岡崎神社

目に飛び込んで来たのは、森だった。


京都の町中を歩いて、目的地に着いてすぐ。目前に広がったのは、別世界だった。

神社の正面に立ち、その雰囲気を感じる。

母と隣り合って、鳥居をくぐる。なんて、京都でそんな思い出を作ることになるとは思わなかった。

境内に一歩踏み込む。風が変わる。この瞬間が好きだった。

良かった。今日も同じ空気感だ。


ちょっとした違和感感じて?


1人で来るときと同じ感覚に、胸が少しはずむ。


「なんか良くない? こういう雰囲気」

「いや、そうだね」


 浮足立った気持ちで、母に尋ねる。同意は得たが、共感とはまた違った。

 どこか昔の自分とは違う感覚に襲われる。寂しさはない。ためらいも、怒りも。そして友だちといるときのようなウキウキした気持ちもない。静かな、たった1人だけで満たされる高揚感。

 母と2人、隣合いながら歩く。そして、ちょっとした階段を登り、手水舎で手を清めた。

 コロナ禍になってから、口をすすぐことはなくなったし、手酌もなくなった。最初は違和感だらけだった新しい習慣。今となっては、竹筒から流れてくる水に、両手をくぐらす行為に全くの違和感を感じなくなった。馴れでもなければ、受け止めでもなく、ただそういうものに変わったのだという現実に染まっただけだった。

 あの騒動から随分時間が経って、いろんなものが変化した。その中で、やっと旅行が気兼ねなくできるようになった。こうして母が旅行という名目で娘の様子を伺いに来るくらい、人々の気持ちは落ち着いた。けれど、前の状況には完全には戻らないのだろうと、多くの人がうすうす感づいていた。


「でも狭いね」

「地元の神社と比べたらあかんよ。あそこは広いんやから」


 なんて地元トークを繰り広げながら進むと、うさぎ神社らしい狛犬ならぬ狛うさぎが迎えてくれた。

 母に会うことで方言に戻ってしまったな、なんて思いながら、横目に母がスマホを手にしたのを見つける。


「撮る?」

「うん。思い出に。撮っていい? なんかおいちゃんいるけど」


 母の視線の先には、一眼レフを構えて、ばっちり狛うさぎを撮影しているおじちゃんがいた。きっと私達の存在にすら気づいていないおじちゃんは、角度を変えて何度もシャッターを切っている。

 どう見ても、退いてくれそうにない。

 一眼レフで1つのうさぎの何枚も撮るおいちゃんに、母が少ししびれを切らし始めた。はよ退いてよなと、小言が漏れ聞こえる。


「先に参拝行く?」

「そうやね」


 そういえば、昔は参拝に行ってからじゃないと屋台で買い物できなかったな。なんて、屋台の1つも見えない景色に思い出す。これも母の中ではなくなった習慣なのかもしれない。

 参拝を終えて、振り返る。さっきは見つけられなかったうさぎの群れを見つけた。神楽の舞台の枠組みに、あまたの陶器のうさぎが並んでいる。


「すごい。ココじゃない? インスタで見たの」

「そうだね!」


 うさぎたちは各々好きな方角を眺めているようで、正面を見ているうさぎの方が多かった。その中で、真ん中の2羽はお互いを向き合い、かわいい鼻をくっつけ合っている。 


「撮りたい」

「じゃ、先に御朱印貰いに行くね」


 なんて言ったって、さっきまで狛うさぎに夢中だったおじちゃんがいるのだから。まだ撮り始めと思われるおじちゃんの動きに、時間の経過を計算した。社務所にも参拝客はいる。きっと、ご朱印を授かるにも時間はかかるだろう。

 社務所について、ご朱印をお願いする。案の定、少しの待ち時間があった。待っている間、他の参拝客もご朱印をお願いしていた。

 社務所に男性は居ず、幅広い年代の女性が数人、並べられたお守りを覗き込んでいた。多分、その中で親子は私たち以外に1組。私たちよりお互い10歳は若い親子。母娘並んで、なにか和気あいあいと相談をしている様子だ。

 待ち時間、境内を遠目に眺めていたら、思っていたより速く、母がこちらに来た。


「撮れたの?」

「まだおいちゃんいるからさ。退いてくれんのよ」


 困った顔をして口のへの痔に曲げる母は、ご朱印を頼んだのか聞いてくる。もちろんと答えて、今度は私が狛うさぎを撮ったのか聞くと、母はハッとして、狛うさぎの方へ向かっていった。

 そういえば、あのおじちゃん以外男性を見ないな。なんて空に思っていたら、大きな絵馬を見つけた。来年はうさぎ年。本当は年明けに来る予定だった。


「絵馬がもう飾ってあるよ」

「ほんとだ。撮ってくる」


 狛うさぎの撮影から戻ってきた母は、すぐに絵馬の方へ向かっていった。そのすぐあとに御朱印の授与があり、私はお守りを眺めながら、母を待つことにした。

 別名・うさぎ神社というだけあって、うさぎの模様をあしらったものが多い。


「このお守りかわいいやん。買う?」


 いつの間にか戻ってきた母が指さしたのは、小さなうさぎの人形がついたものだった。全部で3色。白とピンク、そして珍しい黒色のうさぎがあった。


「買っちゃるで」

「良いの? ありがとう」


 とか会話をしたが、実は母のおごり前提の旅行だった。そもそもの誘い文句が、「お金を全部だしちゃるけん」だった。御朱印は自分で出したけど。当たり前のように。本当は全部そうしても良かったけど、なにせ金欠月。本来なら、京都に旅行に来てなんて居なかった。

 母をもてなしたいと言う思いと、せっかくの2人の時間を楽しみたいという思いと、奢ってくれるならという邪な思いできた京都旅行だった。


「おみくじもしようや」


 陶器のおみくじを見つけた母の提案に、すぐに首肯して、段々に並んだうさぎの一同を視線で選りすぐる。


「決まった?」

「うん、これにする」

「じゃあ、私はこれにする」


 インプレッションで決定して、指差しで母と被ってないか確認した。巫女さんに手にとって良いか聞いて、キープする。

 おごってくれるって言われても、やっぱり気を使うな。なんて思いながら手にしたうさぎは、白色だった。


「お守り、何色にするん?」

「黒」


 即答する私に、母はそうやと思ったなんて言いながら、残念そうな声を漏らした。


「えー。じゃあ、お母さんも黒にしようかなー」


 私は黒色のお守りを手に取り、一足先に巫女さんに渡す。


「他の色が良いんじゃないん?」

「けど、黒にするんやろー? 娘が黒やのに、お母さんがピンクやでー?」


 どこでなにを遠慮してるんだか。

 一緒に持ち歩くことなんてないだろうに。


「好きな色にしたらいいやん」

「えー?」


 悩みに悩みながら、


「じゃあ、ピンクにしようかな」


 母は3色の中でも一番かわいい色味を選んで、巫女さんに渡した。だって1番うさぎっぽいやん、なんて言い訳みたいに口にして。

 母が財布を取り出す。その姿をなんだか見ていられなくて、私は少し横にズレた。

 奢ってもらうのは、嬉しい。けど、心から喜べない自分がいた。親じゃなきゃ平気やのに。だからといって、私から旅行に誘うなんてことはないんだろうけど。良くて旅行券渡すくらいだろうな。なんて、将来の約束を口にしないで誓う。

 私は母を置いてけぼりにして、境内の広さを確かめるように石段を奥に進む。

 母がこちらに向かってくるのを確認して、引き返す。


「見て、うさぎ居るよ。飛躍うさぎやって」

「え? 写真撮る」


 見逃したうさぎの石像に、スマホを構える。一足先に撮っていた母は、私が引き返してきた道を進んでいった。

 うさぎ年に飛躍という意味が込められていることを知ったのは、つい最近だった。流行病のせいで暗がりだった数年を飛び越えようと思えばこそ、飛躍する1年という言葉は喜びに彩られていた。

 なにやら向こう側で撮影を始めたらしい母に、近づく。


「こっちは親子うさぎやって」


 飛躍うさぎと同じように、植木に隠れたうさぎの石像があった。大きなうさぎの傍ら、寄り添うように小さなうさぎがいる。


「あぁ」


 なんて溢れた声は、ため息にも似ていた。

 まあ、撮っとくか。なんて思ったのは、親子で来ることなんてめったにないし。とりあえずの良い思い出っぽくなるし。なんて、普遍的な理由ではなかったが。

 1〜2枚だけ撮って、すぐに踵を返す。もう良いの?なんて母の言葉に、うんと即答して、帰ろっかと鳥居に向かった。

 鳥居をくぐり、お辞儀して、神社に背を向ける。


「次は晴明神社だっけ」

「そう。行って良い?」

「ん?その予定やったやんな?」

「そうやけど」


 なんか母が遠慮している。私の方が昔は遠慮してたのに。

 降りたバス停から方角を計算して、乗るべきバスを探す。


「信号渡らんきゃね」

「そうやね。あっちの方が近いんかな?」


 右と左の距離を確認しながら、あっちじゃない?なんて言い合う。

 今は全然、昔ほど母の存在を気にしていない自分に気づく。なんだか、昔と違って気が楽だった。鳥居をくぐった時に感じたみたいに、まるで母という存在が、ここに居ても居なくても同じような気分。……薄情な言い回しだけど。でも、言いたいことが言えるようになった。それもまた、薄情な言葉だったけど。

 信号を渡る。次の神社へ向けて、まずは正しいバス停を見つけなければ。


 なんだか、空が晴れやかだ。……曇天だけど。


 

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御朱印GIRLS 巴瀬 比紗乃 @hasehisa

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