第32話 ある昼、死中に活を求める③

 そこからはほんっとーーーーーーーに大変だった。


 突如呼ばれた魔王は、昼間だというのにベッドのお誘いかと勘違いして舞い降りたがその先に居たのは髪も服もぼろぼろですすけた私だし、客間でもない崩れ落ちそうな倉庫だし、ナナカもクローディアもいるし、おまけにぐるぐるに縛られたトーヤや見たことのないケットシーと子コボルトもいるし、で大パニックに陥ったのだ。

 まあ、気持ちは分からんでもない。思い込みが激しい上に私への思い入れも強く、足元に転がされているトーヤを見たら冷静でいろというのは難しいだろう。

 結局、私とナナカとクローディアが代わる代わる取り成して、ようやく落ち着いたのは呼び出してから小一時間もたった頃。

その時点で全員疲労困憊だったが更に後始末が残っていた。

 それはトーヤとアルセニオに突き出し、国内の反乱の兆しについて忠告すること。

 昼食に招かれていることを思い出し大急ぎで城に戻った私たちは、クローディアとナナカにトーヤの見張りを頼んでアルセニオの待つ応接室へと向かったのだった。


★ ★ ★ ★ ★


「本当にすまなかった」


 白々しい会話とともに食事を終え、給仕が全員退室するやいなやアルセニオは卓に頭を擦りつけた。大きな体躯を二つに折り曲げているから表情は伺えないけれど、強気で豪快そうなこの新王が部下の目もないこの状況で頭を下げているということは、策略ではなく本気とみていいのかもしれない。


「俺の管理不行届きだ」

「顔を上げてくれないかアルセニオ。確かに今回の件は君の部下のしでかしたことだが、君のせいというわけではないだろう」

「しかしだな、ヴェンディ」

「君の気持ちは分かっているよ。アルセニオ」


 半ば強引にアルセニオの頭を上げさせたヴェンディの声は穏やかだ。しかし顔を上げて目線を合わせたアルセニオの表情は一瞬で固くなる。ちりっとうなじが逆立つような、不穏な気配がしてヴェンディの顔を見上げれば、その双眸は赤黒く燃えるようにぎらついていた。

 あー、まずい。怒ってる。真っ黒いオーラは出ていないけれど、これは確実に怒ってる。

 椅子に座りしっかりと前を見つめるヴェンディと、中腰でやや上目遣いのアルセニオ。二人の力関係が数日前とは逆転しているようだ。

 いや、私がヴェンディを低く見ていただけで、もともと二人は隣り合っている国の王同士。同格だったんだろう。でも今や片方は負い目を感じていて、もう片方は怒っている。均衡が崩れたということだ。


「魔界にいる数少ないニンゲン同士、交流を持たせてやろうという君のやさしさは理解しているさ」

「……すまない」

「聞くところによるとリナと君の執事君は古い知り合いだったということだ。再会はリナにとっても嬉しいことだっただろう。それについては感謝しているといってもいい」

「……ヴェンディ……」


 冷たい表情のままヴェンディが言葉を発するたび、言われるほうであるアルセニオは委縮するように声が小さくなっていく。戴冠式後に見たあの威風堂々とした面影はなく、すっかり気圧された様子の彼はいたたまれないように視線を落とした。


「クローディアに、何か手紙を出したそうだね。アルバハーラで彼女に仕事をしてもらいたいということだったか」

「……あ、いや……」

「リナにも、仕事の誘いを?」

「……そ、それはトーヤが……」

「二人とも我が国にとって重要な仕事を任せている私の大切な側近だが。君は私に許しも得ず、この二人に何をさせようとしていたんだい?」

「……申し訳、ない……」


 淡々と、それでいて逃げることを許さないように言葉を重ねるヴェンディ。徐々に彼が背負った黒い羽がその高さを増していき、同時に彼の周囲に黒いモヤのような冷気が漂い始めた。冷気ははっきりとした質量を持って私の体を抑えつけ、うつむくアルセニオの肩にものしかかっていく。追い詰められたアルセニオはついに膝から崩れ落ちた。


「親父が死に、調べれば調べるほどうちの財政が良く無いことが分かって……親父の圧政で地方の不満が高まっていることもあって、戦をして両方なんとかならねえかと……」

「手始めに我が国を狙ったということかい? 随分と、仁義にもとることだとは思わなかった? しかも、誘いに乗らないリナを攫って私を怒らせようとするなんて」

「申し訳ない……申し訳……」


 床に突っ伏して許しを請うアルセニオの背は小さく震えていた。これはポーズじゃないだろう。自分に向けられていないはずなのに私が息苦しさすら感じるヴェンディのオーラを、真正面から喰らっていてはいかに魔王の一人とはいえ相当厳しいのかも。もう決着はついている。

 私はヴェンディの肩に手をかけた。


「そのくらいでお収めください。私まで押しつぶされそうです」

「しかしだね、リナ」

「私もこうやって戻れましたし、クローディア様はもともとお断りするおつもりだったとのことですし」


 ね、と念押しするように手に力を入れると、ややってからヴェンディの表情が緩んだ。少しずつどす黒いオーラが鳴りを潜めていき、体が軽くなっていく。

 しかし肩の重りが消え去ってからも、アルセニオは床に膝を付いたまま動こうとしなかった。いや、あまりの剣幕に動けなかったのかもしれない。日頃穏やかなヒトほど怒らせると怖いというのはこういうことか。

 ちょっと考えて、私は椅子から立ち上がった。怪訝そうな顔をするヴェンディに頷いてみせ、アルセニオの方へ回り込む。そしてうなだれたままの大きな、しかしすっかり小さくなった背へ手を添わせた。


「アルセニオ様。今回の件、私も怖い目に合いましたけどそれより戦にする前にことが発覚してよかったです。戦が始まっていたら、貴方の御命も危なかった」

「……なん、だと?」

「ご城下と、そして軍の中にも相当な不満を持つ者がいるという情報を得ています。それを扇動し、貴方が不在の隙を狙ってトーヤが城と王位を簒奪するという計画が」

「トーヤが?」


 アルセニオがはっとしたように顔を上げた。憔悴しきった表情に、更に焦りが加わって額には脂汗が滲んでいる。


「……俺は、そんなに至らない王だと思われているのか……。国中から……」

「反乱分子の数は分かりませんが、今ならまだ間に合うかもしれません。どうかまずは国内に目を向けてください。古参のご臣下に教えを仰ぎ、裕福な商人たちだけでなく城下に集まっている浮浪民の声もお聞きになって、みんなにお仕事を与えてください。そしてアルセニオ様の新しい国づくりを」


 脳裏にあのコボルトの子どもが蘇る。出会い方は良かったとは言えなかったけど、あの子が居なかったら私は今ここにいられなかったかもしれない。あの子たちだって、生活の糧に困っていなければ裏路地で屯したり泥棒とかしたりしなくていい。


「……恩に着る」


 少しの間目を閉じて考えるように黙っていたアルセニオが大きく頷いた。改めて開いた目はやや揺らいでいたけれど、力強い光が灯っている。

 もともとは剛腕で俺様気質の新王だ。やる気になればきっとあっという間に国内なんてうまく治めてしまうんだろう。じゃあ一つ私が置き土産をしておこう。

 アルセニオの耳元に近づき、トーヤの件です、と前置きをして囁いた。


「トーヤは捕らえてあります。情報を引き出した後は煮るなり焼くなりご存分に。でもあの人、言うほど仕事できないですけど根回しって分野だけは得意なようですし、いっそ懐柔して走り回らせてもいいかもしれませんね」


 誘拐犯、いや謀反の首謀者に対して生ぬるいと言われるかもしれないけど。そう思ったけど目が合ったアルセニオはにやりと笑った。


「それは良い案だ」


 さて、とヴェンディが膝を叩く。すっかり穏やかな表情を取り戻した彼は、椅子から立ち上がり私の腰に手を回した。


「話は済んだかい? そろそろ私たちも帰国するとしよう。我が城の者たちが私とリナの帰還を待ちわびているだろうからね」

「待ちわびているかは分かりませんけど、まあちょっとさみしくなってる頃合いかもしれませんね」

「それは大変だ。みんなをさみしがらせてしまってはいけない。アルセニオ、見送りは不要だ。また会おう。今度は我が城に招待するよ」


 颯爽と言い放つと、ヴェンディはまたいとこの返事も待たずに私を伴って応接室を出た。扉の外ではさっきのどす黒いオーラに当てられたっぽい侍従のひとが竦みあがっていたけれど、彼にもにこやかに手を振りどんどんと歩く。

 ヴェンディにしては急ぎ足だなと首を傾げていると、荷物をまとめた南館に差し掛かる頃ようやく彼の歩みがペースを落とした。おや、と思う間もなく頬に唇が寄せられる。


「どうされたんです? 今頃腰が抜けたんですか?」


 肩に額をすり寄せられ、ぽんぽんと肩を叩くと頬を膨らませたヴェンディと目があった。じとっとした上目遣いは普段は身長差があるので見られないシロモノだ。綺麗な顔には不釣り合いだけれど、こういう表情も風情があると思ってしまう。

 いい大人が、と可笑しくなって吹き出すと魔王は更に唇を尖らせた。


「ちょっとくらい拗ねさせてくれないかい?」

「何を拗ねてらっしゃるんです?」

「やけにアルセニオに親切だと思ってね。君とクローディアがいろいろと先回りしてくれたようで、私は今回すっかり蚊帳の外だ」

「だってヴェンディ様、争いごとは苦手でしょう? 戦の可能性があると言ったら泣いちゃうじゃないですか。クローディア様も私も、貴方を怖がらせたくなかったんですよ」


 人間界との戦では勇者の出現にあれほど怯えて動けなくなっていたひとだ。血縁がある身内との戦となったら、どれだけこの王は悲しみ涙にくれることだろう。そんな姿を見ることがなくて心底ほっとしているなんて、彼に伝わるだろうか。

 とはいえ、ヴェンディがアルセニオを圧倒することになるとは、と驚いている自分もいる。彼らの関係についてはまだ知らないことがあるのかもしれない。

 それはおいおい聞けばいいか。私はまだ納得がいかない様子のヴェンディの頬にキスをした。


「私の王は貴方だけです。アルセニオ様に対して親切なんじゃなくて、雇用先の安定を最優先させただけですよ」

「全く、君という人は……トーヤとかいう男の件も彼に一任したようだし、心配が尽きないよ」

「いいんですよ。アルセニオ様の国の話ですもの。ヴェンディ様はご自分の国の運営に頭を割いてください。今回は私、こちらで視察したりトーヤと話したりすることでひとつアイデアを思いついたんですよ」


 お、と彼の表情が明るくなった。


「今朝あの男に話していた件かい? 任せたまえ、私自ら領民をくまなく褒め称えよう。そういうのは大得意だ」

「いえ、褒めるだけじゃなくてもうちょっとあるんですよ。前世に居た国の納税の仕組みを参考にしてですね」

「なるほど、いいアイデアだ」

「まだ何も言ってませんが」

「君が考え付いたんだ。いいアイデアに決まっているさ」

「もうちょっと検討の余地がある、くらいのこと言ってくださいよ」


 全くこの魔王は。

 お金に無頓着で鷹揚で、きっとそこらへんは私やネリガさん頼みで何も考えていないに違いない。

 でも物凄く良い笑顔を浮かべている彼を見ればほっとする。自分を含めうちの国民はこの魔王のありように救われているところがあるんだろう。

 少なくとも王や軍のために重税を課したり、民を抑えつけたりはしない。菓子パンや果物ばかり食べるからといって、それを取り扱う商人を優遇することもなければ嫌いな野菜だって城で大量に買い付ける。お金がないにも関わらず、ではあるが。

 そして働くひとを見れば見かけたひとみんなを褒めたおす。作ったものも褒めたおす。

 彼のためならというより、放っておけないと思わせる人柄がヴェンディの強いとこなのかも? 


「では帰ろうか、我が国へ」


 窓の外に広がる中庭に、お迎えの竜ちゃんの姿が見えた。彼に乗せてもらえば国境を越えて城まであっという間だ。


「はい」


 私はヴェンディの目を見て大きく頷いた。

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社畜の私が悪役令嬢に転生できたと思ったら魔王城の雇われ事務員で魔王様とラブラブ生活ゲットだった件 あおい @yukiho-u

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