私の人面犬

ザワークラウト

前編

 彼が私の家に上がり込んでから、もう2カ月以上になるだろうか。いや違う、私が自分からこの男を招き入れたのだったか。


「ねぇこの女子アナ、家でマイクロブタを飼ってるんだってさ。ブタならいざって時に非常食になるから一石二鳥だよね。あ、ブタか。あははは」


「そーね」


 テレビを見る彼が振り向いて私に話しかける言葉を、私は新聞に目を落としたまま素っ気なく返す。彼は私に塩対応をされたのに、不機嫌になる様子もなくニコニコと笑ってチャンネルをニュースに変えた。

 彼の視線がテレビに集中していることを確かめると、私は彼の方にそっと顔を向けた。男のくせにちゃらちゃらと女の私より髪を伸ばしてポニーテールにしている。


「リュウ」


「ん?」


「髪に埃ついてるわよ」


 私が彼の名前。もっとも偽名なのかもしれないが彼の名前を呼ぶと、リュウは体育座りのまま、また振り返った。


「どこ?取ってよ」


「つむじら辺よ、自分でやった方が早いわ」


 そう言われて、リュウはポリポリとつむじ付近を指でかいた。本当は埃などついてないが、なんとなく彼をからかってみただけだ。

 私は彼と同棲しているにも関わらず、彼に関してリュウという名前しか知らない。それも、龍と書くのか流と書くのかも聞かされていない。聞いたところで口頭だけでは嘘かも分からない。というか、私は彼の素性を一切知らない。極端な話、日本国籍かも定かではない。

 ただ一つ言えることはリュウは、ずば抜けて容姿に恵まれている。処女雪の如く真っ白できめ細かな白い肌と乳白色の柔らかな髪。その中で睫毛と眉と瞳だけが黒曜石のように黒く、リュウがハーフやアルビノなどではなく、ただ髪は染めているだけということが分かるが、唇も熟れた桜桃のような紅色で、リュウが唇を舌で舐めると唾液でつやつやと濡れて、一層美しさを増す。一目で男と見抜ける者は少ない、極めて蠱惑的かつ女性的な容貌だ。

 彼自身、自分が容姿端麗なことを分かっているのかはたまた彼のセンスなのか、服も自分からはスウェットとかニットとか外出時のワイシャツとか、とにかく白い無地のものしか着ない。そのため、白一色のリュウの後ろ姿はまるで、画用紙を擬人化させたようだった。

 身長は170はあるだろうが、私と比べたら数センチくらいの差しかない。肉体関係は無くとも彼の裸は何度か見たが、肋骨が浮き出ているわけでも腹筋が割れているわけでも脂肪がついているわけでもなく、何というか中学生のような控えめで未熟な体型をしている。あの体つきを維持することは、多分エイトパックになるより難しい気がする。

 ちなみにアレも見たが、小さな時に父と叔父のモノを見たのが最後の私には、リュウのモノがどれくらいのサイズなのかイマイチ分からない。

 今さっきリュウが立ち上がってベランダに出て煙草を吸っているが、その他に私が残した缶ビールを朝に空にしたりしているので、流石に成人はしているのだろう。線は細いが行っていたとしたら大学生くらいだろうか?


「アミ、外に出てみなよ。今日は月が綺麗だよ」


「悪いけどそういうの興味ないから」


「そうか」


 私がリュウを冷淡にあしらうのは、彼にあまり入れ込みたくないからだ。早い話がとっとと出て行ってほしい。彼ほどの美青年ならどこかの資産家の愛人にでもなれば悠々自適に暮らせるはずなのに、何故かそうせずに安月給でホームセンターで働く私の家に転がり込んだまま出て行かない。

 一度、失礼とは知りつつ思い切ってそれを夕飯を食べながらリュウに言ってみたら、リュウは自分を安売りしたくないと答えた。意外と立派なところもある。事実、リュウは完全なヒモではなく、私に金を無心することもなく週に数回工場や倉庫で日雇いをして、毎月稼いだ数万を裸で渡してくる。恐らく彼の手元には一万円も残らないだろうが、彼曰く自分はパチンコも女遊びもやらないし、たまに電車に乗ってデパ地下スイーツを買えて、あとは漫画とエコーがカートンで買えたらそれで満足らしい。

 一体リュウはどこから来たのだろう? 彼の面を初めて拝んだのは2カ月前、仕事帰りに近所の公園で酒を飲んでいたら、フラフラと冬なのにひどい薄着のホームレスがやってきた。それがリュウ。彼がバカみたいに蛇口の水をがぶ飲みするのがあまりに惨めで、空腹を哀れんで家で食べようと思って買ったケバブを渡したのが始まりだ。

 その時は真夜中でお互いに顔がうまく見えなかったが、リュウが私の立っているところにやってきて、街灯の光に照らされた彼の顔を見た時に、ホームレスとは思えぬあまりの可憐さに息を呑み、そのまま勢いで家に泊めてしまった。

 ケバブを貪る時に見たリュウの腕が文字通り骨と皮だったので、これならたとえレイプされそうになっても組み伏せられるなと思ったのもある。そして、シャワーを浴びさせて汚れを落としたリュウは、トリミングした犬のように更に魅惑的な容姿に変わっていた。

 正直なところ、リュウのことは嫌いではない。暴力は振るわないし声を荒げることも少ない。皿洗いや掃除機のような簡単な家事は自ら行うし、前述したように金銭面で私の負担はほぼない。スイーツも2人分買ってくる。男友達として出会えたなら、いい関係を築けたかもしれない。

 ただ、やはり素性がわからず公園で生活していた行きずりの男と、これから先もやっていく自信は私にはない。本人に言うつもりはないが、リュウは箸も上手に使えない、私の歯ブラシを悪気なく使おうとしたりと、育ちというより頭の方が悪い印象がある。精神年齢も低く、リュウみたいな部類は定職にも恵まれず、かといって行政から支援の手も差し伸べられない灰色の微妙な位置に佇む存在だ。その割に安直に小金を稼げるホストにならないのはリュウの美学だろう。

 つまり、長い目で見たらリュウはいくら美形でも結婚するとなるとリスクの方が高い。それに、家に男がいるといざ本命の男が出来たとしても家に呼べないし、間違いなく浮気を疑われる。デメリットづくめだ。ならば、今すぐにでも手切れ金を渡すなりして叩き出すべきなんだろうが、彼の無垢な笑顔を見てからだと良心が咎めて簡単には口に出せない。それに私自身リュウと目が合い、リュウの手に触れるたびに彼を無性に抱き寄せたくなる辺り、本能ではリュウに汚されたいという気持ちもあるのだろう。


「リュウ、ニュースもう見てないなら消してよ。アンタ野球なんて興味ないでしょ?サッカーも相撲も」


「雑音が好きなんだ。物静かなのは嫌いだよ。少し騒がしいくらいが僕には丁度いいんだ」


 考えてみたら、素で一人称が僕の男をリュウ以外に知らない。それとも私の前では猫を被ってるのだろうか。


「そうなんだ。じゃあ悪いけどBSに変えてくれない?韓流ドラマやるから」


「いいよ」


 リュウはあっさりチャンネルを変えたが、韓流ドラマにはスポーツ以上に興味がないらしく、そそくさと立ち上がって洗面所に行ってしまった。


「アンタの歯ブラシは赤い方だからね!」


「はーい」


 声だけはしっかりと男なのが妙に安心する。歯ブラシで歯を磨く音って何かに似ていると思っていたが、今気づいた。茶筅で茶を点てる音だ。


「先に寝てるね」


 それだけ言うと、リュウはヘアゴムで下ろした髪を束ね、襖を開けて2畳くらいの小さな寝室に消えた。

 リュウは私にいつも軽くあしらわれるが、それでも1日10回くらいは話しかけてくる。本当は会話に飢えているのだろうが、それを嫌がる私に遠慮しているようだ。拒絶されるのも不愉快だろうし無理して話しかけて来なくてもいいのに。自由奔放そうに見えて彼は意外と人を見ている。

 ドラマも見終わり、私も念入りに歯磨き粉をべったりと塗りたくって歯を磨き、寝室に入ると、壁に身体を擦り付けるようにして部屋の隅で寝るリュウがいた。しかし、図太く毛布は独り占めして蓑虫みたいに包まっていたので、私は彼を転がして敷布団に納めると、毛布も剥ぎ取って私と彼にかけた。激しく動かされても、リュウはカラカラと微かないびきを立てるだけで起きない。彼は一度寝ると5時間は爆竹を鳴らそうが、いきものがかりを熱唱しようが絶対起きない。

 彼も私も細身なので、一枚の布団を共有しても特に窮屈さは感じない。だが、リュウは寝返って私の腹に腕を置き、顔をこちらに向けて頬を擦り付けてきた。リュウから生温かい吐息を吹きかけられたが、ミントの刺激臭がしなかったので、ああコイツまた歯磨き粉使わなかったなとぼんやり思った。

 明日も仕事なので早く布団に入っただけで、私はまだ大して眠くなかった。なので、起き上がって滅多につけない豆電球をつけて寝室に僅かな光を与えた。そして、上下白のスウェットを着たリュウの上をたくし上げ、腰から上の素肌を露わにした。豆電球の明かりは蛍の光と同じくらい乏しく、彼の細長いへそすらもすぐには見つけられなかった。

 そうして、彼の股間を踏みつけないように慎重に股の間で膝をつくと、そっと彼の上にうつ伏せになってリュウの胸に私の耳を当てた。昔、落ち着きたい時は誰かの心臓の音を聞けばいいと母から教わったが、そんな風変わりな物好きがいるわけもなく、されど興味はあったのでふと思い出した際にリュウで試してみたら、本当に気分が安らぐのだ。

 頬から血の通った鼓動と共に彼のぬるい体温が伝わり、空いている片手でリュウの頬に触れ、唇の輪郭をなぞる。私はリュウには極力干渉せず、彼に嫌われるなり飽きられるなりで、さっさと別のところに行ってほしいのなに、本当は彼と離れたくないとも思っている。むしろ、最近では後者の方へ日毎に天秤は傾いている。

 私は成人男性のリュウを同じ布団に寝かせ、彼が僕は椅子をくっつけて寝ようかと申し出ても拒否した。リュウは人の庇護欲を掻き立てる天才。誰かの支えなしには何もできず、それでいて人を盲目にさせる。言うなれば愛くるしい一匹の子犬だ。リュウは人の姿をした子犬、人面犬なのだ。


「うえっ」


 何となく気まぐれに彼の素肌に舌を這わせてみたら、寝汗の塩辛さにざらりと産毛の感触がしてさっと舌を引っ込めた。やはり美人でも男は男なので、こまめに剃っていても胸毛と縁は切れないらしい。

 私は自分が満足するまでリュウの寝息と鼓動に耳を傾け、やがてリュウの衣服を元に戻すと、毛布をかけ直して彼の身体に身を寄せて寝た。

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