送り犬

無月弟(無月蒼)

送り犬にとり憑かれた話

 送り犬と言う妖怪を、ご存知だろうか?


 アタシはその話を、昔お婆ちゃんから聞かされた。

 夜中に山道を歩いていると、後ろからヒタヒタとついてくる気配がする。この気配の正体こそが、送り犬。


 送り犬に送ってもらっている間は、狼や他の妖怪から襲われる事はなく、外敵から身を守ってくれる良い妖怪なのだけど、注意点がひとつ。

 送り犬が現れたら、決して振り返ってはいけない。もしもふり返ってその姿を見てしまったら、途端に食い殺されてしまうから。


『いいかい。送り犬が現れても、絶対に振り返っちゃダメなんだからね』


 いつ何をきっかけにこの話を聞いたのかは、もう忘れてしまったけど。真剣な表情でそう言ったお婆ちゃんの目だけは、大人になった今でもよく覚えている。



◇◆◇◆



「あっ」


 振り返った瞬間、そいつと目があった。


 仕事が遅くなった日の帰り道。人通りの無い真っ暗な道を、一人家に向かって歩いていたのだけど。その途中、何かが後をつけて来てるような気配がして、思い出したのがお婆ちゃんから聞いた、送り犬のお話。

 もしも気配の正体が、本当に送り犬だったとしたら、絶対に振り返ったらいけないって分かっていたのに。


 どうしてだろう。怖いはずなのに好奇心に負けたのか、気が付けばアタシは、つい後ろを振り向いていた。

 そして、目にしてしまった。さっきから背後をヒタヒタとついてきていたモノ。犬の姿をした、その妖怪を……。


「振り返ってしまいましたね。知っていますか? 振り返って送り犬の姿を見た者は、食い殺されるって……」


 可愛らしい声でそう言ったのは、妖怪送り犬……というか、とっても小さいチワワだった。


 えーと、何なのこのかわいいワンチャンは?

 なーにが送り犬だ。真っ白な毛並みに、つぶらな瞳。どこからどう見ても普通のチワワじゃないか!



 状況が全く掴めずに唖然として、街灯の明かりの周りを飛ぶ虫の羽音が聞こえるくらい、辺りはシーンと静まり返った。


「ちょっ、ちょっとストップ。えーと、アンタ今、自分の事を送り犬って言った? 送り犬って、ボディガードになってくれるけど、もしも送ってもらってる途中で振り返ったら食べられちゃうって言う、あの送り犬?」

「おや、ボクのこと知ってるんですか? ふふん、だったら話が早いや。お察しの通り、ボクは大妖怪、送り犬なるぞ」


 胸を張りながら、得意気にどや顔をする、自称送り犬のチワワ。けどその姿には可愛らしさはあっても、お婆ちゃんに聞いていたような怖さはどこにも無い。コイツ、本当に送り犬なの? 


「待って待って待って。アタシが想像していた送り犬と、だいぶ違うんだけど。全然怖くないし、妖怪らしさの欠片もないし……いや、でもコイツ、さっきから日本語喋ってるしなあ。ということは、普通のチワワじゃない? けどだからって、こいつが送り犬?弱そうと言うか何と言うか……」

「む、酷いこと言うねえ。ボクはとっても強くて怖いんだぞー。ガオー、どうだ怖いぞー、ガオー!」

 

 ちょこんとお座りをした体勢から、前足を上げてすごんではいるけど、ゴメンね。君、全然怖くないから。


「そもそも妖怪って本当にいるのかなあ? 妖怪じゃなくて、どこかにスピーカーでも仕込んで、誰かがいたずらしてるのかも。だいたい送り犬って、山に出るってイメージで……」

「ガオー、ガオー! 怖いぞー!」

「お婆ちゃんから話を聞いた時には、もっと黒々としたでっかい、狼みたいなのを想像したんだけどなあ。振り返ったら食べられるって聞いてたから、しばらくの間帰り道が怖くなって、一人で外を出歩けなくなってたっけ。ああ、小学校時代の黒歴史が蘇ってくる……」

「こ、怖いぞー……しくしく、無視しないでよー」

「うっさい! 今考え事してるから黙ってて!」


 思わず大声をあげると、途端にビクッと身を震わせて、目に涙をにじませる送り犬。

 って、泣かないでよね。これじゃあアタシが、いじめてるみたいじゃない。


「ああ、もう。悪かったわよ。怒ったりしないから、泣かない泣かない」

「……グスン、ありがとう。お礼にお姉さんのこと、食べないであげますね」

「元々チワワなんぞに食われるほど弱くはないわ! ……ああ、だから泣くなってばー」


 頭を撫でながら何とか泣き止ませると、送り犬はじっと私を見つめてくる。


「とにかくお姉さんを襲ったりしないので、家までついて行って良いですか? 食べないなら最後まで送り届けるのが、送り犬のアイデンティティーなんです」

「ええー、家まで連れて行かなくちゃいけないのー?」

「お願いします」

「しょうがないねえ。まあいいわ。ほら、さっさと行くよ」


 ゴネても面倒だって思って、送ってもらうだけならと承諾したけれど、これが意外と大変だった。

 何せこの送り犬ときたら本当にダメダメで、カラスがバサバサと羽ばたく音を聞いては、「ひいー、カラス怖いー!」ってビクついて足を止めるし。横断歩道を渡った時はモタモタしていて、危うく車に轢かれそうになっていた。

 送り犬って、外敵から身を守ってくれる妖怪じゃなかったっけ? これじゃあアタシが守ってあげる側じゃない。この子の御守りをするの、滅茶苦茶面倒くさいんですけど。


 こうしていつもの倍くらい時間をかけて、何とか我が家へとたどり着いた。

 ふう、疲れたー!


「ここがお姉さんのお家かー。どう、ボクお姉さんのこと、ちゃんと守れてた?」

「チャントデキテタヨー、タスカッチャッタナー。ソレジャサヨウナラー」


 適当にお礼を言って、早々に家の中へと引っ込んでいく。もうこれ以上、付き合ってられないわ。


 だけど玄関のドアを閉めて、鍵を掛けて、靴を脱ごうとしたところでふと思った。

 あの子、本当に帰ったかなあ?


 気になって覗き穴から外の様子を見てみると、ああやっぱり。そこには何故かまだ送り犬が、ちょこんとお座りをしていた。

 あいつめ、いったい何をやってるんだ?


 だけどふと、昔お婆ちゃんが言っていた事を思い出した。

 たしか送り犬に家まで送ってもらったら、何かご飯をあげなさいって言ってたっけ。ご飯をあげたら、送り犬は帰って行くって。

 正直、面倒をかけられた上に、何でご飯まであげなきゃいけないのかって気持ちはあったけど、小さなチワワが潤んだ目をしながら、真っ暗な中じっと佇んでいるんだもの。放っておくのは気が引けるよ。


 結局、キッチンからサツマイモを持ってくると、外に出て送り犬に差し出した。


「ほら、これあげるから、もう帰った」

「わー、ありがとう」


 送り犬はムシャムシャと美味しそうにサツマイモを食べると、もう一度「ありがとう」って言って今度こそちゃんと帰って行ってくれた。


 ふう、全然怖くは無かったけど、やたらと面倒臭いやつだった。

 さらば送り犬。もう二度と、来なくて良いからね。





 そう、思っていたのに……。





「ちょっと、何でまたいるのよー?」


 一晩経った次の日の会社帰り。駅を出た所でチワワ……もとい送り犬が、ちょこんとお座りをしていた。


「今日もお姉さんを家まで送って行きます。だからまた、ご飯をください」


 送って行くって言うか、単にご飯が食べたいだけでしょーが。

 そもそも、後ろからこっそりついて来なくていいのか? 真っ正面から現れるなんて、送り犬のアイデンティティーはどこ行った!?


 そしてやつは次の日も、そのまた次の日もアタシの前に現れては、ご飯をねだってきた。しかも図々しい事に、「サツマイモは飽きてきたので、明日は松坂牛のステーキが食べたいです」なんて言ってきやがった。

 お前の皮を剥いでステーキにしてやろうか!


 こうしてアタシは、夜な夜な現れてはご飯をねだってくる令和の新妖怪『送りチワワ』に、すっかりとり憑かれてしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

送り犬 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ