロッカーの掃除をしていた。端のほうにほこりがたまっていたのだ。除菌シートで隅々まで拭く。

「ほんとキレイ好きよね、あなた」

 先輩の四十代パート同僚女性が、ロッカーを拭く桃花を見て呆れたように言う。

「家もそのぐらい綺麗にしてるんでしょうねえ」

「そんなことないです。家だとどうしても面倒になって。たまに掃除するぐらいですよ」

 謙遜するというより、そうでも言わないと愚痴が出てしまいそうだった。実際は神経質なぐらい掃除はしている。が、本当は掃除などしたくない。

「お先に失礼します」

「子どものお迎えは大変よね」

 退勤時刻は午後二時。これから幼稚園へ子供を迎えに行く。幼児のための座席がある自転車のペダルに力をこめる。

 幼稚園へ着くと、桃花の姿を見た我が子が走り寄ってきた。

「ママー!」

 足に抱きついた幼児の頭をなでていると、若い女性の先生が近づいてくる。

「今日もジョウくんは元気でしたよ。先週はお休みした日もあったので心配してましたけど、もう大丈夫そうですね。病院は行かれたのですよね?」

「はい。薬を飲んだらすぐ治りました」

 桃花は普通に答えれただろうかと不安になったが、動揺は見せないようにした。

「ジョウは元気だよね」

「うん。げんきー」

 幼児は短い腕をのばして笑う。先生もそれで笑顔になった。

「バイバイ、ジョウくん」

「ばいばーい」

 自転車に子供を乗せ、ヘルメットとベルトもきちんと装着させる。

 なるべくいつも通りにしているはずだが、ついペダルに力が入って自転車のスピードが上がる。なるべく早く家に戻りたかった。


 マンションの共有駐輪場に自転車を置いて、両肩に自分と子供の鞄をかけ、子供と手をつなぐ。少し体温が低い気がする。少し早歩きでエレベーターへ向かう。

「じっとしてね」

 桃花は体温計をジョウの額に向ける。赤外線で計る非接触式なので時間はかからない。表示されたのは三十六度二分。多少低いがまだ平熱の範囲内だ。

「よかった……」

 桃花は胸をなでおろす。

「どうしたのママ?」

 体温計を握りしめている母親を見て、子供は不思議そうだ。桃花は硬い笑顔を見せる。

「なんでもないの。そうだ、手洗いうがいしないと。行こう」

 洗面所で二人は手を洗い、うがいをする。ジョウの口と手をタオルで拭いていると、桃花の顔を見て言う。

「ママ、テレビみていい?」

「いいよ」

 ジョウはぱたぱたと走っていく。その姿が見えなくなると、洗面台に両手をついてうなだれる。白色の洗面台は濡れていて照明によってぬらりと光る。一本の髪の毛がそこにへばりついていた。ティッシュを一枚とり、それをつまんでゴミ箱へ捨てる。

 顔を上げ、洗面台に備え付けられた鏡を見る。鏡には疲れた桃花の顔が映っていた。先ほどスーパーと幼稚園で見せていた姿の面影すら無い。

 しばらくその場から動けないでいると、子供の笑い声とテレビの音がわずかに聞こえてくる。鏡にいくつかの水滴が飛んでいるのを見つけた。無意識にそれを拭いていた。

「……掃除しなくちゃ」


 桃花が他人からきれい好きと思われるほど掃除をするのは、彼女がつくった汚い場所には『わるいもの』が出るからだ。

 それはどこからか湧いて出る。生ごみに集まるハエやゴキブリにネズミ。人気のない倉庫にいつの間にかできている蜘蛛の巣。草むらのなかにいる虫。現象としては、それらと変わらない。

 ただそれらと違うのは、それが本当に生き物なのかわからない事だ。


   ******


 小学生のころ、学校のプリントなどを机の中に何枚も忘れたりしたことはなかっただろうか。男子などは日常茶飯事であるかもしれない。

 桃花がプリントを机の中に忘れたのはわざとではなかった。教科書やノートを出し入れするときに引っかかり、そのまま机の奥へと押し込まれてしまっただけだ。

 ある日桃花は机の中から変な音が聞こえた。何かをひっかくような、リスが木の実を齧る音に似たものだ。

 授業がすべて終わって教科書とノートをランドセルに入れている途中だった。不思議に思って桃花は机の中をのぞきこむ。

 机の奥にくしゃくしゃになったプリントがあった。そのそばに、何かがいた。

 小さい。何しろ机の中に入るぐらいだ。ネズミかと一瞬思ったが違う。何しろズボンをはいている。

 暗いのでよくわからないが、その小動物らしきものは全身に緑色の毛がはえていた。ハリネズミのごとく長くて広がっている。灰色のズボンはボロボロで裾は糸がほつれていた。それは背中を向けて、両手に持った何かを齧っているようだ。

 なんでこんな生き物が自分の机の中にいるのだろうと思っていると、桃花へと振り向く。

 顔はカエルに似ていた。横に平たく、口も横に長い。ただ目の数がおかしい。小さな目が蜘蛛のようにいくつも顔を覆っている。さらに口の中には白い歯が並んでいた。それは獣のもつ牙ではなく、人間と同じものだ。

 しばし桃花と正体不明の生き物は見つめ合う。すると毛の生えたカエルもどきの口が動いた。

『おあよーございあす』

 それは担任の先生の声だった。まるで風邪で喉を枯らしたような声だったが、確かにカエルもどきの口から人間の声がした。

「え? 先生?」

 近くにいた生徒にも聞こえたようで、教室を見回す。しかし担任の教師の姿はない。

 桃花はとっさに机の中に手を入れ、プリントでカエルもどきを急いで包み、ランドセルの中へ突っ込んだ。急いで教室を出る。

 全速力で走る桃花は、とにかく遠くへ行きたかった。クラスメイトたちにこれを見られたくなかった。見られてしまえば変な噂になることは明らかだったからだ。

 桃花は橋の真ん中で立ち止まる。下は大きな川だ。

 ランドセルを開けて丸まったプリントを取り出す。中から何かを齧る音とともに『こくごーさんすーりかー』などと枯れた声がかすかに聞こえている。

 中を見る勇気はなく、プリントごと川へ投げた。川の流れにのまれたプリントはすぐに見えなくなった。

 これが桃花と『わるいもの』の出会いだった。


 次の出会いは桃花が中学生になってからだ。あれからは『わるいもの』が出てくることもなく、いつの間にかその出来事も忘れてしまっていた。

 中学生になった桃花は友人に誘われてソフトテニス部に入った。この部は大会で優勝などを目指すような部活ではなく、遊びの延長のような部活だった。先輩も厳しくなく、ソフトテニスをするでもなくずっと喋っている日もあるほどだった。

 そんな緩すぎる部活なので、部室の整理整頓などもされない。壊れたラケットや汚れたボールが転がっていたり、ジュースやお菓子などのゴミも多かった。

 ある日桃花が部室のロッカーを開くと見慣れないものがあった。ロッカーの中にはジャージやシューズ、タオルと制汗剤などが無造作に詰め込まれている。それに混じって黒い塊が置いてあった。

 大きさは手のひら二つほどのそれは、黒色の金魚。出目金だ。

「え? なにこれ?」

 周りを見るが自分ひとりだけだ。しばらく待ったが誰も出てこない。友人たちのイタズラというわけでもないらしい。

 顔を近づけてみると、細かいウロコがびっしりとあるのが見えた。異常な大きさの出目金の特徴的な目と、桃花の目が合う。

 その瞬間、出目金が激しく動き出した。汚れたジャージの上で、水揚げされたマグロのごとく大きく跳ねる。

 驚いた桃花は手に持っていた鞄を床に落とす。

 出目金のくちがパクパクと開閉すると、空気が漏れる音がする。その音は徐々に大きくなり、強い風が狭いパイプを通るような高音へ変化していく。不意に音が止まる。

 ごべあっ。

 出目金が音を立てて何かを吐き出す。得体のしれない液体が口から飛び散る。

「ひいいいい!」

 桃花は後ずさりして背中を壁にぶつける。

 暴れる出目金の口から出てきたのは、明らかに人間の腕だった。限界以上に開かれた口から青白い腕が出ている。指は一本一本が別の生き物のように蠢く。

 出目金の動きはさらに激しくなる。それだけではなく、口から生えた手で物を投げ始めた。ジャージにシューズ、制汗剤など手当たり次第に部室の中に投げ散らかす。

 そこで桃花の限界が来た。部室の外へ飛び出す。そこで鞄を部室の中に置いてきてしまったことを思い出したが、もう一度入ろうとは思えず部室の横にあるソフトテニスコートのベンチへ呆然としながら座る。

 いったい何が起こったのか理解できず、その場から動けない。ありえない大きさの出目金と、その口から出てきた青白い手。あれは普通の生物ではありえなかった。

 考えをまとめようにも混乱してどうにもならない。そうしていると桃花の友人たちがやってきた。同じソフトテニス部の面々だ。

「どうしたの? 制服のままじゃん」

「え? ……ちょっと」

「ほら行くよ」

 友人に手を引かれるまま部室へ行くと、出目金の姿はなかった。散らかっていたジャージなどもない。友人たちは先ほど異常な出来事があったなどとは思わず、お喋りしながら着替え始める。

 桃花もおそるおそるロッカーを開けた瞬間、全身が総毛立つ。

 ロッカーの中ではきれいにジャージが畳まれていた。


 その後、桃花は小学校での出来事を思い出し、もしかしたら自分は汚い場所を放っておくと『わるいもの』が出てくるのではないかと考えた。

 実験する勇気などなく、予測というより妄想のたぐいにすがり、自分の関わる場所は徹底的に綺麗にするようになる。

 そのおかげで家族や友人から感心されるようになったのは皮肉な事だった。

 それからは何事も無く中学高校生活を終える。しかし大学生となって一人暮らしをはじめると、つい手を抜いてしまった。

 大学のあとはバイト、友達のアパートで朝まで話す、などの生活を満喫していたある日、桃花は耳慣れない声を聞く。課題をやっていた彼女はノートから顔を上げた。

 テレビは消している。スマートフォンの画面も暗いままだ。防音が行き届いているようなアパートではないが、外からの音は聞こえない。

 また声が聞こえた。近い。

 ワンルームの狭い部屋を、声が聞こえるほうへ近づく。キッチンのあたりだ。

 流しの三角コーナーに生ごみが少したまっていた。今週のゴミ回収のときに出すのを忘れていたのだ。コバエが何匹か飛んでいる。

 蚊が耳元を飛んでいるときに聞こえるような音がする。ただし三角コーナーからだ。コバエが飛ぶ場所へ耳を澄ませる。

『パパー、ママー』

 知らない子供の声だった。

 急いで三角コーナーの生ごみをビニール袋に入れて固く縛る。洗剤を手に取ると、何度も何度もキッチンのシンクへ吹きかけた。ステンレスが全て泡で隠れるまで。


   ******


 天井や棚の上をマイクロファイバーのモップで払う。掃除機をかけたあとフローリングを専用のモップで拭く。カーペットとソファーに粘着式ローラーを転がす。そして洗濯物を畳んで種類別に分けて専用の衣装ケースへ収納していると、もう夕食の準備だ。

 料理をしながら同時に片付けもやる。鍋で煮込みながらフライパンを洗う。むいた野菜の皮は全てまとめて素早くビニール袋に詰めてゴミ箱へ。

 そうこうしていると桃花の夫が帰ってきた。

「ただいまー」

「パパーおかえりー」

 ジョウは父親を迎えに玄関へ走る。

 リビングへ入ってきた父親は息子を抱いていた。

「すぐご飯だからね」

「わかった」

 ジョウを椅子に座らせると、父親は着替えにいく。


「おいしいかジョウ?」

「おいしー」

 夫と息子が楽しそうに食事をしている。それを見る桃花の表情は白い。両目は二人のどんな変化も見逃さまいと、カメレオンのように動き回っている。口へ一定のリズムで料理を運びながら、目は一時も離さない。

 夕食が終わるとジョウを風呂に入れる。寝つきが悪いので、早くジョウを布団に寝かせるためだ。

「一緒にお風呂いこうねジョウ」

「うん」

 椅子に座らせたジョウの頭を、優しく指で洗う。

「シャンプーが目に入ると痛いからしっかりつぶってよ」

 シャワーで頭の泡を洗い流しながら、そっとジョウの後頭部を指で探る。

「痛くない?」

「いたくないよ」

 ジョウは大きな声で答える。桃花の指先は後頭部で静かに動く。


「寝たな」

「うん……」

 真ん中にジョウ、両側に桃花と夫という川の字でベッドに寝ていた。ジョウは静かに寝息をたてている。

「今日は早く寝たな。なあ、少し酒を飲まないか?」

「わかった。でもその前に、傷を見せて」

「またか?」

 うんざりした顔をしながら、ベッドから出た夫は服をまくり上げる。近づいた桃花は夫の腹をじっと見つめる。

 そこには縦五センチほどの傷があった。血が出てない傷を、そっと指で押すと簡単に開く。肌とその下にある黄色がかった脂肪とピンク色した筋肉の断層が見える。何度か押すと、そのたびに傷がパクパクと口のように開く。

「痛くない?」

「ぜんぜん。血も出てないし大丈夫だって」

 夫は全く持って平気な様子で笑う。桃花の背中を冷たい汗が濡らす。何度傷を指で押しても血は一滴も出ない。体温はある。毎日体温計で計っている。しかし触ると冷たい気がしてしょうがなかった。




  ***


 夫が浮気していた。それを知った桃花は怒りに任せて詰め寄った。息子が近くにいるいることも無視して。胸を叩くと突き飛ばされた。

 息子のジョウが泣きながら夫に抱きつくと振り払われる。興奮していたせいか力が強く、かなりの勢いでテーブルの足にぶつかった。

 床に伏せていた桃花はゆっくりと起き上がりキッチンへ向かう。

「おいジョウ! しっかりしろ! 桃花! ジョウが息をしてない!」

 夫が真っ赤な顔でジョウの体を揺すっている。抱かれた体に力はなく、されるがままにたれた腕は揺れるだけだ。

「おい桃花! 救急車を」

 桃花は持った包丁を、夫の腹に根元まで突き刺さしていた。血が床へ落ちる。


 動かない息子と、フローリングに広がる血だまりに倒れた夫を前に、どれだけ立っていただろうか。桃花は感情が失せた顔で、不安定に体を左右に揺らす。

「ああそうだ……掃除しないと……」

 夫の体を風呂場へと運び、床の血だまりと引きずった血の跡をきれいに拭き取った。

 次の日、桃花は夫の職場と息子の通う幼稚園へ体調不良で休む連絡をする。そして二人の死体を残したまま、自分はスーパーのパートへ向かった。なぜなのかはわからない。ただただ、混乱していた。

 パートを終えて帰宅途中、自転車をとめた。少し先にいつも息子を迎えに行っている幼稚園が見える。

「……今日は行かなくてよかったんだ」

 マンションのドアの前で立ち尽くす桃花。このドアを開けてしまえば、否応なく現実に直面してしまう。十分以上その場で考え、ドアに手をのばした。

 亀のようにゆっくりと廊下を歩く。その先のドアを開ければ、昨日夫を刺したリビングだ。ジョウは床に置いておくのが忍びなくてベッドへ運んだが、夫は風呂場に放置したままだった。

 二人のことはどうすればいいのか見当もつかず、苦悩しているとふいによろけて体を壁にぶつける。そのまま崩れ落ちてしまいそうだったが、壁にすがりつくようにして支えた。

 リビングへのドアが音をたてて開いた。顔を上げた桃花は目を見開き、唇が震える。

「ママー! おかえりー」

「ど、どうして……」

 桃花の足に抱きついてきたのは、息子のジョウだった。震える手で顔を触る。いつもより体温が低くひんやりとしているが、たしかに存在している。

「帰ったのか桃花」

 夫の姿もあった。彼女の顔を見て朗らかに笑う。昨日、腹を刺されたとは思えない表情に、背中へ氷のような冷たさが走る。急に息苦しくなり、口を激しく開閉させる。

「なんで……そんな……」

「なんでって、今日は俺もジョウも風邪気味だから休むって言っただろ?」

 何度も夫と息子を見比べるが、どこもおかしな部分は見えなかった。

「いこっ」

 息子に手を引かれるまま、桃花は歩くしかなかった。


 それから数日、特に問題は無い生活が続いている。夫は刺された記憶もなく、普通に会社へ行って働いている。息子のジョウもあのときの記憶はなく、幼稚園で問題なく過ごしていた。

 朝食を終えて桃花は幼稚園へ持っていくバッグに必要なものをつめていく。その横をスーツ姿の夫が歩いていくのを見て、慌てて呼び止めた。

「ちゃんと傷は隠したの!」

「そんなの平気だって。血も出てないし」

 だからこそ大丈夫ではないのだ。たしかに傷から血は出ていないが、塞がる様子は無い。体を動かせば、まるで呼吸するかのように傷口が開閉する。

 桃花は夫のシャツのボタンをはずし、傷を大きなガーゼでふさいだあと、はがれないようにテープを何枚も貼り付ける。

「こんなに厳重にする必要ないだろ」

 夫は心配性の桃花に苦笑するが、彼女の表情はあまりに硬い。明らかにいつもとは違う様子だというのに、全く気づかない。

「…………」

 夫が出勤すると、桃花は大きく息をはいた。額にはうっすら汗も浮かんでいる。あの日から、毎日が緊張の連続だ。いつこの日常が壊れるのか、怖くてしかたがない。

「ママ、いこうよ」

 ジョウが手を握ってくる。ひんやりとした感触のなかにある体温を確かめながら、桃花は息子の頭をなでる。嬉しそうな顔を見ながら、指先で後頭部を触るとわずかなくぼみを感じる。テーブルにぶつけた場所だ。

 二人は手を繋いで外へ出て行く。その姿は仲の良い家族そのもの。

「あ、忘れるところだった」

 桃花は慌てて何かを取りに行く。



 桃花は片手に息子の手を握り、もう一方にはビニールのゴミ袋を持っていた。その生ごみの入ったゴミ袋が小さく動く。桃花が動かしたのではない。

 ビニール袋は何度も動く。しかし彼女の様子に変化はなかった。

 動きは徐々に大きくなり、ついには上下に跳ねるようになったが、気にせず片手にぶら下げたまま歩く。キイキイといった鳴き声も聞こえ始めたが、桃花の表情は変わらない。

 激しく動くゴミ袋を、マンションのゴミ収集ボックスへ入れる。ボックスの蓋を閉めると鳴き声は聞こえなくなった。


 ゴミ収集ボックスが一度揺れた。

『かくれんぼと鬼ごっこ、どっちが好き』

 少しだけ蓋が開く。

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わるいもの 山本アヒコ @lostoman916

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